10
一体のハァピーが目隠し用の黒い細帯を持ってピエッチェに近付く。ピエッチェを見ていたクルテが頷き、ピエッチェがそれに頷き返し、
「愛してるよ」
と告げた。細帯を持ったハァピーがフンと鼻を鳴らし、見せつけるように豊満な胸をピエッチェに向けて張り出すがそれには一瞥もくれず、ピエッチェは膝をわずかに折って頭を低くし、目隠ししやすいようにした。
無視されたハァピーは仲間の嘲笑の中、ムッとした顔で細帯を巻きつけて
《 大丈夫です、頬にも鼻にも隙間はできていません 》
《 では始める――そこに並んで一人ずつ手に触れろ。手だけだ。他には触れず、触れさせるな。女、おまえも並べ。言葉は発するな。声や息遣いで自分と知らせようとすればおまえの負けだ 》
クルテが頷き、ハァピーの列に並んだ。
リーダーがピエッチェに近付く。
《 なるほど、妹たちが是非にもと望むだけはある。おまえなら、六人相手でも十日は持ちそうだ 》
ムッとしたが何も言わずにいるピエッチェをリーダーが鼻で笑う。
《 さて、おまえは自分の女を選べるかな? これから女たちが順番におまえの手に触れる。おまえはその手を握り、これだと思った手を放すな。手を握ったまま目隠しを取って、自分で確かめるといい――さぁ、手を差し出せ 》
言われたとおりに手を持ち上げるピエッチェ、リーダーが遠ざかる気配、そして誰かが近づいて、そっと手に触れた。
「おまえだ! 俺の女はおまえだけだ」
すぐさま、ピエッチェが叫ぶ。そして女の手を握る手とは別の手で目隠しを外した。
「なんておまえは可愛いんだろう……」
もちろん、ピエッチェが握っているのはクルテの手だ。
《 なっ!? 》
詰まったようなリーダーの声、
《 インチキだ! 》
他のハァピーたちはキーキー声で
それら
「すぐに判った。共に生きると誓ったんだ。おまえの手を間違えるもんか……」
抱き
「あなたを信じてた」
チッと小さく舌打ちの音がし、続いて
《
と怒鳴り声がした。
《 この男はあの女のものだ。きっと肉欲の魔法は効力を発揮しない。発情しない男に用はない。二人は開放する 》
《 でも、お姉さま! なんとかならないの?》
キーキー声に泣き声が混じり、だんだん泣き声だけに変わっていく。顔を
《 おまえたちはさっさと消えろ。役に立たない男は目障りだ――そこの岩間を通れば岩山を降りていける。真っ直ぐ行けば道が見つかり、右に行こうが左に行こうがグリュンパに辿り着く。グリュンパに着いたら我らのことはきれいさっぱり記憶から消える。二度とこの森に来るな……ふん! どうせ、来るなと言われたことも忘れてしまうがな! 忌々しいことだ 》
クルテに向かって言うとバサッと翼を広げ、降りてきた岩の上に飛び去った。
「ヤツらの気が変わらないうちに行こう」
歩き出したピエッチェ、後ろからピエッチェにしがみついたまま足を運ぶクルテ、絶対に放すもんかと言いたそうだ。背後の泣き声が二人を追ってくることはなかった。
クルテがピエッチェにしがみつくのをやめたのは、岩場が尽き、辺りが木々に囲まれるようになってからだ。
「見えるか?」
ピエッチェが耳栓を外すのを待ってから、不安そうにピエッチェに訊いた。
「あぁ、見えるとも。今日のおまえは随分と可愛い顔をしてるな」
「いつもは可愛くない? まぁ、よかった。見えなくなったままじゃなくて」
「なにっ? そんなの聞いてないぞ?」
ギョッとするピエッチェをクルテが笑う。
「もしそうなっても心配ない。わたしがそばに居て事細かに面倒を見る――早く行こう、マデルとカッチー、それにリュネが心配してる」
「あぁ、心配してるだろうな。それに、二人が無事なのかが心配だ」
早く行こうと言ったのに、クルテがサックをガサゴソし始める。出したのは一枚の布、水袋も出して湿らせ、それをピエッチェに差し出した。
「鼻を拭け。拭いたらこの布は捨てていい」
あぁ、と受け取ってピエッチェが笑う。
「夜中にマデルに耳栓を出した時にも感心したが、おまえのサックは宝箱みたいだ」
「ハンカチくらい、誰でも持っている」
「耳栓はカッチーの
「どうかな? リュネの
「少しはすっきりした。おまえの匂いが判る。いい匂いだ」
「随分と口が回る。調子に乗るな。ハァピーはもう来ない。芝居は終わりだ――行くぞ」
歩き出すクルテ、ピエッチェが苦笑する。
そうだった……クルテと愛し合ってるなんて、ハァピーを騙すための芝居だった。頭の中に聞こえるクルテの指示に従って、言ったりしたりしただけだ。だけど――愛してるって
気落ちしそうな自分を奮い立たせて歩き始めたピエッチェ、すぐにクルテに追いついて笑う。
「今夜はまたグリュンパ泊まりか――宿の女将さんにビックリされそうだ」
「いや、今日は別の宿。女将さんが心配するだけ、気を遣わせるだけ」
「それじゃあ、どこにする?」
「まずは飯屋に行こう、早めに開ける店もあるはず。朝から何も食べてない」
「カッチーを飢え死にさせちゃあ拙いな」
「そこで宿の評判を聞いて決める――あ、リュネがいた」
クルテが前方を見て言った。
「うん? マデルとカッチーは?」
確かにリュネがいて、こちらに気が付きヒヒンと鳴いた。するとすぐそばでひょこんと頭を出したカッチーがすぐに立ち上がる。続いてマデルの姿も見えた。
「ピエッチェさん、クルテさん!」
駆け出してくるカッチーに
「よぅ! 待たせたな」
と応えるピエッチェ、
「座ってたらしい」
とクルテが微笑む。
「ところで……」
カッチーに呼応して走りだそうとするピエッチェをクルテが引き留めた。
「おまえの手を一番に握ったのがわたしだった理由、判ってる?」
「うん? そんなこと考えてもみなかった。どうせ頭の中におまえの指示がある。考える必要なんかないだろう?」
答えるピエッチェをチラッと見るクルテ、不満そうだ。
「列の先頭に、わたし自身が立ったんだ。割り込んだと言ってもいい。おまえが女の手を握るのがイヤだった――マデル! 心配させてゴメン」
「おい。クルテ……」
なんと言おうか迷うピエッチェを置き去りに、クルテはさっさとマデルやリュネの居る場所に行ってしまった。
立ち尽くすピエッチェ、駆けてきたカッチーに
「どうかしたんですか?」
と問われるが、なんでもないと薄く笑うだけだった。
グリュンパに着いたのは夕刻にはまだまだの時刻だった。
「この時刻でもやってる店で旨いってなれば、この先の路地を入ったジェニムって店だね。荷馬車を置く場所はないから、そこの馬具屋に荷馬車を預けて歩いて行くといいよ」
通りすがりの男に尋ねると、そう教えてくれた。
果たして馬具屋はリュネを預かってくれるだろうか? 店に入って交渉すると、
「馬の手入れを頼んでくれるなら食事が済むまで、なんだったら明日の朝まで預かってもいいよ。今夜はどこかに宿をとるんだろう?」
と言われ、頼むことにした。
「
そう言われてみるとリュネの身体にはうっすらと砂ぼこりが被っている。足元は草をさんざん踏んだかのように緑色だ。
「
カッチーがボヤく。
「そう言えば今日、宿を出てからわたしたち、何してたっけ?」
マデルも首をひねり、ピエッチェが、
「ギュリューへの抜け道を探して街の中をウロウロしてた……んじゃなかったか?」
と自信なげに言った。クルテはうっすら笑っただけで何も言わない。
「あんたたち、ひょっとしたら道を間違えて物忘れの森に入り込んだんじゃないのかい?」
馬具屋の
「物忘れの森って?」
「ギュリューへ近道しようとしたのに、なぜがグリュンパに戻ってくる。で、自分が何をしていたのかを忘れちまう。本当の名前は違うんだろうけど、いつの間にか物忘れの森って呼ばれるようになった――ギュリューへ行きたいなら、荷馬車を取りに来た時、地図をあげるよ。落書きみたいな地図だけどね」
ジェニムはすぐ見つかった。時刻の割には客も多く、流行っているのが判る。注文を聞きにした店員が、夜には楽団も入ると言っていた。
「リクエストにもお応えしますよ。って言ってもレパートリーにある曲だけですけどね」
「へぇ……ザジリレンの曲なんかもできるのかな?」
「何曲かありますよ。お客さん、ザジリレンの人ですか?」
「あぁ、生まれ故郷だ――最近、ザジリレンでこんなことがあった、なんて耳にしたことはないかい?」
すると店員が顔を曇らせた。
「お客さんには悪いけど、ここんところ悪い噂ばっかりだ。聞かないほうがいいんじゃないかな?」
「国王の急死ほど酷い話はないだろう?」
「いやいや、王さまが亡くなったのは発端に過ぎないらしいよ?」
「いったい何があったんだ? 国王が亡くなって、すぐ
ピエッチェが頼んでも、仕事があるからと店員は奥に行ってしまった。ところが、
「ザジリレンは苦難の時期なんだろうね」
と、隣のテーブルの男が話しかけてきた。店員とのやり取りを聞いていたらしい。
男はザジリレンの王都カッテンクリュードにしばしば商用で出かけるらしい。
「華やかな街だったのに、近頃は街全体がなんだか重苦しい空気に満たされてるよ」
男の話はマデルから聞いていた話に加え、労役が課せられたこと、税率が突然値上げされたことなどがあった。そしてそれが原因で国王代理クリオテナと夫グリアジート卿が対立状態、諸侯も二派に分かれて対立しているというものだった。
「庶民も王女派とグリアジート卿派に分かれちまって、時どき街中で小競り合いも起きる。まぁ、今は警護兵が抑えてるけど、そのうち内乱にまで発展しかねない――ってわけで、俺もザジリレンでの商売は見切りを付けようか迷っているところさ」
ピエッチェの顔色が蒼白になっていく。男の話のせいもあるが、頭の中にクルテの
『黙れ、何も言うな!』
が何度も響いて強烈な頭痛がしたのが一番の原因だ。
「ねぇ! 王女さまご夫妻って仲睦まじいんでしょ? なんでそんなに対立するようになったのかな?」
ピエッチェの向こうから身を乗り出したクルテが男に訊いた。
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