8
「リュネったら寂しかったみたいです」
カッチーがニコニコ言った。
「
「初めての場所に閉じ込められて、置いて行かれたとでも思ったのかもしれないね」
「俺、昨日、朝までの辛抱だよって、ちゃんと言い聞かせたのになぁ」
リュネは挨拶のつもりなのか、ピエッチェに向かって鼻を鳴らし、マデルには頭をひょこひょこっと頷くように二回上下させた。それからクルテに頭を寄せて顔を撫でろとでも言うように甘えた。
リュネを撫でながらクルテがピエッチェを見て言った。
「荷馬車に戻る?」
木立の中を
「元の道に戻るしかなさそうだな」
ピエッチェの呟きに頷くと、
「リュネ、頼んだよ」
クルテがリュネの首筋をポンポンと叩いた。
人間には見えない目印がリュネには見えるらしい。
「リュネに魔法を掛けたのか?」
ピエッチェの疑問に、
「ここに馬は居ないだろうと思って」
クルテが答えた。
「目印に、馬が好む匂いを付けた。リュネだけに判る匂いだ。他の生き物が気付くことはない。そしてリュネは思いのほか賢い。こちらの意図を上手に読み取る」
要領が悪いと前の持ち主から
「荷台、昨日のままです!」
カッチーが、前方を指さして叫んだ――
リュネに荷台を取り付け、カッチーとマデルが乗り込んだ。今日の
やがて木立の隙間に原っぱが見え始める。
「準備はいい?」
と小さな声で言うと、
「もちろんよ」
とマデルも小さな声で答え、カッチーの肩を叩いて臥せさせる。そのカッチーを覆うように横たわると、前もって出しておいた毛布を被った。
「大丈夫。おまえは誰にも渡さない」
ピエッチェがキョトンとし、腕を
「クルテ?」
不思議そうにクルテを見るピエッチェ、その目に軽く触れてから、クルテの手はピエッチェの手を握った。
「しっかり掴まっとけ」
導かれるままピエッチェが手すりをギュッと掴む。
「行くぞ!」
タン! と手綱の音がして、リュネが走り出す。すぐに木立は途切れ、その先は草原だ。よぼよぼの老いぼれ馬リュネが、早く草原を抜けようと全力で駆けていく。
「来た!」
クルテの小さな叫び、聞こえる
『ヤツら、マデルの下に居たカッチーには気付かなかった』
荷馬車に乗り込む前、クルテが言った。
『だから今回もそれでいけると思う。もし、それでも見つかってしまったら――』
その時は、ハァピーをやるしかない。馬車での強行突破を諦めて、ピエッチェとクルテでハァピーを退治する。
草原の向こうまで辿り着けば道が開けるのなら、向こうに行くしかない。まずは強行突破を試みよう……ピエッチェがそう言って、クルテがそれを後押しした。マデルとカッチーは、二人に任せるとしか言わなかった。
具体的な計画を立てたのはクルテだ。
『カッチーが気付かれなければ襲われるのはピエッチェだけ、我が身に降りかかる火の粉は自分で払え、ピエッチェ』
ピエッチェを隠しても意味がないとクルテは言った。
『マデルの影に二人は無理。わたしは馬を
『でもクルテ、ハァピーは肉欲の魔法を使うのよ? 女のわたしやクルテには
『大丈夫。ピエッチェは生涯を誓った相手にしか欲情しない』
言い切るクルテにマデルが呆れ、カッチーがピエッチェを盗み見し、当のピエッチェは真っ赤になっただけで何も言えない。
そんな遣り取りの後、少しばかりの準備を済ませ馬車を走らせた。そして案の定、ハァピーは草原でピエッチェが来るのを待っていたようだ。昨日より早いタイミングでの出現、原っぱに入ってすぐに姿を現すと馬車に寄り添うように飛び回る。
《 ねぇ、わたしたちと一緒においでよ 》
《 この世の物とも思えない快楽を教えてあげる 》
涼やかな声音は小鳥のように優しく
ピエッチェは蒼白な顔で、座席にしがみつくように座ったまま動かない。剣に手を掛ける様子はない。クルテは手綱をしっかり握り、ハァピーの動きを探りつつ、荷台の様子を時おり探る。マデルは毛布から首だけ出して、ハァピーを警戒しているが、マデルに近付く個体はいない。カッチーはきっとマデルの下で、耳を澄ましてジッとしているに違いない。
《 コイツ、わたしたちの誘惑に乗って来ない! 》
とうとう、一体のハァピーが
《 こうなったら無理にでも連れて行く! 》
その叫びを聞いてクルテがピエッチェの腰の剣に手を伸ばした。
スルリと剣が
《 おやめ、あんたにその男は必要ないだろう? 》
《 素直に寄こしな。そのほうが男にとっても幸せさ 》
《 あんたなんかじゃ味わえない喜びを、その男にたっぷり味わわせてあげるから 》
クルテを笑うハァピーに
「うるさい! 羽虫はどこかに消えろっ!」
つい応戦するクルテ、
「魔法を使わなきゃ、男を誘惑することすらできないくせに!」
嘲笑に、癇癪を起したハァピーが怒りを剝き出しにする。
《 生意気なっ! 》
すると別のハァピーが面白そうに笑った。
《 こうなったらあの女も連れて行くかい? 》
《 あぁ、連れて行こう! 目の前で、男がどうなるのか見せつけてやる! 》
キーキー声で
原っぱの向こうまで、三分の二は過ぎた。もう少しだ。リュネも必死で頑張っている。でも……ピエッチェは応戦できない。三対一で勝ち目はあるか?
二体のハァピーがクルテに迫った。前方から来たハァピーに剣を向けるクルテの肩を、後方から来たハァピーが掴む。
「わたしに触れるなっ!」
後ろめがけて剣を振ろうとするが、すかさず前方の個体がクルテの腕を掴む。優しく掴んでいるような感触なのに、どんなに動かそうとしても腕は動かせない。
「放せっ!」
クルテの叫びも
「リュネ! 向こうの森に逃げ込め!」
持っていた手綱がクルテの手から離れていく。それでもリュネは走りを停めない。
「マデル! 道に入ったらそこで待ってて! 必ず二人で戻るから!」
ハァピーがクルテと同じようにピエッチェを抱き上げたのが眼下に見えた。荷台のマデルは顔だけをクルテに向けて叫んでいる。
「必ずよっ! 必ず戻ってくるのよっ!」
三体のハァピーがクスクス笑う。
《 戻れるのは一人だけさ 》
ハァピーはあっという間に原っぱを抜けて、道があるはずの森の上空まで飛んでいった。下を見ると原っぱよりもずっと狭い開けた場所がある。岩だらけの場所だ。降下を始めたところを見るとそこに巣があるのだろう。
「雨ざらしだ」
クルテの呟きに、クルテを抱き上げていたハァピーが
《 巣はちゃんと岩の影に作っているさ 》
とキーキー声で答えた。
地面に着くとすぐに束縛が解かれる。クルテの横にはピエッチェが放りだされた。
《 さてと、誰から行く? 》
嬉しそうに
岩場の影から出てくるのは、狩りに参加しなかったハァピーたち、全部で五体だ。しめて八体のハァピー、クルテとピエッチェ二人では分が悪いのは一目瞭然だ。
(どうなってる?)
ピエッチェが頭の中でクルテに問う。
(おまえの言うとおり、ここまで抵抗らしい抵抗はしていない……察するところ、ここはヤツらの巣なのだろう?)
(あぁ、ハァピーは全部で八体、下手に抵抗しないほうがいい)
ハァピーたちは獲物の分配を決め終えたらしい。岩陰に帰っていったのは分け前に溢れたのだろう、残ったハァピーは六体だ。
(おまえを味わうハァピーは六体ってことらしい)
(ふざけるなっ!)
《 さぁて……男、おまえの相手をしたいという希望者はここに残った 》
ハァピーが、草原で襲ってきたときと同じ優しい声で言った。
「なんだ、キーキー声は終わりか?」
呟いたクルテをキッと睨み付け
《 女、おまえに用はない。喋るな 》
とキーキー声で言ってから、再びピエッチェに向かうハァピー、
《 どの女が好みだ? 》
甘い声に変わっている。
「好みと言われても……羽根布団を作れとでも言うのか?」
ピエッチェが嘲笑気味に答えた。
「六体いればダウンだけでも掛け布団が作れるかな?」
《 な…… 》
一瞬ハァピーが
《 なるほど、六人同時に相手をするか? 大した自信だが、布団など必要ないぞ。眠る暇など与えはしない 》
「六人? いや、どう見たって人間じゃない。六羽の間違いでは? いいや、やっぱり鳥とも言い
《 おのれっ! 》
憤るハァピーを別の個体が抑えた。
《 待ちなさいよ。もっとコケティッシュにできないの? まるで色気がない物言いじゃ、あの男だってその気にならないわ 》
《 何を言うか! 肉欲の魔法を掛けたんだ、そんな面倒なことしなくたって…… 》
馬鹿にされたハァピーがキーキーいう横で、馬鹿にしたハァピーがウフフと笑い
《 たまぁに、魔法の
とピエッチェに手を伸ばす。
「ちょっと待て! この男はわたしのものだ!」
クルテがピエッチェの前に立ち、ハァピーの行く手を塞いだ。
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