20

 するとマデルがウフフと笑った。

「それは内緒。クルテとわたしの秘密」


「なんですか、それ?」

不満顔のカッチー、ピエッチェが、

「いつの間に内緒話なんかした?」

と不思議がる。


「マデルの部屋で夜中に何度か」

答えたのはクルテ、

「ピエッチェはわたしが部屋を出ても気が付かない」

ねて言う。


 起きて欲しいなら、遠慮しないで起こせばいい……ピエッチェが、

「気付いて欲しかったか?」

と問えば、

「起こさないように気を遣った」

むくれる。まったく、扱いにくいヤツだ。


 ムッとしたピエッチェを宥めたのはマデルだ。

「クルテが安心して甘えられるのはピエッチェだけなんだから、そのあたり、判ってやりな」

そう言われてもすぐに気分は変えられない。


「もっと素直なら可愛いもんだが……拗ねたり剥れたり不機嫌になったりじゃ、どうしたらいいんだか?」

愚痴るピエッチェ、

「ピエッチェの真似をしてるだけなのに」

クルテが愚痴り返す。


「俺の真似?」

さらにムッとして聞き咎めるピエッチェをマデルが、

「よしなよ、ピエッチェ。あんたに勝ち目はない」

と笑う。傍らでカッチーが笑いを噛み殺しながら言った。

「早く食事にしましょう。俺、もう腹ぺこです」


「おまえはいつも腹ぺこだろ?」

呆れたふりをしたが、内心ではカッチーのお陰で矛先を納められたと感じているピエッチェだ。


 パンの袋をピエッチェが出すと、

「あら、調達済みなのね。どうするんだろうと思ってたのよ」

とマデルが喜んだ。クルテがティーカップ用のソーサーに果物を一人分ずつ分けるのを見て

「わたしの、イチゴが多くない?」

とマデルが言えば、

「マデルは昨日、大好きなイチゴを食べてない」

とピエッチェの顔色をうかがいながらクルテが言った。


「なんで俺の顔を見るんだよ?」

「俺にだけ冷たいって言うから……ブルーベリーはない」

言い返そうとしたピエッチェをマデルが目で制し、

「今度果物を買うときはあるといいね」

とクルテに微笑めば、クルテがニッコリ微笑み返した。


 明らかに不機嫌になったピエッチェにマデルが囁くように言った。

「クルテはね、自分の言葉を探してるんだよ」


「自分の言葉?」

「詳しくは聞いてないけど、複雑な環境に居たみたい。ピエッチェと知り合うまで、まともに誰かと話をしたことがないんだって――言ってもいいよね、クルテ?」

ブドウを口に運んでいたクルテが

「マデルに話したこと? ピエッチェとカッチーには言っていい」

と答えた。


 うなずき返したマデルが話を続けた。

「もちろん、言葉を知らないわけでも話せないわけでもない。話し相手が居なかったってこと――で、ピエッチェと知り合って初めて話し相手ができた。最初はピエッチェの真似をした。けれどそれだとウケが悪い。だからいろいろ工夫した」


 話し相手がいるはずもない。なにしろ魔物で、あの出来事の少し前まで封印されていたんだ――言いはしないがピエッチェが思う。傷の手当てをするために買い出しに行った村で、俺の言葉遣いでは反感を買うと学んだ、クルテからそう聞いている。


「言葉遣いを工夫しているうちに、自分が何を言いたいのか判らなくなったり、ありのままを言って拒絶されたらどうしようと考えるようになった」

マデルが言葉を切ってピエッチェを見た。

「どう思う?」


「えっ? どう思うって?」

「何かクルテに言ってやりなよ」

そんなこと言われても……何をどう言えばいい?


「まぁ、なんだ。何を言いたいのか判らなくなったら落ち着いてよく考えてから言えばいいし、拒絶されるかどうかなんて、言ってみなくちゃ判らないぞ」

「ピエッチェ……あんた、馬鹿か?」

マデルが頭を抱えた。カッチーまで、

「マデルさん、ピエッチェさんに気の利いたことを言えったって無理です」

と呆れる。


「カッチーまでなんだよっ?」

憮然とするピエッチェをクルテが見上げる。

「ピエッチェ、クリームのパン、どれ?」


「え? あぁ、どれだろう。昨日みたいに探せ。他はまた食ってやるから」

ニヤッと笑ってパンを手に取るクルテにカッチーが、

「クルテさん、ハンバーグがあったらピエッチェさんでなく俺ね」

と言い、マデルが

「肝心のクルテが話を聞いてなかったみたいね」

と苦笑いする。


 いいや、聞いていたさ、きっと。マデルに何か言ってやれと言われて『俺はおまえを拒んだりしない』と言いたくなった。だけどマデルとカッチーの前では言いたくなかった。クルテが無反応だったのは多分、俺の心を読んだからだ。


 立て続けに三個、ハンバーグを引き当てたクルテ、カッチーだけでなくピエッチェとマデルにもパンを渡し、なぜか満足そうだ。そして四個目、クリームが出ると少し残念そうに

「これでみんなに配るのは終わり」

と、パンに嚙り付いた。


 カッチーはハンバーグをクルテから渡されたのとは別に二個見つけ、今日は先行きが明るいと笑う。

「で、今日はどうするんですか? 王都に行くならここから二日の距離です」


 するとマデルが、

「リスト、できてる。持ってくるわ」

と立ち上がろうとした。

「食事が済んでからでいいよ」

止めたのはクルテだ。


「それに、王都に行ってどうしたらいい? よく考えてからの方がいい」

「クルテに、『三十三歳の隠し子がいるか』って本人に聞いて回る気かって言われちまった」

とピエッチェが苦笑する。


「加えて、デレドケのセンシリケは『王都のどこか』って言っていたけれど、それが真実だとも言い切れない。いいや、ヤツが嘘をついたとは言わない。そう思い込まされている可能性もあるってことだ」

「でもピエッチェ。だったらどこを探す?」


 不安そうに自分を見るマデルにピエッチェが微笑んだ。

「コテージの少年、と言ってもすでに三十三、ソイツに会ったことのある人物を俺たちは知っている。もう一度ギュームに会おう」

「ギュームに? 会って何を訊くの?」


 森の聖堂まで迎えに来たラクティメシッスを見て、ギュームはどう感じただろう? コテージの絵を持って行った男に似ていると感じただろうか? 十年前の男がまた来たと思ったか、思わなかったか?


 似顔絵を見直してみたが、ピエッチェには似ているように見えた。観察眼に優れた画家の目は果たして同じ感想を持ったか? そのあたりを確認したい。


「ギュリューに行くなら、レムシャンとグレーテがどう結論を出したか判る」

とクルテ、

「それは気が早いんじゃない?」

マデルが答えると、

「聖堂の鐘が鳴ったから、グレーテの思いは叶うはず。でも、まぁいいや。ギュームに訊けばいい。今日、宿を出る?」

とピエッチェを見た。


「そうだな、早い方がいいだろう――カッチー、女将さんのところに今から発つって言って来てくれないか」

「はい! あ……あの、ピエッチェさん?」

すぐ立ち上がろうとしたカッチーが座り直して気まずげにピエッチェを見た。


「実は、こないだ買った本、読み終わっちゃったんです」

「うん? それじゃ、また本屋に寄るか?」

「そうじゃなくって……実はさっきお茶を取りに行った時、女将さんと女神の娘の話になって。本を交換しようってことになったんだけど、ピエッチェさんの許可を貰ってからって言ったんです」


「自分で買った本なんだからピエッチェの許可なんて不要だよ、ってわたしは言ったんだけどねぇ」

マデルがクスリと笑う。


「マデルの言うとおりだ。自分の本は自分で好きにしたらいい――それにしてもカッチー、おまえ本当に女神の娘が好きだなぁ」

「最初は人魚の涙の話だったんですけどね」

「人魚の涙?」

「ジェンガテク湖には本当に人魚がいるみたいですよって言ったら女将さんとそんな話になったんです。人魚の涙の伝説は有名ですから」


「ローシェッタに住んでれば誰でも知ってる話だよ」

そう言ったのはマデルだ。

「封印の岩の向こうに追いやられた人魚たち、だけど一人だけ封印から免れた人魚がいた――人魚の涙は青いらしい。ジェンガテク湖の湖面が碧色なのは、その人魚がごと流した涙のせい、って伝説さ」


「マデルさん、肝心のところが抜けてます」

カッチーが補足しようとするとマデルは、

「そうだった?――ご馳走さま、わたしは自分の荷物を片付けに行くよ」

と部屋を出て行った。


「肝心なところって?」

ピエッチェの問いに、カッチーが答えた。

「はい……一人封印を免れた人魚の涙の理由です。岩の向こうにいる恋人を思って泣くんです。それでローシェッタでは思いあっているのに一緒になれない恋人や、それを嘆いて流す涙を『人魚の涙』って言うんです」

「そうか……」


 マデルはなぜ席を立ったのか? それを思うと『そうか』以外の言葉を思いつけないピエッチェだった。何も気づいていないカッチーは

「それじゃ、ティーセットを片付けて、本を持っていきますね」

と立ち上がる。


「カッチー、お土産も持ってった方がいいよ」

とクルテに言われ、

「えっと、それ、宿を出る時じゃダメですか?」

と迷う。クルテは

「どう思う、ピエッチェ?」

とピエッチェを見た。


「そうだな……俺だったら貰いっ放しじゃ胸が痛む。女将さんがカッチーに何かお返しができるように気を配る必要を感じるな」

「俺、お返しなんか要りません」

「おまえは要らなくても、女将さんはしたいんじゃないかな? まぁ、カッチーの思うとおりにすればいいさ」


 カッチーがティーセットを持って部屋を出るとクルテが言った。

「貰いっ放しじゃダメ?」


「時と場合に寄るだろうけど、まぁ、大抵はお返しをするものなんじゃないか?」

「それじゃあ、わたしもピエッチェを抱いて寝たほうがいい?」

「ああん? 抱き合って寝てるようなもんだから、気にするな」

まったく、どうして俺を困らせる? 頬が熱くなるのを感じてクルテから顔を背けるピエッチェ、クルテは

「ギュームは似顔絵に似てるって言うかな?」

さっさと話題を変える。


「ラクティメシッスのことか?」

心を読んだな、とはもう思わない。思ったところで意味がない。


「うん。わたしも似てるって思った。でもマデルには言い難い」

「ギュームに会うとき、マデルははずすか?」

「ピエッチェとクルテはデートって言って出かける?」

「なんだ、それ? でも、それならマデルとカッチーはついて来ないな」


「人魚の涙が湖を染めたってのは思いつきか思い過ごしか思い込み」

おい、もう次の話題かよ?


「でも、封印を逃れた人魚に恋人がいたのは本当」

「俺たちが会った人魚がそうなのか?」

「多分……ううん、だから伝説に頼るのは愚かってわたしに言った」

「おまえを愚かと言ったわけじゃないだろう? 満月の晩に封印が解かれるって伝説に頼る自分は愚かかって訊いたんだと思うぞ」

「そうなのかな?」

クルテが首をかしげて考え込む。いつもの『そうかもしれない』は聞こえてこない。何を考えているんだ? クルテのように心が読めたらとピエッチェが思う。せめてクルテの心だけでも……


「勘違いは誰にでもあるよ――リュネに荷台を付けに行く。一緒に行くか?」

複雑な心境を断ち切るようにピエッチェが話を打ち切った。

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