第2話

 ボクは毎日花をむ。この辺りには咲いていないから、数キロ離れた野原へ行って、綺麗なものを数本選んで。

 それを町へ持ち帰り、地面に並べて置いておくと、スズキさんは必ず来てくれる。


「あらあら、今日もあんな遠いとこまで行って、お花摘んできたの」


 彼女は決してボクを見下ろさない。腰を屈めて膝を畳み、同じ目線で話しかけてくれる。


「この桃色したお花、頂いていいかしら。その代わり、おむすびをあげるね」


 そう言って、スズキさんが鞄を開けた瞬間、とても良い匂いが漂った。くんくんと鼻を動かしそれを嗅ぐと、彼女は優しく「中身は鮭だよ」と言っていた。


「はい、どーぞっ」


 頂戴したおむすびを本能のままにむさぼれば、瞬く間に食べ終える。指に付いた米粒を舐め回して「おかわり」の瞳を向けてみると、彼女はボクの頭に手を乗せた。


「今日はそれしかないの。ごめんね、また明日も来るからね」


 申し訳なさそうに微笑むスズキさんを、ボクは上目で見つめるだけだった。


***


 スズキさんは、写真を撮ることが好きだ。町並みも撮るし、大きな人間たちも撮るし、そして、ボクやボクみたいなのも撮る。


「あなたのこと、撮ってもいいかしら?」


 ボクの前で初めてシャッターを切る前、彼女はそう聞いた。


「なんのポーズも求めてないの。ただ、ありのままのあなたを撮らせて欲しいの」


 それから時折カメラを向けられるようになったから、あの時のボクはたぶん、頷いたのだと思う。


 ボクの機嫌が良い時は、スズキさんも笑顔で写真を撮る。逆にボクの元気がない時は、彼女も辛そうにボタンを押す。

 どちらかと言えばスズキさんの笑顔が見たかったボクは、彼女の前では陽気に振る舞うことが多かった。けれどもそれは、彼女にすぐバレた。


「無理なんかしないでいいのよ。辛い時は思いっきり泣いていいの。いっぱい泣いて、泣いて泣いて涙を全部流しきったらね、空のたかーいところを見てごらん。すごく、綺麗に思えるから」


 そう言った彼女が上を向いたから、ボクも空を見上げてみた。

 誰も住んでいないそこは、ごみで汚れることもなくて、うじゃうじゃと野良猫が徘徊していることもなくて、気持ちよさそうにぷかぷかと、真っ白な雲が浮かんでいる。

 視界が全て空になるこの時間だけは、ボクも青の中で浮かぶ雲と同じ気持ちになれた。


 それでも絶望感は、定期的に抱く。


「あーあっ、こいつ寝てんじゃなくて、死んでんじゃねえのか?」


 大きな人間が、足でこつんとボクみたいな子を蹴った。


「ほら、全然動かねえじゃん。誰だよこいつを捨てたのは。かっわいそうに」


 こつんこつん。眉を顰めて思案顔を作るのに、その表情とはかけ離れた行為だと思った。


 その子はボクより痩せていた。あばら骨が胸元でうねうねと、何筋かの波を描いていた。木の枝の如く華奢で細い足。その足の裏側は、目を覆いたくなるような痛々しい傷が多かった。


 その子がごみ捨て場を漁っている時のボクは大人しく順番待ちをしているから、彼はボクより先輩だ。うちは貧さが原因で捨てられたのだと思うけれど、彼はどうして野良猫になったのだろう。ボクと似たような理由なのか、それとも親が野良猫で、産まれた時から野良なのか。


 産まれた時から。

 そう予想してしまえば、憐れみが止まらなかった。雨も風もしのげぬこんな過酷な環境で、ずっと生きてきたなんて。


「今片付けてやるからなあ」


 大きな人間が、モノのようにその子を扱うさまに吐き気がして、居た堪れなくなったから、ボクはその場から逃げ去った。

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