女公爵の部屋へ

壮絶な現場に居合わせたレインはその後、自室に戻り、他の同僚より早めに休憩をとらせてもらうことができた。

噴水に落ちてずぶ濡れになった身体を乾かし、濡れた服を脱ぎ新しい物に着替えてようやく落ち着くことができた。

初夏とはいえまだ水遊びをするには少し早い。それもあって寒さがレインの身体から完全に抜ける気配はもう少しかかる様だ。渡された大判の紺色のブランケットを全身を包ませて暖をとっていた。

ケヴィンは、寒がるレインにあったかいココアを持ってきてあげていた。

寒さに支配されているレインはココアを啜りながらケヴィンに感謝した。


「ありがとうケヴィン。甘くて美味しいし、すごくあったまる…生き返るわ〜」

「よかったよかった。いや〜なんと言うか…散々だったね〜」

「散々もいいとこだよ。本当何なんって思ったわ。帽子取ろうとしてバランス崩した挙句噴水に落ちるわ、突然お嬢様に抱きしめられるわ、断罪イベ的なのを見るわ」

「お、おおう…」

「明日風邪ひいたらごめん」

「いやね、それはいいんだけどさ、いろいろ内容が濃過ぎて何で言ってやればいいのか分かんない」


それは当事者であるレインも同じだった。

唯一良かった事は、風で飛ばされてしまった帽子が濡れてしまわなかった事ぐらいだろう。


「でも、なんで急に抱きしめてきたんだろう?何かお嬢様と何かあった?」

「何もないから分からないんだよ…。此処に初めてきた時にカフェで鉢合わせたぐらい。しかも、会話らしい会話もしてない。挨拶だけ」


レインは何度も思い返していたが、やはりカイリに気に入られる様なことをした覚えは一つもなかった。

もし気に入られる要因と言えばギフトを所有している事ぐらいだが、記憶のギフトのことはまだ彼女には話してはいない。目の前にいる友人となってくれたケヴィンにもまだ伝えていないほどだ。知る由もないだろう。

邸宅に来て何か偉業を成し遂げたのかと言ったら特にない。

あと考えられるのは一つ。レインの悩みの一つであるあの月夜の宝石の声と彼から告げられた呪詛に似た予言だろう。


(運命の番…。どういうことだかさっぱりだけど、まさかそれが関わってるとか?)


ケヴィンに相談するべきか一瞬迷ったが、ギフトのことも伝えていない今のままでは気味悪がられるのがオチだろうという結論が出てすぐにやめた。


(実はギフト持ってて不思議な声が聞こえまーすなんて言ったら速攻でドン引きされて最悪絶交だろ。今後のラクサでの生活に支障が…!!!)

「でも、カイリお嬢様って優しいから抱きしめてくれたのかも?」

(う〜ん。そんな純粋なことじゃない気がする…もっと欲望に満ちた感じの…)


ケヴィンが持ってきてくれたココアを味わいながら考えを巡らせる。

ケヴィンの優しさから来る慈悲の精神で自分を抱きしめてきたという意見には疑問を呈した。


(それだったら全員にやってる筈だし、やっぱカイリ・マリアネルが持ってるギフトと月夜の宝石が絡んでる気がする。こんな事ならガイアにもっといろいろ聞いておけば良かった)


マリアネル邸に就職してからガイアと連絡が取れなくなっていた。

"おめでとう。僕は次のところに行くね。アデュー!!"という小さく可愛めにデフォルメ化した自身の落書きも含めた書き置きを残してガイアはレインの前からいなくなった。自称・奴隷商人である彼はきっといろんなところに飛び回っているのだろう。

突然いなくなってしまった事で肝心なことが聞けなかったのが心残りだった。彼ならあの不思議な声のことを知っていそうな気がしていたが、まるで分かっていたかのようなタイミングいなくなってしまった。


(……わざとだったらどうしよう)


あまり考えたくない思考が浮かび上がる。首を横に振りその考えを消そうとした。

すると、入り口の扉からノック音が聞こえてきた。

扉の向こうから聞こえてきたのはエドワードの声だった。


「ん?何だろう?はーい!」

「レイン・バスラ居るか?」

「(え、俺?)あ、あの、はい!!待ってください!今開けます!!」


レインは持っていたマグカップを机に置き、急いで扉を開けた。


「ごめんなさい。すぐ仕事に…」

「いや、こちらこそ突然すまんな。仕事に戻って欲しいから来たわけではない」


エドワードはごほんと短く咳払いをし、改めて要件を伝えようとする。


「レイン・バスラ」

「は、はい」

「お嬢様がお前を呼んでいる。帽子の取り戻してくれたお礼をしたいだそうだ」

「お礼なんてそんな…(寧ろドレスを濡らしてしまったんだが)」

「身なりを整えたらすぐにお嬢様の元に行く様に。分かったな?」


断れる雰囲気ではないのは明らか。尚且つ、使用人の立場である自分にどんな理由があろうとそんな選択肢はない。

レインは仕方なく二つ返事で了承した。


「あまり彼女を待たせるんじゃないぞ」

「…分かってます。すぐに行きます」


友人と話していた時間がもっと長く続けたかったがそれは許されなかった。レインはエドワードとの会話を終えたのち、ケヴィンに少し手伝ってもらいながら身なりを整えた。


「給料アップだといいね」

「ぜってー違うと思う。嫌な予感しかしない」

「もし、理不尽な解雇とかだったら僕も一緒に抗議するから!!」


だから任せてと親指を立てる前向きなケヴィンにレインは少し笑ってしまったが同時に勇気を与えられた。

もし、彼の言う通り此処を去れと告げられても彼なら友達でいてくれる気さえした。ほんの少しだけ不安も薄れていた。






重い足取りでエドワードに指示された通りにカイリの部屋に向かったレイン。

帽子を拾った御礼とそこからくる給料の値上げの話だけになってくれればと願うばかりだが、先程のカイリの行動が引っかかって話がややこしいかなるだろうと推測していた。


(なんか、使用人としてじゃなくて愛しいモノを大事に抱きしめてる感じだったんだよなぁ…。本当あれ何だったんだろう?)


やはり気がかりなのは彼女が身に付けている月夜の宝石のことだ。あの宝石が呟いた"運命の番"というワードが関わっているのだろう。

けれど、何故それが自分なのかレインは理解できなかった。


(ギフトを持ってる以外何の取り柄もないのに。身分も低い俺を何で運命の番になんか)


何度考えても答えは出ない。出てくるのは溜め息ばかりだ。

気付くと、もうカイリの部屋の前に着いていた。緊張で胸がいつも以上に高鳴る。

一瞬だけ躊躇したが、すぐに腹を括り一息してからノックをした。扉の向こうから「どうぞ」という声が聞こえてきた。


「……失礼します」

「レイン。お休みのところ突然呼び出してごめんなさい」

「いえ、別に平気ですから。あの…」

「こちらに座ってゆっくり話しましょう?時間はたっぷりあるから」

「はぁ…」


レインは不安が扉を閉め、出迎えてくれたカイリに言われるがままソファーの方へ向かう。

カイリと向かい合わせになったことでさらに緊張感が上がる。

あまり来ることがなかったマリアネル邸の主人の部屋を見渡す余裕も今のレインにはなかった。何を言われるのだろうと言う不安に駆られる。


「あの、その、改めて聞きますけど、話ってなんですか?」

「まずはさっきの私の帽子をずぶ濡れになって拾ってくれたことの御礼と、もう一つはそうね…」


カイリはワンクッションとして紅茶を一口飲んだ。

その目はレインに向けられる。カイリの真剣な眼差しにレインは目を背けようとするが威圧がそれを許さなかった。


(ひぇ)


あまりの圧で思わず心の中で変な声が出てしまった。


「私と同じギフトを持つ貴方には打ってつけの話とでも言いましょうか」

「っ!!いや、ちょ、ちょっと待ってください。今なんて」

「私と同じギフトを持つ者。私は何でも知っているのよ。レイン・バスラ」


緊張を紛らわそうと飲もうとした紅茶を吹き出しそうになったレインは、ガチャンと少し乱暴にティーカップをソーサーに置き、慌ててカイリを問い詰めようとする。

その様子をまるで分かっていたかの様にカイリはニヤリと笑った。

レインは女公爵カイリ・マリアネルの企みに嫌でも巻き込まれ、尚且つ、逃れられないのだと思い知ったのだった。

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