第6話 異世界召還(1)

 衆議院総選挙は、与党が敗北し、議席数を減らす結果となった。


 とはいえ、与党が野党に転落するほどひどくはなく、党執行部の予想通りの微妙な負け方だった。


 つまり、光二は当初の約束通り、敗戦の責任を取って総理を辞めることが確定したという訳だ。


「あー、だる」


 あれこれの調整を終えて深夜に帰宅した光二は、玄関先でネクタイをほどきながら肩こりをほぐすように首を回す。


「総理、お疲れっした! それと、これ、みんなからっす」


 今日の護衛任務を終えた園田が、おもむろに防弾カバンの中から花束を取り出した。


 花瓶に植え替えなくても自立するタイプのポット型で、かわいらしいプラスチックの小鳥も挿されている。


「おいおい。一日早いぞ? いくらポンコツ総理だとしても、明日までは守ってくれよな」


 冗談めかして言う。


「いや、だって、総理、明日の辞任会見後はずっと地元周りでしょ。そこで、たくさん花束もらうだろうし。そしたら、ジブンらの花のありがたみが薄れるじゃないですか」


 園田が小賢しい狐のような笑みを浮かべて、花束を差し出してくる。


「なるほどな。ま、それじゃありがたく」


 光二は縦にした右手を顔の前にもってくる仕草をして、感謝の意を示す。


 そして、左腕で花束を抱くようにして受け取った。


(ま、バカ息子総理にしては十分な餞別だよな?)


 おそらく、通販で四~五千円程度と思われるその花束を座卓に置いた。


 大仰なものを嫌う光二の性格に鑑みて、軽い花束を贈ってくれた護衛たちの気遣いが素直に嬉しい。


 シャワーを浴びて、歯を磨いて寝室へと向かう。


(さーて、明日のスピーチの確認――なんてしないんですけどね! 初見さん)


 光二はベッドの下の空間に潜り込み、床板を外す。


 しばらく匍匐前進を続け、そして、地下室へと続く隠し扉をたどり着く。


 災害や戦争が起きた時に備えた秘密の避難用核シェルター――という設定になっているその扉に、生体認証とパスワードのダブルチェックをしてから、蛇のように身体を滑り込ませた。


 銀色の壁が四方を埋め尽くす空間には、一切の物が置かれれていない。


(月齢は良し。龍脈も絶好調。魔法陣も完璧)


 天と地と、そして壁一面に血文字で記された幾何学模様を指さし確認する。


 この日が来ることは、十数年前から分かっていたことだった。


(魔元の不安定臨海まで、あと十五分)


 だから、光二は驚きも感動もなく、冷静な興奮をもって、その時を待つ。


(ぷぷ、にしても、急に現役総理大臣が失踪したらウケるやろうなあ……)


 光二には、他の国会議員たちに復讐ざまぁするほどの憎しみはない。


 ただ偶然に儀式の日和が辞任の前日に一致しただけのことである。


 でも、四年間アホの子総理を演じざるを得ないような状況に追い込まれたのはそれなりにストレスではあったので、少しは意趣返しをしたい気持ちもあった。


 まあ、国民もこんなやる気なし男を総理にしたことを後悔して、もうちょっと真面目に政治家を選べばいいと思う。


(まあ、総理大臣になったのは、悪くない暇つぶしだったな)


 つまるところ、光二が日本に対して抱いた感慨はその程度のものだった。


 元々細かいことはあまり気にしない性格だ。すぐに未来にやりたいことで頭を埋め尽くされていく。


 なにより、会いたい人がいる。


 彼女の顔や仕草や匂いを思い出していると、時が経つのは早かった。


「レグルエジルスムス ミメルミメルムル ハミザグルメギル」


 光二にとっては母国語といってもいい異世界語を唱える。


 それに応えるように魔法陣が緑色に輝き出した。


(もし日本に異世界の帰国子女枠があったら、俺も有名大学にも受かってかもな)


 そんな益体もないことを考える。


 地球に帰ってきてからたった一年半。時候の挨拶レベルの日本語すら忘れかけていた状況から高卒認定を取り、Fランとはいえ大学に通えるまでになったあの時の自分を誉めたい。


 グワングワングワングワン!


 外が騒がしい。


 ガタタタタタタタタタタ!


 そして揺れ。


 地震――とは違う、上からの圧を感じる揺れ。


 建前とはいえ、設備は核シェルターそのものであり、相当頑丈にできているはず。


 それを貫通する振動と音が、東京の高級住宅街で発生するとは考えにくい。


(魔法の誤作動か? おかしいな。腕が鈍ったか?)


 周囲にバレては面倒なので、静音の術式も当然に組み込んでいる。


 定期的な訓練も怠っていない。それこそ救助の際に簡単な探査魔法を使ったり、身体強化魔法で不眠を帳消しにしたりして、感覚は維持している。


 異世界への扉を開く呪文は、莫大な魔力を必要とするものの、意外と単純なので間違えるはずもないのだが。


 若干心配になる中、魔法陣はどんどん光を増していく。


 それらは地面に浮かび上がり、やがて空中の一点にブラックホールのように収束した。


「ふむ、ここが地球か。確かに魔素が薄いな」


 厚底のブーツのかかとを鳴らし、床に降り立つ影。


 タイトめの軍服、両腰に剣を佩いている。


 装飾品の飾りつけはない。そもそも彼女には必要ない。


 最高級のウバ紅茶にも似た明るい紅茶色の肌。


 八頭身の美貌。


 腰まで伸びる銀髪。


 彼女自身はコンプレックスだと言い、光二はかわいいと思う幅広の長耳。


 ぱっちりとした二重の瞳、整った鼻筋、口紅を塗っていないのに赤く艶めく唇。


 それこそが、光二の待ちわびていた人だった。


「ルイーン! ルイン!  ルイン! ルイン!」


 光二は愛しい妻の名前を呼び、その身体に抱き着いて、豊かな胸に顔を埋めた。


「久しいな、我が夫よ。ちょっと老けたか?」


 ルインに犬をあやすように撫でられる。


 光二も175cmくらいはあるので決して背は低くないのだが、彼女は180cm近くある。


 とはいえ、ルインもエルフ族として平均的な身長であって、つまるところは種族差ということだ。


「おう。人間だからな。もし今回の儀式に失敗してたら次はハゲてたぞ。――それより、早くくれよ、あるんだろ? へへへへ、お、おれ、もう我慢できねえよ」


 光二は脳みそを異世界語モードに切り替えて言う。


「ふっ、相変わらずだな。魂の方が老いてなければそれでいい――さあ、飲め。味も改良されているぞ」


 ルインは胸ポケットから緑色の小瓶を取り出した。


「おー、そこに労力割けるくらいには平和になったか」


 ルインから引っ手繰るようにして受け取った小瓶を一気飲みする。


(お! 確かにちょっとはマシに――、あ、でもやっぱりまずい!)


 最上級の魔力回復薬であるエリクサーは、その特有の生臭さこそ取り払われていたが、独特のエグみと苦味は相変わらずだった。それさえも、今の光二には懐かしく思える。


 すぐに丹田の辺りが熱くなってくる。


「さて、久々にまともに魔法が使えるようになった訳だが、なにをする?」


「もちろん、これに決まってる!」


 光二は瞑目し、身体に魔力を循環させる。


 初めは慎重に、慣れてくると大胆に、自身の肉体を改造した。


 やがて、肌の染みが消え、肌も張りを取り戻す。


 すなわち、二十代前後の生物として全盛期の身体に若返る。


(うん。大丈夫。高等魔法の若返りを使えるくらいだから、能力は維持できているな)


 ほっとする。


 限りある命しかない人間が半永久的に生きるエルフと寄り添うには、魔法が使えないと困るのだ。


「おし。じゃあ、さっさと帰るか」


 異世界を続くゲートへと足を向ける。


 地球が魔力不毛の地のせいで、再びゲートを開くのに随分時間がかかってしまった。


 さっさとルインといちゃつきたいので、地球はもう用済みだ。


「ああ。その件なんだがな、少々我が夫に相談したいことがあるのだが――」


 ルインはそこで一旦言葉を区切り、ドアの外に視線を向ける。


 そこに人が近づいていることには光二も気づいていた。


 でも、無視していた。異世界に帰る気満々だからである。


「総理! 総理! ここにいるんっすか!? 外、マジ大変なんっすけど! どうするんっすか!?」


 ドアをガンガン叩く音が聞こえる。


(ん? 園田か。 よくここを見つけたな)


 シェルターの場所は護衛の皆にも内緒にしていたはずだが。


「呼んでいるぞ。――ソーリ? 偽名でも使ってるのか?」


「ああ、それ役職名。俺、一応、この国のトップだからな。そっちでいうところの、元老委員長みたいなやつ。成り行きと暇つぶしでそうなった」


 光二が政治家の道へ足を踏み入れたのは自発的なものではなかった。


 当時、まだ生きていた光二の父親が、政治家の跡を継がないと金を寄越さないとほざきやがるので、仕方なくなってやっただけだった。光二本人は普通に落ちると思っていたのだが、適当に笑顔を振りまいてるだけでその選挙区のトップ当選であった。


「ほう! それは僥倖ではないか。さすが我が夫はどこの世界だろうと人を惹きつけるのだな。誇らしいぞ!」


「待て待て待て! なんか無茶ぶりしてきそうな空気を感じるけど、俺は名目上のトップとはいえ、政治力はないお飾りの道化だからな」


「そうなのか? なら、周りを劇に巻き込んでやればいいじゃないか。得意技だろう?」


「えっ、いやでもお前のこと、どう説明するんだよ」


「まあまあ、良いではないか。私はコージ以外の地球人を知らないから、話してみたいのだ」


 ルインがゴリ押してきた。


「えー、もう、マジか? しゃーないなー」


 光二は渋々ながらも、シェルターのハッチに手をかけて開ける。


 明らかにめんどくさいことになると分かってはいたが、これも惚れた弱みというやつだ。

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