第24話 エッセンシャル
ちょっと話は遡るけど、オレンジ領では高炉建設のプロジェクトチームが研究を続けてきた。去年からは、御三家それぞれと提携して別分野の研究所を作ってる。
いろいろと丸投げするために中学や高校の理数系の教科書を出しておいたのは基本中の基本。これでレベルが急上昇したのは事実だからね。
日本の教科書は印刷も綺麗だし、写真も豊富。解説も実に良くできているので、とっても貴重な知識源だよ。
それに加えて資料になりそうな「図書館の廃棄資料」も大量に出しておいたのが、思わぬ所で役立っているらしい。ちなみに「特異な」と言えるレベルで言語能力を発揮したメロディーが、次々と翻訳しているおかげだっていうのがすごい。
「一つの情報の体系だと思えば、それほど難しくないんです」
あっさりと言ってのけるんだけど、そういう問題ではないと思うだよなぁ。ともかく、もはやどこの研究所でもメロディー抜きがありえないレベルの頭脳になっているんだとか。
だから堂々と軍事用通信網を使って「翻訳」についての質問が手紙で送られて来る。公用だから、場合によっては「皇帝至急便」になっても当然のこと。その中に愛のメッセージを入れてくれるのは役得だよね。
ともあれ、ある意味でメロディーという個人が帝国全体の技術発展のスピードを背負っているという、すごい事態だ。
しかも、それをニアがガンガン吸収しているらしくって、あくまでも、お腹の子どもを大事にしながら少しずつ辞書作りも進めているらしい。
マジでウチの嫁達はすごいよ。
……で、その研究の中身の話だ。
高炉建設そのものは、まだまだ実験段階だし、実用化するとしても年の単位で掛かるはず。しかし、一つの物事を研究すると波及効果が様々な分野で出るのもよくあることだ。そして何かの失敗が別のものを生み出すなんて、ほんとーに「よくあること」なのは科学の歴史そのものなんだ。
たとえば世界初の、とある病気の治療薬として超有名になった〇イアグラという薬は、もともと高血圧と狭心症の薬として臨床試験まで行ったもの。そうしたら治療効果が期待されるほどじゃなくて「失敗作」扱いとなった。だけど、いざ治験期間が終わっても年配の男性が残った薬を返さないどころか「もっとよこせ」と軒並み言いだしたってことから話が始まった。
製薬会社からすると「効果の無い薬を欲しがる」なんてありえない話だから、事情を無理やり聞き出したら、とんでもない「副作用」が判明した。
そりゃ、男性が返したがらないわけだ。
とまあ、そんな副作用が結果として大ヒットにつながって、とうとう、売り上げ世界
だから、世界的な大ヒットになった薬の扱いも最初は失敗作の「副作用」扱いだったってことなんだよ。
まあ、もっと身近な話でも、前世の独身生活に欠かせなかった「電子レンジ」は軍事用のレーダー研究の中で出た失敗を活かした形だし、毎日お世話になった「レトルトパック」だって、アメリカ陸軍が「缶詰よりも軽い携帯食を」と研究した成果の一つだ。
時間が無くて、仕事をしながら昼に食べてたカロリーバーだって、もともとは未熟児への栄養補給用添加剤を研究する過程から生まれた失敗作のようなもの。
あれ? よく考えると、オレの前世って、絶望的な食生活だった?
まあ、いいさ。名前も思い出せない前世のことなんてどうでもいい。こっちの世界では、みんなが優しいんだから。
どんなに遅くまで仕事をしていても、必ず誰かがお茶や夜食を心配してくれるし、どんな戦場だってアテナが常に横にいてくれる。あ…… カイもね。忘れてるわけじゃ無いからね!
家を留守にばっかりしていて、こんな遠くにいるオレに、みんなが欠かさずに手紙を書いてくれて、折に触れて心のこもったプレゼントまで届けられるんだよ。
涙が出ちゃう。
そして、嫁の筆頭として全てを取り仕切ってくれるメリッサはオレのことを愛してくれる筆頭であると同時に、異能という点でも筆頭なんだ。
いつかのゲールの事件の時だって、メリッサのお陰でみんなはオレンジ領に避難できていた。ベイクに聞いても「妹が時々、何かを言い出したら、叶えておくと絶対に家の発展につながるというのは我が家の鉄板でした」と教えてくれる。
小さなコトまで含めると「君は、予言者? ひょっとして転生者?」って思う時があるんだ。
まさに、今がそうだった。
「これをメリッサが送ってくれたのか」
オレは会議室の中心で、小瓶を光にかざしてしまった。みんなの目が集中しているけど、これは、単に「プレゼントが嬉しい」って意味じゃないからね?
あ、分かってくれてる? ありがと……
みんなの目の前に見せつけているのは、バラの香りを抽出したフレグランスの小瓶。しかも、正真正銘「こっちの世界製」のものだ。
「こんなのが作れたんだ」
「はい。皇后陛
妹の「手柄」にベイクが、まるで自分の手柄のような顔をして嬉しそうだ。念のために言っておくけど、これってメリッサが贈ってくれたものであって、君が取り寄せたものじゃないからね?
それにしても、素晴らしい贈り物だった。
紫色の小瓶は、カレットの中から同色のものを丹念に拾いだして作ったらしい。でも、それは、単に手間を掛けただけ。ある意味で、こっちは「珍しいけど、驚きではない」レベルではある。
だけど「中身」については、まったく違う。植物の香りを抽出して、濃度の濃いフレグランスにするためには「蒸留」という過程が必要なんだ。
2年前まで、この世界には概念すら無かったものだ。(オレンジ領では酒の蒸留を実施中)
「
「はい。あくまでも皇后陛下の私的予算の範囲で行われ、そこにシュメルガー家の研究所が乗った形です」
「え? メリッサの個人予算? マジで?」
身内のことの一切を任せっきりになっちゃってて、反省はしているんだ。でもさ、手紙が届くのだって何週間もかかるし、それなりに人的資源を消費してしまうからめったに使えないんだ。ただし、兵士には家族宛の手紙は優先して受け渡しできるようにはなっている。
逆に、皇帝が個人の手紙を自由に出し放題にしたら、それはダメだよと自粛しているんだ。(皇帝権限の「至急便」はあるけど、そうそう何度も私的に使えないからね)
2千キロも離れた戦場をウロチョロしている夫としては「万事、君に任せる」としか言えないのはわかるだろ?
その間に、内向きのことはメリッサがまとめてくれていて、メチャクチャ忙しくしている。公式行事はクリスを含めて、みんなが分担して代行しても、なお忙しい。
そう言う中でウチの嫁さん達は、自分に与えられた予算で好き放題するのが許されているんだ。もちろん、ドレスや宝石を買うのも自由だけど、なぜかみなさん、そっちは「立場上必要な物を必要なだけ」なので、さほどお金は必要ないらしい。
むしろ、もっと買ってくれないと皇都の商人が困るって話なので、このあたりは痛し痒し。だって「皇帝の妻妃よりも宝石を買いあさる貴婦人」なんて言われたら、貴族女性としてヤバいもんね。だから、ある程度はお金を使う必要があるんだ。
でも、みんなが使うお金のメインは別の事らしい。
バネッサやミネルヴァは、子育てに忙しいけど子どもの病気について勉強中で、知育玩具みたいなモノを予算で工夫して製造させている。といっても、職人を育てるところからだから規模が違いすぎるよ。
そして、ずいぶんと前、メリッサは不思議なサジェスチョンを研究所にしていた。
「大きなネジを使ったら、いっぱい絞れるかも」
「いろいろと蒸留したら、楽しそうね」
木ネジと蒸留っていうのは、かなり早くからオレンジ領では研究されていたのは事実だ。ただ、その仕組み自体は難しくないんだけど、その応用についてオレは何も言ってなかったんだよ。
だから、これは完全にメリッサの思いつきだ。以後、実務はもちろん研究所に任せていたけど、ムチャクチャ忙しい公務の合間を縫うようにして、少しずつ指示をしていたらしい。
その一つひとつが、次から次へとピタリとハマっていくんだ。
「ホントに君は転生してきた人じゃ無いの?」
実はマジで、こっそり聞いたことがあるんだけど「残念ながら」と言うべきか、そういう記憶は無いらしい。
ただ、何となく頭に浮かんだことをやってみると、良い結果につながると小さい頃から育てられてきた結果だと言っている。
それが、どんな理由なのかはともかく、まぎれもなくメリッサのひらめきを具現化すると、何か良いことが起きるのは確実だった。
そこで生まれたのが「圧搾機」というシカケだ。ネジを人の背丈ほどの大きさに作って、何頭もの牛に引かせるという装置は圧倒的に有能だった。
特に油を絞ると従来の十数倍の量を絞れるのと、今まで人力では不可能だったものから「何か」が絞り出せるようになったことは大きかった。
もちろん、油を効率的に絞れるようになれば、油の値段は劇的に下がるだろう。ポテチやマヨネーズ革命ももうすぐ起こるかもしれない。
でもね、世界にとっては「何か」が絞り出せることのほうが、はるかに意味が大きいんだよ。
メリッサが思いついたのは、いろいろな植物を絞って、蒸留すること。
昔から「花の匂い」を取り出す方法はいろいろと研究されてきたけど、圧搾機がないと、どれも実用にならなかったのが現実の話だというのが頭にあったらしい。
そして一定量を採れるようになった抽出液と「蒸留」とを組み合わせた結果、前世で言う「エッセンシャルオイル」が実用化されたんだ。
昔から花の香りを身につけるのは女性の憧れだ。けれども、せいぜい風呂に花びらを浮かべて香りを楽しむくらいしか方法がなかったんだよ。風呂上がりならともかく、ちょっと出かけてしまえば、そうそう香りが残るモノでも無い。
これが「エッセンシャルオイル」という形で濃縮されると、何時間も香りが保つことになる。
そして、研究所の方では植物からの抽出と蒸留によって、いろいろな「有効成分」を取り出せるようになったわけで、各種の薬について一気に研究が進んだんだよ。
今では咳止めと、解熱剤、そして下痢止めに「虫除け剤」が開発されて、他の薬も続々と実用化に向けて研究中だ。
もちろん、どんな時代、どんな場所でも「効き目のある薬」というのは莫大な利益につながるのは当然のこと。メリッサの個人資産には滝のような勢いで金貨が流れ込んできて、それを研究費に充てるから、もはや国がメリッサに付けてる予算の方が少額になってしまった。
つまり、効き目のある薬はメリッサの自由になるお金を莫大なものとしつつ(もちろん「元の情報を提供した」オレへのお金も流れ込んでくるよ)、この世界への恩恵は莫大なものだということになる。
特に子どもがお腹を壊したら、そのまま「死」につながりかねないこの世界では、ブナなどから取り出した「木クレオソー
ただし、この「お腹を壊した時の薬」だけは、他の薬で得たお金を製造費に充てて、各街に使用法を厳格に伝える約束で無償で届けられた。その特異なニオイと色のせいで「皇帝の鼻クソ」と呼ばれたのは、後々知ったこと。それにしても、そんなあだ名を付けておいて、良く子どもに飲ませたよなぁと思うんだけど。
これが圧倒的多数の子どもたちの命を救ったというのは、この先、ジワジワと伝説になるんだけど、それはまだ先のことだろう。
ともかく「皇后は自分の利益を放棄して子どもたちを救う薬を配った」というのは少しずつ知られているところらしい。
それはさておき、目の前にある「香水の小瓶」が、こうしてオレの手元に届いたのはシャオちゃんとのデートが決まった後のコトだ。
こいつをプレゼントしろと言わんばかりのタイミングでね。
そして、これが「皇帝用の至急便」で第一夫人から届けられたと言う意味は、シャオちゃんからすると、途轍もなく大きくなるということに、オレは気付いたんだ。
「まったく。怖いくらいだ。一体、どこまで先が見えているんだよ」
思わず呟いたら、会議室の面々がシーンとしちゃった。
え?
ベイクも、ミュートも、それに他の大隊長達もシラッとした空気だ。
「何か不味いことでも言ったかな?」
こういう時は、武人の大胆さが発揮されるのだろう。
ムスフスが「恐れながら」と言葉にした。
「そのセリフは、我々が常に陛下に対して思っていることですので」
え……
会議室の面々が一斉に肯いているのは、もはやネタみたいだった。
ともかく、サスティナブル皇室謹製とも言うべき香水を持って、シャオちゃんとのお見合いだよ!
・・・・・・・・・・・
※1売り上げ世界一の製薬会社:他のヒット薬の影響もあります。
※2 メリッサは誰もが認める「第一夫人」です。そのため非公式ですが「皇后」と呼ばれています。もちろん、その称号は、あくまでも身内なもの。しかしながら既に非公式な場では「皇后陛下」扱いになっています。何となく自然な成り行きでしょう。式典そのものは定められていませんが、公式に「皇后」を名乗るためには、それなりに発表という手順が必要になります。
※3 木クレオソート:ブナなどから水蒸気とともに留出させた油層を蒸留して得られる、淡黄色透明で燻製のような臭いのある油状の液体です。止瀉薬の代表とも言われた「正露丸」の有効成分として用いられています。なお、石炭から作る「クレオソート」とは全く違うものです。 (誤解して「危険だから買ってはいけない!」と叫んだ人もいます。大恥ですね)
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作者より
今回は、ネタ成分がものすごく多くなってしまったのはお許しください。けっして「デート回を回避する」ためではありません 汗
なお「正露丸」は商標登録から外れて一般名詞となってしまいました。
医療の発達してない国で、子どもの直接的な死因としては「下痢」がトップになっています(栄養失調はあるにしても、下痢からの脱水が怖いんです)
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
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