1.1万円の可能性②

 そこはゲーセンの片隅に設置されたガチャガチャコーナーだった。スペースをびっしり埋めるチャガチャを縫うように設けられた1メートルに満たない通路を僕とそう歳の変わらない男女が一か所に密集している。


「いいから持っている金を全部出せよ」


 ドスを効かせた女子の声から放たれる。どうやら一人を取り囲んでいるらしい。そして、その哀れな羊役を担っているのが、休日にも関わらず制服姿の永井かふかであることに僕はすぐに気づいた。


「ふーん、お金だけでいいんだ? 身体の方はいいの?」


 唇がシニカルに歪むと制服のスカートの上をまさぐっていた男たちの動きが一瞬止まった。そして、お互いに不安そうな視線を彷徨わせる。ダボダボでチャラチャラ、いかにも田舎のヤンキー風の容貌だが、明らかに永井かふかの異様さに呑まれていた。


「バカか、テメー! ブスが調子乗んなっ!?」


 学校で見るよりも派手さが5割増しになっている同じクラスの女子が顔を真っ赤にして唾を飛ばすとじれったいとばかりにスカートのポケットに手を突っ込んだ。


「おい、止めろっ! 触るっなったらっ‼」

「チッ、ちょっとこいつ黙らせろよ」


 もう一人のベースボールキャップを目深に被った女子がジタバタ暴れる永井を羽交い締めにし、空いた右手で口も塞ごうとする。しかし、永井は獣めいた動きでその手に噛みついた。


「痛いっ!」


 手から赤い血がダラダラと垂れ、白い床を汚していく。それを見た永井はせせら笑うが、スカートを探していた方に思いきり頬を叩かれた。


「…………今月の生活費なの。勘弁してよ」


 真っ赤になった顔からポツリと呟かれた台詞はひどく場違いに聞こえた。

 それにしてもひどい光景だった。手の出血が止まらず泣き出し、もう一人は怒りに我を忘れて何度も永井の顔を殴りつける。そして、男たちはやっと自分たちの役割を思い出したのか、永井を男の筋力で押さえつけ、遠慮なくスカートのポケットを探し始めた。

 僕の腹のずっと奥でちょろちょろと何かが駆けずり回るのを感じた。それは小さなネズミのようでパニック状態になって見えないドアを叩いている。


 どうしよう、どうしよう、どうにかしなきゃ、何かできることはないのか…………?


 ああ、いつもの発作がまた始まってしまう。

 僕の心を狂わせ、呪いのように魂を縛りつける。


「誰か、助けて」


 はたしてその声は永井かふかが本当に言ったのか、それとも僕の病気が作りだした幻聴なのか。ウンザリするようにかぶりを振るとふと目の端に何かを捉えた。

 カプセルが床に転がっていた。まだ保護フィルムが貼られたままのそれらは何個もあり、中身はよく見えないが、女児向けのマスコットのようだった。そういえば永井の鞄に似たようなものがぶら下がっているのを見た記憶がある。まったく……またお金を無駄遣いをして……生活費なんて大嘘じゃないか…………。

 気がつくとガチャガチャコーナーに走り出す店員の背中を眺めていた。


 …………ああ、またやってしまった。


 転校したら、もう他人に関わらないと決めていたのに。

 余計なことをしないと決めていたのに。

 自分のことだけしか考えないようにしていたのに。

 自己嫌悪が真っ黒なヘドロのように自分の心が覆うのを感じながら、僕は全速力で永井たちとは逆の方向に逃げた。彼女たちに決して自分の存在を認識されてはならない。もし店員をけしかけたのが僕だとバレたら、僕の学校生活はまたしてものだ。

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