4-5【アデーレとエスティラ】
「そして我々が足止めをしている巨人の頭上に、ヴェスティリア殿が現れまして」
昼食を終えた午後のひと時。
応接室にはエスティラと、昨日のヴェスティリアの活躍を話す指揮官の姿があった。
二人はテーブルを挟み、向かい合って座っている。
指揮官は自分の部隊の活躍を話しつつも、ヴェスティリアの戦いぶりはやや大げさに脚色しながら話していた。
こういった場合、地元の兵隊と正体不明の戦士というのは仲が悪くなりがちだ。
しかしこの指揮官もまた、エスティラ同様ヴェスティリアの活躍を大層気に入っていると見える。
エスティラの背後に立つアデーレの顔は赤くなっていた。
過大に脚色された自分の活躍を聞かされると、頭から湯気が出そうなほどに熱くなる。
「しかし、彼女はどこに身を潜めているのでしょうね。詳しく話を伺いたいところなのですが」
「そうねぇ。でも常に私達を見守ってくださっているらしいから、意外と近くにいらっしゃるのかも知れませんわね」
「その通り」と、心の中でつぶやくアデーレ。
やはり容姿が変わらない変身であっても、正体がばれないのはお約束のようだ。
さて、宴もたけなわ。
小一時間が過ぎ、ファンクラブの会合もそろそろお開きといったところだ。
指揮官がポケットの中から懐中時計を取り出し、時間を確認している。
「申し訳ありません。そろそろ仕事に戻らねば」
「あら、残念。もっと現場のお話を聞きたかったのに」
社交辞令の挨拶を交わしつつ、二人が席を立つ。
「お見送りは結構ですよ。エスティラ様、魔獣の出現が頻発しております故、外出の際はお気を付けを」
「ええ、ありがとう。それではまた、お話をお聞かせくださいね」
「お任せください。それでは、失礼いたします」
会釈をした後、指揮官はロベルトが開いた扉を抜けて応接室を後にする。
エスティラは彼の姿が見えなくなると、再びソファへと腰を下ろす。
「ふふ、彼女のすばらしさが分かるなんて。彼は見所があるわ」
「そ、そうですか」
満足そうに笑うエスティラの後姿を眺めつつ、アデーレは苦笑を浮かべていた。
そんなアデーレの反応が気に入らなかったのか、口を尖らせたエスティラが振り返る。
不満に満ちたエスティラの視線に、アデーレはわずかに委縮してしまう。
「なぁに、その気の抜けた返事は。何かご不満でも?」
「いえ、そんなことはありませんけど。一切……」
「ふーん」
こういう時に愛想のある反応が出来ないのが、アデーレの欠点ともいえるだろう。
じっと睨みつけてくるエスティラの視線に耐えかね、視線を横に逸らすアデーレ。
それでもエスティラはじっと見つめ続ける。
むしろ、アデーレの顔をじっくりと観察しているようにも感じられた。
「……気に入らないけど」
尖らせた口を開く。
「アンタ、ちょっとヴェスティリアに似てない?」
アデーレの肩が大きく揺れた。
視線は揺れ、エスティラの顔を見ることができない。
顔を隠していなくてもバレないのは、お約束ではないのか。
「わ、私は会ったことがないので……」
「あー。まぁ似ているってだけよ」
どうやらエスティラの脳内では、アデーレとヴェスティリアがイコールであるという考えは全くないようだ。
そのことに気付き、アデーレは肩の力を抜く。
「まぁいいわ。それより今から外に出るから、アンタも付き合いなさい」
「えっ? お嬢様、今は外出を自粛して頂きたいのですが」
「暇なのよっ。毎日毎日屋敷の中じゃ息が詰まるわ」
勢いよく立ち上がり、一人扉の方へ大げさに進んでいく。
その一挙手一投足が、抑えきれない不満をアピールしているかのようだった。
「お嬢様、彼女の言う通りです。今はご辛抱を」
横に立つロベルトを、エスティラが睨みつける。
「分かってるわよ。でも庭に出るくらいならいいでしょっ」
それも危険がぬぐえないのだが、室内が絶対安全というわけでもない。
ならば、庭に出ての気分転換くらいは、心の健康の為にも許されるべきではないだろうか。
同じことを考えたのか、ロベルトはエスティラに頭を下げ、一歩後ずさる。
「ほら、さっさと行くわよっ」
結局その命令に逆らうことは出来ず、アデーレも渋々彼女の後ろに続く。
応接室を抜け、やや早足で廊下を進むエスティラの後姿を見つめる。
(その気分転換に私を連れて行くって、どういう考えなんだろう……)
そんなことを思いながら、すれ違う使用人たちが一礼する中を、慌ててついて行くアデーレだった。
屋敷の前庭には、広い芝生の他に観賞用の植物で彩られた庭園が存在する。
花壇や生垣、蔦を絡めた二メートル以上の高さがあるアーチ。
それらを眺めながら歩くことのできる石畳の通路を、エスティラがアデーレを引き連れて歩いている。
アデーレはこの辺りに来たことがないため、貴族の庭園といった様相を
「はぁ……」
対するエスティラは、気分転換のはずなのにどこか浮かない顔だ。
アデーレからすれば、エスティラには嫌われているという印象の方が強い。
それなのに、何かと彼女はアデーレをあちこちに連れ回したがる。
自分をこき使いたいという理由はあるのだろうが、好かない相手を気分転換にまで連れて行くのは多少の違和感がある。
こんな表情を見せるくらいなら、嫌っている相手を連れてくる必要はないのではないか。
そんなことを思いながら、エスティラの後姿を見つめていた。
「ねぇ、アンタって今何歳よ?」
突然振り返ったエスティラが、アデーレを見上げながら訪ねてくる。
「今年で十六になりましたが」
「……一つ上か」
舌打ちの後、不服そうにつぶやくエスティラ。
アデーレが年上と知り、敗北感でもあったのだろうか。
「ま、まぁ、所詮は一つ上だしね。うんうん」
腕組みをしながら、自分を納得させるかのようにうなずく。
その姿が微笑ましく思えてしまい、アデーレの口元がほんの少しだけ緩む。
こういった微妙な変化を、エスティラは見逃さないのだ。
「こら、笑うな! 言っとくけど、年上だからってこの私が手心を加えるとは思わないことねっ」
「それは承知の上ですが……」
年齢が多少離れていようが、貴族を敬うのは当然のこと。
あくまで雇用主と使用人であることは、一応は弁えているつもりである。
アメリアのように、長い間付き添ってきた間柄ではないのだ。
そんなことを考えていると、アデーレの眼前にエスティラの不満げな顔がいっぱいに広がる。
「アンタって、ホント物怖じしないわよね」
「そ、そんなことはありませんけど」
現に今、少々怖気づいている。
そんなことを考えていると、こちらを向いたままのエスティラが数歩後退する。
「何言ってんのよ。まずアンタ、世辞とか全然言わないでしょ」
そんなことはないと再び言おうとするも、考えてみればお世辞の類はあまり言ってなかったことに気付く。
やはり元は二十一世紀、日本生まれの何たら世代だ。
生来の格差というものに対する実感があまりなく、そういった相手を敬う感情に乏しいのだろうか。
とはいえ、使用人という仕事を続けてきて、アデーレも主人に対して相応の対応はしてきたつもりだった。
あくまで、つもりという範囲だが。
「そういうの、あんまり好きじゃないから構わないけど……」
世辞もなければ愛想もそれほど良くない。
すぐに苦笑いを浮かべるし、どことなく舐めた態度を取ることもある。
そんなアデーレを、エスティラは相変わらず不満げに睨みつけている。
だが、明るい日差しの下で見る彼女からは、不思議と嫌悪感を向けられている気はしなかった。
「そういえば聞いたことなかったけど、何でうちのメイドになったのよ?」
「えっ?」
「何、その間抜けな顔は。アンタみたいなのがメイドを始めるとか、変に思うに決まってるじゃない」
それを言われたら、アデーレも納得せざるを得ない。
使用人の仕事に向いてない人柄だというのは、自分自身が一番よく分かっているのだから。
しかし、わざわざ嘘をついて誤魔化す必要もない話だ。
「今年は畑が不作でして、仕事を探してたらメリナさんに誘われて」
「あー。人手が足りないからって探してたわね、あの子」
腕組みをするエスティラは、納得した様子で頷いている。
そこで、アデーレは少し踏み込んだ話をしてみようと思いつく。
「はい。急な移住だったと聞いています」
理由自体は、ロベルトとの会話で知っている。
しかし、アデーレはエスティラの口から直接、今回の移住についての考えを知りたいと思ったのだ。
自分が狙われているからという、隠すべき事情を話すことはないだろう。
それでも彼女が何を思い、そして何を背負ってこの島に赴いたのか。
その片鱗だけでも知りたかったのだ。ロントゥーサ島の住人として。
「急な移住、ね……」
そうつぶやくエスティラの表情は、どこか憂いを帯びているように感じられた。
命を狙われている極限状態から来る悲壮か、家族と離れて暮らすという孤独か。
少なくとも、納得した上での移住とは言い難い。そんな表情だった。
しかし、すぐにいつも通りの自信にあふれた不敵な笑みを浮かべる。
「まっ、バルダート家の長女ともなれば、そういうこともあるってことよ」
「はぁ……」
「って、だからそういう反応が
エスティラのひんやりとした両手がアデーレの頬に当てられ、そのまま顔をもみくちゃにしてくる。
アデーレの整った顔は蹂躙され、面白い顔に変えられていく。
「お、お嬢様、やめてくだひゃい」
「うっさい。年上だしでかいし、色々とむかつくのよっ」
アデーレを弄ぶエスティラが笑う。
「そんな無茶苦茶な……」
「諦めなさい。どんな事情があろうとも、今のアンタは私のメイドなんだから」
「こ、これは使用人の仕事じゃないかと」
「私を楽しませるのも立派な仕事よ!」
ひとしきりもみくちゃにされた後、エスティラがアデーレの顔を解放する。
アデーレが自然と自分の頬に手を伸ばす。
痛みはなかったが、顔面マッサージというには乱暴なものだった。
勝ち誇った表情を浮かべるエスティラが、再びアデーレの顔を覗き込んでくる。
「どう、少しは顔の筋肉もやわらかくなったんじゃない?」
「そ、そんな固いつもりもありませんが……」
「嘆かわしいものね。全く自覚がないなんて」
笑うエスティラを見て、ふとアデーレは思う。
先ほどまでの憂鬱な様子だったエスティラが、自分をからかうことでこんなにも笑ってみせている。
気分転換に連れて来た理由というのは、そういうことだったのだろうか。
思えば、素性を知られる前のエスティラは、常にどこか不機嫌そうな様子を見せていた。
今ならそれが、自分が狙われているという過度のストレスに晒されながらも、親元を離れる選択をした故のことだったのだろうと察することは出来る。
そんな彼女が、アデーレを相手にしているときは色々な表情を見せている。
それがどのような感情から来るものなのか、それは分からない。
しかし、アデーレは思う。
(それなりに、必要にされているのかな。私も)
出会いは最悪。
世辞もなければ愛想もそれほど良くない。
すぐに苦笑いを浮かべるし、どことなく舐めた態度を取ることもある。
そんなアデーレが、エスティラにとってはある意味特別な存在なのかもしれない。
そしてアデーレにとっても、明かせぬ事情を背負ってロントゥーサ島に来た彼女は、特別な存在と言えるのではないだろうか。
(今は、守ることだけを考える。それでもいいか)
不可抗力とはいえ、分かっていながら故郷に危機をもたらした。
今はそのことを胸にしまい、彼女が気に入るヴェスティリアとして、全力で守り切る。
「そう思うなら、もっとうまく笑えるようになりなさいよ」
そう言って、生意気な笑顔を向けてくるエスティラ。
憎らしくも愛らしい。そんな彼女を前に、アデーレはほんの少しだけ決意を固める。
自分にとって……そしてエスティラにとっても、少しは良い未来が訪れると信じて。
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