3-2【再会は突然に】
アデーレがバルダート別邸に到着した時、使用人たちの間では既に怪鳥の話題で持ちきりだった。
使用人たちが集まる、屋敷一階の使用人控室。
主人たちの使う部屋とは違い、シックな家具でまとめられた、
ただし、そこは天下のバルダート家。
例え使用人のための部屋に使う家具でも、庶民が一年休まず働いても買うことのできないものばかりである。
「アデーレ、本当に何ともないの?」
「はい、大丈夫です」
エプロン姿にすまし顔のアデーレを前に、メリナは困惑の表情を浮かべる。
騒動を受けてもなお屋敷にやってきたアデーレには、彼女だけではなく他の使用人たちも驚いていた。
「さすがにあんなことがあったら休んでも大丈夫なのに。真面目だねぇ」
話を聞いていた先輩の使用人も、真面目なアデーレを前に苦笑を浮かべている。
「でもねアデーレ、私はあなたの身に何かあったら嫌だから。こういう時は真っ先に自分の身を守らないとダメだよ」
使用人になるのを提案したこともあってか、特にメリナはアデーレの身を案じているようだ。
こうなると、自分が騒動の渦中で、しかもそれを解決したなどとは口が裂けても言えないだろう。
少年にも秘密にするよう言った手前、このことは隠し続けなければならない。
「はい……」
メリナに返事をするも、ポケットの中の錠前に意識が向いてしまう。
現在ヴェスタは沈黙しているが、突然喋りだしたりしないだろうかと不安になる。
その時、ドアの開く音が部屋に響く。
直後に入室してきたのは、モスグリーンのドレスを身にまとった壮年の女性だ。
「皆さん、集まっていますね」
中央で分けた前髪が特徴的な、ブラウンのショートヘアー。
穏やかな目つきながらも、聡明さを感じさせるその容姿は、使用人たちとは明らかに違う風貌を見せている。
「おはようございます、スィニョーラ・チェルティ」
皆からスィニョーラ(婦人)と呼ばれる女性。名前はアメリア・チェルティ。
バルダート家の女性使用人を束ねる家政婦であり、アデーレも既に挨拶を済ませている。
アメリアがわざわざ使用人控室を訪れるということは、まず間違いなく重要な知らせがあるということだ。
とはいえ、現状話題に上がるものといえば一つしかないだろう。
「既にご存じでしょうが、先ほど大通りにて大きな事件がありました」
アデーレの推測通り、話題は怪鳥のことだ。
「現在は事態が収束したと伺いましたが、安全が確保されたとは断言できません」
怪鳥は既に爆発四散している。
なので間違いなく安全ではあるのだが、ここでヴェスタの言葉を思い出す。
あの怪物は、暗黒大陸の住人が召喚した化け物だ。
つまり、あの時姿を見せなかった黒幕が、追加で怪物を召喚する可能性がある。
今後も同じことが続くのかと思うと、アデーレの心は暗くなってしまう。
「ということで本日、お嬢様には終日屋敷で過ごして頂くことになります。皆さん、くれぐれも粗相のないように、お願いします」
アメリアの言葉に、使用人たちが返事を返す。
だが、そんな中メリナは、心配そうにアデーレの方を横目で見つめている。
これはつまり、アデーレがお嬢様……エスティラと遭遇する可能性が高まったということだ。
基本的に午前中は部屋で過ごし、午後は外出していたエスティラ。
そのため、使用人たちが仕事をしている最中に出会うことは稀な事だった。
しかし終日屋敷にいるとなると、そうもいかない。
「……参ったな」
小声でつぶやくアデーレ。
エスティラがアデーレのことを覚えていないということもあり得るが、そうでなかった場合は厄介だ。
最悪過去のことが原因で、使用人をクビになることも考えられる。
余裕のない家計、そして仕事の少ない現状。
例え重労働でも仕事があることはありがたいものだ。
それをまた一から職探しとなると、さすがのアデーレも骨が折れる。
(どうか、鉢合わせしませんように。あとできれば忘れていますように)
怪鳥の出現によって訪れた、小さな危機。
果たしてアデーレは、これを乗り切ることができるのだろうか。
午後の仕事は、主人が生活する上階での雑務が多い。
当然、主人の目につく場所での仕事になるし、客人と対面することも頻繁にある。
そのため、午後は身だしなみも整えるため、午前の服とは別に主人が用意した制服を着用することが義務付けられている。
黒い長袖ドレスに、フリル付きの白いキャップとエプロン。
これが、バルダート家の使用人に用意された基本的な制服である。
前日は主に階下の仕事が中心だったため、アデーレはここで初めて制服に袖を通すこととなった。
「なるほど……」
いわゆるメイド服という物に、人生において初めて袖を通したアデーレ。
その完成度の高さに、思わず感嘆の声を上げた。
自前で用意した仕事着よりも、生地の材質や縫製の精度が優れたドレス。
ロングスカートながらも動きやすく、なおかつ形が崩れない工夫が随所に施されている。
国の執政にも関わる貴族の家ならば、使用人の制服にも相応の金と手間が掛けられているということだろう。
今更ながら、アデーレは自分が高位の家に務めているということを実感していた。
「それでは、本日はこちらで調度品の手入れをして頂きます」
数名のメイドと共にアメリアに案内されてきたのは、二階にある広い食堂だった。
小さな体育館くらいはありそうな広間だが、家の者だけが使う食堂らしい。
田舎者に見られるだろうと考えつつも、その豪勢な室内を見渡すアデーレ。
同郷の少女たちも、同じように圧倒されているようだ。
そんな少女たちをやんわりとたしなめるように、軽い咳払いをするアメリア。
その音に促され、皆がアメリアの方に視線を戻す。
「どれも貴重なものなので、くれぐれも粗相のないようお願いいたします。ラヴィニアさん」
アメリアが隣に立つ使用人……ラヴィニアに視線を向ける。
後は任せる、ということだろう。
「かしこまりました、スィニョーラ」
両手を腹部に重ね、ゆっくり頭を下げるラヴィニア。
ラヴィニアの返事を確認したアメリアは、皆に軽く会釈をして食堂を後にする。
「という訳で皆さん。ここからは私が指示を出しますので、分からないことがあったらいつでも尋ねてくださいね」
灰色の髪と垂れ目が特徴の、温厚そうな雰囲気を見せるラヴィニア。
彼女はメリナの同期で、アデーレも少しだけ話したことのある相手だ。
実際に性格も穏やかで、はきはきした性格のメリナと雑談していた時は、まるで賑やかな妹の話を聞く聞き上手の姉のようだった。
ふと、彼女の背後にある銀製の皿に目が行く。
わざわざスタンドを使って立てられている辺り、実用品ではなくインテリアだろう。
「このお皿はちょっとびっくりしちゃう高級品だから、私が手入れしますね」
アデーレの視線に気づいたのか、ラヴィニアが穏やかな笑顔で答える。
(あれには触らないでおこう)
これから手入れするインテリアの数々が、アデーレには地雷と同等の危険な物に見えてきたのだった。
装飾品や家具を磨いていく作業を続けて、一時間は過ぎただろうか。
単純な仕事量は窓ふきなどと比べれば楽なのだが、わずかなミスで大惨事と考えると、何より精神が
アデーレが今手にしているのは、金装飾の施されたランプだ。
ワインボトルほどの大きさがあり、丸みを帯びたガラス製のカバーには指紋一つ付いていない。
手にしたランプを、乾いた布で丁寧に磨いていくアデーレ。
「アデーレさん、少しいいかしら?」
いつの間にか背後にいたラヴィニアが、静かに声をかけてくる。
「はい。どうしました?」
アデーレが後ろを振り返ると、まずラヴィニアの少し困ったような表情が目についた。
何か粗相を働いたのかとアデーレは身構えてしまうが、こちらを驚かせないよう気を遣ってくれているラヴィニアの様子を見て、少し気を緩める。
「えっとね、お嬢様が今日は隣の応接室でお茶がしたいそうなの」
その言葉で、思わず手元のランプを落としそうになる。
メリナの話では、普段エスティラは寝室でお茶を済ませるという話だったはずだ。
「あー……め、珍しいですね。応接室でなんて」
「お嬢様は気まぐれな方ですからねぇ。今日は外出も出来ないので、気分転換かしら」
「なるほど……」
ラヴィニアもメリナから話を聞いているため、アデーレとエスティラの確執については知っている。
そんなアデーレを気遣って、わざわざ教えてくれたのだろう。
とはいえ、用もなく食堂に来るということはないはずだ。
おとなしく仕事を続けていれば、急な鉢合わせもない。
そう自分に言い聞かせ、アデーレはランプを元あった場所に戻す。
その時、背後の扉が開く音が耳に入る。
「あら、意外と人手は少ないのね」
広い室内によく響く声は、どこか聞き覚えのあるものだった。
アデーレの身体が、ぴたりと固まる。
(何でだ……?)
ヒールで床を鳴らしながら歩み寄る人物を確認するため、ゆっくりと振り返る。
背中にかかる、ボリュームのある長い金髪。澄んだ青い瞳の釣り目。
アデーレは確信した。
成長しているが、出会った当時の面影は間違いなく残っている。
今ここに立つ彼女こそ、バルダート家令嬢。エスティラ・エレ・バルダートだ。
「お嬢様っ、どうなされたのですか?」
隣にいたラヴィニアが、慌ててエスティラの元へ駆け寄る。
「暇なのよ、アメリアに外出止められて。だからあなた達の仕事ぶりでも見てやろうと思っただけよ」
「そ、そうでしたか」
その
間違いなく機嫌が悪い。
アデーレはすぐさま彼女から目を逸らし、他の仕事はないかと周囲を見渡す。
そんなごまかしもむなしく、エスティラの足音が真っすぐアデーレの方へと向かってきた。
「あなた」
ついに声をかけて来たエスティラ。しかし、特別怒りを向けてきた様子はない。
アデーレの後ろ姿を見ただけで、顔を確認していないからだろうか。
「……はい」
出来るだけ不安を顔に出さないよう、平静を装ってゆっくりと振り返る。
近くで見るエスティラの顔は、一目で分かるほどに美人だ。
だが不満を隠さないその表情は、使用人ならば誰でも不安に駆られてしまうだろう。
その時、アデーレの緊張がさらに高まる。
何を思ったのか、エスティラがアデーレの傍まで近寄り、じっと顔を見つめてきたのだ。
長いまつげが、アデーレの鼻先に触れそうなほどの距離。
アデーレの緊張はピークに達し、背中を冷たい汗が流れる。
「んー……」
顎に手を当て、考えこむ仕草を見せるエスティラ。
鼻先が触れそうなほどに顔が近い。
何でこんなに顔を近づけてくるのか。
アデーレは心の中で、彼女の行動に対する不満を漏らしていた。
「あなた、どっかで会ったかしら?」
「そ、そうでしょうか」
「ええ。どこだったかしら。ラヴィニア、何か覚えてない?」
「私は、特に……」
アデーレ……おそらくラヴィニアも、出来れば思い出さないでほしいと願っていた。
ただでさえ不機嫌なエスティラだ。
もしも目の前にいるのが因縁の相手だと気付いたら、どんな無茶振りをしてくるかわかったものではない。
このまま穏便に済んでくれと、アデーレは口に出すことなく祈り続ける。
「ふぅん。まぁいいけど」
アデーレから顔を離し、出口の方へと体を向けるエスティラ。
どうにか危機を脱したかと、アデーレは気付かれぬよう胸を撫で下ろす。
だが……。
「あなた、今からお茶の用意をしなさい」
危機を脱してなどいなかった。
むしろ、状況は更に悪化していくばかりだ。
「えっ? ですがお嬢様、彼女はまだ新人でして」
「それくらい新人メイドにも出来るでしょ。どうせ、いつかやることなんだし」
「それはそうなのですがぁ……」
ラヴィニアの不安げな眼差しが、アデーレに向けられる。
既にアデーレの笑顔は引きつっていた。
「半端に思い出せないのも気持ち悪いわ。あなた、しばらく私に付いてきなさい」
再びエスティラがアデーレと向き合い、指を差して命じてくる。
使用人である以上、こうなると逆らうのは不可能だ。
「か……かしこまりました」
主の命令に、素直に従う使用人。
今はそれを徹底し、少しでも過去を想起させないよう立ち回るしかない。
こうして、アデーレの使用人としての最大の試練が、二日目にして訪れたのだった。
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