第32話
翌日、起床するとスマホに瑠衣から待ち合わせの時間と場所を指定するメッセージが入っていた。音羽はいつものように食堂で朝食を済ませて私服に着替える。そして登校時間が過ぎるのを待ち、窓からこっそりと抜け出した。
瑠衣が出入りしているのを見ていたので簡単だろうと思ったのだが、思いのほか窓の位置が高くて難しい。やはり瑠衣は運動神経がかなり良いのだろう。
通勤時間が過ぎた平日の電車は空いていて快適だ。音羽はのんびりと座って待ち合わせの駅に向かった。
到着した時刻は指定の時間より少し早い。まだ瑠衣は来ていないだろうと思ったのだが、改札を出た先にはイヤホンをつけてスマホを見ている彼女の姿があった。瑠衣は音羽を見つけるとイヤホンを外して「よう、早いな」と手を挙げる。気のせいか、その表情には力がない。
「なんか疲れてる?」
思わず訊ねると彼女は疲れた顔で笑った。
「まあ、寝てないし」
「え、でも帰ったんでしょ? 家に」
「帰った。で、今日のことを伝えてすぐに出てきた」
「なんで」
「だってあの家、落ち着かないんだもん。ネカフェでダラダラしてたら朝になってたわ」
瑠衣は肩をすくめる。音羽は苦笑しながら「ネカフェって、中学生でも一泊できるもんなの?」と首を傾げる。
「年齢なんてどうにでもなるんだよ」
「あー、ダメなやつだ。それ」
「バレなきゃいいの。ほら、さっさと行くぞ」
瑠衣はスマホをパーカーのポケットに入れると歩き出した。
「ご飯は?」
「コンビニで食べた」
「もっとちゃんとしたもの食べないと大きくなれないよ?」
すると瑠衣は嫌そうな顔で振り返った。
「ケンカ売ってんのか?」
「ううん。純粋に心配してる」
真顔で答えると彼女は舌打ちをして前を向いた。
「……余計なお世話だよ」
「今日のお昼はファミレスでちゃんとしたご飯を食べようか。奢るし」
すると深いため息が聞こえた。
「ファミレスがちゃんとしたご飯なのかよ」
「少なくともコンビニとかカップ麺とかよりはマシだと思う」
瑠衣はしばらく考えるように音羽を見つめていたが、やがてフッと微笑んで視線を前方へ戻した。
「ま、奢りなら行ってやらないでもない」
「素直じゃないなぁ」
そんな会話をしながら辿り着いた瑠衣の家は閑静な住宅街にある普通の一軒家だった。香澄家ほどの豪邸ではないが、とくに小さいというわけでもない。その門の前で立ち止まった瑠衣は神妙な面持ちで家を見上げた。
「お母さんがいるんだよね?」
「ああ。父さんは仕事だから」
「心の準備は?」
「お前の方こそ、大丈夫かよ」
瑠衣が窺うように音羽を見る。音羽は笑みを浮かべて頷く。
きっと、この門の先へ進んでしまえば後には戻れない。そのことに瑠衣も気づいている。自分たちがしようとしていることは殺人の隠蔽工作のようなものであることに。
「間違ってないよな」
瑠衣はまっすぐに音羽を見つめながら言う。音羽も彼女を見返しながら「わからない」と正直に答えた。
「でも、やるんでしょ?」
「ああ。俺たちが理亜を助けるんだからな」
瑠衣がニヤリと笑う。音羽も笑って頷き、そして宮守家へ視線を向けた。
「行くぞ」
瑠衣が門に手をかける。そしてゆっくりと開いた門の中へ足を踏み入れた。
「ただいま」
いつもより低い瑠衣の声が玄関に響く。しかし返事はない。それでも構わず瑠衣が玄関を上がったので音羽もそれに続く。
瑠衣が入った部屋はリビングだった。洋風の家具が揃えられた部屋の隅には、部屋の雰囲気には似合わない仏壇が置かれてある。音羽の視線は自然とそこに置かれた写真に向く。それは葬儀のときに見た理亜の笑顔だった。息を吸い込むと、ほのかに線香の香りがした。
「あ、母さん。連れてきたよ」
瑠衣の声に振り返ると廊下から彼女の母親が現れた。記憶にあるよりも痩せたように見える母親は頬がこけ、やつれているようだった。
彼女は音羽を見ると「瑠衣から聞いています。話があるとか……」と挨拶もなくそう言った。音羽は頷き、そして仏壇へ視線を戻す。
すでに納骨は済ませたのだろう。そこに骨壺らしきものはない。しかし、埋葬されたのは理亜ではない。香澄美琴だ。
宮守家の墓に入った彼女はどんな気持ちだろうか。まさか自分が知らない家の墓に入るとは思いもしなかっただろう。いや、きっと自分が死ぬとすら思っていなかったはずだ。
可哀想だと思う。けれど、音羽は彼女が理亜ではないということを告白する気はまったくなかった。だからせめてその懺悔だけでもしたい。
そんな身勝手な気持ちから音羽は「先に手を合わせてもいいですか?」と訊ねていた。瑠衣の母親は無表情に頷く。ちらりと瑠衣を見ると、彼女は複雑そうな表情で理亜の遺影を見つめていた。
音羽は仏壇の前に正座をして両手を合わす。美琴の、せめてもの成仏を願って。
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