質
「……」
次に言うべき言葉が見つからず、沈黙が二人の間で腕組みするように仁王立つ。とくに異性を苦手としていた訳ではないものの、気受けを悪くすることへの恐怖が先行し、おいそれと口八丁手八丁に軽々しさを披露する気にはなれなかった。
「あの、」
それでも俺は、苦し紛れに口を開くとバツの悪さに託けて、脈略を無視した会話の糸口となるはずの自己紹介に走った。
「俺、真田と言います」
勿論、手前勝手に名前を発露したところで、彼女がそれに応じる義理はない。素知らぬ顔をして目の前から立ち去られても不思議ではない。覚悟せねば。白眼視を浴びせられることも。
「え、江西です」
あまりに辿々しい自己紹介は、電車の運行に遅延をもたらす投身自殺を防いだ結果もたらされた祝福のように思え、俺は思わず笑みを溢した。
「?」
彼女の首筋を走る汗は、朝日に照らされて黄金色に輝き、生を実感して発汗する身体の安堵を湛えている。期せずして伸ばした腕が、窮地に遭った人を助け、無愛想に唾棄されることもない。僥倖と呼んで然るべき一連の事物を、俺はひたすら愛でた。
「何年生?」
「高一です」
「俺もだよ」
初対面らしい会話の糸口は、死を乗り越えた先で交わすには軽薄で、少々深刻さが足りないだろう。それでも、思慮を棚上げして日常に回帰するこそ、今求められているものだと感じており、口は軽みを帯びざるを得なかった。
「どこの高校に通ってるの?」
「部活は?」
「中学はどこ?」
捲し立てて行うには些か陳腐な質問の数々を彼女はいくつか聞き漏らし、その都度「すみません、もう一度お願いします」と尋ねられた。俺自身、いつ見限られてしまうか、不安が常に付き纏っていた。それでも、彼女は嫌な顔一つしないまま淡々と答えていく。命を救われたという前提でなければ、成立することがない問答だろう。俺はそれを承知の上で、みだらに彼女の人となりを知ろうとした。
そのうち、電車がホームに滑り込むアナウンスが始まって、盛り上がりに欠ける会話の応酬は打ち切られた。彼女もきっと、安心したことだろう。「初対面」で「恩人」という稀有な状況に甘んじた俺の貧相極まりない語彙力と発展性のない質問から逃れられるのだから。たった一度きりの関係を全面に押し出した、稚拙な馬鹿正直さは、なかなか度し難いと感じていた。俺は彼女にどう思ってもらいたかったのか。もはや、己のことすらあやふやである。
「連絡先、教えてくれませんか」
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