18.襲撃の後で

 エクムント様はわたくしが泣き止むまでそばにいてくれた。

 両親とクリスタちゃんはそれをずっと待っていてくれた。


 なかなか泣き止めずにいるわたくしを見下ろしてエクムント様が呟く。


「小さい頃でしたら、抱っこしてしばらく歩いていれば泣き止んでくださったのに」

「それは、どれだけ小さい頃ですか。わたくし、もうすぐ十一歳ですよ?」


 思わず泣きながら笑ってしまうと、エクムント様が微笑む。


「エリザベート嬢は笑顔の方がいいです。縁があって婚約したのです。ずっと私の隣りで笑ってくださればいい」

「こんなことがあって笑ってはいられませんわ」

「私は決めました。エリザベート嬢が嫁いでくるまでに独立派を黙らせるだけの力を得て、エリザベート嬢が安全に辺境伯領に来られるようにします」

「エクムント様……」


 エクムント様の優しい気持ちが伝わって来て、わたくしはますます涙が止まらなくなってしまう。

 涙を拭いているとエクムント様が手を伸ばして恐る恐るという感じでわたくしの髪を撫でる。


「こういうの、嫌ではないですか?」

「嫌ではないです。嬉しいです」

「小さい頃はたくさん撫でて、たくさん抱っこしたものですが、今になると何もできないですね」

「エクムント様はわたくしの情報を更新してください。わたくしはもうすぐ十一歳、エクムント様がわたくしを抱っこして庭を歩いていた年齢に差し掛かっているのですよ」


 十一歳でエクムント様は自分の進路を決めた。

 学園に行くのではなくて、士官学校に行くことにしたのだ。その決断の裏には、いつかエクムント様が辺境伯を継ぐという周囲の期待があったのかもしれない。

 わたくしは小さすぎてその頃のことを全く知らないのだが、その頃からエクムント様はカサンドラ様の養子になることが決まっていたのかもしれない。


 辺境伯領は海軍を従える領地で、辺境伯は代々軍人というのが決まっているのだ。

 カサンドラ様も士官学校を卒業していらっしゃる軍人で、エクムント様も士官学校を卒業している軍人だ。

 士官学校卒の軍人でなければ辺境伯になれないのだから、エクムント様が進路を決断するときに辺境伯になることが視野に入っていたことは間違いないだろう。


 考えているとやっと涙が止まって来た。

 涙が止まったわたくしにエクムント様は優しく言う。


「大変な事件で心を消耗したと思います。お茶はディッペル家だけで、お部屋でゆっくりとされるといいでしょう」

「ありがとうございます」

「ディッペル公爵もディッペル公爵夫人もクリスタ嬢も、エリザベート嬢を心配していると思います。お家族でゆっくり過ごしてください。夕食のときにまたお会いしましょう」

「お怪我、くれぐれもお大事に」

「はい、ありがとうございます」


 エクムント様にお礼を言ってわたくしが両親の元に戻ると、父と母に挟まれるようにして抱き締められた。


「エリザベート、無事でよかった」

「エリザベート、怪我はありませんね?」

「お父様、お母様、わたくしは平気です」

「お姉様、怖かったでしょう?」

「びっくりはしましたが、エクムント様が守って下さったので平気でした。とっさに動こうとしても体が動かないものですね。エクムント様が守って下さらなかったら、銃弾が当たっていたかもしれません」


 銃声が鳴り響いた瞬間、わたくしは棒立ちになっていた。

 何が起こっているのか混乱してしまって動くことができず、エクムント様が覆いかぶさるようにして庇ってくださらなかったら、銃弾が当たっていたかもしれない。

 エクムント様は軍人なのでしっかりと対処ができていて、身を低くしてわたくしを庇ってくれていた。


「部屋に戻りましょう。フランツもマリアも待っています」

「フランツもマリアも銃声が聞こえたかもしれない。心配しているかもしれないから、安心させてあげよう」


 両親に促されて、わたくしはクリスタちゃんと一緒に辺境伯家の客間に戻った。

 広い客間に戻ると、ふーちゃんとまーちゃんは泣いていた。


「銃声がこの部屋まで聞こえてきました。誰も怪我はなかったのでしょうか?」

「エクムント様の左腕を掠ったようですが、それ以外に怪我はありませんでした。わたくしもクリスタもお父様もお母様もカサンドラ様も無事です」

「何事だったのですか?」

「独立派の反乱者がパーティー会場で発砲しました。反乱者はすぐに捕らえられました」


 ヘルマンさんとレギーナに説明すると、ヘルマンさんもレギーナも青ざめていた。

 小銃だったので何かに紛れさせて持ち込んだのだろう。入口でチェックしているとはいえ、小銃くらいの大きさのものを完全に持ち込ませないようにするのは難しい。

 今後辺境伯家ではますます警護が厳しくなっていくことだろう。


「カサンドラ様は華やかな場所が苦手だとあまり出てこないが、こういうことがあるから警戒されていたのかもしれないな」

「ディッペル家でも気を付けなければいけませんね。小銃は女性のパーティーバッグにも、男性の上着の内ポケットにも隠せますからね」


 この世界にはあまり普及していないが銃がある。小銃は護衛のために貴族が持ち歩くように製造されていることも多い。銃がある世界というのがどれほど怖いものかわたくしは思い知らされた気がしていた。


「お姉様、髪が乱れていますわ。ドレスも着替えてしまいましょう」

「髪を解いてドレスを着替えましょう……大変な騒ぎでしたからね」


 髪が乱れていたからエクムント様はわたくしの髪を撫でてくれたのかもしれない。エクムント様の大きな手の優しい感触を思い出しながら、わたくしはマルレーンに髪を解いてもらってブラシで梳いてもらった。

 ドレスも楽なサマードレスに着替えると、ふーちゃんとまーちゃんが泣きながらわたくしにしがみ付いてくる。


「ばーん! おおちいおと、ちた」

「ばーん! ばーん!」

「フランツとマリアも聞いたのですね」

「えーおねえたま、こあいよー!」

「ねぇね、ねぇね」


 抱き付いてくるふーちゃんとまーちゃんを宥めるために、わたくしはソファに座ってふーちゃんを抱っこして、クリスタちゃんがまーちゃんを抱っこする。

 抱き締めて背中をぽんぽんと優しく叩いていると、ふーちゃんとまーちゃんのお腹が可愛く鳴いた。


「お腹が空いているのではないですか?」

「フランツもマリアも、お茶にいたしましょう」


 エクムント様が手配してくれて部屋に届けられたティーセットでお茶にする。

 ふーちゃんとまーちゃんの手を拭いて、ケーキやサンドイッチを取り分けて、フルーツティーを用意すると、もりもりと食べている。

 わたくしはふーちゃんをお膝に乗せたまま、クリスタちゃんはまーちゃんをお膝に乗せたまま、自分たちもお茶をした。


 本来ならばパーティー会場でお茶をするはずだったが、反乱者の銃撃事件でそれどころではなくなってしまったのだ。

 大広間のどこかには銃弾が刺さっているだろうし、その修復もエクムント様とカサンドラ様はしないといけない。


 ケーキとサンドイッチを食べ終わって、フルーツティーも飲み終わると、ふーちゃんとまーちゃんは少し落ち着いていた。

 ヘルマンさんとレギーナに着替えをさせてもらって、ベビーベッドに寝かされると、まーちゃんはうとうとと眠りかけている。ふーちゃんは嫌がって頭を振っている。


「ねんね、やー! ちないのー!」

「フランツ、列車の絵本を読みましょうか?」

「ちゅっぽ! ちゅっぽ!」


 お茶を終えたわたくしがベビーベッドに近寄って、ディッペル家から持ってきた絵本を手にすると、ふーちゃんの目が輝く。

 列車の絵本を読んでいると、ふーちゃんの目がとろんとしてきて、読み終わるころには眠ってしまった。


 複数の銃声が響いた今日のパーティーは、何が起きているか分からなかっただけに、ふーちゃんとまーちゃんにも恐怖を与えたようだった。

 それからしばらくはふーちゃんとまーちゃんは「ばーん! ばーん!」と銃声を真似して叫ぶようになるのだった。

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