31.離された熱

 

 何が起こっているのかも分からなかった。

 キスだとも、魔力譲渡だとも思わなかった。

 ただ本当に、何が起きているのか、ソラには分からなかったのだ。


「ん、くぅ……ふっ」


 わけも分からぬまま、後頭部を掴まれて強く唇を押し付けられている。

 混乱する間に入ってきていた舌が、呆気に取られた無防備なソラの舌を絡め取った。


「ふっ、ん……!」


 何をされているのか、やはり分からない。

 ただ、乱暴に絡む舌に怯えながらも、プラドの邪魔をしてはいけないと無意識下に思う。

 プラドを信頼していた。いつも自分の間違いを正してくれたから。

 だからきっとこれも、自分が良くない行動をしたがための、戒めなのだ。

 ぐるぐるとこんがらがる思考の中で、ほんの僅かに残った冷静な部分がそう語りかける。

 拒んではいけない。けれど呼吸をも奪う口づけに、よろけるように後ずされば、石塀がそれ以上の後退を拒んだ。


「ん……ん……っ」


 握られたままの手を、すがるように強く握る。

 ずいぶん前に鼻で呼吸をするのだと教わったはずだが、今、思い出す余裕なんか無い。

 今は強引に与えられる熱に、溺れないようしがみつくしかできないのだ。

 視点が合わないほど近くにあるプラドの瞳が、ジッと自分を見つめているのが分かった。

 冷たい風が吹くはずなのに、寒さなんて感じない。

 ただ熱が積もり積もって、熱すぎる未知の感覚に浮かされていく。


「ふぅ……っ、はっ、はぁ……っ」


 浮かされる熱と呼吸苦でソラの体が悲鳴をあげ、とうとう立っていられなくなる。

 ずり落ちる体をプラドの腕が支え引き寄せられるが、唇は離れても顔は互いの吐息が混ざり合う距離のまま。

 石塀に体を預けたプラドの体により掛かるように、体を抱きしめられ、密着する。

 未だジッと見つめられているのは分かっていたが、顔を上げ続けるのもツラくなり、コトンと力尽きるようにプラドの肩口に顔を預けた。

 やたらと火照った体を休ませ、大きくて速い自分の心臓の音だけを聞く。

 それでもなかなか整わない呼吸に難儀していると、耳元でゆっくりとした声がソラに問いかけた。


「これは、キスじゃないのかよ……」


「──プ、ラ……」


「お前、こんな事を何でもない男にさせるのか……っ」


「……」


 これがキス? キスとは、はたして何だっただろうか。

 己とはあまりにも無縁な言葉と、霧がかってしまった思考が相まって、なかなか答えが見つからない。

 それでも少しずつ、言葉の意味を探し出す。

 キス、唇と唇を密着させる行為。

 そうだ、自分とプラドはキスをしている。キスなど想像すらした事が無いが、確かに自分はプラドと唇を密着させた。

 唇を合わせるだけでは無かった気がするが、あれはキスだったのだろう。

 知らなかった。知らなかった。

 納得をして、また落ち込む。やはり自分は無知すぎた。


「すまない……私は、これをキスだと思わなかった」


「キスじゃなかったらなんなんだ……っ」


「……魔力譲渡、だと……」


「……っ」


 素直に勘違いを白状すれば、顔を見なくともプラドが息を呑んだのが分かった。

 少し間、沈黙が続き、ソラの腰を引き寄せていた腕の力が脱力するように弱まり、視界の端で空を仰ぎ見るプラドが映った。


「……とんだピエロだな……」


「プラド?」


 あざ笑うかのようにこぼしたプラド。

 ソラには言葉の意味も、誰に向かって言ったのかも分からない。

 しばらくそのままで静かすぎる時間が流れる。

 もう呼吸も心臓も落ちついたが、これからどう動けば良いのか分からない。だからプラドの動きを待った。

 こんな時までプラド任せになってしまう自分に呆れた頃、プラドがゆっくりとソラの体を離した。


「……帰れよ。今日はもう遅い」


 感情の読めない声が、ソラに言う。

 ずっと握りしめていた右手が不意に離され、代わりに筒状に丸めた紙を持たされていた。

 それが何かを確認する前に、プラドが紙に指先を触れさせ、僅かに魔力を流したのが分かった。

 そして気がついたら、ソラは王都で一番大きな駅に立っていた。


「……移動許可書か……」


 瞬時に移動した事から、手の中の紙を開かなくとも予測出来た。

 王都内で移動魔術は使えない。代わりに使われる移動手段は、徒歩か馬車か、移動許可書だ。

 移動許可書は予め指定された場所に瞬時に移動できるが、高価なため急ぎの用事でしかソラも使った事がなかった。

 それを惜しげもなく使ったのは、ソラを気づかってか、または一刻も早くそばを離れたかったからなのか……──

 夕方の駅は利用者が多く、とても賑やかだ。

 けれど、こんなに人に囲まれているのに、孤独に感じるのはなぜだろう。

 急に熱を無くした右手が、ひどく寒くて、寂しかった。


 

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