放っておけない彼女②

 ラルスとの出会いはヘルディナにとって最悪だっただろう。

 それでもラルスはヘルディナへの接触を開始した。

「ご機嫌よう、ワッセナール嬢」

 夜会でヘルディナを見かけると、毎回挨拶をするラルス。

「今度は何の用だ?」

 ヘルディナは不機嫌な様子だ。

 本来ならヘルディナは近付いて来たラルスに対してカーテシーで礼をらないといけないが、ラルス相手にそれをしないヘルディナである。

 ラルスは苦笑しながらヘルディナの無礼を許した。

「また変な気を起こそうとしていないか心配でな。それにしても意外だ。挨拶をしても君には無視されるかと思った」

「無視してもエフモント卿はしつこく話しかけてくる予感がした」

 心底面倒そうなヘルディナである。

「まあ……」

 ラルスはフッと口角を上げて苦笑した。

「安心してくれて構わない。今日は何も持って来ていない」

「それ、俺に言って良いのか?」

「貴方には色々と知られたから、開き直ることにした。私は駆け引きが苦手だ」

「そうか……」

 ラルスはまた苦笑した。

(何というか……何だかんだ真面目そうな令嬢だ。ワッセナール嬢のベンティンク家への憎悪は……私憤と義憤、どちらも混ざっていそうな感じだったな)

 ラルスは先日の憎悪に満ちたムーンストーンの目を思い出した。


 あの時のヘルディナの目は、憎悪に満ちていながらどこか純粋で真っ直ぐだった。






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 数日後。

 ラルスは貴族だとバレないよう、平民の服装で街を歩いていた。

 ラルスはヴィルヘルミナやマレインも参加している革命集会に参加しており、今はその帰りである。

(あれは……)

 ラルスはふと足を止める。

 ラルスの視線の先には、質素なワンピースをまとった女性がいた。


 真っ直ぐ下ろされた褐色の髪にムーンストーンのようなグレーの目。

 ヘルディナである。

 ムーンストーンの目は、どこか一点を見つめている。

 その先には、庶民的なカフェがあった。

(……あのカフェに行ってみたいということか?)

 ラルスは疑問に思いながら、ゆっくりとヘルディナに近付いた。

 すると、足音に気付くヘルディナ。ラルスの姿を見て、ムーンストーンの目を大きく見開いた。

「こんな所で奇遇だな、ワッセナール嬢」

「どうしてエフモント卿がここに? しかもそんな平民みたいな服装で」

 怪訝そうな表情のヘルディナ。

「それはワッセナール嬢こそ」

 ラルスはフッと笑う。

「あのカフェが気になっているのか? 入りにくいのなら……付き合おう」

 気付けばそう言っていた。

(いや、俺は何を言っている?)

 ラルスは自身の発言であるにも関わらず、内心戸惑っていた。

「……別にそういうわけじゃない。あのカフェには……何度も行ったことがある。……レネーと一緒に」

 ヘルディナは唇を噛み締めた。握り締めた拳は震えている。ムーンストーンの目は、悔しさと悲しみで溢れているようだった。

「レネー……嬢? 知り合いか?」

 初めて聞く名前に、ラルスは首を傾げる。

「私の従姉いとこだ。姉のように慕っていた」

 ヘルディナの声は、少しだけ震えている。

「彼女は今どうしている?」

 ラルスは何となく嫌な予感がしたが、そう聞いてみた。

「……殺された。三年前に……ベンティンク家のせいで……!」

 乾いた声のヘルディナ。ムーンストーンの目からは、これでもかという程の憎悪が感じられた。

 今にも爆発しそうである。

(やっぱりか……! でも、今この場所でワッセナール嬢が感情を爆発させるのは不味い。秘密警察がどこで何を聞いているかも分からない)

 ラルスは内心焦っていた。

「ワッセナール嬢、一旦エフモント公爵家の王都の屋敷タウンハウスに行くぞ。ここでは耐えてくれ」

 ラルスは有無を言わさずヘルディナをその場から連れ出した。






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 エフモント公爵家は革命推進派である。よって、ベンティンク家側の人間は王都の屋敷タウンハウスにはいない。

 ラルスはヘルディナをエフモント公爵家の王都の屋敷タウンハウスの一部屋に案内した。

「ここならどれだけ怒りを露わにしても大丈夫だ。君の従姉……レネー嬢について教えてくれ」

 ラルスはヘルディナを真っ直ぐ見つめた。

 ヘルディナは思わず怯むがポツリポツリと話し始める。

「レネーとは……姉妹のように育った。レネーといる時間は何よりも楽しかった。ベンティンク家が王座にいる最悪な時代だとしても、レネーがいてくれたから耐えることが出来た。でも……」

 ヘルディナはそこで唇を強く噛み締める。ムーンストーンの目は、悔しさと怒りに染まっていた。

「三年前、レネーや彼女の家族……アンケル侯爵家が……ベンティンク家への反旗を翻そうとしたら捕えられて殺された……!」

「三年前……アンケル侯爵家……まさか……!」

 ラルスはハッとラピスラズリの目を見開く。


 以前ラルスはヴィルヘルミナと共に処刑広場でとある侯爵令嬢が処刑されるところを見たのだ。

 恐らく拷問を受け、令嬢の皮膚にはいくつもの傷と火傷の跡があり、顔も原型を留めない程ただれていた。

 その令嬢は抵抗する気力すら失い、呆気なく断頭台ギロチンで命を奪われてしまった。

 ラルスは当時咄嗟にヴィルヘルミナの目を覆い、その瞬間を見せないようにしていた。


(あの時の令嬢がレネー嬢か……!)

「レネーやアンケル侯爵家の者達は、何も悪いことはしていない! ただこの国を平和にしようとしただけだ! 民達が無意味に虐げられている現状は絶対におかしい! あってはならない! それなのに、どうして正しいことをする者達が殺されないといけないんだ!? レネーも叔母上達アンケル侯爵家は、正しいことをしていただけなのに!」

 ヘルディナのムーンストーンの目からは涙が零れ落ちる。怒りと悔しさで表情はぐちゃぐちゃだ。

 ヘルディナはその場に崩れ落ちた。

 ラルスはそんなヘルディナを支える。

「そうだな。……泣いて良い。怒りと悔しさを全てぶちまけてしまえ。ここは安全だ」

 すると、ヘルディナは大声をあげて泣き出した。

(相当溜まってたんだな……)

 ラルスはただ黙ってヘルディナを背中をさすっていた。


「……取り乱してしまった」

 ヘルディナは少しスッキリとしたような表情だ。それと同時に恥ずかしそうに頬を赤く染めている。

「いや、構わない。君の感情は最もだ」

 ラルスはヘルディナの様子を見て少し安心した。

「それにしても……エフモント卿、貴方は一体どういうつもりだ? よく考えたら不思議で仕方ない。貴方はアーレントやヨドークスを殺そうとした私を止めた。それに、ワッセナール侯爵家の家族まで人質に取るような真似まで。エフモント公爵家はワッセナール侯爵家よりも力を持つから、そんな回りくどいことをしなくても潰すなりして告発したら良いものの」

 ヘルディナは探るようにラルスを見ている。

(……ここまで来たら、正直に話すか。でも、ミーナがナッサウ王家の血を引いていることは他の貴族同様まだ秘密にしておこう)

 ラルスは自分の立場を正直に話す決意をした。

「俺は……ベンティンク家に反旗を翻そうとしている」

 ラルスはラピスラズリの目を真っ直ぐヘルディナに向ける。

「何……だと……!?」

 ヘルディナはムーンストーンの目をこれでもかという程大きく見開いた。まるで信じられないものを見るかのようである。

「じゃあ……王太子妃ヴィルヘルミナは……!?」

「彼女の考えは……分からない」

 ラルスはヴィルヘルミナについては嘘をつく。これはヘルディナだけでなく、他の革命派貴族にもである。万が一のことを考え、ヴィルヘルミナの身に危険が及ばないようにする為だ。

「そう……か」

 ヘルディナは少し考え込むような素振りだ。

「まさかエフモント卿が私と同じ立場だったとは……」

 少しだけ、ヘルディナはラルスに警戒心を緩めるのであった。

(……多分ワッセナール嬢はもう大丈夫だろう。彼女に革命集会のことを紹介しよう)

 ラルスはそう決意した。

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