ドレンダレン王国の現状

 成人デビュタントの儀が近くなり、ヴィルヘルミナはエフモント公爵家の王都の屋敷タウンハウスにやって来ていた。

 ヴィルヘルミナは王都の屋敷タウンハウスどころか、王都マドレスタムに来ること自体初めてである。

 王都はエフモント公爵領とは違い、秘密警察が多く置かれている。ベンティンク王家に反対する者など、反乱分子をすぐに捕らえることが出来るようにしているのだ。

 誰がどこで何を聞いているか分からない。ふとしたことで自分が捕まるかもしれない。捕まるということは、吐き気がするような拷問を受け、最悪処刑されるかもしれないということ。その恐怖から、王都の雰囲気はどこか暗かった。更に、裏路地には貧しい人々がうずくまっていたり、餓死者などの遺体がゴロゴロ転がっていた。

(……酷い様子だわ。街行く方々の表情も暗い……)

 馬車の中からその様子を見たヴィルヘルミナはタンザナイトの目を大きく見開き、ショックで言葉が出なかった。

「ミーナ、驚いたか?」

 ラルスは心配そうにヴィルヘルミナを見る。ラピスラズリの目は少し悲しさが見える。

「ええ……。ドレンダレン王国が現状良くないことは、お義父とう様やお義母かあ様、そしてお義兄にい様達から聞いていましたが……百聞は一見にしかずとはこのことでございますわね」

 ヴィルヘルミナはタンザナイトの目を悲しげに伏せる。

「うん。ミーナのその反応が当たり前だよ。だけど、国の現状に慣れてしまった方々も結構いるんだ。悪徳王家の騎士団の中にも、諦めて死んだように息を潜めて生きている人もいるよ」

 マレインもクリソベリルの目を悲しげに伏せ、苦笑する。

「ミーナには見せたくなかったんだがな……」

 ラルスはボソッと呟き、ため息をついた。

(エフモント公爵領はかなり平和だったのね。王都みたいに、餓死者はいないし貧困もあまりない……。子供達や領民の表情も明るかったわ。わたくしは……守られていたのね……)

 ヴィルヘルミナは外の様子から目が離せなかった。






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 その日の夜。エフモント公爵家の王都の屋敷タウンハウスにて。

「ヴィルヘルミナ、大丈夫かい? さっきから食が進んでいないよ」

 夕食中、テイメンは心配そうにヴィルヘルミナに目を向ける。

「お義父とう様……。その、申し訳ございません。あまり食欲がなくて……」

 ヴィルヘルミナは俯く。声も沈んでいる。

(王都の様子を見たら、ゆっくり食事を楽しんでいられないわ……。ベンティンク家からの抑圧や貧困……問題がたくさんよ)

 ヴィルヘルミナは王都の様子を思い出し、ため息をつく。

 目の前の栄養バランスがしっかり考えられた、いつもの豪華な料理を食べる気になれずにいた。

わたくし達がこうして食事をしている間にも、秘密警察に捕まったり、餓死している方々がいらっしゃることを考えたら……わたくしがこうして恵まれた生活をしていることが何だか申し訳なくて」

 ヴィルヘルミナのタンザナイトの目は悲しみに染まっていた。

「ヴィルヘルミナ……。確かに、王都の状況はあまり良くない。他の地域も同じだ。私達は領民の為にお金を使ったり、領民の税を軽減したり、せめてエフモント公爵領があんな風にならないようにすることしか出来ない……。全てを選び取ることは、難しいんだ」

 テイメンは心苦しげであった。彼もドレンダレン王国の現状を変えたいという思いはあるが、それが出来ずにいる。

「ヴィルヘルミナ、わたくしもテイメン様や貴女と同じよ。今のドレンダレン王国は、秘密警察による監視や貧富の差だけでなく、工業化を急ぐあまり労働者を使い捨てしているわ。正直、悪い部分しかない国よ」

 ペトロネラの表情は暗澹あんたんとしていた。「だけど……」とほんのり笑みを浮かべるペトロネラ。

「貴女は真っ直ぐ優しい子に育ったのね」

 愛しむようにヴィルヘルミナを見つめていた。

 ラルスとマレインはヴィルヘルミナを見守るのであった。






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 夕食を終えた後、ヴィルヘルミナは王都の屋敷タウンハウスの自室でぼんやりとしていた。今日の王都の様子が脳裏に焼き付いて離れなかった。ヴィルヘルミナは長大息ちょうたいそくをつく。

 その時、扉がノックされた。ラルスとマレインだ。

「ミーナ、大丈夫か?」

「思い詰めてない?」

 二人共心配そうな表情である。

「お義兄様……」

 ヴィルヘルミナは悲しげに俯く。

「正直、こうなるからミーナを王都に連れて行きたくなかったんだ」

 ラルスは複雑そうに表情を歪めている。

「しかし兄上、ミーナは今年十五歳です。成人デビュタントの儀に出席させなければあの悪徳王家に何をされるか」

「ああ、マレイン。分かってるそんなこと」

 マレインは眉間に皺を寄せ、歯を食いしばっていた。

 少しの間、沈黙が流れる。

 そんな中、マレインが柔らかな口調で微笑む。

「ミーナ、気分転換にダンスの練習をしたらどうだい? 成人デビュタントの儀でもダンスをするだろう?」

「マレインお義兄様……」

 ヴィルヘルミナはマレインの笑みに、少しだけホッとする。

「そうですわね。最近ダンスの練習が出来ておりませんでしたわ。お義兄様方、お付き合いいただけますか?」

 ヴィルヘルミナはふわりと微笑む。少し元気が戻ったように見えた。ラルスとマレインはその様子に少しホッとする。

「最初は……兄上とダンスをしたらどうかな? 成人デビュタントの儀でもエスコートしてもらうんだし、どのみち兄上と最初にダンスをするだろう?」

 マレインは優しく微笑みそう提案する。

「ええ。ラルスお義兄様、お願いしますわ」

「……ああ。その代わり、俺の足を踏むなよ、ミーナ」

 ラルスもいつもの調子が戻り、そう憎まれ口を叩く。

「踏みませんわよ。ラルスお義兄様が余計なことを仰らなければ」

 ヴィルヘルミナは悪戯っぽく笑った。

 こうして、ヴィルヘルミナはラルスとダンスを始める。ラルスとのダンスは彼に全てを委ねたら導いてくれるようなものだった。全てから守ってくれるような頼もしさがある。しかし……。

(ラルスお義兄様とのダンスは……全てをお義兄様に決められている感じだわ……)

 ヴィルヘルミナはどこか窮屈に感じていた。


「上手だったよ、ミーナ。兄上と息ぴったりだ」

 ラルスとのダンスが終わり、マレインはそうヴィルヘルミナに笑みを向ける。

「ありがとうございます、マレインお義兄様」

 ヴィルヘルミナはふふっと口角を上げた。

「足を踏まれなくて安心したよ」

 悪戯っぽくニヤリと笑うラルス。

「もう、ラルスお義兄様ったら」

 ヴィルヘルミナは軽く抗議した。

「ミーナ、今度は僕とダンスしてくれるかな?」

 マレインは甘い笑みを浮かべ、ヴィルヘルミナに手を差し出す。

「ええ、よろしくお願いしますわ。マレインお義兄様」

 ヴィルヘルミナは品良く微笑み、マレインの手を取った。

 マレインのリードは優しく安心感があった。しかし、それだけではない。マレインはヴィルヘルミナのペースにも合わせてくれていた。ヴィルヘルミナが激しくステップを踏みたい時にも付き合ってくれる。

(マレインお義兄様とのダンスは……自由というか、わたくしの意思を認めてくださっているような感じで……凄く楽しいわ)

 ヴィルヘルミナのタンザナイトの目が輝いた。マレインはそんなヴィルヘルミナに甘く優しい笑みを向ける。

 ほんの少し体温が上がり、ヴィルヘルミナの心臓が少しだけ跳ねる。

(体が熱いのは……ダンスをしているからよね……?)

 ヴィルヘルミナは少しだけマレインから目を逸らした。

 ほんの少し変化したマレインへの気持ち。ヴィルヘルミナにはその気持ちの正体がまだ分からなかった。

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