006 酒池

 後巡祭コウジュンサイは本殿のすぐ隣の武道場で行われた。

 武道場は約一五〇畳の広さを誇り、名前からわかるように、普段は武道の稽古場として使われている。だが今日ばかりは、畳を敷き詰めて、宴会場となっている。

 武道場の上座には、先程町を巡っていた勧請神籠カンジョウミカゴとはまた違った神籠が置かれていた。名を『鎮座神籠チンザミカゴ』と言う。勧請神籠カンジョウミカゴよりもより絢爛ケンランだが、四方が簾になっているので、中で座っている月夜菊須神ツクヨキクスノカミのシルエットがハッキリと見えるのが特徴だ。

 後巡祭コウジュンサイは『祭』と銘打っているが、祝詞を上げることも、神楽を舞うこともない。神籠に月夜菊須神ツクヨキクスノカミこと美夜が這入り、正座したら瞬間にスタートする正真正銘の大宴会だ――参加者は予め用意されていた料理に手を付け、持ち寄った酒を飲む。テーブルはなく、座布団もないので、参加者は好き放題に行き交う。まさにカオス、まさに酒池肉林である。

 そんな自由奔放な武道場の片隅で氷太朗は一人、正座をしていた。周りには誰も居ない。只の一人も。周囲に在るモノと言えば、目の前に煮物が乗った紙皿がポツンと置かれているだけだ。

 武道場は賑やかで朗らかな空気に包まれているが、氷太朗だけは、居心地が悪い空気に付き纏われていた――皆、いつも会っている友達と膝を交え、久しぶりに会った知り合いと話している。だが、つい数時間前に常夜にやって来た氷太朗にそんな人物は居るはずがない。加えて、見ず知らずの人達の輪の中に入っていくコミュニケーション能力もない。

 明らかに浮いている。しかし、自然と孤独感はなかった。美夜も同じ思いをしているのだと勝手に思っているからだ――先程から何度も神籠に目をやっているが、シルエットが動いている様子はない。食事をとっている様子も、本を読んで暇を潰している風もない。ただじっと座って、正面を見ている。

 あのシルエットが、神籠の中の彼女が、どんな思いを抱いて座っているかはわからない。わからないが、氷太朗と同じく、輪の中にいるのに疎外されているような孤独感を抱いているような気がする。

 自分と同じ感情を抱いている人が目の前に居るというだけで、孤独感は一気に薄れた。

 氷太朗は煮物を箸で摘まんで口の中に放り込む。

 あと何度煮物を食べればこの宴は終わるのだろうか――あと何度タケノコを食べれば、また美夜と話が出来るだろうか。そんな事を思いながら。

 すると、声をかけられた。


「アンタこんなトコで何やってんの?」


 常夜に来て間もない氷太朗にそんなことを言う人物は一人しかいない。

 顔を上げると――そこには鬼が立っていた。


「ナルさん⁉ どうしてここに⁉」


 早い再会に氷太朗は思わず立ち上がると、ナルは苦い顔をした。「さん付けなんて止してよ。ナルで良いわ。ついでにタメ語で宜しく――さっきまで天戸温泉で飲んでたんだけど、コイツがどうしても後巡祭コウジュンサイに行きたいって五月蠅かったから渋々来たのよ」

 ナルが立てた親指で指したのは隣に立つ少女である。

 一目で解るくらい『無頓着むとんちゃく』な少女だ。ドキッとするくらい黒く艶のある長い髪は乱雑に一纏めにされており、化粧っ気は一切ない。服装も、詰襟の礼服の正面を全開にして、シャツを半分だけズボンに入れている。腰に差した刀に至っては、鞘だけしかなく、本体が見当たらない。だらしない。だらしないのに、美しさを感じるのは、彼女のポテンシャルの高さ故だろう。

 少女は頭をボリボリ掻きながら気怠そうに言った。


「いやー、私も本当は来たくなかったんですよ? 来たくなかったんですけど、神社の人間として一回くらいは顔を出しとかないと拙いかなーって思って」

「あ、神社の方なんですか?」氷太朗は問う。

「ええ。哀れにも、常夜維持管理行政事務所の有事予備部隊ってトコで働かされてます。あ、申し遅れました――酒月魅流と言います。初めまして」

「初めまして。僕は坂之上氷太朗って言います。……って、酒月?」


 酒月ってあの酒月ですか?

 そう言いかけて、氷太朗は言葉を飲み込んだ。『酒月家』の扱いがこの世界でどうなっているかわからなかったからだ。

 だが、それは無用の心配であった。魅流はすぐに「そうですよ」と肯定した。


「こう見えて酒月家の人間なんです。酒月家の分家の分家の分家の人間なんで、どう転んでも月夜菊須神ツクヨキクスノカミは継げませんけど。それどころか、有事予備部隊っていう超窓際閑職に就かされてますけど」


 魅流はこれでもか、というくらい顔を近付けて言う。彼女の口から漂う酒の臭いは尋常ではなかった――相当呑んで来ているらしい。


「あ、今『酒臭ェなこの女』って思いました?」

「い、いえ。思ってませんよ」

「いいや、絶対に思ったね。そんな顔をしてました。ね? ナルさん」


 紛う事なき酔っ払いの悪絡み。

 唯一の良心であるナルには是非とも一蹴していただきたいところだが――生憎、彼女も相当飲んでいる。


「うん、見てた。酒臭いって顔してた」


 最悪な事に、ケラケラ笑いながらノッてきた。


「いやいやいやいや! してませんって! ナルさんも、悪ノリはよしてください!」

「アンタも、さん付けと敬語はよしなさいよ」

「やめたら止めてくれる⁉」


 氷太朗はナルに助けを求めるが、その言葉は酔っ払い達の耳には届かなかった――魅流は「よし相撲をとりましょう」と氷太朗の腰をつかみ、ナルは「やれやれー!」と大声で捲し立てた。その声は武道場中に響き、大勢の人々の注目を浴びることになった。


「はっけよーい……のこった!」

「ちょっ――」


 背中に突き刺さる視線に気付かない魅流は氷太朗を押し続ける。力はそんなに強くない。寧ろ、弱い。少なくとも、氷太朗が少し踏ん張るだけで均衡が保てる程度であった。

 突然の相撲とは言え、女性を押し倒すのも引っ繰り返すのも少し抵抗がある。往なして自滅させるのが無難だろう。

 そう思った直後、背後から酒瓶が物凄いスピードで飛んできた。「喧嘩なら他所でやれ!」という怒号と共に。

 氷太朗が避ければ、酒瓶は魅流に当たるだろう。だからと言って避けないわけにもいかない――咄嗟に判断した氷太朗は、左足を軸に回転しながら、酒瓶をキャッチした。

「うぎゃっ」と回転に巻き込まれた魅流は体勢を崩して転ぶ。


「おぉ、やるじゃん」


 ナルは小さく拍手をすると、ほんの少し気をよくした氷太朗は「いやぁ、それほどでも」と照れた。

 それを見た酒瓶のお持ち主は、当然、面白いと思うワケがなく――「嘗めやがって!」と再び酒瓶を投げた。氷太朗はその酒瓶も簡単にキャッチしてしまう。それも、見向きもせずに。


「え、凄い。氷太朗、それ特技?」


 ナルが問うと、氷太朗はキャッチした酒瓶を置いて答える。「まぁ、特技と言えば特技かな。ちょっと大道芸を齧ってるから、こういうのは得意なんだ」


「もっと沢山投げられても出来るの?」

「たぶんできるよ。――あ」


 気付いた時には遅かった。

 ナルはニヒヒと笑うと、大きな声で「という事だからみんな投げてみて!」と言った。

 一部始終を聞いていた周囲の人々は一寸の迷いもなく酒瓶を投げる――四方から投げられた酒瓶の数は八本。

 天眼通テンゲンツウで全ての酒瓶を捉えた氷太朗は、先程とは反対の右足を軸に回転しながら、酒瓶に腕を伸ばす。そして、酒瓶の首根っこを掴んでいき――三回転を終わる頃には、八本全てをキャッチしていた。

 酒の席を盛り上げるには十分な芸当だった。

 武道場に拍手が溢れる。

「凄い凄い! 氷太朗、凄いじゃん! いやぁ、流石は私の見込んだ男だよ!」

「お粗末様です」


 謙遜しながらも、氷太朗は深々と頭を下げる。

 要求していないのに拍手が沸き上がる光景は、大道芸人にとってこれ以上ない誉である。


「いや、凄くないですよ」これ以上なく温まった場に、転がっていた魅流は水を差す。

「私にもそのくらい出来ますよ」

「僻みは良くないわよ、魅流」

「僻みじゃないもん! 出来るもん! 皆さん、私にも酒瓶を!」


 直後、魅流は頭に酒瓶が激突して気絶した。

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