003 約束
「なにが『そうですね』だよ。テレフォンショッキングか」
所変わってバッティングセンター。
すべてのバッターボックスが埋まっていたのでベンチに座って順番待ちをしていると――先の出来事を一通り聞いた和歌が気怠そうに言った。
「チキン過ぎるだろ。どんだけフラグを圧し折ったら気が済むんだよ」
和歌は棒付のキャンディーを噛み砕き、足を組み替える。
「次は最初から大道芸を見たいって言うのは、どう考えてもあの子なりの誘い文句だろ。汲み取ってやれよ、チキン。リア王云々も、見に来て欲しいから言ってるんだろ。どう考えても――いや、まだいい。その二つのフラグをスルーしたのは、百歩譲って、まだいい。最後のお月見なんて、告白同然じゃねェか」
和歌の罵倒はまだまだ続く。
「昔の思い出を辿りながら『また一緒に見たいね』なんて、並の勇気じゃ言えねェよ。それをお前『ソウデスネ』って……。お前、エンディング見る気あんの? CG全部回収する気あんの?」
「何の話?」
「零割零分零厘打者が見逃し三振してんじゃねェよ。せめてフルスイングしろ。空振ってでもいいからフルスイングしろ。このボケ!」
「言い過ぎじゃない?」
「言い過ぎじゃない!」
和歌は鼻から息を勢いよく吐き、口に咥えたキャンディーを更に嚙み砕いた。
針姫和歌は一見すると、高貴なお姫様のようだ。一直線に切り揃えられた自慢の前髪は絹のようだし、二重まぶたから伸びている睫毛はまるで花弁のよう。黙って座っていたらお菊人形と見紛うだろう。だが、口を開けば――ご覧の通りである。氷太朗はこれほど残念なギャップをある人を見たことながい。
「今回ばかりは奥手を通り越して悪手だぜ、氷太朗」
「それはそうだけど……」
「今夜、スーパームーンだかセーラームーンだか知らないが、何か天体的イベントがあるんだろ? メールして、それに誘えよ」
「えぇ⁉ 無理だよ!」
「人間、無理なんて事ねェんだよ。その気になれば空だって飛べるんだよ」
「いや、そういう意味じゃなくって……僕、酒月さんのメールアドレス知らないんだよ」
「……はい?」
予想外の発言に、和歌は口を大きく開けてフリーズしてしまった。「幼馴染なのにメアドすら訊けてないのか?」
「そうじゃないよ――恐らくだけど、彼女、スマホを持ってないんだ。一度も触ってるところを見た事がない。だから、知る知らない以前の問題なんだ」
「家の固定電話に掛ければいいだろ。まさか、そっちも知らないのか?」
「お恥ずかしながら……」
「このチキン!」
和歌の堪忍袋の緒が切れた時である、丁度バッターボックスが開いた。一番端の第八打席、時速一三〇キロメートルモードが搭載された上級者打席だったが――和歌はそれを見て、閃いた。
「なぁ氷太朗。安打数で勝負しようぜ」
「別に良いけど……ただの勝負じゃないだろ? 何か賭けるの?」
「私が勝ったら、お前は酒月さんをなんとしてでも天体観測に誘え」
「僕が勝ったら?」
「夏休みの宿題写させてやる。まだ物理のプリントだけしか終わってないけど」
「それは……‼」
なんと魅力的なのだろうか――いつもならば、すぐに快諾していただろう。
氷太朗の運動能力と動体視力は時速一三〇キロメートルで打ち出されたボールくらいなら眠っていても捉えてしまうから――だが、和歌は口こそ悪いが頭が良い。特に賭け事になると、その賢い頭脳をフル回転させて勝ちにくる。そんな彼女が無策で勝負を挑んでくるとは到底思えない。
「いや、勝っても負けてもお前は何かを得るんだから、悩む隙無くね?」
「そうだけどさぁ……」
「どこまでチキンなんだよ。よし、やるぞ!」
勝手に賭け提案しておいて勝手に賭け開始をした和歌は、キャンディーの棒を咥えたまま流れるような動作でバッターボックスに入ると、コインを入れてボタンを押す。そして、ラックに立てかけられていた金属バットを手に取って――構える。
「ばっちこーい」
応じるように、ディスプレイに映し出されたピッチャーが時速一三〇キロメートルで野球ボールを投げる。和歌はそれを見事なタイミングで打ち返した。ホームランには程遠いが、ライトフライくらいには飛んだ。
「おお、やるなぁ」
フェンス越しに見ていた氷太朗が唸る。「和歌って、体育は苦手なのに、剣道と野球だけは得意だよね」
「こう見えて私は名門貴族の出身だからな。じいやに次期当主として小さい頃から剣術とか棒術とかゴルフとか仕込まれてたんだ。だから、棒を使って玉を打つなんざお茶の子さいさいよ」
「そうなんだ」
「まぁ、間男との子って事が発覚して棄てられた今となっては、無用なスキルでしかないんだけどな」
「………」
今日は『全国自虐デー』なのか? どうして美夜も和歌もリアクションに困る自虐を放り込んでくるのだろうか。
彼女の姓である『針姫』の始まりは、弥生時代にまでさかのぼる。一つの王廷を築いていた針姫氏は関西の一部地域を支配していた。武力による支配ではない。星を読み未来を占う占星術や、神や妖怪の力を具現化する妖術によって国を治めていた。時代が下ると、陰陽師として国に仕え、その実力から相当な富と財を与えられた。科学の時代が到来してからは、妖怪社会や暴力社会などの所謂裏社会を牛耳って富と名声を築いているのだとか。
そんな立派な御家に生まれた和歌は、本家の長女として幼い頃から英才教育を受けていた。代々女性が当主を務める針姫の次期当主は彼女だと誰も信じて疑わなかった。けれども、数年前、和歌が現当主の夫――つまり和歌の父と生物学的に親子でないということが発覚した。和歌は母と婚姻関係のない浮気相手の男との間に出来た私生子だったのだ。加えて、和歌は一向に占星術や妖術の才が花開かなかった。
血も才も持たぬ和歌に対し針姫家が下した決断は、和歌を棄てるというものであった。
具体的には本家の屋敷を追い出し、代わりに、分家の親戚が管理しているボロアパートを与えた。そのボロアパートが氷太朗と氷華が住んでいるアパートなわけだが――兎も角、この境遇を誰が笑えようか。
「この勝負、勝っちゃうかもな」
得も言われない気持ちになっている氷太朗を他所に、和歌は二〇安打を決めた。このバッティングセンターはワンプレイ二五球なので、後五球打たれたら賭けの難易度が一気に上がる。それだけはなんとか避けたいが――フェンス越しに出来る事なぞない。指を咥えて見ているしかない。
そして迎えた二五球目。
和歌は軽快に振りぬけると、殴られたボールは大きな弧を描いて天井のネットを揺らした。
「最後にホームランを打つ和歌ちゃんの勝負強さよ。こりゃ今夜は良い月が見れるな」
「まだ勝負が決まったわけじゃないから!」
「いいや、決まったね。雑魚メンタルのお前がこの土壇場で全球打てるワケ無いね」
完全に勝者の風に扇がれている和歌は、飄々とした表情で金属バットをラックに戻し、フェンスのこちら側に戻ってきた。代わって氷太朗がバッターボックスに立つ。握るのは、木製バットだ。
「こんにゃろう、金属バットの私に対する当てつけか」
「いや、僕の場合、木製バットでも飛び過ぎてネットを突き抜ける事があるから」
「アレを使うのか?」
「アレって?」
「
「いや、そんなニッチな能力は持ってないけど……」
だが、六神通の内、二つは使うつもりだ。
氷太朗をはじめとする坂之上一族は皆、六つの神通力を持つ――
高速移動や水面歩行、壁歩きを可能にする『|神足通《ジンソクツウ)』。
百里先の音や声を聞き取る『《テンニツウ》』。
他の人や動物の心の声を読み取る『《タシンツウ》』。
自分だけではなく他人の過去や未来を見通す『《ショクミョウツウ》』。
万里先はおろか、目のまえの生き物の転生先をも見通す『《テンゲンツウ》』。
そして自分が解脱し輪廻転生の輪から外れたか否かを悟る『《ロジンツウ》』
――この六つの神通を総称して六神通と言う。坂之上家の血を引くは者は、この六神通を持って生まれる。とは言え、皆が皆、カタログスペック通りの能力を有しているわけではない。個人差がかなりある。氷太朗と氷華はその差が特に顕著である。
姉・氷華の六神通は歴代最強クラスである。神足通を発動すれば空中も歩けるようになるし、
だが、氷太朗は違う。神足通を発動しても足腰が強化される程度――大道芸人として小銭を稼ぐには丁度いいが、氷華のように武器として使える代物ではない。
氷華と比べたら屁のような六神通――それでも、発動すれば一般人の身体能力を遥かに凌ぐので、学生生活に於いては、氷太朗は極力には使わないようにしているのだが、今は状況が状況だ。使うしかあるまい。
「まぁ、勝負だからね――神足通と
ぐっと踏ん張り、精神を足と目に集中し、己の能力を発動させる。
そして『時』を待つ。
勝負の時を――
「すっげー集中してるトコ悪いけど、スイッチ押さないといつまで経っても始まらないぞ」
「あ……」
「フィジカルが凄くても、メンタルがこれじゃぁな」
「もう! 良いからスイッチ押してくれよ!」
「へいへい」
呆れながらフェンス越しにスタート・スイッチを押そうとする和歌の指は――直前になって、止まった。
「氷太朗……知ってるか? ここのバッティングセンターはスイッチを連続で三回押せば裏モードに入るんだ。球が時速二〇〇キロになる裏モードにな!」
「いや、普通モードでいいです」
「いいや、押すね!」
言って、和歌はスイッチを三回連続押した。
二〇二三年現在、プロ野球界の投球最速記録はアメリカの選手の時速一八八キロメートルである。その記録を遥かに超える球速である時速二〇〇キロメートルなど、並みはずれた運動能力と動体視力をもつ氷太朗をもってしても、気合を入れなければ反応できない。
氷太朗は超剛速球を待つ。
が、ディスプレイのピッチャーが投げたのはそれよりも幾何か遅い球であった。
「やられたー‼」
完全にタイミングを見失った氷太朗は空振りをしてしまう。
後ろから「よっしゃー!」という歓喜の声が聞こえる。
そう、裏モードなぞ存在しないのだ。
「まんまと引っかかった……」
心理戦とすら呼べない狡い手によって敗北が確定した氷太朗は、消化試合となった残りの二四球をせめて楽しむべく能力をオフにして――バッティングを楽しんだ。
「さぁ、お嬢。どうやって酒月さんを誘う?」
フェンスの向こうで和歌が言う。お嬢というのは、氷太朗の可愛い容姿から取られた渾名だ。
「どうやってって……電話が使えないなら、直接門を叩くしかないだろう?」
「チキンのお前にそんなことが出来るとは思わないけどな」
「負けたんだからするしかないだろ」と、氷太朗はカキンと球を打つ。残念ながらピッチャーフライだ。
「なぁ氷太朗。酒月さんはスマートフォンを持ってないだけで、固定電話なら持ってるだろ?」
「うん。でも、さっきも言ったけど、固定電話の番号も知らない……」
「お前は知ってなくても、私は知ってるんだなぁ」
「なんで⁉ どうして⁉」
「去年、私は酒月さんと同じクラスだったからな――プライバシー無視の悪しき伝統『連絡網』を使えば簡単にわかっちゃうのさ」
「マジで⁉ プリント残してるの?」
「残してるも何も、いざという時のために名簿全部アドレス帳に登録してるっつーの」
「几帳面過ぎるだろ。き――」
気持ち悪っ、と言いかけて氷太朗はグッと堪えた。
和歌のこの気持ち悪さが、現時点での唯一の希望なのだ。言ってみれば、地獄に垂らされた蜘蛛の糸である。機嫌を損ねてプツンと切られないよう、慎重に発言しなければならい。
と、ここでピッチングマシーンから最後の球が発射された。氷太朗はバットを大きく確実に振りる。打たれた球は大きな弧を描くと、ホームランの的に激突した。バッティングセンターに明るいBGMが流れ、隣のバッターボックスに立っていた学生が小さく拍手をした――だが氷太朗はそんなことに目もくれず、バッターボックスを離れ、再び和歌の隣に座った。
「和歌、酒月さんの家電の電話番号を教えてくれ」
「お前今、気持ち悪いって言いかけたよな?」
「頼む、この通り!」
「無視すんなよ」
しかし、こうも頭に下げられたら無碍には出来ない。
少し考えるふりをしてから、和歌はスマートフォンを取り出し、アドレス帳を探った。
目的の番号はすぐに索引できた。
「ほれ、この番号だ」
和歌は印籠のようにスマートフォンを見せつける。氷太朗はそれを見て、「ありがとう」と礼を言って――停止した。
「ん? どうした?」
「いや……これからどうすれば良いだろうと思って」
「この番号に電話かける以外の選択肢があんのかよ」
「そ、そうだよね」
「まさか、今更日和ってるんじゃねェだろうな?」
「ま、まさか」
見るからに、その『まさか』であった。
和歌と氷太朗が出会ったのは二年前、和歌がボロアパートに越してきた時だ。同じ高校に通う同い年という共通点からすぐに仲良くなり、今では、氷華が家に帰ってこない日は一緒に夕食を食べたりする間柄となった。そんな仲の和歌だから、すぐにわかった――このようなチキンモードに陥った氷太朗は埒が明かない事を。
なので、強硬手段に打って出た。
「お前が架けないなら私が架けてやる」
そう言って和歌は何度かタップを繰り返し、スマートフォンを氷太朗に投げた。
受け取って画面を見てみると、『発信中』の文字が表示されている。受話口からはコール音も流れている。
正直、電話を切って体勢を立て直し、念入りに台詞を考えた上で突撃をしたかった。けれども、今切ったら所謂『ワン切り』になり、一気に印象が最悪になる。
「やるしかないか……!」
意を決した氷太朗はスマートフォンを耳に当てる。
同じタイミングで、ガチャッという音が受話口から聞こえた。
「あ、酒月さん? 僕、坂之上氷太朗だけど。もしよければ今夜僕と――え? あ、お父さんですか?」
どうやら電話に出た相手は酒月美夜の父だったらしい。
最悪の展開に、和歌は声を殺しながら笑い転げた。
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