第2話 陰謀①

 本日、王太子殿下との「禊の儀」を予定していたわたしは、突如発生した瘴気だまりの浄化を優先し、婚礼に関する儀式を不意にしてしまった。


 それを謝罪するため、婚約者であるフィリベールの執務室を訪ねたわたしは、促されるままソファーに腰掛けしばらく経つ。


 彼が淹れてくれた、わたし好みのオレンジの香りがするお茶を飲んでいるんだけど、互いに話を切り出さず、無言が続いている。


 王族特有の赤い瞳が、じぃっと見つめてくる。そのうえ、不機嫌な時に見せる赤い髪をいじる仕草。

 相当、彼は怒っているのか……。それとも照れているのか。どっちなんだろう。


 彼の触れている赤い髪。この国では赤は特別な色とされている。

 何故なら、王家の血を引く者しか、赤色を持つ者はいないからだ。

 ある種、それだけで身分を証明できるほど貴重な色調だもの。


 そう。髪と瞳が赤いフィリベールは、何もいわずして、この国の王族だと象徴しているのだ。


 こうして大人しく待っていても、なかなか本題に入らないフィリベールは、カップをソーサーに置かず、わたしを見つめたままだ。


 若干、居心地が悪く、手持ち無沙汰なわたしは、ついついお茶が進む。


 半分くらいお茶を飲んだところで、自分から話を振ってみるかと考えた。

 そのため、音を立てないよう、そっとティーカップを戻す。


 そうすれば、それに合わせるように、おもむろに彼が口を開く。けれどその前に、ちらりと時計を見た彼は何かを待っていたのだろうかと、妙な違和感を覚える。


「お前は次期筆頭聖女の影響力が、どれほどのものか試したようだが残念だったな」


「ぇ……。何が、ですか……」


「自分が望めば、陛下が立ち合う行事でさえ、中止できると思ったのだろうが、『禊の儀』はリナと済ませた」


「はい? 『リナと済ませた』とは、何を仰っているのか、意味が分かりませんわ。禊の儀は『中止される』と、リナから聞いたのですが? あれは妃と側室の立場に大きな優劣を付けるための儀式でしょう。まさかそれをリナと行ったと仰るのですか?」


「何を言っている」

「ですから――」

「煩い! あれはただの形式上の儀式に過ぎないが、禊の儀は、ベールで顔も見えないし、声も発しないからな、代役でも無事に済ませられたぞ」


「なんてことを……」

「ふん。筆頭聖女候補とはいえ、お前の思いどおりに王宮は動かせないと、これでやっと分かったか!」


「そんなことは、露ほども考えてはおりません。全くの誤解ですわ。聖なる泉にリナと入ったのですか……それでは――」


「いつもいつも功労者振りやがって!」

「功労者って……なんのことでしょうか」


 確かに心あたりがあるけど、陛下夫妻や大司教しか知らないはずだ。一体何を指しているのかしら。


「これまでお前に騙されていたが、今日、お前が森の奥に瘴気だまりを発生させたことに、私が気づいていないと思っているのか? 全て、お前の仕組んだ狙いだろう」


 ――え? 何だそれは……。

 今しがたまで、文句たらたら瘴気だまりを浄化してきたのに、わたしが発生させたと思われているのか⁉︎


 全くもって出鱈目だが、それを決定事項のように強気で言い張った。

 その直後。愛情の欠けらも感じられない顔で睨みつける彼が、婚約破棄に関する魔法の念書をガラス天板のローテーブルへ、バンッと音を立てて置いた。


 目に入る白い紙をちらりと見れば、勝手に『ジュディット・ル・ドゥメリー』とわたしの名前が書かれてある。


 あ~そういうこと。わたしが魔力を通せば、婚約破棄が成立するわけか。


 別にいいわよ。わたしの話を全く聞こうともせず、問答無用に詰め寄る彼のことなど、むしろ、こっちの方が願い下げだ。こんな人とは結婚なんてできない。


 早くあの念書に魔力を通して……と考えたが、駄目だ。


 彼がわたしの体に刻んだ魔法契約を解呪してもらうのが先だ。

 先に彼との関係を切れば、たとえ公爵令嬢であろうと、王太子の彼に、二度と接近できなくなるはず。


 それでは右肩にある魔法契約を、解呪してもらえない。

 簡単に同意してなるものか。こちらの願いを聞いてもらってからよ。焦るな。今はまだ駄目だ。


「いいえ。そのようなことはございませんが」


「認めないつもりか! 先日、王都に突如出現した瘴気だまり。あれも、お前が浄化していたが、ジュディットの仕込んだ黒魔術が原因だと、調べがついている」


 フィリベールの気色ばむ口調に、心臓が大きく跳ね、動揺しながら言葉を返す。


「嘘です。どこのどなたの証言か存じませんが、わたくしはそのようなことをしておりません」


 黒魔術など、断頭台ものの重犯罪だ。そんな罪を被せられれば、聖女といえど、ただじゃ済まない。


 お願いだ。王太子なんだから、そんなことに騙されてはいけないわと、慌てて否定する。


 そうすれば、ますます彼の表情が険しくなる。

 彼は眉間に深い皺を刻んだまま、執務室に続く書斎を見やり、「ジュディットが否定している。入れ!」と告げた。


 すると、わたしがよく知る人物たち三人が、ぞろぞろとこの場に姿を現した。


「リナ……。それに、お父様にお継母様。どうしてこちらに……」


「リナはね。お姉様を庇いたてるのは、国民のためにならないと悩んでいたのです」


「一体なんのことかしら?」

「魔力の大きいリナを、お姉様が恐れていたのは知っていますわ。ですから、リナに筆頭聖女の立場を奪われないために、お姉様がわざとに瘴気だまりを発生させ、魔物を生み出していたのでしょう」


 妹が、とんでもない作り話をすれば、「なんて恐ろしい女なの!」と、悲鳴交じりの継母の声が聞こえた。


 はっとして継母を見やれば、口を押さえて青ざめているではないか。

 ――一体何が、どうなっているの! まるで事態が掴めない。

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