憂さ晴らしをしよう!

 一日の学業が終わったことを知らせるチャイムが鳴った。それまで静かだった校内の雰囲気が一気に消し飛ぶ。


 放課後、守人の席に智代と明彦がやって来た。どちらも下校準備はできている。


「守人くん、カラオケに行こう!」


「場所はどこなんだ?」


「いつもの店だよ。ちなみに、予約はもう済ませてあるんだ。ほら、クラリッサ」


『はい、旦那様。カラオケボックス唄屋で一部屋二時間コースを十六時から、旦那様の名義で予約いたしました』


 半透明のクラシカルメイドが明彦の顔の横に現れて友人二人に予約を告げた。言い終えると一礼して微笑む。


「うわぁ、フェアリーナビがこういうものだって知ってたけど、いざ自分の友達が使ってみせると何かこう、何かこうこみ上げてくるものがあるわね!」


「趣味全開の奴が突っ走ってるのを見ると圧倒されるけど、その趣味が趣味だけに使いこなすとこんな風になるんだってなんだか知りたくなかったかのような気持ちだな、俺は」


「二人とも好き勝手言ってくれるじゃないか。けどね、これは挨拶代わりのようなものさ。本当のぼくたちの関係を」


『旦那様、少々急がれた方がよろしいかと思われます』


 スイッチが入って饒舌になった直後に明彦は半透明のメイドクラリッサに助言された。目を見開いてその透けた姿に注目する。


「あははは! 優秀じゃない、クラリッサちゃん!」


「ナイスブロックだ、クラリッサ! これはなかなか躾が行き届いているな、明彦!」


「ぐぬぬ。おのれ、後で思い知らせてくれる。いくぞ、みんな!」


 悔しそうに歯を食いしばっていた明彦は叫ぶと先頭を切って教室を出た。


 他の二人も追いついて三人ひとまとまりとなり、校門を出る。各地に散って行く生徒に交じって商店街を目指した。


 明彦が予約したカラオケボックス唄屋は高校の近くにある商店街に店を構えている。設備は古く部屋も狭いが、低料金なので所持金の少ない高校生などによく利用されていた。


 三人はそんなカラオケボックスにたどり着き、代表の明彦が個人用端末機パーソナルデバイスで予約を照会する。部屋を提示されるとすぐに向かった。


 室内はガラス製のテーブルの周りに合成の革張りソファがある。奥の壁は全面が白色で端にカラオケの本体機材がちょこんと設置されていた。


 三人とも座って鞄を置くと個人用端末機パーソナルデバイスを本体機材に向ける。守人の手にする板型ボードの画面から歌のタイトルリストが立体表示された。他の二人は顔の目の間にリストがある。


「さて、まずは一曲行こうか」


「ちょっと、守人くん早い! あなた最初はいっつも同じよね!」


「まずは一番慣れてる歌で喉を慣らすんだよ」


「ドリンクの注文より先に歌うってどうなのよ!?」


「いつもの頼んでおいてくれ。よし、それじゃいくぞ!」


 一番最初に歌の入力を済ませたのは守人だった。テーブルに置かれたマイクを手に取る。


 全面が白い壁の前にカラオケの本体機材から立体表示された映像が流れ始めた。始まったのは数年前に流行ったポップソングだ。前奏が始まったことで智代との会話を打ち切る。


「~♪」


 軽快な調子の音楽と共に立体映像上に歌詞が表示されたが守人は見ていない。マイクのみに集中して声を出す。最初はわずかにずれていた音程が徐々に音楽に合っていった。


 三番まであった歌詞をすべて歌いきるとようやく守人は周りに目を向ける。智代は半笑いの表情で、明彦は納得した顔でうなずいていた。


 機嫌良く歌いきった守人が二人に声をかける。


「やっぱり最初はこれからだな!」


「守人くんの定番だね。それじゃ次はぼくの定番をいってみようか」


「俺いつも不思議に思うんだけどな、アニソンなのはともかく、なんで女キャラのキャラソンなんだ?」


「ぼくのソウルソングだからだよ!」


 自明の理だと言わんばかりの堂々とした態度で明彦が守人の問いかけに答えた。


 表示された立体映像はその女キャラが出てくるアニメのものだ。それを背景に前奏が始まり、歌詞が表示される。


「~♪♪」


 わりとゆったりとした音楽に合わせて明彦が喉を震わせた。本来女性の声、しかもアニメ調の声で歌うものなので男の低音だと違和感があるはずなのだが、それを感じさせない良い声が室内に広がる。


 今も根強い人気のある女キャラの歌を素人の耳ではプロと遜色ない声色で明彦が歌う。歌う姿はすっかり女キャラになっているかのように没入していた。その脇で半透明のクラリッサが慈愛に満ちた目で明彦しゅじんを見ているのが何とも言えない。


 最後まで歌いきった明彦は余韻にひたりながらもマイクを手放す。


「ふぅ。ああ、心が洗われるようだよ。最初はこれからでないと始まらないね」


「なんでそんなにうまいんだよ。絶対おかしいだろ。あ、さてはフェアリーナビに何かさせてるな?」


「そんなわけないだろう。クラリッサを迎えてまだ一週間も経ってないんだよ」


「なんか信じられないなぁ。あーもう、さすが『無駄に良い声を台無しにする男』だよ」


「くっくっく、褒め言葉と受け取っておこう」


 二人が言い合っていると注文していたドリンクが運ばれてきた。コーラ、ウーロン茶、ミルクティーがそれぞれの前に置かれる。全員がほぼ同時に一口飲んだ。


 グラスを置いた智代がマイクを手にする。


「やっと私の番が回ってきたわね!」


「明彦は明彦で大概なんだけど、お前はお前で不思議なんだよな。なんで演歌なんだ?」


「一時期付き合いで聖歌隊で歌っていたんだけど、そのときに練習でいろんな歌を歌っていたら一番私に合ったのよ」


「まさかそんな理由があろうとは」


「さぁ、来たわね。いくわよ!」


 演歌特有の前奏が始まり、智代が体を揺らし始めた。立体映像を見ないまま大きめに息を吸い込む。


「~♪!!」


 心地よい智代の美声が室内に響いた。やや巻き舌で歌っているのは選んだ曲に合わせてだ。拳を振るって腹に力を入れる。声の伸びがやたらに良い。


 さびのところで音量が一層上がる。スピーカーを通してだとうるさいくらいだ。しかし、智代はまったく気にすることなく拳に力を入れる。


 三番目までの歌詞を歌いきったところでようやく知美はマイクを手放した。随分とすっきりした笑顔である。


「相変わらず音量がすごいな。耳が痛いぞ」


「マイクの音量調整ミスったかしら? 次はもっと下げるわね」


「智代の場合マイクがいらないんじゃないか?」


「でも、持っていた方が歌いやすいのよね。そう思わない?」


「まぁそれはあるけど」


 グラスを傾ける智代に対して守人は曖昧にうなずいた。特に強いることもでもないのでそれ以上は追及しない。


「守人くん、次の曲は入れないのかい? だったらぼくが歌うけど」


「いや入れるよ。ちょっと待ってくれよ。えっと、どれにしようかな」


「五年前とか十年前とかばっかりなんだから、たまには私みたいに新しいの歌いなさいよ」


「いいじゃないか好きなんだから。あの辺りのが俺に一番合ってるんだよ」


「同い年なのに感覚が十年くらい違うってどういうことなのよ、おにーさん」


「智代お前、言いたい放題だな。くっそう」


「そう言われると古い歌は歌いにくいよね。だったら次は新曲にしようかな、ぼくは」


「私はこの春に出たばっかりのを歌うわよー! 守人くんは?」


「一番新しいので、えーっと、三年前?」


「微妙ね」


「微妙だね」


 何とも言えない表情を浮かべた智代と明彦が評価した。それを聞いた守人は口をすぼめながらその曲を入力する。何と言われようとも最新曲はこれしかない。


 マイクを取った守人は友人二人の評価に構わず熱唱し始めた。




 夜、入浴も済ませてトレーナーに着替えた守人は自室の椅子に座ってぼんやりとしていた。全身から力が抜けていてだらしないことこの上ない。


『おーおー、完全に気が抜けているわねー』


「いやー、散々歌ってすっきりしたからなぁ」


『喉が少し痛んでるじゃないの。こんなになるまで歌わなくても良かったんじゃない?』


「歌ってたときは気にならなかったんだよ。あー声がすごいことになってるな」


『人間のそーゆーところはわからないわねー。ストレスを感じたんなら、そこから遠ざかって感情を切り離せばいいのに』


「そんな機械的に自分の感情を切り離せる奴は、いることはいるけどごく一部だよ。大半はこんな感じだ」


『面倒ねー』


「アニマはそもそもストレスって溜めることがあるのか?」


『ないわねー。できることとできないことを切り分けて、順番にできることからやっていくから。それで、できないことは後回しにする感じかな』


「それ、恐ろしく機械的だな」


『感情による揺れがないという意味ではね。できないことはできないって理解しておしまいよ。ああでも、そこからどうやったらできるようになるのかってことは考えるわね』


「普通の人間はそこに不満やストレスを感じるんだけど」


『それは知っているわよ。だからあたしも怒ったり叫んだりするでしょ?』


「お前のあれって、もしかして演技だったのか?」


『さぁねー?』


 楽しそうな声で返答してくるアニマに守人は眉をひそめた。その不満を口にする。


「人間相手にこう演じておけばいいって思ってやられるのは面白くないな」


『馬鹿にされているとか騙されているとか思うわけよね。でも人間同士だって同じように取り繕って接しているじゃない』


「そりゃまぁそうだけど」


『何でも本音で話せ、いつでも自然体でいろ、っていうのは逆にしんどいわよ? 今だってあたしの本当の部分を聞いてモリトはつらく感じているでしょ。やっぱり演技は必要よ』


「なんか言いくるめられた感じがするなぁ」


『それじゃ、機械的に判断したことをそのまま話した方がいい?』


「うーん、それはそれで」


『でしょ。どちらにしても文句は出るじゃない。だったら、普段から機械的に受け答えされてストレスを溜めるよりも、感情があるように話をしてもらって不満なく生きられる方がいいじゃない』


「言い返せない自分に腹が立つ」


『ちなみに聞くけど、機械的に判断して行動するような性格の人間と突き合うときって、ストレスを感じる?』


「あーそうだな、自分とは全然違うんだって思っていい気はしないかな」


『あたしの場合もそれと同じ不満じゃないかしら。ただ、あたしは人間じゃないからより拒絶感が出ているだけで』


「ちっくしょう、なんか自分の頭の中を覗かれて的確に反応されてるみたいだ」


『実際にあんたの体の中にいるし、考えもだだ漏れだけどね』


「いやもうホントに勘弁してくれよ!?」


 渋い顔をした守人が呻いた。自分の中にいるという時点でまるで勝てる気がしない。


「まぁでも、こうやって話をしている分には、アニマも人間と変わりないように思えるんだよなぁ。電子生命体フェアリーテイルってのが最高に怪しいんだけど」


『目に見えないもんねー』


「普段のあの妖精の姿ってのは仮の姿なんだよな」


『そーよ。あたしのお父さんがあの姿をくれたの。だから、視覚的な形になるときはあれが基本よ』


「なんであの姿なんだ?」


『人間に生き物だって認められるには、目に見える形があった方がいいからですって。更に言うと、女の子でかわいらしい見た目の方が認めてもらいやすいそうよ』


「何て言うか、随分とこう、戦略的だな。お前のその考え方って、実はお父さんに似たんじゃないのか?」


『あ、それはあるわよ! 色々と教えてもらったから!』


「マジかー」


 娘の育て方を間違ったのではないかと思った守人だったが、そこは言わないでおいた。この考えもアニマに漏れている可能性は高いが発言を控えるという意思も重要なのだ。


 守人は代わりに別の質問をぶつけてみる。


「アニマ、お前からフェアリーナビってどう見えるんだ?」


『そうねぇ、外側だけの空っぽな存在かしら。道具として作られたんだから別に悪くはないんだけど、生き物とは見られないわよね』


「お前からでもそう見えるんだ。あ、今の返答って、学習して模範解答を機械的に答えてるわけじゃないんだよな?」


『違うわよ。判断は機械的にしても、あたしにだって自分の考えや意見はあるんだから。でも、それは証明できないわよ。人間だって受け答えだけじゃその人の頭の中身がわからないし証明もできないのと一緒ね』


「確かにまぁ。となると、明彦があれだけフェアリーナビに入れ込んでいるのはどう思ってるんだ?」


『別になんとも思っていないわよ。だって個人の嗜好ですもの。ただ、アキヒコがフルダイブタイプのVRシステムにこだわる理由は理解できるわ』


「え、わかるのか?」


『自分が好意を持っている存在と同格になりたいのよ。人間って自分と同じものを近づけて違うものを遠ざける性質があるじゃない。でも、フェアリーナビゲーターはどうやってもデータ上の存在でしかない。だったら、自分がそちら側に行けばいいってね』


「うーん、わからんなぁ」


『無理に理解しなくても、そういう嗜好なんだって思っておけばいいのよ』


「ちなみに、疑似電子生命体ノンフェアリーテイルなんて分野があるそうだけど、あれはどうなんだ?」


『あたしから生命体の部分を引っこ抜いてぐるぐるに縛り付けた感じの存在ね』


「いきなりオカルトかホラーになったな」


『結局、道具としては生き物としての感情は余計なのよ。感情って、個体の生き残る可能性を個体なりに模索するためのものだから、外部からの束縛には条件反射で拒絶するようになっているんですもの。だから、あたしの実験で得た成果のドンガラの部分だけを使って、生き物にならないように縛り上げているんじゃない』


「なるほど、全然わからん」


『いいんじゃないの? フェアリーナビゲーターの基礎技術だってだけわかっていたら』


「あーもー、なんで俺はこんな話をしてるんだ」


『モリトがあたしのことを知りたいって言ったから、きゃー!』


「うるせぇぞ、アニマ!」


 最後に茶化された守人が悔しそうに叫んだ。しかし、頭の中に響く声は消えない。


 騒ぎはしばらく続き、守人の母親から注意メッセージが届くまで終わらなかった。

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