PJのログ1:報告、慰撫、忘却

 物が少ないのに何となく雑然だと思わせる部屋に一人の男がパイプ椅子に座っていた。高身長でなおかつ体格に恵まれた中年は腕を組んで薄暗い室内でじっとしている。


 角刈りの厳つい顔にある目は開いているので眠っているわけではない。では、ぼんやりと座っているだけなのかというとそれも違った。


 その目は硬質で生身の人間のものとは明らかに違う。動かない瞳の内側には何かしらの画像が映っていた。


 男は映像通信をしている真っ最中だ。義眼の内部に投射された半透明の通話相手は胸から上が立体表示されている。


『勤め人っていうのはどうにも窮屈だねぇ。高校の用務員は肩肘張らなくていいからまだましだけど』


「教師よりはマシだろ。生徒ガキの相手をしなくていいんだからな」


『直接はね。でも何が一番つらいかって、毎朝決まった時間に起きなきゃいけないことだよ。七時半出勤なんて気が狂ってる』


 奥が透けて見える立体映像の冴えない中年男が肩をすくめた。よれた作業服がやけに似合っている。


 通話相手と会話をしている男はその姿をそばから見ても口は動かしていない。脳髄以外を機械に置き換えたサイボーグは脳波を直接データ化して通話先に送る。逆もしかりだ。


「愚痴はいい。それよりも調査の結果を教えろよ、マサ」


『あの高校の旧北校舎から研究所跡に通じている階段は確かにあったよ。建造物は地下二階の構造で目的の金庫室は地下二階の奥、そっちからもらった資料の通りだった』


「でなきゃ困る。それで?」


『金庫室は銀行なんかで使うような金庫扉でしっかりと閉じられていた。丸形じゃなくて長方形の扉で、電子ロックタイプみたいだから通電させないといけない』


「電源設備を復旧させるのか、厄介だな。電源設備の場所は確認したのか?」


『したよ。確認したのは場所だけで設備の確認はまだだけどね。でもそれよりもっと厄介なことがあるんだ。しかも二つ』


「なんだ?」


『一つはセキュリティシステムの存在。資料にも不完全ながら載ってたけど、それらしい跡は確かにあった。問題は電源を復活させたら動くのかどうかだね』


「動くと見るべきなんだろうな」


『そうなると、僕たち二人だけじゃ対処は難しい』


「事前に潰すことはできそうか?」


『判明している分はね。ただ、わかっていない分は無理だよ。だから対処のための人集めは避けられない』


「わかった。それで、もう一つの方は?」


『金庫扉には入力装置がなかった。扉にはもちろん、周りの壁にもね』


「なんだと? それじゃどうやって開けるんだ?」


『僕も最初は途方に暮れたよ。でもよく調べてみると、金庫扉の中央に長方形の窪みがあるのを見つけたんだ。そこに何かをはめ込むようになっているらしい』


「入力装置を探す必要があるのか。面倒だな」


『窪みは浅かったから、たぶん昔流行したスマートフォン型の個人用端末機パーソナルデバイスみたいなのをはめ込むんだと思う』


「その口ぶりだと入力装置はまだ見つけていないんだな」


『あの研究所跡を一人でくまなく探せっていうのは無理だよ。それに、そもそも中にあるかどうかもわからないし』


「ちっ。厄介だが予想していたことだ。そうだ、どうせならオレも一度中を見ておきたい。明日にでも入れるか?」


『本当は申請しなきゃ部外者は入れられないんだけど、まぁ何とかするよ』


「よし、なら決まりだ」


 腕を組んでじっと座っていた男の体から力が抜けた。


 すると、マサと呼ばれた中年が少し慌てて声をかけてくる。


『PJ、ちょっと待ってくれ。さっきセキュリティシステムの対処で人を集めるべきだって僕は言ったけど、あてはあるのかい?』


「ある」


『ならいいんだけど、あんまり口の軽い連中を集めないでくれよ。人が増えると秘密は漏れやすいからね』


「その心配はしなくてもいい。労働者救済戦線って聞いたことあるか?」


『左翼の過激派だったかな。でも連中、半年前に壊滅したんじゃなかったのかい?』


「生き残りがいるんだよ。幸い、リーダーは警察の手を逃れて潜伏中だしな」


『その過激派のリーダーとつながりが?』


「前に一仕事してやったことがあるのさ」


『でも、ああいう連中は頭が固いから、こっちの言うことを聞くかな』


「聞くさ。半年前に組織を潰されて追い詰められているんだ。一発逆転できる方法があるってんなら乗ってくるに決まっている」


 不安がるマサに対してPJは自信ありげに返事をした。しかし、立体映像の半透明な中年の男の表情にはまだ不安が残っている。


「ケニーにはもう後がない。組織を立て直すにしても見知った仲間がいる方が絶対にいいだろ。だからこそ、政府を混乱させて仲間の解放の交渉しやすくしたいんだよ、連中は」


『連中が電子生命体フェアリーテイルを使って社会を混乱させたがっているのはそういうわけか』


「その通り。ヤツもうオレの話に乗るしかないんだよ」


『なるほどねぇ』


「納得したか? 他にも何か不安なことがあるってんなら今のうちに聞いてくれ。後になってごちゃごちゃ言われるのはイヤなんだ」


『だったらもう一つだけある。電子生命体フェアリーテイルについてなんだ』


「おいおいそこからかよ。前にも話してやっただろ」


『あれから僕も少し調べてみたんだけど、どうにも怪しい話ばっかり出てきてね。この話から降りるほどじゃないけれど、不安が残るんだ』


「ちっ、まぁ普通はそういう反応になるのはわかるんだけどよ」


 顔をしかめたPJが苛立たしげにマサへと言葉を返した。


 電子生命体とは、二十一世紀前半に発達したAIを元に第三次世界大戦中の研究で偶然誕生した代物だ。当時ネットワーク空間で盛んに行われていたハッキングやクラッキングに対処するため、自発的に敵のサイバー攻撃を防ぐ仕組みを開発していたのである。


 誕生した電子生命体には様々な実験が繰り返された。その結果、人間よりもはるかに優れた能力で電子機器やネットワークを意のままに操り、通電する場所ならどこにでも移動できる。関係者の期待以上にハッキングやクラッキングに対処してみせたのだ。


 ところが、予想以上だったのは人間にとって都合の良い部分だけではなかった。


 まず、自意識を持っていることが問題となる。人間の指示を拒否して自分勝手に活動することが多かった。


 また、進化にも制限がなく、その速度が速かったのも問題視される。しかも、人間がプロテクトをかけたとしてもすぐに解除してしまうのだ。


 最後に、通電できる場所ならどこにでも移動できるということは人間の肉体にも入ることができるということである。事実、その電子生命体は人体に侵入し、生死を問わず操ることができた。


 研究成果としては期待以上であった電子生命体だが、その存在は人間にとってあまりにも危険だとも証明してしまう。そのため、戦後は研究そのものが破棄され、誕生した電子生命体は処分された。


 そんな電子生命体は、実は生き延びてどこかに隠れているのではないかという噂が現在まで盛んに各地で吹聴されている。もちろん、そんなものなど実は生まれていなかったという反論も根強いが、それだけ噂が広まっている証拠だ。


 PJはマサのやる気を引き出すために力説する。


「確かにこれ系の話にはガセが多い。しかしだ、オレが掴んでるネタは違うぜ。何しろ政府のデータベースからいただいてきたヤツだ。間違いない」


『表向きは全部処分したことになっているけど、実はって前に言っていたっけ』


「そうさ。いくらヤバくても利用価値があるモンを全部処分するわけないだろ?」


『まぁそこは同意できるかな』


「だろ?」


『ただ、何十年も前の技術が現在でも通用するのかな。今はこの成果を元に発展した疑似電子生命体ノンフェアリーテイルやフェアリーナビがあるじゃないか』


「あれは制限付きだろ。無限に進化する電子生命体バケモノの方が最後は勝つさ。今も研究が禁止されているのがその証拠だろ」


『なるほどねぇ。とりあえずは納得したよ。だからあと二つだけいいかい?』


「まだあるのかよ?」


『一つは、なんでそんなヤバいのがあんな廃墟にあるんだ? もっと厳重なところに保管すべきだろう』


「適度に管理されているが、誰もそんなとこにあるとは思わないなんてところは盲点になるだろ。学校の中にある廃墟になんて普通は誰も入ろうとしないからな」


『確かに。となると、あの妨害電波にも何か意味があるのかな?』


「なんだ? どうした」


『その研究所跡に通じる旧北校舎の屋上に電波妨害装置があって、あの辺りを覆っているんだ。聞いた話だとプールの覗き対策ということだったが』


「そんなモンまであるのか。ますます確実だろ。というか、それも報告しろよ」


『地下にある研究所跡とは関係ないと思ったんだ。別に隠していたわけじゃない』


「わかったわかった。で、もう一つの疑問ってのはなんだ?」


『そんなものをどうやって利用するんだい? 話によると、そいつは自分勝手に動くんだろう?』


「いい質問だな。実はちゃんとヤツを押さえる制御プログラムがあるんだよ」


『本当かい?』


「政府のデータベースから手に入れたのは資料だけじゃないってことさ」


『それが本当なら言うことはないけど、そんなものがあるんだったら政府も使えばいいのにねぇ』


「しょせん臆病な連中ばっかりなんだよ。だが、オレたちは違う。そうだろ?」


『管理する方法があるのならいいよ。ということは、このまま仕事を進めていけばいいわけだね』


「そうだ。任せたぞ」


『わかった。明日は夕方に学校の裏門まで来てくれ。迎えに行くよ。それじゃ』


 すっきりとした表情になった半透明のマサが挨拶を終えると立体映像が消えた。


 薄暗い室内に目を向けたPJが小さくため息をつく。組んでいた腕を解いて背もたれに体を預けた。パイプ椅子が軋みを上げる。


「まったく、疑り深い野郎だな。あんなつまんねぇこと言いやがって」


 先程の冴えない男の顔を思い出してPJは顔をゆがめた。この計画を聞いたときに面白そうだと言って乗ってきた後で、あんな今更な質問ばかりされてはたまらない。


「とはいえ、計画が順調に進んで今更ながらビビッてんのかもしれねぇ。うまくいけば世界を変えられる道具が手に入るんだ。ある意味真っ当な反応か」


 しょせんその程度の小物かと小さくつぶやいたPJは面白そうに笑った。


 椅子に座ったままのPJは義眼内部にメモを表示する。


 過激派のリーダーであるケニーとの交渉は有利に進めていた。後は返事待ちの状態である。高校に潜入しているマサとの打ち合わせは今終わった。


 細かい作業は他にいくつもあるが、さしあたってやるべきことは一つである。


「とりあえず確定してるやつだけでも頼んでおくか」


 独りごちながらPJは予定表に加えてメッセージアプリを立ち上げた。そこへ組み上げた文章を貼り付けていく。最低限の単語のみなので五秒もかからない。


 宛先リストを開けると中からスキレナという文字を選ぶ。次いで暗号強度を最高に設定して送信した。十秒後、OKという単語が返ってくる。


「これでよし。大きな問題はあるが、とりあえず計画は進んでるな」


 機嫌良く息を吐き出したPJは笑顔を浮かべた。


 マサとは違い、スキレナとの付き合いは割と長い。頻繁にやり取りをする仲ではなくて必要なときに利用し合う程度ではあったが、その仕事ぶりに疑問はなかった。


 そんなスキルナと最後に会ったのは夏頃である。サイボーグボディのオーバーホールを依頼したときだ。特に激しい仕事をした後などはボディが痛むことがあるので修理と調整を任せるのだ。やはり腕の良い専門の技師に頼むのが一番である。


 少し前の記憶を思い出したPJは違和感を覚えた。何か違うように感じる。


「何だ? 他にも何か頼んでなかったか?」


 首を傾げたPJだったが、いくら思い出そうとしても思い出せなかった。何となく気分が悪くなる。


 しかし、それもメッセージアプリに着信があることで気が逸れた。ケニーからである。内容は望むとおりのものだった。重要な件が一つ片付いて思わず顔が笑う。


「いぃよし! 計画は完璧に進んでるじゃねぇか。いいねぇ。やっぱこうでなきゃな」


 思惑通り事が運べたPJの機嫌は良くなった。パイプ椅子から立ち上がってガッツポーズをする。


 その様子は先程までの疑問など最初からまったくなかったかのようだった。

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