第1話「雪の日の訪問者」

 バラエティ番組が終わりの合図に流すスタッフロールに反応して立ち上がる。一時間以上も寄り添っていたコタツからあっさり離れ、いそいそと居間を出た。


「うー」


 廊下に出た途端襲ってくる冷気に声が出る。せっかく温まった体が外側からすごい早さで冷えていくのがわかる。

 この先はもっと寒い。

 でも行かなければとすりすりと手をあわせながら足音を鳴らし、猫背で廊下を歩く。

 玄関前で立ち止まり、引き戸タイプである我が家の玄関口と対峙する。でも視線は下の方。まだかなーと思いながらそちらをじっと見る。


「……さぶい」


 玄関の戸は一際強い冷気を発している。外から冷気の大群が押し寄せるのをこの一枚の戸が必死に防いでくれているわけだが、残念ながら隙間からの冷気は抑えきれていない。コタツで稼いだ身体の中のあったかいをあっという間に奪う。


「――お」


 少しすると曇りガラスに小さくて白い影が。そしてカリカリと戸を引っ搔く音が。

 間違いないので「はいはーい」と玄関の鍵を外す。開けないとずーっとカリカリするので早くしないと戸が傷だらけになってしまう。

 ガラッと開けて「こんばんは先生」と見下ろす。

 笑顔で出迎えたのは私を見上げる雪のように真っ白な一匹の猫。


「こんばんは」


 その子がふつーに日本語で返す。

 もちろん私の声ではない。腹話術なんてものは使ってない。

 この白猫が人間の、女性の声を発している。


「今日も寒いね」


 先生は少しも寒くなさそうな顔で言う。猫ゆえなのか表情があまり変わらない。いつもおんなじ顔。こちらがスマイルで迎えてもスマイルで返すなんてことはない。人語を話せるのに表情は人並みにはできない。

 そんな先生を「どうぞー」と家に招き入れ、戸を閉める。

 閉める前にちらっと見上げた空からは真っ白い雪が音もなく降りてくる。


 風のない、静かな雪の夜……。

 先生と初めて会った日もこんな夜だった。


「今日はちょっと遅かったですね」

「寄り道してたの」


 外はかなり雪が積もっているけれど先生の歩行に困難はない。遅れた理由はそういうことかと納得する。

 中に入るとぴょんと跳ねて玄関を上がる先生。そのままスタスタと前進して居間の方へと向かっていく。


「もしかしてまたエリちゃんのところですか?」と、その背中を追いかけながら尋ねる。

「そ」と言いながら先生はこちらを振り返ることなく前進。


 エリちゃんとは町の新参者であるシャム猫のことだ。港付近にある公園で捨てられたのか一匹ぽっちで震えているところを近所の人が拾ってくれた。

 しかし安全な家の中とはいえ、不慣れな環境にまだ子猫のエリちゃんは戸惑っているらしい。 そこで先生は彼女を落ち着かせる為にわざわざお家を尋ねているのだとか。


 ――ほんと。面倒見がいい。


 依頼があったわけでもないのにと、廊下を歩くお猫良しな先生の猫背を見る。

 ちなみに先生の足は拭く必要がない。

 なぜか先生は足を汚さない。どんなにすごい雪が降っても少しも雪を被ってくることがない。おおよそ汚れというものがこの猫には付かない。

 だったら寒さも防げそうな気もするのだが、それだけはどうにも無理らしい。何回会っても先生のそういう謎は解明しない。

 でもまぁ、猫がしゃべるところからもはやおかしいのだ。そんな小さな謎なんて気にする理由はないかと思っている。人間の順応力強し。

 居間に戻ると先生はこちらにお尻を向けてコタツの中にいそいそともぐりこむ。

 これもいつも通りの光景。コタツの中に体を入れたら向きを変え、居間の入り口付近に立つ私と向かい合うように顔だけスポッと出してから目をつむる。


「……」


 そしてじーっと温まる。

 このまま朝まで寝てしまいそうだが先生はうちで寝たことは一度もない。

 我が家に来るとまずはこれ。終わるまで私も温まって待つ。


「――今日も雪降ってますね」


 先生が顔を出しているのとは反対側に座り、猫と雑談タイム。


「暖かい土地に住みたい。沖縄とか」

「あったかくても色々大変みたいですよ。台風は多いし大きなゴキブリは出るしで」

「……それくらいならへーきかな」

「熱中症の心配もこっちより多いみたいです」

「……」


 南国よりも雪国の方がいいと結論が出たようだ。

 私的にも先生の外見は沖縄よりも雪国の方がマッチしていると思う。雪のように真っ白な毛色は沖縄には合わない。


「先生。お茶飲みます?」

「いい」


 先生がうちで何かを食べたり飲んだりは一度もない。

 何か出そうとしてもいつもこう返す。唯一ホットミルクを出そうとしたときだけは「ミルク嫌い」と返した。子供の頃に観たアニメに出てくる猫達はいつもミルクを好んで飲むシーンが多かったが、あれはアニメの中の話だった。


「――そうそう。この前話した小説の実写映画化観てきましたよ」

「好きな作品って言ってたやつ?」

「そうです。原作崩壊でした」

「ショック?」

「うーん。昔はそういうの嫌だなーって思ったりはありましたけどね。耐性がついたのか今はなんとも思わなくなりました。まぁ、制作側にも色々あるんだろうなって。脚本書く人や役者さんも大変なんだろうなぁーって」

「ふむふむ」


 雑談が20分ぐらいした頃。スルスルと先生がコタツから出てくる。そしてノソノソと私の方へ。


 ――お、始まる。


 コタツの中で温めていた手を出し、机の上に用意してあるものを手に取る。

 それは竹製の先端がゆるやかに尖った二本の棒針。編み棒とも呼ばれるそれは緑色の毛糸を絡めてバツ印を描くように交差している。前回やれと言われた宿題を済ませた状態だ。

「どうです?」と自信を持ってそれをみせる。うんと言って先生は私の横に置いてある土台の上にぴょんと乗る。ブランケットの敷かれたそれは先生の為に私が用意したものだ。

「――いいわね」

 お座りのポーズで宿題を覗き込む。まるで神社の鳥居前にいる狛犬かお稲荷様みたいなそれは私の手つきを見る為の体勢だ。

 そう。この猫先生は編み物の先生なのだ。

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