うちの同居重戦士さん

灯倉日鈴

第1話 重戦士と女子高生の日常

 ガション、ガション。


 閑静な夜の住宅街に、今日も重厚な金属音が鳴り響く。


「ふぃ~、飲み過ぎちゃったよ~」


 くたびれたスーツを着崩し、ネクタイを頭に巻いて上機嫌で鼻歌を歌っていたサラリーマンは、前方から歩いてきた白銀の塊に、思わず「ひっ!」と叫んで電柱に飛びつく。

 突然の異形との遭遇に、柴犬と散歩中だったジャージ姿の女性は、愛犬を抱えて民家の壁まで後退る。


 ガション、ガション。


 街灯の黄色い光に照らされて、燦然と輝く全身甲冑プレートアーマー


 ――重戦士。


 ファンタジーをかじったことがある者なら、彼の職業にすぐ気がつくであろう。

 硬い金属鎧で完全武装した彼が向かった先は、一棟のアパートだ。

 築年数が半世紀を優に超えた二階建て木造アパートの外階段を、重戦士は躊躇いなく上っていく。

 錆だらけの階段は、爪先まで装甲厚い鎧に踏みしめられるたびに、軋んだ悲鳴を上げている。

 二階に到着した彼は、一番端の『201』のプレートの貼られたドアの前に立った。篭手ガントレットからわずかに覗く革手袋の指先でチャイムを押そうとした……刹那。


「おかえりなさい!」


 内側からドアが開き、一人の少女が顔を出した。

 艶やかなポニーテールの毛先が肩口で揺れる。セーラー服の上にオレンジのエプロンを纏った彼女は、彼を見るなりぷくっと頬を膨らませた。


「また鎧のまま階段上りましたね? 重さで階段が崩れたらどうするんですか。大家さんに怒られるし、落ちたらリクトさんが危ないんですからね」


「それは重々承知の上だ。しかし一花いちか殿、俺にとって鎧は服と同じ。裸で往来を歩けというのか?」


「実際は中に服着てるんだから問題ないです。むしろ甲冑の方が通報されますよ」


「むう。今日も衛卒に尋問された」


「『警察官』から『職務質問』を受けた、です。こんな怪しい人を見逃す方が不自然ですよ」


 お仕事お疲れ様です、と一花は心の中で派出所方向にお辞儀する。


「とにかく、冷めないうちにご飯食べましょう。温め直すと光熱費がもったいない」


「そうだな」


 リクトと呼ばれた重戦士は部屋に入ろうとして、


「何回も言ってるけど、靴は脱いでくださいよ。ここは日本なんだから」


「むう」


 少女の小言に一歩踏み出した格好で宙に足を止め、兜の奥から不本意そうな声を出す。渋々上がりかまちに腰掛け、鉄靴サバトンを外して革靴を脱ぐ。大きな体を小さく屈めて作業するものだから、全身甲冑のあちらこちらが擦れてガシャガシャと金属音が溢れ出す。


「うるさいなー、もー!」


 一花は堪らず耳を塞いだ。


「もっと静かに動いてください。下階したの田中さん、もう寝てる時間なんですからね」


 苦情が来たらどうしてくれるんだと訴えるセーラー服に、鎧はしょんぼり身を縮める。


日本ここは生きづらいな」


それを着なければ、そこそこ快適ですよ」


 落ち込む重戦士を適当にあしらって、一花は味噌汁をよそう。

 六畳一間の真ん中で、ちゃぶ台を挟んで向かい合う制服の女子高生とゴツい鎧の重戦士。


「「いただきます」」


 手を合わせて箸を取る。

 今日のメニューは白米と味噌汁と筑前煮、大根の皮の漬物に焼き鮭だ。


「リクトさん、脛当てグリーブしたまま正座して痛くないんですか?」


 重戦士と暮らすようになってから、一花はやたらと鎧の部位に詳しくなっていた。


「これも修行の内だ。それより一花殿、俺の名前はリェクトォクヮーヴォルなのだが……」


「長くて発音が難しいので『リクトさん』でいいです」


「むう」


 釈然としない唸り声を出しながら、長い名前の重戦士は面頬を少しだけ上にずらした隙間から蓮根を口に入れる。


「この煮物、美味いな」


「田中さんからのおすそ分けですよ」


 階下の住人の施しに、リクトは愕然とする。


「いつも騒音で迷惑を掛けている俺に、なんと優しい心遣いを! あの御婦人は女神の化身か?」


「はいはい、自覚があるなら騒がないでくださいねー」


 大げさに感動する重戦士に女子高生は冷静にツッコむ。


「田中さんが言ってましたよ。この前外で会った時、重い荷物を持ってくれたお礼だって。特売日で買いすぎたから助かったって、リクトさんにすごく感謝してました」


 一花の言葉に、リクトは真面目な声で返す。


「それは偶然帰り道が一緒になっただけだ。こんなに素晴らしい晩の糧をいただくようなことはしていない」


「……」


 この人って、なんで他人から受けた恩より自分が送った恩の方が比重が軽いんだろ? と内心一花は首を捻る。


「一花殿にも、いつも感謝している。ここに置いてくれてありがとう」


 改めて言われると、頬が熱くなる。一花は赤くなる顔を見られないようにそっぽを向いた。


「まあ、世の中持ちつ持たれつですから」


 それは本当で。この珍妙な異世界人と暮らし始めたことで、一花にも有益なことがある。例えば……。


「おお、そうだ」


 リクトは思い出したように胴甲の繋目に手を入れた。


「遅れてすまない。今月の家賃だ」


「はい、確かに」


 差し出された封筒を両手で受け取る。一人暮らしが二人暮らしになり、家賃が折半できることが、一花の最大のメリットだ。……その代わり、食費と光熱費は跳ね上がったのだけど。


「今日はどんなお仕事されたんですか?」


「隣町の商業施設のイベント警備。何故だか出演者より多く写真を撮られた気がするぞ」


「リクトさん、出演者より目立ちますもんね」


 ぐったりする異世界の重戦士に、地球の女子高生は苦笑する。


 ――日本各地に異世界トツエルデに通じる“扉”が開き始めたのは、つい数ヶ月前のこと。一見ただの穴にしか見えないこの扉の発生は、場所も日時も不規則で、数分で消滅してしまう。大抵が出現したことすら気づかれないが、ごくれにトツエルデから日本に迷い込んでしまう者もいる。

 リクトもその一人だった。

 今から三ヶ月前。都心から電車で小一時間ほどの某県東風野川こちのがわ市に、異世界の扉が開いた。当時、トツエルデの洞窟を探検していたリクトは、明るい光に誘われるように日本への扉をくぐり……振り向いた時には、帰り道が消えていたという。

 個人情報の観点から政府は公式発表を控えているが、現在日本に滞在するトツエルデ人は十数人いるらしい。


「自慢の大剣も異世界漂着民特別法で没収は免れたものの、外に持ち出したら銃刀法違反ですからね。そろそろ鎧を脱いで生活しては? トツエルデの金属って高く売れるらしいですよ」


 同居人の提案に、リクトは兜の中の顔を青くする。


「売るなんて、ふざけたことを言うな! 全身甲冑は俺の命。元の世界に戻れなくても、トツエルデの魂は捨てん!!」


 激昂して立ち上がった彼に、一花はびくりと肩を震わせる。


「ご……ごめんなさい。無神経でした」


「いや、俺の方こそ大人気なかった」


 項垂れる少女に気まずい咳払いをして、重戦士は座り直そうとして……腰を屈めた途端、バランスを崩して畳に横倒しになった。

 ……足が痺れたんだろうなぁ……。

 ドシンと床を揺るがす重低音に、明日は田中さんに謝りに行こうと一花は心に決めた。

 無言で起き上がって正座し直すリクトを、一花は武士の情けと見ないふりをする。


「ところで、一花殿は今日は何を……」


 空気を変えようと新しい話題を振る重戦士だったが……。

 小鉢から捉えようとした里芋が、つるりと箸から逃げた。


「……」


 憮然とした雰囲気で、リクトがもう一度箸を伸ばす。しかし、ぬめりけを纏った楕円の小芋は一向に二本の棒の間に挟まらない。


「ふぬーっ! ふぬーっ!!」


 沸騰寸前の重戦士に、女子高生は慌てて助け船を出す。


「無理して箸を使わなくても。フォークとスプーン持ってきますね」


 西洋風の食生活を送ってきた異世界人に、いきなりチョップスティックは厳しい。席を立とうとする一花に、リクトは片手を広げて待ったをかける。


「いや、いい。余計な洗い物を増やして水道代を上げるわけにはいかん」


 異世界人のくせに倹約を心得ている。


「それに、日本の文化を学んで帰れば、トツエルデへのいい土産になる」


 辿々しい握り箸で里芋を突き刺すリクトに、一花は自然と笑みが零れる。ちょっと変わった人だけど、誰かとご飯を食べるのはやっぱり楽しい。


「お皿を片付けたら、お風呂に行きましょう。リクトさん、バスタオル出しておいてください」


 皿をシンクに持っていく一花と、銭湯に行く準備を始めるリクト。このアパートにはトイレは付いているが風呂はない。 

 カラーボックスから着替えのスウェット上下を取り出す重戦士に、エプロンの少女が声を掛ける。


「リクトさん、鎧は置いていったらどうですか。どうせ脱衣所で脱ぐんでしょ?」


「しかし、鎧を脱いで往来を歩くなど、服を着てないも同じ――」


「――じゃないです。布の服着てます。大体、お風呂で温まった体に鎧を着たら暑くないんですか?」


「程良く蒸されるな」


「……歩く一人用サウナにならないでください」


 家に帰るまでに汗だくになったら本末転倒だ。


「いいから、脱いでくださいよ!」


「ダメだ。剣もないのに鎧まで剥がされたら不安だ!」


 無理矢理脱がそうと引っ張る一花に、リクトは両手で兜を押さえて抵抗する。


「なにがそんなに不安なんですか? リクトさんは武器や防具がなくたって、十分強いんでしょう!?」


 だって異世界トツエルデ最高位の冒険者だったんだから!

 ムキになる一花に、リクトはぼそっと、


「知らない世界で万全な準備もせずに出歩いて、もしもの時に一花殿を守れなかったら、俺は一生後悔する」


「……っ」


 聞いた瞬間、兜から手を離した一花は真っ赤になってうずくまる。


(わ……わたしの為にって……!)


 いきなりの姫扱いに、免疫のない女子高生は大いに混乱したのだった。


 ……と、いうことで。

 なんだかんだで、完全武装を容認してのお風呂帰り。

 甲冑の隙間から湯気を噴き出させる重戦士と、狸のイラストがプリントされたパーカーを着た少女が並んで歩く。


「帰りにコンビニでアイス買って帰りましょうか」


 薄桃色の火照った頬を向け、一花が言う。


「いいのか? 『ウチハビンボーデセツヤクチュー』なのだろう?」


 一花の口癖を呪文のように唱えるリクトに、節約少女は苦笑する。リクトの倹約体質は一花譲りだ。しかし、


「今日はリクトさんが家賃入れてくれたから、ちょっとだけ贅沢です」


 何にしても特例はつきものだ。

 二人はアパートの近くのコンビニに揃って足を向ける。


「わたしは断然チョコミント! リクトさんは?」


「俺は……」


 和気藹々と自動ドアをくぐった、瞬間。


「っしゃいませー! すいませーん、ヘルメットは外してご入店くださーい!」


 …………。

 結局、リクトは店の外で待っていることになった。

 そして……一花がコンビニを出た時には、リクトは二人の警官に職質を受けていましたとさ。


「うう。日本、世知辛い……」


「まあ、しっかりパトロールしてくれてありがたいですよ」


 項垂れる背の高い重戦士の肩を、少女は背伸びしてポンポン叩いて慰める。


「でも、コンビニの店員さんが言ってましたよ。リクトさんが住むようになってから、この界隈の不審者が激減したって。リクトさんは街の治安維持に貢献してますよ」


「……本当か?」


「本当です」


 途端に明るいオーラを放つ全身甲冑に、一花は作り笑いを張り付かせる。

 ……最強の不審者が現れたせいで、雑魚が一掃されたなんて言えない……。


「さ、早く帰ってアイス食べましょ。リクトさんのはシュガーコーンのソフトクリームにしましたよ」


「一花殿はいつものハミガキコ味か」


「それ、次言ったら家追い出しますからね?」


「……すまない。調子に乗った」


 異世界人はちゃんと謝れる子だった。


◆ ◇ ◆ ◇


 お風呂上がりのデザートタイムが終わると、そろそろ就寝時間だ。

 部屋の真ん中にカーテンの仕切りをして、各自で布団を敷く。


「一花殿はまだ寝ないのか?」


 カーテン越しにスタンドの淡い光が見えて、リクトが声を掛ける。


「来週テストだから少し勉強しとこうと思って。眩しいですか?」


 聞き返されて、「いいや」と答える。


「俺は竜巻の中でも眠れる」


「……起きれなくなるんじゃないですか? それ」


 出来れば安全な場所で寝てほしい。


「無理をせぬように」


「はーい。おやすみなさい」


 会話が終わると、ガションガションと鎧を外す音がする。


「大地の神よ、今日も一日無事に過ごせたことに感謝します」


 異界の地に降り立った彼が自分の世界の神に祈りを捧げる声を聞きながら、一花は教科書を捲る。

 一段落したところで、小さくあくびをしてスタンドのスイッチを切った。暗闇の中、毛布を顎まで引き上げて耳を澄ます。隣から聞こえる寝息に安心して、この世界の少女は目を閉じる。そして取り立てて何も信じていないけど、どこかに心の中で願う。


 ……明日も、良い日でありますように。


 ガション、ガション。


 閑静な夜の住宅街に、今日も重厚な金属音が鳴り響く。


「ふぃ~、飲み過ぎちゃったよ~」


 くたびれたスーツを着崩し、ネクタイを頭に巻いて上機嫌で鼻歌を歌っていたサラリーマンは、前方から歩いてきた白銀の塊に、思わず「ひっ!」と叫んで電柱に飛びつく。

 突然の異形との遭遇に、柴犬と散歩中だったジャージ姿の女性は、愛犬を抱えて民家の壁まで後退る。


 ガション、ガション。


 街灯の黄色い光に照らされて、燦然と輝く全身甲冑プレートアーマー


 ――重戦士。


 戦記物やファンタジー好きなら、彼の職業にすぐ気がつくであろう。

 硬い金属鎧で完全武装した彼が向かった先は、一棟のアパートだ。

 築年数が半世紀を優に超えた二階建て木造アパートの外階段を、重戦士は躊躇いなく上っていく。

 錆だらけの階段は、爪先まで装甲厚い鎧に踏みしめられるたびに、軋んだ悲鳴を上げている。

 二階に到着した彼は、一番端の『201』のプレートの貼られたドアの前に立った。篭手ガントレットからわずかに覗く革手袋の指先でチャイムを押そうとした……刹那。


「おかえりなさい!」


 内側からドアが開き、一人の少女が顔を出した。

 艶やかなポニーテールの毛先が肩口で揺れる。セーラー服の上にオレンジのエプロンを纏った彼女は、彼を見るなりぷくっと頬を膨らませた。


「また鎧のまま階段上りましたね? 重さで階段が崩れたらどうするんですか。大家さんに怒られるし、落ちたらリクトさんが危ないんですからね」


「それは重々承知の上だ。しかし一花いちか殿、俺にとって鎧は服と同じ。裸で往来を歩けというのか?」


「実際は中に服着てるんだから問題ないです。むしろ甲冑の方が通報されますよ」


「むう。今日も衛卒に尋問された」


「『警察官』から『職務質問』を受けた、です。こんな怪しい人を見逃す方が不自然ですよ」


 お仕事お疲れ様です、と一花は心の中で派出所方向にお辞儀する。


「とにかく、冷めないうちにご飯食べましょう。温め直すと光熱費がもったいない」


「そうだな」


 リクトと呼ばれた重戦士は部屋に入ろうとして、


「何回も言ってるけど、靴は脱いでくださいよ。ここは日本なんだから」


「むう」


 少女の小言に一歩踏み出した格好で宙に足を止め、兜の奥から不本意そうな声を出す。渋々上がりかまちに腰掛け、鉄靴サバトンを外して革靴を脱ぐ。大きな体を小さく屈めて作業するものだから、全身甲冑のあちらこちらが擦れてガシャガシャと金属音が溢れ出す。


「うるさいなー、もー!」


 一花は堪らず耳を塞いだ。


「もっと静かに動いてください。下階したの田中さん、もう寝てる時間なんですからね」


 苦情が来たらどうしてくれるんだと訴えるセーラー服に、鎧はしょんぼり身を縮める。


日本ここは生きづらいな」


それを着なければ、そこそこ快適ですよ」


 落ち込む重戦士を適当にあしらって、一花は味噌汁をよそう。

 六畳一間の真ん中で、ちゃぶ台を挟んで向かい合う制服の女子高生とゴツい鎧の重戦士。


「「いただきます」」


 手を合わせて箸を取る。

 今日のメニューは白米と味噌汁と筑前煮、大根の皮の漬物に焼き鮭だ。


「リクトさん、脛当てグリーブしたまま正座して痛くないんですか?」


 重戦士と暮らすようになってから、一花はやたらと鎧の部位に詳しくなっていた。


「これも修行の内だ。それより一花殿、俺の名前はリェクトォクヮーヴォルなのだが……」


「長くて発音が難しいので『リクトさん』でいいです」


「むう」


 釈然としない唸り声を出しながら、長い名前の重戦士は面頬を少しだけ上にずらした隙間から蓮根を口に入れる。


「この煮物、美味いな」


「田中さんからのおすそ分けですよ」


 階下の住人の施しに、リクトは愕然とする。


「いつも騒音で迷惑を掛けている俺に、なんと優しい心遣いを! あの御婦人は女神の化身か?」


「はいはい、自覚があるなら騒がないでくださいねー」


 大げさに感動する重戦士に女子高生は冷静にツッコむ。


「田中さんが言ってましたよ。この前外で会った時、重い荷物を持ってくれたお礼だって。特売日で買いすぎたから助かったって、リクトさんにすごく感謝してました」


 一花の言葉に、リクトは真面目な声で返す。


「それは偶然帰り道が一緒になっただけだ。こんなに素晴らしい晩の糧をいただくようなことはしていない」


「……」


 この人って、なんで他人から受けた恩より自分が送った恩の方が比重が軽いんだろ? と内心一花は首を捻る。


「一花殿にも、いつも感謝している。ここに置いてくれてありがとう」


 改めて言われると、頬が熱くなる。一花は赤くなる顔を見られないようにそっぽを向いた。


「まあ、世の中持ちつ持たれつですから」


 それは本当で。この珍妙な異世界人と暮らし始めたことで、一花にも有益なことがある。例えば……。


「おお、そうだ」


 リクトは思い出したように胴甲の繋目に手を入れた。


「遅れてすまない。今月の家賃だ」


「はい、確かに」


 差し出された封筒を両手で受け取る。一人暮らしが二人暮らしになり、家賃が折半できることが、一花の最大のメリットだ。……その代わり、食費と光熱費は跳ね上がったのだけど。


「今日はどんなお仕事されたんですか?」


「隣町の商業施設のイベント警備。何故だか出演者より多く写真を撮られた気がするぞ」


「リクトさん、出演者より目立ちますもんね」


 ぐったりする異世界の重戦士に、地球の女子高生は苦笑する。


 ――日本各地に異世界トツエルデに通じる“扉”が開き始めたのは、つい数ヶ月前のこと。一見ただの穴にしか見えないこの扉の発生は、場所も日時も不規則で、数分で消滅してしまう。大抵が出現したことすら気づかれないが、ごくれにトツエルデから日本に迷い込んでしまう者もいる。

 リクトもその一人だった。

 今から三ヶ月前。都心から電車で小一時間ほどの某県東風野川こちのがわ市に、異世界の扉が開いた。当時、トツエルデの洞窟を探検していたリクトは、明るい光に誘われるように日本への扉をくぐり……振り向いた時には、帰り道が消えていたという。

 個人情報の観点から政府は公式発表を控えているが、現在日本に滞在するトツエルデ人は十数人いるらしい。


「自慢の大剣も異世界漂着民特別法で没収は免れたものの、外に持ち出したら銃刀法違反ですからね。そろそろ鎧を脱いで生活しては? トツエルデの金属って高く売れるらしいですよ」


 同居人の提案に、リクトは兜の中の顔を青くする。


「売るなんて、ふざけたことを言うな! 全身甲冑は俺の命。元の世界に戻れなくても、トツエルデの魂は捨てん!!」


 激昂して立ち上がった彼に、一花はびくりと肩を震わせる。


「ご……ごめんなさい。無神経でした」


「いや、俺の方こそ大人気なかった」


 項垂れる少女に気まずい咳払いをして、重戦士は座り直そうとして……腰を屈めた途端、バランスを崩して畳に横倒しになった。

 ……足が痺れたんだろうなぁ……。

 ドシンと床を揺るがす重低音に、明日は田中さんに謝りに行こうと一花は心に決めた。

 無言で起き上がって正座し直すリクトを、一花は武士の情けと見ないふりをする。


「ところで、一花殿は今日は何を……」


 空気を変えようと新しい話題を振る重戦士だったが……。

 小鉢から捉えようとした里芋が、つるりと箸から逃げた。


「……」


 憮然とした雰囲気で、リクトがもう一度箸を伸ばす。しかし、ぬめりけを纏った楕円の小芋は一向に二本の棒の間に挟まらない。


「ふぬーっ! ふぬーっ!!」


 沸騰寸前の重戦士に、女子高生は慌てて助け船を出す。


「無理して箸を使わなくても。フォークとスプーン持ってきますね」


 西洋風の食生活を送ってきた異世界人に、いきなりチョップスティックは厳しい。席を立とうとする一花に、リクトは片手を広げて待ったをかける。


「いや、いい。余計な洗い物を増やして水道代を上げるわけにはいかん」


 異世界人のくせに倹約を心得ている。


「それに、日本の文化を学んで帰れば、トツエルデへのいい土産になる」


 辿々しい握り箸で里芋を突き刺すリクトに、一花は自然と笑みが零れる。ちょっと変わった人だけど、誰かとご飯を食べるのはやっぱり楽しい。


「お皿を片付けたら、お風呂に行きましょう。リクトさん、バスタオル出しておいてください」


 皿をシンクに持っていく一花と、銭湯に行く準備を始めるリクト。このアパートにはトイレは付いているが風呂はない。 

 カラーボックスから着替えのスウェット上下を取り出す重戦士に、エプロンの少女が声を掛ける。


「リクトさん、鎧は置いていったらどうですか。どうせ脱衣所で脱ぐんでしょ?」


「しかし、鎧を脱いで往来を歩くなど、服を着てないも同じ――」


「――じゃないです。布の服着てます。大体、お風呂で温まった体に鎧を着たら暑くないんですか?」


「程良く蒸されるな」


「……歩く一人用サウナにならないでください」


 家に帰るまでに汗だくになったら本末転倒だ。


「いいから、脱いでくださいよ!」


「ダメだ。剣もないのに鎧まで剥がされたら不安だ!」


 無理矢理脱がそうと引っ張る一花に、リクトは両手で兜を押さえて抵抗する。


「なにがそんなに不安なんですか? リクトさんは武器や防具がなくたって、十分強いんでしょう!?」


 だって異世界トツエルデ最高位の冒険者だったんだから!

 ムキになる一花に、リクトはぼそっと、


「知らない世界で万全な準備もせずに出歩いて、もしもの時に一花殿を守れなかったら、俺は一生後悔する」


「……っ」


 聞いた瞬間、兜から手を離した一花は真っ赤になってうずくまる。


(……騎士道っ! これが騎士道精神かっ!!)


 いきなりの姫扱いに、免疫のない女子高生は大いに混乱したのだった。


 ……と、いうことで。

 なんだかんだで、完全武装を容認してのお風呂帰り。

 甲冑の隙間から湯気を噴き出させる重戦士と、狸のイラストがプリントされたパーカーを着た少女が並んで歩く。


「帰りにコンビニでアイス買って帰りましょうか」


 薄桃色の火照った頬を向け、一花が言う。


「いいのか? 『ウチハビンボーデセツヤクチュー』なのだろう?」


 一花の口癖を呪文のように唱えるリクトに、節約少女は苦笑する。リクトの倹約体質は一花譲りだ。しかし、


「今日はリクトさんが家賃入れてくれたから、ちょっとだけ贅沢です」


 何にしても特例はつきものだ。

 二人はアパートの近くのコンビニに揃って足を向ける。


「わたしは断然チョコミント! リクトさんは?」


「俺は……」


 和気藹々と自動ドアをくぐった、瞬間。


「っしゃいませー! すいませーん、ヘルメットは外してご入店くださーい!」


 …………。

 結局、リクトは店の外で待っていることになった。

 そして……一花がコンビニを出た時には、リクトは二人の警官に職質を受けていましたとさ。


「うう。日本、世知辛い……」


「まあ、しっかりパトロールしてくれてありがたいですよ」


 項垂れる背の高い重戦士の肩を、少女は背伸びしてポンポン叩いて慰める。


「でも、コンビニの店員さんが言ってましたよ。リクトさんが住むようになってから、この界隈の不審者が激減したって。リクトさんは街の治安維持に貢献してますよ」


「……本当か?」


「本当です」


 途端に明るいオーラを放つ全身甲冑に、一花は作り笑いを張り付かせる。

 ……最強の不審者が現れたせいで、雑魚が一掃されたなんて言えない……。


「さ、早く帰ってアイス食べましょ。リクトさんのはシュガーコーンのソフトクリームにしましたよ」


「一花殿はいつものハミガキコ味か」


「それ、次言ったら家追い出しますからね?」


「……すまない。調子に乗った」


 異世界人はちゃんと謝れる子だった。


◆ ◇ ◆ ◇


 お風呂上がりのデザートタイムが終わると、そろそろ就寝時間だ。

 部屋の真ん中にカーテンの仕切りをして、各自で布団を敷く。


「一花殿はまだ寝ないのか?」


 カーテン越しにスタンドの淡い光が見えて、リクトが声を掛ける。


「来週テストだから少し勉強しとこうと思って。眩しいですか?」


 聞き返されて、「いいや」と答える。


「俺は竜巻の中でも眠れる」


「……起きれなくなるんじゃないですか? それ」


 出来れば安全な場所で寝てほしい。


「無理をせぬように」


「はーい。おやすみなさい」


 会話が終わると、ガションガションと鎧を外す音がする。


「大地の神よ、今日も一日無事に過ごせたことに感謝します」


 異界の地に降り立った彼が自分の世界の神に祈りを捧げる声を聞きながら、一花は教科書を捲る。

 一段落したところで、小さくあくびをしてスタンドのスイッチを切った。暗闇の中、毛布を顎まで引き上げて耳を澄ます。隣から聞こえる寝息に安心して、この世界の少女は目を閉じる。そして取り立てて何も信じていないけど、どこかに心の中で願う。


 ……明日も、良い日でありますように。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る