第33話 勧誘

 ウインカーが左右に揺れてフロントガラスを叩く雨を弾いている。水本絵梨香はユウタの部屋の黄色い明かりを眺めながら親指の爪を噛んでいた。

 ――あの女をあらゆる手を使って潰すか。

 そうなるとユウタの中でユズナは伝説になる可能性がある。二度と太刀打ちできない存在になる。

(また、あの女に何かあれば、ユウタに真っ先に疑われるに違いない)

 そして、仮にユズナがアイドルにならなくても、彼の中で一度生まれた存在は消えることはない。常に水本絵梨花ともう一つの幻影は比較され続ける。

「どうすれば良いのよ!」

 ハンドルを叩くとクラクションが鳴り響いた。

 リリは耳元でささやく。

「難しいことは何もないわ。ユズナをアイドルに仕立て上げるのよ」

(どういうこと? そんなことをすれば、ユウタはあの子に夢中になるだけじゃない)

「どちらが理想の女性か、決めてもらうのよ」

(……)

「あなたも気がついていたはず。いつか、決着をつけないといけない」

(……)

「運命の女性はあなたよ」


 湯気が薄れていく。鏡に映るユズナは恐るべき美少女であった。

 メイクをしなくても圧倒的な眼力と顔立ち。絵梨香は唇を噛み締めたあとにつぶやく。

「……あなた、アイドルにならない?」

「え?」

「これから妹分アイドルを募集することになったんだ。オーディションに参加しなよ」

「なにそれ、面白い」

 ユズナは笑顔で見上げるが絵梨香は笑っていない。

「本気よ」

 ユズナはポカンと口を開けていた。彼女が世界で一番やりたくないのがアイドルだった。


 これは嘘偽りのない本心であり、ユズナは平凡へいぼん第一主義だった。本人も美少女である自覚こそあっても、アイドルやモデルになりたいとは決して思わない。

 いわく、普通こそが至高。普通に友達がいて毎日楽しく過ごせたらそれで良い。月並みに幼馴染や同級生と結婚できれば良い。それ以上の何かを望むことはない。

 そんな彼女だから、アイドルという職業になりたいと思ったことは一度もない。華やかだとは思うけれど、いざ自分がなりたいかというとそうではない。

 忙しいのもプライベートの時間がなくなるのも嫌なのだ。もし人生が五回あるなら一回はアイドルでも良いのかもしれない。なぜ、ワンチャンしかない人生をせわしなく生きなきゃいけないのか。猫のようにのんびりと気ままに暮らしたいユズナはアイドルだけは絶対になりたくない職業だった。


「なるわけないでしょ、アイドルなんて」

 だからそのまま口に出てしまった。鏡に映る自分の顔を見つめている。

(他の誰かに見られ続けるなんて想像するだけで嫌だ)

「……」

 視線を上げると鏡に映る水本絵梨花は黙っている。

「あ、ごめんなさい」

 現役アイドルに失礼すぎた、とユズナは鏡越しに謝った。

「私みたいなフツーの子になれるわけないから」

 逆にいえば、ファンのために頑張り続けるアイドルは凄い人達だと尊敬はしているのだ。

 絵梨香は「……ううん」と笑顔で首を振った。

「気にしないで、まさか冗談を本気にするなんて思わなかった」

「……ちょっと! さっき、本気って言ったくせに」

 

 温泉から上がり、二人は笑いながら射的しゃてきをしたり、まったりと足湯に浸かったり、温泉饅頭を食べたり温泉街を満喫した。お互いに背中を流し合ってから、信じられないぐらい距離感が近くなっていた。


 駅のホームでベンチに座って電車を待つ。会話がなく、静かだった。絵梨香に渡された乗車券をユズナは握りしめている。

 プルルルと列車の到着が知らされて立ち上がる。

 見送りにきた絵梨香に向き合った。

「楽しかった、ありがとう。でも……」

 列車のブレーキ音が鳴っている。ユズナは彼女の目を見つめながら本心を打ち明ける。

「正直、まだあなたを信用できない。ユウタのこともある」

 絵梨香は目を閉じてうなずいたあとに、手を差し出して長い指先を伸ばした。

「私もよ。お互い様ね」

 絵梨香とユズナは握手をした。

 電車に乗り込んだユズナは笑顔だった。

「今度からちゃんと誘ってね」

 その瞬間、絵梨香は目尻が熱くなった。

「うん……」

 ユズナは可愛く両手を振った。まるでアイドルのように。

「バイバイ、またね」

「またね」

 余韻だけを残してホームは静まり返り、電車は小さくなっていく。

 涙が頬を流れていく。

 背後からリリは言う。

「面倒なガキね。でもアイドルになりたくないのは本心ね。あの子はあなたのライバルになることはないわ」

(……)

「ユウタの理想とはほど遠い、ただの小娘よ」

(本当にそうかしら……)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る