第18話 過去の自分

 暗がりのホテルのスイートルームの一室から駅構内を眺める女性の姿がある。ホームに降り立ったユウタを見つけたのは水本絵梨花だ。


「私のためにここまで来てくれたんだね」


 バッグから取り出したのは生徒手帳。その中の顔は地味だった。窓ガラスに映りこむきらびやかな美貌からは想像がつかない。今の水本絵梨花とは別人である。名前は沼崎ぬまさき恵梨香えりかと書かれている。

「やっと、あの頃に戻れる」


         *


 ――約二年前のこと。人は追憶ついおくにふけると当時を思い返して懐かしむものだが、彼女にとってそれは大きな痛みをともなう。


 当時、沼崎恵梨香は中高一貫の女子校に通っていたが酷いイジメにっていた。

「透明人間なの?」

「魅力どこにあるの?」 

 何度ひどい言葉を浴びせられたことだろう。教科書やノートがゴミ箱やバケツの中で見つかることは珍しくない。掃除を一人押し付けられたり、足を引っ掛けられて転んだり、つらい日々を送っていた。彼女は勉強ができたことから、ねたまれてしまい標的にされてしまった。


 そんな彼女を救ったのが捨て猫のリリだった。廃墟化したショッピングモールのベンチで泣いていた恵梨香をペロペロとなめて慰めてからの親友だ。家に帰っても親は成績以外は関心がない。自分が生きていることを実感できるのはリリと過ごせるこの時間にしかなかった。

「君だけはわたしを優しくしてくれるね」

「ニャーニャー」

「ふふっ」

 いつくしむように優しく抱きしめていた。

 それからリリを心配するようになる。片足が不自由なシャム猫だったため、他の猫との縄張り争いで負けることも多く、野良として生きるのは過酷である。やがて猫が不安になり学校も休みがちになる。この時から恵梨香には特有の執着心が芽生え始めていた。

 リリが離れようとしても「ダメ! ここにいるの!」と叱ることも増えた。


 そんなある日のこと。いつもの通り、恵梨香はリリの世話をするために廃墟のモールに訪れた。すると、話し声が聞こえてきた。隠れて様子を見ると、街で有名な不良グループがリリの周りにいた。恵梨香は激しく鳴る心臓の鼓動を抑えられない。

「こいつ、毛を逆立ててやがる」

 不良はリリにボールをぶつけて楽しんでいた。震えていた恵梨香は、意を決して助けようと勇気を振り絞った。

 その瞬間だった。

「ウィーン!」

 大きな音が鳴り、何かが恵梨香の横を凄い勢いで通り抜ける。

 それはドローンであり、不良達に目掛めがけて飛んでいく。

「パパパパパパパ!」

 そこから連射されるBB弾が彼らを襲う。

「うわああ」

「なんだぁ? 逃げろ!」

 不良達はその場から立ち去っていった。

 しばらくすると、二人の少年が走ってきた。

 リリの元に歩み寄り「良かった、大丈夫みたいだ」とハイタッチしていた。

 その二人がユウタとタカシだった。

「リリ! リリ!」

 走って駆けつけた沼崎恵梨香。リリを抱きしめる恵梨香にユウタは優しく声をかけた。


「無事で良かったですね」

 

 これが沼崎恵梨香とユウタの初めての出会いだった。

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