斬り鬼
――腹が、熱い。
隠は眉を顰める。
屋敷の中で戦ったときはそうでもなかったのだが、ここに来て傷口が開き始めたのだろう。
『お主の危惧していたこと、まさか本当になるとは思わなんだ』
「警戒くらいしておいてよ。役立たずね、あなた」
『お主がこんな傷負わねばもっと楽だった話だろう。お互い様じゃ』
「そうね。お互い様だわ」
ゆっくりと前進しながら敵の数を数える。
一、二、三……四人。屋敷で倒した者、今殺した者と合わせれば合計で十六人になる。
問題ない。
「弓矢はもういいわ。刀と鞘を用意して」
『まだやる気か』
「無理も無茶も構わないんでしょ。背に腹は変えられないわ」
少年とおきよの隣を通り過ぎ、間に立つ。
「おのれまだ妖がいたか……!」
ねずみのような顔を、醜く歪める男。あれが襲撃してきた者たちの長であろう。
持っていた弓が消え、隠の手元で霧が集まる。
「させませんぞ」
しかし、男が手を立て何やら唱えだすと、収束しようとしていた霧が綻びを見せ始めた。
刀と成れず、霧散する。
『くっ、この……陰陽師か』
「今です、やつを殺すのです!」
陰陽師が叫ぶ。
三人が走りだし、こちらに迫ってくる。距離にして九尺ほど。すぐに間合いに入られるだろう。
隠は素早く足元にある刀を蹴り上げる。先ほど殺した者の刀だ。刀は、隠の肩の高さまで浮いた。
刀を掴む。
そして、正面から来た男を袈裟切りにした。濁った断末魔をあげ、正面の男が膝をつく。
一人。
低く身を屈めて、左へ駆ける。倒した一人の体を死角として利用し、左から攻めようとしていた二人目を逆袈裟で斬る。
二人。
残りは一人。
しかし、隠が行動を起こすことはなかった。
「てやぁ!」
なぜなら、隠が動くよりも早く、少年が右の敵を刺し殺していたからだ。
隠同様に死体から刀を奪ったのであろう。先ほどまで持っていなかった刀で、敵の胸を貫いていた。
敵のほうは隠に気を取られていたらしい。視線も体の向きもこちらを向いていた。少年の一撃は完全な不意打ちだったのだろう。
「はぁ……はぁ」
息を乱しながらも、少年は敵の腹を蹴り、倒しきる。
これで三人。
あとは陰陽師一人いるだけだ。
「ば、ばかな……こうもあっさりと……」
陰陽師が顔を真っ赤にしてわなわな震える。
「朧、刀は」
『無理じゃ。動けん』
隠はため息を吐きつつ、刀で陰陽師を差す。
「さぁどうするの」
「ぐっ、こうなれば式神で」
陰陽師が懐から人型の紙を取り出し、呪文を唱える。
だが、唱え終えるよりも早く、紙がひとりでに燃えだした。
「あ、あちっあちっ」
陰陽師は慌てて紙から手を放し、踏みつけて火を消す。
笑うように鈴の音がした。
「あら失礼。火加減を間違えたかしら」
どうやらおきよが燃やしたらしい。
「おのれ、女狐め」
不快感を隠さず、深く眉間に皺を刻み込み、陰陽師は隠たちを睨む。
「おのれ」
手に持っていた面を顔に近づける陰陽師。
『まずい、な』
朧の呟きには緊張があった。
『あの陰陽師が持っている面。あれはまずい』
確かに、禍々しい感じのする面が陰陽師の手元にある。肉の腐った臭いに似た臭いがかすかにするが、あの面からしているのだろうか。
角が二本あり、怒りの形相を浮かべている。
「仕留める」
隠は刀を面に向かって投げるが、薄い赤い膜――障壁のようなものが攻撃を拒んだ。
「貴様たち、皆殺しだ」
どす黒い声で、陰陽師は言う。ぬるい風が吹き、全身を粟立たせた。
――嫌な、予感がする。
「おきよ、その子を連れて屋敷に逃げて」
「でも」
「何とかする。だから、お願い」
戸惑うおきよに、隠が真っ直ぐ言うと、頷いてくれた。
隠は少年にも顔を向ける。
「今度はあなたを助けるから」
隠が宣言すると、少年はばつが悪そうに目をそらした。おきよに促され、屋敷に向かっていく。
隠は転がっている刀を二本拾い、構えを取る。
「まさか、散々私を邪魔した愚か者とここで決着をつけることになろうとは」
「邪魔?」
「挿し木に、狼に、貝、迷路……何か心当たりは」
「全部あるわ」
呼吸をする。姿勢を低めて、気を使う。
傷口のせいで長期戦はできない。一気に片を付ける。
額の左右二か所が、着火する。鬼の角のような炎。
気を妖力にくべる。これで、どうにかするしかない。
駆ける。
引いた左手に持った刀で突きを繰り出す。障壁に阻まれるが、そのまま押し込んでいく。
氷にひびが入るような冷たい音がする。左腕にかかる負荷は、異常であった。
「やれやれ」
陰陽師が面を被る。目元が妖しく光り、血煙のような陽炎が、陰陽師の体から湧き上がっている。
「吉打殿を鬼にする実験でしたが予定変更です」
ぐぎりと、骨の歪む音がする。ぶくぶくと肉が膨らむ。体を二回りほど大きくしていく。
「くっ」
隠は全力で持って、障壁を突き抜ける。
へし折れた刀を投げ、両手で残った一刀を振るう。陰陽師が腕を振るい、隠の一撃を交差する。
隠は舌打ちをした。腕が軽い。刀の刃が粉々に砕け散っていたからだ。振り返ると、無傷の陰陽師がいた。手が、痺れのあまり震える。息を吐いて、火を消す。
己の腕を見て、陰陽師は笑う。
「素晴らしい。素晴らしいぞ! さすが島の鬼ども全ての怨念を詰め込んだだけのことはある」
島。そう聞いて、温羅の言っていた保青の島を思い出す。平和主義の鬼たちの島を。
『島の鬼まるごと、呪物にしたのか。理屈は知らんが、あれはわしの知っている陰陽師と大分違う。あれは、呪いをばらまくだけの、下郎だ』
隠は頷く。
「倒す」
陰陽師は隠の呟きをけたけた笑い、首を傾ける。
「倒す? すでに武器を失ったではないか。この面の生み出す障壁ですら手こずり、渾身の一撃すら通じていなかっただろう? それに、その腹だ。無駄死にするだけぞ」
傲慢さがにじみ出す陰陽師。
「そして」
陰陽師が手をあげて、そこに大刀が落ちてくる。骨で作ったかのようなおぞましい見た目の大刀だった。刃ものこぎりのように波打っていて、異質だ。
妖刀だ。どこかに隠していたのだろう。
「これで鬼に金棒。貴様に勝ち目なぞ、ない」
軽く振るわれる。
風の刃が隠を襲った。気配を読んで避けると、後ろにあった大木が両断された。
当たればどうなるか想像に難くない。
己が負ければ、屋敷の中の者がどうなるか、それを想像して、己の過去を思い出す。
助けられなかった人のことを。
そして、打倒する手段を考える。
「……朧。私を鬼にして」
息を吐く。
以前隠自身が霧になれるかなれないかの問いを投げたときの答えは「人間でなくなれば」であった。であるのなら、人を捨てれば使えるということだ。
そしてそれは恐らく霧鬼になるということなのだろう。
朧の強さの一端でも再現できるのであれば、勝てるはずだ。
『人をやめるつもりか』
「えぇ」
『やめておけ。全力で逃げれば、逃げられよう。さすれば死なずに済む』
いつかのような言葉だった。
「朧。私は逃げない」
相手を警戒しながら、隠は言葉を紡ぐ。
「私は、大事な人を鬼に殺されたわ。旅に出て行き倒れた私を、家族のように大事にしてくれた人たちを。みんなが生きていたら、なんて何度思ったことか」
『隠……』
「繰り返したくないの」
胸に手を当てる。
「鬼だからとか、人だからなんて関係ない。朧が教えてくれた。だから、私のことがどうでもいいわけじゃない。鬼でも良い。私が、胸を張っていられるから」
鬼でも笑う。鬼でも怒る。鬼でも、人を愛する。
だから大丈夫だ。
「朧がいてくれるなら大丈夫だから」
『……なら、信じろ』
霧が目の前に集まる。無意識に手を出す。
「無駄だ」
陰陽師が何かを唱える。先ほどのように刀になる前に霧散するかと思ったが、しっかりと刀が隠の手に握られた。
「……何?」
陰陽師が困惑を口にする。
隠は両手でそれを持ち、構える。
『隠であることを諦めるな。わしはちゃんと傍におる。
刀に青白い光が宿る。それを見て、陰陽師がたじろいだ。
「妖が、霊力だと」
『わしらの力で、心で倒すぞ』
曖昧な物言いで、しかし、妙に背中を押される、そんな言葉だった。
呼吸を朧に任せる。
体を、己で動かす。
額に角が燃える。
中心に、一本。
まるで、鬼のようで。されど、間違いなく人であった。
「斬る」
地を蹴る。
その隠の姿を陰陽師は嘲笑う。
「死ね」
振り下ろされる妖刀。
勝手に呼吸が紡がれ、隠の理想通りの動きを再現する。体をひねり、身を回し、回転斬りで迎え撃つ。
妖刀を弾き上げる。
飛んできた拳を踏み台にし、高く上がる。
「なんだと!?」
刀を振るう。
胸から脇腹まで、陰陽師の体を斬る。
「ぎゃああああ!」
苦痛に叫び声をあげ、陰陽師が下がる。倒れそうになる体を、妖刀を地面に突き刺すことで耐える。
「なぜだ。なぜこれほどの力を手に入れたのに、そんな簡単に上回られる?」
「簡単よ、あなたのは無理やり捻じ曲げた力で。私のは、私たちの力だから」
妖刀が持ち上がる。
「なら、その力も取り込んでやる!」
妖刀から凶悪な風が吹く。まるで嵐のように、木々を泣かせる。
「させない。だって、私も……本当は」
刀から風が吹く。紫電を纏い、青い光を迸らせる。それを上段に構えた。
――ねえ、朧。もし体が戻ってくるとしたら何がしたい?
いつかのやりとりを思い出す。
――一杯、祝いも込めて付き合ってくれんか?
笑う。
「お酒、飲みたいもの」
「ふざけるなぁあ!」
嵐と光がぶつかり合う。
そして狂風を斬り裂いて、光が妖刀と、そして陰陽師を両断した。
「馬鹿、な……」
どさりと。面が割れて陰陽師が倒れる。あちこちの骨がありえない方に曲がり、肉体もしぼんでいた。
呼吸と鼓動を思い出し、全身が悲鳴を上げる。
それでも隠は微笑みを浮かべて――そして、満たされたまま意識を手放した。
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