15:海藤達治

 元より手下達が蓮夜を同行できるとは思ってなかったが……あまりにも一方的過ぎて途中から笑ってしまった。まるでアレは紙芝居の演劇そのものだったからである。

 ささやかな嫌がらせとしてライフル銃で狙ってみたが、ほんの少し体を横に向けただけで避けられた上にこちらの居場所を正確に見定めた。


「やっぱり当たらねぇか……」


 ビルの窓から突き出した銃身を戻し、螺鈿の細工がされたオイルライターを海藤は胸ポケットから取り出した。そのまま窓に置いておいた紙巻きたばこを一本取り上げて口にくわえる。


 ――カキン、シュボッ……


 器用に片手でライターに火をつけて加えた煙草に火をつけた。

 すぅ、と一口息を吸い込み真っ赤に燃える煙草の先を揺らす……そしてため息と共に紫煙を窓の外に吹きかける。


 夕日を浴びて橙色に染まる煙と下げた視線の先でのんびり歩く老人の様な何か……もとい月夜連合の斬り込み役、蓮夜を眺めて肩をすくめた。


「こんだけ離れてて、音よりも早い弾丸を避けるとか……あの女好き大使も信じないだろうなぁ」


 アメリカの大使、DT・ホウから支給されたのは拳銃だけではなかった。

 全長1,115㎜、5発しか入らないが音速の二倍以上の弾丸初速を誇るボルトアクションライフルも数丁だけだが貸与されたのだ。クルミの木でできたストックから肩を離し、安全装置をかけて窓際に立てかける。


「のんびり歩きやがって……髪の毛でも一束おいてくれば良かったか?」


 あれだけ余裕たっぷりに歩かれると腹に据えかねる海藤だったが、焦りは禁物と紫煙と共にいらだちを吐き出して留飲を下げた。

 いまだに海藤には忘れる事の出来ない横浜一揆の前夜、そこに現れたのが蓮夜その人だった。

 準備は万端で木砲や密造銃、そして特別警官隊と言う立場を利用した刀の横領品。それらを血気盛んな仲間に与え、軍の目を逸らし、自分たちを含む中核のメンバーで国会を乗っ取る。

 それなのに、情報は漏れた。


「あの爺が慌てる顔がもうすぐ見れるのは、間違いねぇんだがな……」


 あの時も、蓮夜は淡々と投降を呼びかけて縦横無尽に拠点を駆け抜ける。

 その通り道には死屍累々と言わんばかりに怪我人が築き上げた壁が出来上がっていった。

 銃を撃てば虚空を貫き、刀や刃物で切り掛かれば反対にその刃物は斬り割かれ、爆薬も、大砲も、蓮夜にかすり傷一つ付ける事はかなわない。


「今度は簡単には返さねぇぞ? その顔に弾丸を叩き込んでやるために……俺は捨てたんだ」


 ぽろりと落ちる煙草の灰、その灰に目をやる海藤の顔にはそれまで浮かんでいた笑みは浮かんでいなかった。


「志士の誇りをな」


 ぷっと加えた煙草を最後に一息吸ってから足元に落とす。

 それを革靴の裏で踏みつぶし、火をもみ消した。

 それはまるで彼が捨てた物も、念入りに、執拗に消し去るように。




 ◇◆―――◇◆―――◇◆―――◇◆




「ふむ、外から行ったら早いかと思うたが……これは登れんのぅ」


 蓮夜が見上げるビルがやたらとチカチカ夕日を照り返した理由、それはビルの壁面に塗りたくられた油であった。足場も滑るし、よしんば登れたとしても火でもつけられてはたまったものでは無い。

 それよりも……


「よくもまあ、これだけの油を用意したものだ」


 4階建てのビルを丸々と油まみれにするには相当な量が必要だっただろう。

 仕方なく周りを見渡すが、他のビルは離れており足場にするには適さない……やむを得ずここから入れと言わんばかりに開け放たれたビルの玄関に目をやる。


「罠は……無いか、人も潜んでおらぬようだ……」

 

 先ほど、誘いの意味で殊更ゆっくりと歩いて来たのに弾丸一発以外は何も反応が無かった。

 となると……。


「相手は一人か」


 そして灯子もいるのだろう。

 賢い娘だし、下手に抵抗などせず大人しく捕まっていると予想してはいるが蓮夜の心中は意外にも焦っていた。

 正直な所、蓮夜の十八番は奇襲と殲滅。

 後先考えず暴れるのは大得意なのだが、こうして人質救出や手の込んだ事をされると下手な考えしか浮かばず意識が逸れてしまうのだ。


「……行くしかないか」


 こうして油の仕込みをしているという事は、中もそういう仕掛けがあって然るべき。

 得意の歩法も足場が確かだからこそ生きるのであって、かなり蓮夜にとっては不利な環境を揃えてきている。

 こうなると相手は自分と相対したことがあるか、良く調べてこの場所を選んだのだろうと蓮夜は感心しつつも呆れた。

 そんな事に心血を注ぐくらいなら別な分野で十分生きていけると思う、自分の様に戦うこと以外何も出来ぬわけではないだろうにと。


 仕方なく、いつでも刀を抜ける様に柄に手をかけゆっくりと歩を進める。

 蓮夜の見立て通り罠は無く、だだっ広いフロアの片隅には上階へ続くコンクリートの階段があるだけだ。そんな中、ぽつりぽつりとたばこの吸い殻が転がっている。

 

「こんな油だらけの所で良く吸える物じゃ」


 一歩間違えば引火しかねない相手の行為に蓮夜の眉根が寄った。

 すでに火も消えて転がっているそのゴミを蹴りながら蓮夜は進む、案の定ではあったが床には滑りやすいように細かい砂が撒かれている。

 感触を確かめる様に右足の親指に体重をかけると、僅かに草履が滑った。


「……やれやれじゃ」


 はあ、とため息をつきつつも進むほかない。

 もはや隠す必要も無かろうと足音をわざと立て、階段を上っていく。

 

 ……2階、何もない、誰もいない。


 ……3階へと昇ろうとした時。上階から声がかかる。

 

「蓮夜……いや、月夜連の斬鬼。策は弄していない、そのまま上がれ」


 まだ若い、張りのある低い声だった。

 敵の言う安全保障など信じる気は微塵もない蓮夜は言葉を返さず、代わりに刀を抜いて二階のフロア―真ん中へすたすたと移動していく。


 丁度、真ん中まで来るとおもむろに頭上を見上げ目を閉じた。

 耳を澄ませると伽藍洞のビルは良く音を反響していて、誰かが階段の出口で何かをいじる金属音が聞こえる。

 真上からは何も聞こえない……もしかしたら灯子がそこに転がされているのではないかと思ったがそうではなさそうだ。もっとも……すでに死んでいる場合もありうるのだが、そうだった時はそうだった時。この世に産まれてきた事を後悔させるまでと蓮夜は割り切る。


「おい、耄碌して耳が聞こえないのか? ったく、これだから爺は……」

「失礼な奴じゃ、今行くわい」


 ぽつりとつぶやき、蓮夜は催促の声を無視して最速の太刀筋を真上に奔らせた。

 振り抜きから納刀まで、ぎこちなさなど微塵もなく。遅れて頭上のコンクリートからぱらり、と埃が落ち始める。


「ここからの」


 左右前後は足が滑りやすく不安定だが真上に跳ぶのであれば、この足場でも難しくはない。ぐっと右足に力を籠め、腰を落とし、頭上を睨んだ。


 ズズッ……


 ほんの僅かに下がり始める四角く切り抜かれた天井が、思い出したかのように落下し始める。

 しかし、蓮夜は動かない。その必要が無いからだ。


「ぬんっ!!」


 ミシミシときしむ音は蓮夜の踏み込んだ足元から届く、次の瞬間。

 真上に跳んだ蓮夜は身体を捻り、腰から真上に……コンクリートの塊に向けて左足を突き上げる!


 ――バカンッ!!


 見事に砕けるコンクリート、その最中を勢いそのままに蓮夜は頭上に躍り出た。

 舞い散るコンクリートの破片と埃っぽい景色の中、ぽかんと口を開けたままこちらを振り向くサングラス、黒スーツの海藤と目が合う。


「嘘つきめ」


 蓮夜の視界には右手に握られた拳銃、それはすでに撃鉄を上げていてすぐにでも撃てる状態だった。

 こういう時に馬鹿正直に突っ込むのが蓮夜だが、それはあくまでも自分の強みが生かせるならばと但し書きが付く。

 

「化け物め……」


 口の端を苦々しく歪めながら海藤が……銃を、手放した。


「ぬ?」


 思いのほか思い切りのいい諦め方に、蓮夜の姿勢が崩れてしまうが関係は無い。そのまま海藤は両腕を上げて万国共通の降伏を示す。


「降参だ」


 しばらく、蓮夜と海藤は視線を交わした。

 たたらを踏んでも揺れぬ体幹で、蓮夜は突撃の姿勢を崩さない。

 反対に海藤は微動だにせず反抗の意思無しとポケットの中身を裏返しにまでして主張する。


「どういう魂胆じゃ?」

「どうもこうもあるかよ、コンクリートまで豆腐みてぇに斬り割く化け物に拳銃一丁でどう立ち向かえってんだ。俺たち下っ端はアンタを殺せって言われただけだ……女も傷つけちゃいねぇ、仲間は大義だなんだと五月蠅かったが……それだけの金は貰ってないからな」

「ふぅむ……」


 蓮夜の勘は、目の前の海藤が黒だとはっきりと告げている。

 しかし、困った事に全く戦意を感じない……身のこなし、判断力、何より蓮夜の天井ぶち抜きを見て呆ける事もせずに冷静な対応ができていた。

 

「…………お主、名は?」

「権兵衛、山田権兵衛だ」

「海藤と言う名に覚えは?」

「俺の上司だ、5年前の横浜一揆からずっと従っている」

「どこにいる?」

「アメリカの大使館」

「…………ほかに人員は?」

「居ねぇよ……30人以上いて倒せない訳ないと思った」


 蓮夜は悩む。

 こう、嘘を見抜いたり相手の裏を読み解くなどの搦手がとてもとても苦手なので……目の前の男が嘘を言っているという根拠はないが、本当の事を言っている保証もまた……無かった。


 こういう時こそ灯子が居ればこの黒寄りのグレーをはっきりとさせる名案が浮かぶのだろうが……自分ではここまでが限界かと、ため息と共に無念を吐き出す。


「この上に灯子はおるのか?」

「ああ、どうせ逃げられないと思って縛りもしていない……逃げようとしたら俺が撃つつもりだった」


 あの銃でな。

 と海藤は壁に立てかけたままのライフル銃と足元に落ちている拳銃を交互に目で示す。


「先ほどの狙撃はあの銃か……装弾数は5発じゃったか。なぜ道中を狙わなかった?」

「不意を突いたつもりがあっさり避けられた上に、堂々と来られちゃ迎え入れたくなるってもんだ……伝説の斬鬼をよ」

「あい分かった。縄のようなものはあるか? 念のためお主の手足は縛る、無事に帰れる時に部下にお主の事を伝えておこう」

「そりゃあありがたい話だ」


 そう言って海藤は腰から鋼鉄製の手錠を取り出して、自分の両手に嵌め……小さなカギを蓮夜に躊躇わず放り投げる。

 蓮夜はそのカギを受け取り、脚はどうするかと悩むが……海藤から提案があった。


「このままあの金髪の娘まで案内しよう。俺を先行させれば罠があったとしても、先に俺が食らう。女が無事でなければ俺の身は煮るなり焼くなり好きにしろ」

「……行け」


 あまりにも諦めが良すぎる相手に、蓮夜は釈然としないものの……まあ何とかなるだろうと刀を抜いて切っ先を向けたまま顎で上の階へと続く階段を指す。

 肩をすくめてゆっくりと蓮夜に背を見せる海藤は遅くもなく、早くもなく微妙な足の速さで階段を上っていった。

 ついていく蓮夜としてはいささか拍子抜けだが……まあ、楽でいいかと陽が落ちつつある海を窓から眺めて夕飯の事を考える。


 今日は……宿まで戻り、暑い風呂と美味い酒、ありつけるのであれば牛鍋でもいいかと思考を巡らせた。


「そこに立って居るのがあの娘だ」


 階段を登りきると、海藤の肩越しに窓辺でたたずむ灯子が居た。

 窓から遠くを眺め、眼鏡に光が反射して……その姿に蓮夜は思わず見惚れる。


 夜の帳が落ちかける中、なおも鮮やかな金の髪が揺れ……まるで人形のような彼女の表情は、美しかったのだ。しかし、今はそんな場合では無い事は蓮夜にとって百も承知……即座に海藤の首筋に刀の峰を当てて意識を刈り取る。


「灯子!」


 海藤の昏倒を視界に収め、刀を鞘に戻して駆け寄る蓮夜。

 そんな蓮夜に振り向く灯子の表情は、影になり見えなかった。


「蓮夜」


 それでも、蓮夜は灯子が自分の名を呼んだ事に安堵して表情が緩む。

 これで馬鹿な騒ぎは終わりだと。


「無事で何よりじゃ、さあ戻ろう。今日は宿の方が近いからのう、牛鍋でも柳川鍋でも好きなものを頼むと良い」


 肩に手を当て、怪我がないかと腰を落として灯子の姿を確かめる……しかし、灯子の反応は薄く。

 心配する蓮夜の肩に手を置いた。


「蓮夜」


 その声に、不穏を感じ取り蓮夜はまじまじと灯子の顔を見る。

 その表情は……眼から一筋の水跡と腫れぼったくなった目元が、そこにはあった。


「灯子、どうし……たのじゃ?」

「前のアメリカ大使が死んだ時、蓮夜はどこに居たの?」

「む? それは……後で、話そう」


 隠したというより、込み入った話であった。

 何より蓮夜では整理して説明しようにも、灯子に分かりやすくとなるとかなり時間が必要になるからだ。しかし、今は……状況が悪かった。


 灯子はそっと、蓮夜を抱き寄せ……窓に向かい立ち位置を入れ替える。

 蓮夜はどうしたものかと意識が逸れていて……灯子の手の中の物に、意識が向かわなかった。


「そう、言いにくい事なのね。そうよね、私の……母と父を……斬ったのだから!!」


 ――ぱんっ


 乾いた音は、灯子の握った手の中から聞こえる。

 反論しようとした蓮夜の腹に、熱い何かが通り抜けた。声を上げようにも……驚愕に捕らわれた蓮夜の背が窓枠を乗り越え……そのままぐらりと灯子の視界から消えていく。


「ち、が……う」


 蓮夜はごぽり、と喉からこみ上げる鉄錆の匂いと粘着質な液体に不快感よりも怒りを覚えながら……虚ろな灯子の瞳を目に焼き付けるしかできなかった。

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