13:一匹の鬼がやってくる

 薄暗い……ちょうど夕日が傾いてきたビルの中。

 灯子は何階かはわからないがだだっ広い部屋の真ん中に置かれた椅子に拘束されていた。

 迂闊とは言えない状況だった、まさかこっそりついてきて家の中に堂々と潜入してくるとは蓮夜も思わなかっただろう。


「はあ……」


 声を上げる暇もなく、銃口を口の中にねじ込まれ連れ去られてしまった。

 しかし、よく考えたら追跡するのには簡単だっただろう。その可能性を考えなかった自分も悪い。

 片や金髪碧眼の小娘、片や身なりが良い白髪おさげの藍色のコートを纏う爺さん。しかも刀を差して、包帯だらけの青年に肩を貸しているのだ。そりゃあ目立つ。


「お前にまた会えるとは思わなかった。てっきり焼け死んだと思ったのだがな」


 ため息をつく灯子に向かって、上から下まで黒ずくめ。しかし、明らかに他の黒ずくめとは一味違う雰囲気を持った男。闇狩りの隊長である海藤達治は声を掛ける。

 部下が拉致してきた蓮夜の連れ、その正体に海藤達治は驚いた。

 金髪碧眼の姿にではない……正確にはその顔に。


「誰……見覚えない」


 しかし、灯子には海藤の顔に覚えなどなく。

 そもそもサングラスと黒いパナマハットと呼ばれる帽子、黒いスーツに黒いネクタイ……唯一スーツの下のシャツだけは嫌みなほど真っ白だった。

 

「でも、同じ格好のバカは知ってる。蓮夜に……何されたんだっけ」


 端的に言えばボコボコにされたのだが……あまりにも蓮夜の挙動がふらりと消えたかと思えば宙に浮かんでいたり、ぴたりと止まって吹っ飛んだりしている黒ずくめを受け止めたり。

 説明のしようがないのだった。

 それを海藤の部下は挑発と受け取ったのか、こめかみに青筋を立てて憤る。


「くっくっく……蓮夜、ねえ。そうか、斬鬼の名は蓮夜と言うのか」


 そんな光景に海藤はお腹を抱えて低く笑い始めた。

 

「お前ら、その小娘は嘘なんか言ってねぇぜ。説明のしようがねぇんだ……早すぎて見えねえからよ、あの爺の動きは」


 海藤の言葉はまるでそれを知っているかのような言葉で、灯子も部下も視線を彼の口元に集める。


「お前、自分の親が何者なのか知っているか?」

「……アメリカから来た外交官と、その現地妻」

「う? ん。なんだそれは」

「? 違うの?」

「あの大使様はお前の母親と正式に結婚してるが? 本国でも結婚してたのか?」


 灯子の答えに海藤は首をかしげた。


「まあいい、ところで……なぜおまえの両親が死んだ。いや、殺されたのか。殺した相手は誰なのか知りたくはないか?」


 とりあえず、灯子が自分の親の『地位と立場』を理解している。それであればまずは良い、藤堂はにやにやしながらのんびり話し始めた。


「……なぜ、お前がそれを知っている」 

「それはな? お前の親を助ける側に居たのは俺だったからだよ」


 それは……灯子が敢えて闇に飛び込んだ理由そのものの答えだったのだから。

 すべてが語り終わる頃。

 何も知らない一匹の鬼が、迫りつつあった。


 


 ◆◇―――◆◇―――◆◇―――◆◇




「……月島までの案内、感謝する店主殿」

「良いって事よ。出前のついでだ」


 軽快にエンジン音を上げる三輪オート、緑色に塗られたボディーはピカピカで後部の貨物部には蕎麦の器が綺麗に詰まれていた。

 たまたまではあるが通りを走っていた蓮夜の隣を、先日の蕎麦屋の店主が通りがかり……最後の出前先の帰りだからと蓮夜を拾ったのだ。


「意外と遠かったんじゃな、月島」

「神田町から歩いて行ってたら半日はかかるぜ? いくら爺さんが足速いったって、バスやタクシーには敵わねぇだろ」

「……う、む。うむ、確かに敵わんか」

「? なんだその間」

「いや、なんでもない」


 速さ、だけだったら蓮夜の方が早いかもしれない。

 しかし、蓮夜は気づく……道が解るかと言う意味で……バスやタクシーにかなわないと。

 そういう意味で濁したのだが店主は思い至らず首をかしげるばかりだ。


「店主、ここまでの同行重ねて感謝する。後は危ないから店に戻ると良い」

「あ? 帰りはどうすんだ?」

「なんとでもするさ……ほれ、待ちきれんと出てきおった」


 月島の埠頭、海運の会社が次々と建てているビルの物陰から一人、また一人と蓮夜達を伺う黒ずくめの男が姿を現す。

 蓮夜が気づいて顎で指示した方を店主が見ると、明らかに日陰者の雰囲気を纏っていた。


「何だアイツら」

「儂と遊びたい連中らしい、わざわざ言伝まで残してな」


 蓮夜は店主にもわかるように、わざと刀を鳴らして鯉口を切る。

 その刀身は傾いた日の光を浴びてなお……冷たく蒼い光を放っていた。


「じ、じいさん?」


 のんびりとした口調のまま、蓮夜の声のトーンが一つ落ちる。

 それは店主の背筋に冷たい何かが通るかのように……ひんやりとした言葉だった。


「なに、少々遊ぶだけじゃ……またすぐに蕎麦を食べに行く。天麩羅も美味かったしの」

「お、おう……俺なんかにゃなんもできねぇが。うまい蕎麦を打って見せるぜ」

「ほっほ、それは何よりじゃ……またな」


 ひゅるん、と蓮夜は軽く腕を振るい刀身を宙に滑らせる。

 店主は急いで来た道を戻ろうと三輪オートを走らせるが……


 ダンッ!!

 

 その瞬間にけたたましい破裂音が響き、思わず店主の肩が竦む。


「うわっ!?」


 思わずクラッチを踏み、ブレーキに手をかけてしまうが……その屋根にいつの間にか蓮夜が立っていた。


「ほっほっほ、長居が過ぎたようじゃな。店主、気にせず行くがいい……良いか? 決して止まってはならぬぞ?」

「お、おおお」


 一瞬、店主には見えた。

 幼い時に出会った黒髪の侍、颯爽と現れて燃え盛る室内から自分と母親を片腕で担ぎ上げ。

 壁を斬り割いてなるべく怪我をしない様に、気を使って投げ出してくれたあの侍と同じ眼差しが。


 だから。


 一気にクラッチを繋いで急加速、ふわりと飛び降りる蓮夜を置いて走り始めた。


「うむうむ、と……じゃあ。儂も動くとするか」


 ざざぁ……と波の音に混じり。

 黒ずくめの構える銃の撃鉄が上がる……。

 潮の香りに混じり、先ほど放たれた銃撃で立ち昇る硝煙の香りが蓮夜にも届く。


「さて……準備運動位、にはなるかのう?」

「だまれ、隊長の所へ連れていく。刀をそこにおいて下がれ……さもなければ撃つ」


 恐らく、この場のリーダーであろう男がゆっくりと銃を構えたまま蓮夜へと近づいてきた。


「撃つ、か……さっきは民間人を狙ったな?」

「大義の前の小事、変な噂を上げられては困るからな」

「そうさのう、5年前も噂話から一揆の計画が漏れた身としては……気にならざるを得ん。違うかの?」


 その場にいた何人かの黒ずくめの気配が変わる。

 動揺、怒り、困惑。


「……月夜連、やはり危険なり」


 そんな感情を、表面上だけでも殺して……黒ずくめのリーダーは引き金を引く。

 

 ――ダァン!!


 米国から密輸された最新型の拳銃は命中精度も高ければ、威力も高い。

 たった十メートルでも人に当たれば致命傷を負わせることができる。


 その弾丸の速度は、常人では捕えられるものでは無い。

 そんな代物を……。


「気づくのが遅い、と言わざるを得ん」


 蓮夜の声は背後からだった。銃を撃った、本人の。


「な!?」


 眼を離してはいなかった。

 一瞬たりとも引き金を引くその瞬間まで、蓮夜は銃口の前にいたはずだった。

 しかし、現に声は後ろに……刃は喉元に。


「動くな、くしゃみ一つで喉笛が真一文字に切り開かれると知れ」


 ぴたりと制止する刃先から伝わる金属の温度……触れてはいないはずなのに絶妙に伝わる恐怖に……男の額には汗が浮かぶ。


「たとえ、銃を持っていたとしても関係は無い。儂は斬るだけじゃ……他の者を下げろ。朝日に向かって並ぶ首が増えるだけじゃ」


 下げろ、と言われても男にはどうしようもない。

 声一つ、身じろぎ一つ許されない刃の距離。しばらく無言のまま耐えていると……蓮夜は気づく。


「……すまぬ、確かにぴったりつけては声すら出せぬな。これでいいか?」


 自分がやれと命じた手前、その方法を奪ってしまったので刀をゆっくりと男の喉元から少しだけ遠ざけた。


「あ、ああ……」

「では頼む。今ならまだ子供の火遊びで済む話じゃからな」


 ここで蓮夜は、思い出すべきだった。

 つい半日前に叩き伏せた三人ですら、周りを巻き込む事に躊躇いが無い事を。

 

「全員構えっ!! 俺ごとこの爺を撃ち殺せっ!! 大義は我にあり!」

「は?」


 眼を見開き、口の端から泡を吹かんばかりにありったけの声量で男は部下に命じる。

 そして刃が触れようとも関係なく、男は背後を振り向き蓮夜にしがみつこうと手を伸ばした。

 

「お主ッ!」


 決死、まさにその言葉が示すように男は生き残る事を考えていない。

 しかし、男は感じ取ったのだ……。


「ころせぇぇ!!」


 蓮夜が、この目の前にいる何かは……自分たちの事を何とも思っていない事を。

 のんびりして、怒った振りをして、一切歯牙にもかけていない。なぜなら……。


「やれやれ」


 蓮夜からは、三輪オートに乗った店主を逃がす時以来。

 一切合切……。


「まったく、手間がかかるのう」


 殺気はおろか、戦う時の覇気や気概が感じられなかったのである。

 それを手練れと言ってもいい黒ずくめの男は……理解してしまったから。


 ここで、捕まえるなんて生易しいものでは無い。

 ここで、殺さなければいけないモノだと。


 月島の埠頭に、周辺の漁に出ている漁師が花火大会かと聞き間違えるほどの破裂音が響いた。

 

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