10:襲撃とかつての上司

 神田町の少し大通りから離れた住宅街、そこに在ったのは純和風の2階建て……。


「屋敷をそのまま小さくした様な作りじゃのう」

「見た目より中が広い……いったい何部屋あるのよこれ」


 うまく柱を配置して、互いの梁が互いの重量を分散するような器用な設計。

 これを図面無しで組んだと言われたらこの建物を建てた棟梁の頭について蓮夜と灯子は首をかしげるだろう。それだけ綺麗に、丁寧に作られたものであった。


 近年の土建は流入する諸外国の技術があふれてきており、木材からレンガやセメント、鉄筋や鉄骨の補強が当たり前になりつつある。

 実際に建築の速度も速く、昔ながらの日本家屋は一部の富裕層や公的な建築物以外では注文が少なくなっていった。

 そんな親方衆を神田町の顔役である女将は片っ端から呼び込んで、この周辺一帯の建築を敢えて丸投げする。『この通りで好きなように家を建てな、私が一つ残らずあんた達の隠居資金にしてやるよ!』と。


「奥に見える大黒柱の木は檜じゃのう……作りの戸棚は……何じゃあのまだらの木は」

「蓮夜……あの木は黒柿、多分貴重」


 二人がその見事な造りに圧倒されていると、その背にのんびりとした声がかかった。


「どうだい? そもそも何人かで住む家の大きさだ、住み込みで雇うのも好きにしておくれ」


 キセルから紫煙をくゆらせて豪快に笑いながら女将は蓮夜と灯子の背を叩く、勢い良く前にたたらを踏んで灯子はせき込んでしまうほどだ。


「良いのかのう、こんなに立派な一軒家を儂が買っても」


 正直に言えば長屋の一室でもいいかと思っていた蓮夜はぽかんと口を開けたまま、圧倒されている。それもそのはず、月夜連の宿舎は個室ではあるもののほぼすべての私物が支給品。自分で物を買ったことなど蓮夜は数えるほどしか経験が無いのだ。


 その少ない経験がいきなり家を買うとなれば迷いもする。

 しかし、女将はそんな蓮夜に優しく声を掛けた。


「なぁに、ここ以外の家はもっと立派だよ。言われた通り一番こじんまりした所がここさ……広すぎず狭すぎず、暇な大工が手均しに作った家だから気軽に買っちまえばいい。もっといい場所を見つけたら誰かに貸しても良いしね。そんときゃ仲介位はしてあげるよ」

「ふぅむ」


 髭を撫でて蓮夜が女将の言葉をゆっくりと咀嚼する。

 確かに一発目からこれで次はもっと立派だというなら、さらに気圧されして決めかねるだろう。そもそも家の良し悪しなど素人目の自分でも……この家は上等品だと解った。


「ここにするか? 灯子」


 住み込みで同居する灯子に話を振る蓮夜に灯子も異論はないようで、静かにうなずくのみ。

 であれば特に何か気になることは無い。


「ちなみに値段は1200円、さっきも言ったけど余りの木材と暇に任せて作った本人がタダでもいいとか抜かすから……相場の二割引き程度で案内させてもらうよ」

「1200円!? で、でたらめに安い」


 灯子が素っ頓狂な声を上げて驚くが、蓮夜は相場がわからないのでそれがいかに安い値段なのかと首をかしげる。


「大通りからも離れているし、そんなもんさ。この家を建てた棟梁もそれだけあれば老後の酒代には困らない、三方良しの値段さね」

「……灯子、相場はいくらじゃ?」


 朗らかに笑う女将を前に、蓮夜は手で口元を隠して灯子にひそひそと耳打ちする。

 

「最低で1500円、この家の規模を考えれば2000円でも買う人が居てもおかしくない」

「……あい分かった」


 灯子の見立ては正しく、家屋の随所にこだわりが光るゆえに蓮夜も異論無く頷いた。


「女将、即金で買おう」

「決まりでいいんだね?」

「うむ、今から銀行に金の用意をさせて夕刻までにはいつ払うか知らせる。これでどうじゃろうか?」

「はっはっは! 豪気だね爺さん!! 気に入った。じゃあ私はここを作った棟梁に知らせに行くよ……そうだねぇ、この辺の店やご近所さんを見て回って戻ってくると良い。今晩泊まれるように布団や生活用品を持って来てやるよ」


 ぱん、と手を打って女将が踵を返す。

 早速布団やらなにやら手配に行くのだろう、ぽい。と手に持っていた家の鍵を灯子に投げ渡した。

 慌てて受け取る灯子を振り向きもせず、紫煙をくゆらせ優雅に雑踏へとまぎれる彼女を見送り……洞爺はふと既視感を覚える。


「はて?」


 どこかで会ったことは……無いはず。

 しかしどうしても記憶の片隅に引っ掛かる……あれだけの美人、引く手数多だろう。高嶺の花と言った近寄り方雰囲気も無く、人好きのする下から見上げるような仕草……。

 これだけ特徴があればいくら無頓着な蓮夜でも忘れるはずがないのだが、記憶の棚はうんともすんとも言わない。


「……ふうむ」

「どうしたの蓮夜」


 顎を撫でて首を傾げる蓮夜の様子を不思議に思い、灯子が眼鏡を拭きながら問いかける。

 しかし、眼鏡をかけ直してクリアになった視界で蓮夜の視線を追うと……見る見るうちに眉根が寄っていった。


「……最低」

「何を考えているのか儂でも察しがつくが……違う。どこかで関わったかもしれんのだが思い出せん」

「ふぅん? まあ、ここら辺の顔だっていうし見かけた事があるとかじゃないの?」

「そう、かもしれんな……さて。家も決まった事だし銀行に行きがてら昼飯でも食べるとするか。何が食べたい? 灯子」

「……うどん、天婦羅が乗ったやつ」


 どこか釈然としない蓮夜の雰囲気を感じ取り、灯子もそれ以上は追及せず。

 素直に昼ご飯のリクエストを答えた。


「ふむ、ではうどんにするか。儂は何にするかな、甘く煮た肉も良いし卵も良いし……何を乗せるか悩むのう」

「蓮夜って……意外としっかり食べるのね。ものすごく細いから勝手な印象だけど野菜とか豆腐とかさっぱりしたのが好みなのかと思ったら」


 実際育ち盛りの灯子もかなり食べる方ではあるが、それ以上に蓮夜は良く食べる。

 長身痩躯、正にそのままの体型なのだがどこに収まっているのか常人の数倍は食べるし酒も飲んでいた。その割にはケロリとしているし身軽に動けるという……灯子が人体の不思議に直面していた。


「肉も食べるが野菜も……と言うか好き嫌いが無いからのう。唯一食べれんのは……まあ、日本には無い」

「和食なら何でも食べるのね。その内美味しいお寿司でも食べたいわ」

「お主こそ生魚も大丈夫なのか」

「言ったでしょ、日本生まれの日本育ち。お寿司焼き鳥柳川鍋牛鍋なんでも好物!」

「野菜も偶には食べたいのだが?」

「そういえば私が作るんだった……料理覚えなきゃ。まずはおかゆ?」

「それは病食じゃな、米は少し硬めに炊いてくれる方が良い」


 そんな互いの食の好みを話しながら最寄りの銀行を目指す二人、一昨日と違いしっかりとした足取りで大通りへと進んだ。

 行きかう人の波を蓮夜は器用に、灯子はその後を追うように付かず離れずの距離を保つ。


「そう言えば、この辺だったか?」


 ふと、交差点で立ち止まる蓮夜がつぶやいた。

 

「ん? ああ、病院だっけ。ついでに見ていく?」

「そうじゃな、薬局はそこに聞けと女将から言われておるし……挨拶がてら見に行くかのう」

「西洋の薬も取り扱う珍しい薬局だって」

「灯子の見た目から聞く前に答えてくれたからの、助かる」

「漢方の方がよっぽど手に入りやすいのに……必要なの?」

「時と場合によるが、効果が安定しておるからな。儂のように無頓着な者にとっては気が楽でいい」


 明治に発行された薬律と言う法律により全国的に薬種商や薬局が整備された昨今だが、まだ民間では昔ながらの和漢薬が根強く。西洋から取り入れられた薬学による所謂『洋薬』は手に入れやすいが聞かないと出してくれない事もあった。

 しかし、蓮夜としては手間のかかる処方の和漢薬より症状に合わせてこれを飲め、と言う至極分かりやすい洋薬の方が管理が簡単なので常備しておきたい。


「まあ、家主がそう言うなら良いけど。粗悪品も多いって言うから気をつけなきゃね」

「目利きは……その内友人に教えてもらうとしよう。儂もとんと見当がつかぬ」

「蓮夜の友人ねぇ、おっかない人?」

「いや、むしろお主と気が合いそうだ……ここを右だな」


 わき道から目印として言われている黄色の豆腐屋を曲がり、柿の木が立つ歩道をしばらく進む。

 すると女将の説明通り、真っ白な漆喰壁で覆われた箱型の建物が見えた。


「あれね。看板位立てればいいのに」

「あからさまに病院と言った建物じゃ、他の何物にも見えんし困らぬだろう」


 近づくにつれ、見るからに病院ですと言った2階建ての建物。

 消毒液の匂いが風に乗り二人の鼻にも届き始めたその時……


 ダンッ!!


 乾いた爆発音が響き、建物の対面の電柱に何かが激突する。


「へ?」

「灯子! すまぬ!」


 蓮夜はそのぶつかった物の正体に気づいて、右手で灯子の胸元をできるだけ優しく触れ一気に押し飛ばした。


「ぶへっ!?」


 もんどりうって土の歩道をごろごろと転がる灯子には目もくれず、蓮夜は刀の柄に手をかけながら病院へと疾走する。その目には左腕を押さえながら身を低く屈めて、窓から飛び出る男の姿。


「ナナシ!」


 その男の姿に蓮夜は見覚えがある。

 まさに灯子の元上司、月夜連が政府の影ならば日向で動く『幻陽社』の暗部であるナナシと呼ばれる人物その人だった。


「! ありがてぇ!」


 ナナシの方も疾走してくる蓮夜の姿を見て安堵と気合を入れなおし、震えて激痛が走る脚を必死に前に進める。


「向こうでお主の弟子が転がっとる! 合流しろ!」

「は!? あ、え?」


 蓮夜の言葉が一瞬理解できなかったが、ナナシは大人しく蓮夜とすれ違い少し遠くで目を回している金髪の少女を見つけた。

 

「あいつ、まさか応援呼んでくれたのか!? 灯子!!」

「逃がすか!」

 

 窓から身を乗り出して、黒いスーツ、サングラスの男がナナシに銃口を向ける。

 先ほどの発砲音の正体もこの男で間違いないと蓮夜は断じた、大体にしてこんなに携帯性が高い銃をそうそう持っている人間はそうは居ない。


「撃たせぬ!」


 ぐっと踏み込む足に力を込めて、蓮夜は駆ける!

 一歩ごとに流れる景色が早まり音すら置き去りにする。その手に伝わる刀の感触を確かめるように握り、引き金を引くその銃口目掛けて斬鬼の剣は奔った。

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