第3話 陰原園子の家に行った

 放課後になり、俺は約束どおり陰原の家までラノベをもらいに行くことにした。

 女子と肩を並べて帰路につくことは俺の学校生活においてさして珍しいことではないが、けれどまったく違うタイプの女子とそうする経験は初めてだったので、なかなかに貴重な体験のように思えた。

 たいていほかのモテない男子から嫉妬や羨望の眼差しを受けるものなんだが、今回にかぎっていえば奇異や怪訝そうなかんじで見られていた。

 しかしべつに俺としてはどうってことはない。陰原と一緒だからといって自分の株が下がるわけでもないし、俺は俺のやりたいように振る舞うだけだ。

 陰原の家は高校からそう離れてないところにあった。徒歩で十五分といったところか。

 ごく一般的な住宅地だった。あからさまに怪しげな家が建っているわけでもなし、かといって豪華な家が建っているわけでもなし。中小企業のサラリーマンや地方の公務員がローンを組んでなんとか建てたんだろうなといったようなふつうの家々が建ち並んでいた。

 そのうちのひとつに陰原の家があった。

 玄関での受け渡しでもよかったのだが、せっかくなので、というわけで家の中まで招かれた。

 お邪魔しますといって上がり込むと、そのまま陰原園子の自室まで通される。

 室内を見渡して俺は驚いた。ラノベが至る所に積まれていて、まさしくオタ部屋というのにふさわしかったからだ。ちなみに女の子らしさは微塵も感じない。


「すげーな。ほんとにラノベが好きなんだな」

「ふひひまぁこんなのまだ序の口ですよここにあるのはすべて観賞用でほかの部屋にも保管用と布教用が眠ってますからもっとも一生眠ったままで太陽の光を浴びることはないんですけどね今回の例外がないかぎりは」

「なるほど、そういうことか。布教用買ったはいいものの肝心のあげる相手が見つからないってことだな」

「わざわざ口に出さなくてもいいんですよノンデリカシーな陽キャラですねまったくそれはそうと立ち話もなんですから適当にかけてくださいまし」

「つってもなぁ」


 俺は改めて部屋中を見渡した。この大量のラノベのせいでろくに落ち着けるところが見つからない。唯一あるとすればベッドの上だろうか。シーツに陰キャラ菌が付着してそうだったが、仕方なくそこに腰を下ろした。

 するといきなり陰原が悲鳴を上げた。


「ひぃ!」

「あ、すまん。やっぱベッドの上はないよな。ほかになかったもんでつい」

「いっいえかけろといったのは私ですしおすし何も謝ることはないんですよそこが気に入ったのであればどうぞ永遠にそこに居てくださいというかその場から動かないでください」

「永遠に居座られたらおまえが寝るときすげー邪魔になるぞ、それでもいいんだな」

「えっええべつにかまいませんよそしたら私はラの字になって寝るだけですしそんないらん心配よりも喉渇きませんか渇きましたよね少なくとも私は緊張してかすかすですなのでお茶の用意をしてきますね」

「くの字とかコの字とかだったらまだわかるけど、さすがにラの字は物理的に不可能だろ。身体真っ二つに分かれちゃってるし。あとお気遣いどうも」

「気なんて遣ってませんよただ私が飲みたいだけというのが本当のところですしちなみに私はきんきんの麦茶をいただきますけど春田くんは何がいいですかアサヒですか麒麟ですか」

「なんで俺にビール呑まそうとすんだよ。いくら陽キャラつっても未成年のルールは守るし、そもそも銘柄の問題じゃねーよ。俺もふつうにきんきんの麦茶がいいよ」

「わかりましたでは挽き立てのブルーマウンテンをお持ちしますねお父さんとっておきのまったく贅沢なお人ですねぇ」

「だから聞けよ」


 陰原は最後まで人の話を聞かずに、そそくさと部屋から出ていった。本当にブルーマウンテンとやらを淹れてくるつもりなのだろうか。高級な豆だということは知っているが、なんとありがた迷惑なことだろう。

 後で親父さんにバレて怒られてもしらねぇからな。

 いやしかしそれに気づけないほどテンパっていたという可能性も考えられた。本人も緊張していると自白していたし。

 だとすれば原因は俺にもあるのかもしれん。仮にも女子の使用しているベッドの上に座る、だなんて刺激させるようなことをしてしまったから。

 俺はおとなしく陰原が戻ってくるのを待った。熱々のコーヒーが出されたとしてもありがたく頂戴しようと思った。

 ほどなくしてお盆を手にした陰原が姿を現した。


「たいへん長らくお待たせしましたこっちが私の麦茶そしてそっちの青いグラスが春田くんのぶんの麦茶になりますどうぞ」

「ちゃんと話聞いてたんじゃねーか! いやまぁそのほうがいいんだけども!」


 ブルーマウンテンのくだりはいったいなんだったのだろうか。ほんと無駄に時間を浪費させないでほしい。


「ところでこの間に涼宮ハルヒの憂鬱には全巻目を通していただけたでしょうかであれば作品がラブコメであるか否かさっそくお聞かせ願いませんか麦茶がぬるくならないうちに」

「だからそんなすぐには無理だっつの。そもそもこの部屋のどこにあるかもわからんのに」

「左様でしたかこれはちいとばかし早とちりしましたかねいやはや失敬となると私の下着を漁っていたんですね陽キャラにありがちなムーブなのですぐに勘づきましたよ」

「物の見事に外してるけどな。いっとくが誰もおまえの下着なんぞに興味はねぇ」

「モデルさんも仰天するような下着を私が山のようにコレクションしていてもはたしてそのように強がっていられるでしょうかいえ私はそうは思えませんね」


 モデルさんも仰天と聞いて、俺の耳がぴくりと動いた。


「そこまでいわれると逆に興味が湧いてくるな」


 決してえっちな気分になったとかそういうことじゃないぞ。たんにどんなものか見てみたいと思っただけだ。

 陰原はむかつくことに得意気な顔をしている。

 クローゼットのほうに目をやった。


「その中にある収納の最下段にブツが仕舞われていますよ親分どうぞ覚悟が決まれば私の321の合図で実際にたしかめてみてくださいただし責任は問いません」

「そんなやばいもんが入ってるのか。ならせめて自分のタイミングで開けさせてくれよ、えーと子分さん」


 少し陰原の面倒なノリに付き合ってあげた。

 陰原は「うぬくるしゅうない」といって深くうなずいた。もはや設定が崩壊してんぞ。

 さておき俺はクローゼットを開けて、陰原のいうコレクションとやらを覗き込んでみた。

 ところが拍子抜けだった。そこにぎっしり詰められてあったのは、色気もくそもないスポーツブラだったからである。

 これじゃあモデルさんも仰天しようもない。

 俺はじとーっと陰原を見つめた。


「なんでうそついたんだよ」


 陰原は気まずそうに目を逸らした。


「申し訳ありませんじつのところ強がっていたのは私のほうだったのです驚きましたか春田くんに一杯食わせてやろうというつまらない思いからこのような結果を招いてしまいましたまた同じような過ちをしないよう反省し次に生かしたく存じます」

「次に生かそうにもどのみち二度目はないだろ」


 陰原がスポーツブラを着用しているという事実を知ってしまったからだ。


「いやだけど、ちっとも意外でもなんでもなかったな。そういう色気とかファッションとかに無頓着そうなおまえにゃむしろお似合いだ」

「やはりへんでしょうか女子高生にもなって見せブラのひとつも所持してないだなんてじつのところラノベを差し上げるというのは口実で本当はその悩みを相談しようと思って春田くんを私の家までご足労いただいたんですよ」

「まじかよ。まさかこっちに誘導されてるとは微塵も勘づかなかったし、だいたい想像しようもねぇよな」


 それこそラノベの神様くらいじゃなきゃ予測不可能ってもんだろ。

 俺はため息をついた。


「そんで、具体的にどういった相談なんだ。おかしいかおかしくないかを聞きたいだけってわけじゃないだろ」

「ええもちろんですそれならネット掲示板に書き込めば解決するような問題ですからね今回春田くんに相談というかお願いしたいことは何かずばり申し上げますと今度の土日いずれかに私と下着を見に行ってほしいのです」


 思わず出された麦茶を吹きこぼしそうになった。


「な、なんだって? いま下着を見に行ってほしいっていったか」

「はぁこの対面の距離で聞き取れなかったんですかだとしたら少々心配ですね将来何かあるといけないので早めに受診のほうをおすすめしますあなんだったらおすすめの耳鼻科医を紹介しましょうか実際に行ったことはないんですが」

「受診するつもりはないが、せめて行ったことのある病院を紹介してくれ」


 それなのになんでおすすめとかいえるのか。陰原の思考回路はまじで読めない。


「そうじゃなくて、確認のために聞き直したんだよ。なんせあまりに突拍子もなかったからな」


 突然、女性下着を買いに行くのについてきてほしい、しかもさほど関係の深くないやつにそんなこと頼まれたら、耳を疑って当然だろう。さしもの俺でも二つ返事に、おういいぞーとは答えられん。


「べつに俺じゃなくて友だち……はいなかったか、なら母ちゃんにでも頼めばいいだろ」

「じつをいいますとお母さんはいないんですよねもちろん私も人の子ですしこうのとりさんが運んできたとかいうんじゃありませんよお母さんは私が小学生のときに病気で亡くしました癌でしたあまり記憶がおぼろげなのですがその中でもほとんど唯一覚えているのはお父さんが闘病中のお母さんの額を優しく撫でていたことですねふだん滅多にそういうところ見せないんですがああやっぱり夫婦の絆は存在するのだと子どもなからに実感させられました」

「ちょっと待ってくれ。そんな重い話を一気に詰め込まないでくれ。頭が追いつかん」


 母ちゃんは病気で亡くしていないと一言いえばいいものの、闘病中のエピソードまで語っちまってるし。なんだかこっちが辛い記憶を無理に掘り起こさせているようで、罪悪感さえ募ってくる。


「母ちゃんのことはご愁傷様だったな。だが詳しい話はまた今度にしよう。いまは下着の話に集中しよう」

「私はどちらでもかまいませんよ春田くんが下着の話をしたいというのなら若干引きはしますがとことん付き合ってあげますよええ」

「なんでしれっとすり替えてんだよ。おまえから言い出したことだろうが」


 そして人を変態扱いしてんじゃねぇよ。

 ほんと陰原と話していると疲れる。


「母ちゃんがいなくても親父のほうはいるんだよな。なら最悪そっちに頼めばいいじゃねぇか」

「いやさすがにそれは厳しいですよ血が繋がってるとはいえいちおう異性ですからねもちろん恥ずかしいとかではないですよ正しくは嫌悪感というべきでしょうかどうでしょう」

「どうでしょうって訊かれてもしらんがな。ちなみに俺もいちおう異性なんだがな」


 親父さんがアウトなら当然俺もアウトになる。なので陰原園子のいう理屈は通らない。

 しかし陰原はきょとん顔でこう一言。


「えだって春田くんは陽キャラじゃないですか」

「え、それが理由? つうか短い言葉でもまとめられるんじゃねぇか!」


 やろうと思ってできるなら是非とも今後はそうしてほしい。そのほうがよりよく意思疎通が図れるからな。

 陰原はこれまたきょとん顔でうなずいた。


「もちろんできなくはないですよあまり気乗りはしませんけどねしかしそんなことはどうだっていいです話を逸らさないでください春田くんはそれが理由かと尋ねましたよね答えはイエスです男性がランジェリーショップに足を踏み入れるのは相当ハードル高いですからねよほどの陽キャラでもないかぎりその役目は務まりませんよもしも私のお父さんのような陰キャラがそうしようものなら一発で退場でしょうねそう物理的に店員さんから摘まみ出されるというわけです変質者としてそんなの家族の一員として見てられません」

「おや気のせいかな。より長台詞に拍車がかかったような。ともあれ親父さんも陰キャラなんだな。親子揃ってすげーな、筋金入りだな」

「なんだか馬鹿にされたようなかんじもしますがええそうなんですよ実際娘の部屋に男子が来ているというのに顔すらも出せないほどの陰キャラっぷりですからね」

「親父さん家にいるのかよ!」


 まさかの在宅ワークとは。家に誘われたもんだからてっきり誰もいないものかと思い込んでいた。


「ええいますよそれも隣の部屋にさっきは下でお父さん秘蔵のブルーマウンテンを淹れようとしたところをそれだけはお父さんの楽しみだから勘弁してくれ麦茶で十分だろうと泣きつかれましたけどね」

「謎がひとつ解けたよ。そういう経緯があったんだな。にしても親父さんが可哀想だ」


 勝手に男子を連れ込まれたり、自分の大切な物をとられそうになったり。俺がもし陰原園子の親父だったらこんな自由奔放な娘はいやだ。


「まぁおまえの親父に務まらないことはよくわかった。だが最後にひとつだめ押しさせてくれ」


 俺はスマホの画面を陰原に向けた。


「そもそも実店舗に行くハードルが高いんなら、通販で買えばよくないか。そのほうが便利だと思うし、何よりそんなやつのために通販という手段があるといっても言い過ぎじゃない」


 またそれを活用することもなんら恥じることはない。時代の進化だ、企業の訴求力の高さだ、だから俺たち消費者はありがたくそれにあやかるべきなのだ。

 けれど陰原は浮かない顔だ。まぁだいたいのところは察しがつくのだが。


「せっかくいいことをいってやたぞと自己陶酔に浸っているところ申し訳ないのですが通販は少々苦手なんですよねやはり現物を手に取ってみないと色彩や素材感は正しく伝わりませんしもしサイズが合わなかったらなどと不安に駆られることもあるでしょう」

「わかる。かくいう俺も実際に見て買う派だからな。イメージと違ってたら無駄遣いしちまったかのようなもやもやした気持ちになるからな」

「わかっちゃうんですかそれはすごいですねここだけの話ですけどいまの話全部想像で語ってしまいましたえへへ」

「そうか、これからはそのへんな癖やめて、ちゃんとリアルな言葉を吐こうな。じゃないと俺のいらいらが止まらんから」


 陰原の答えは頭の中にあったものだが、まさかその答え自体が想像であったとは予想できなかった。そしてそんなサプライズはいらない。


「じゃあ通販で買うってことでいいな」

「あーいやちょっと待ってくださいそれはやっぱなしでお願いします想像で語ってるうちに本当に通販は怖いなって気持ちになってしまいましたから万が一春田くんの器が大きいようであれば機嫌を取り直してどうか土日一緒についてきてはもらえませんかねそれは無理な相談でしょうか」


 俺は盛大にため息をついた。なら最初からよけいなことをしなきゃいいのにな。

 スマホをポケットに収めた。


「わーった、わーったよ。涼宮ハルヒ、全巻タダでもらうってわけにもいかんし、その見返りっていっちゃあなんだが、今度の土日だっけ? ついてってやるよ。俺も男だ、一肌脱いでやんよ」


 そしたら不意に、「ひぃぎゃあーっ!」と陰原が悲鳴を上げた。

 思わず俺は身構える。


「なんだなんだ、いったい何事だ!?」

「そんなに脱ぎたがる変態さんでしたらいまここじゃなくて当日お店の試着室で好き放題やってしまえばいいじゃないですかむしろやっておしまい!」

「いやそんなことしたらますます変態だし、だいだい試着室にも入らないし、物理的に脱ぐって意味じゃねーから!」


 なのにやっておしまい、じゃねーよ。

 俺と陰原はしばらくのあいだ、そんなくだらないやりとりで騒いでいた。

 間違いなく親父さんのいるという隣の部屋まで響いていることだろう。喧嘩かいちゃこらか、それに近しいハプニングが起きたと邪推されるかもしれない。

 だがそれでも親父さんが様子を覗きにくるようなことはなかった。

 親父さん。どんだけ陰キャラなんだよ。

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