第19話
書庫に通い、白蛇と戯れる。
そんな日が続いた。
一人で書庫に座り込むのと違い、蛇一匹でもいると気持ちが違う。
朝早くから夜遅くまで書庫から出してくれない。そのため、神社に行く時間もなく、未だ白威には会えていなかった。
「白威、どうしてるかな」
ふと零れた本音を白蛇は拾うとぴくりと反応し、優子の目元で頬ずりをする。
「何よ、図々しいわね」
軽口を叩いていると、大きな欠伸が出た。
寝不足ではないが、小さな窓一つからしか太陽の光は入らない。
室内に灯りはあるけれど、薄暗い書庫の中は眠気を誘う。
優子は抗うことなく、睡魔に誘われるまま重い瞼を閉じた。
気づけばそこは懐かしい白の世界。
久しぶりだ。二年ぶりか。
どこを見ているのか分からなくなるくらい、どこも同じ白が続く。
ほんの僅かな恐怖を感じるが、それよりも勝る懐かしさ。
そして振り向けば、二年越しに会う白威。
「…久しぶり」
「そうね」
相変わらずの神々しさに、思わず瞬きをしてしまう。
白威が放つ異彩に、優子は胸が高鳴った。
二年が経った。その間、白威はどうしていただろう。何を思い、何をしていたのか。
気になるが、自分から口に出せない。
「…会いたかった」
ぽつりと、聞き取ることができるぎりぎりの声量で白威は言う。
私も会いたかった。その一言が出ない。
「あっそ」
代わりに素っ気ない返事をしてしまう。
そうではない。言いたいのは、これじゃない。
「…優子は、会いたかった?」
会いたかった。
そう言えばいいだけなのだが、白威を前にすると言えない。
優子の性格もあるが、それよりも、胸の高鳴りが煩く邪魔をする。
「あ、あい…」
会いたかった。
「相変わらずね」
ふんっ、と腕を組み言い放ったのは言いたかった言葉ではない。
何が相変わらずね、だ。そうじゃないのに、そう言いたいのではないのに。
「…優子、綺麗になった」
ふっ、と笑う白威が美しすぎて心臓が飛び出る勢いだ。
白威の瞳よりも赤い顔で、優子は口を動かす。
「き、綺麗になったって何!?今までは綺麗じゃなかったってこと!?」
素直に「ありがとう」が口から出てくれない。
素直になれないが、突っかかることはできる。
綺麗と褒められて嬉しい気持ちよりも、気恥ずかしい方が大きい。
「今までも綺麗だったけど、今はもっと、綺麗」
優子に指摘され言い直す。
顔と首が熱い。きっと真っ赤になっている。白威だって気づいているはずだ。
それがまた優子を羞恥に染める。
優子は自分の容姿を分かっている。綺麗さと可愛さを兼ね備えていると理解している。村で一番の美人だと自負している。
村長が優子を見る目は、色欲が混ざっている。村の男から浴びる視線も同様だ。それも相まって女からの攻撃は絶えなかった。
自分が美しいのは当然だ。鏡を見て、自分でもそう思う。
村人が気味悪がるこの黒髪だって、優子に似合っているのだ。髪の色が茶色でも優子に似合っていただろうが、黒であると一層優子の白肌を映えさせ、魔性さを際立たせている。
自分に敵う女はいない。
そう言い切れる。
「…優子」
「な、何よ」
「…優子」
「だから何よ」
「優子」
「だから、何よ!」
名前を呼ばれるが、それ以上は何も言わない。
延々と名前を呼ばれるので返事をする。何をしたいのかさっぱり分からないが、返事をすると白威が少しだけ嬉しそうに顔を綻ばせる。無視をしてその表情を変えたくない。
「優子、善い子?」
「はぁ?当たり前でしょ。あんた、私の行いを知らないの?」
「…知ってる」
「嘘つかないでよ、知ってるわけないでしょう。私はね、今とても善い子なの。村人の虐めにも耐えて、厭らしい視線にも耐えて、耐えて耐えて耐えているのよ」
「…善い子」
「そうでしょう。そうなの、私って善い子なの」
ドヤ顔で自分を褒める優子に白威は拍手を送った。
仁王立ちして自分がどれだけ日頃から善行を積んでいるのか語り、白威は黙ってすべてを耳に入れた。
「…優子、すごい」
「そうでしょう、そうでしょう」
「…優子、偉い」
「当たり前よ」
「優子、綺麗」
「そ、そ、そう…」
「優子、可愛い」
「う、え、う、うん…」
「優子、触りたい」
「へ、え、い、いや、え?」
「駄目?」
「だ、だめじゃ…いや、え?」
あたふたする優子から返事を待つ。
白威は優子が話終えるまで口を挟まない。
優子が「嫌だ」と言えば触らないし「いいよ」と言えば触る。
優子の返事を待たずして触ることはあり得ない。それは優子も分かっている。分かっているからこそ、返事ができない。
「いいよ」なんて言えば、触ってほしいと言っているようなものだ。「嫌だ」と言えば触れてこないが、それはそれで、なんだか寂しい。
すばやく思考し、優子は顔の角度を変える。
「す、好きにすれば?」
触れたいのならそうすればいい。
「…する」
白威の手が優子の顔に伸び、頬を撫でる。
心臓が今まで以上に動きだし、暴れ始めた。
うああああ、と内心焦る。
白威の手が下へ降り、首を触ると優子の身体は震え始めた。
白威の手にもその震えが伝わると、優子の肌から白威の温もりが消えた。
手を離した白威は、嫌がることはしない、ときりっとした表情で優子を見つめる。
嫌だから震えたのではない。緊張のあまり震えたのだ。だから、別にそのまま触れていてもよかったのに。そんなことを思い、また赤面する。
それでは痴女ではないか。
色欲を混ぜた視線を寄こす村の男どもと同じになってしまう。
自分は違う。そう、白威の美しさに緊張しただけ。触りたいとか触ってほしいとか、そんなこと微塵くらいは思っていたが、でもそれは、友情からくるものであって情欲ではない。そんな低俗なものではない。
必死に言い訳を並べてみるが、村の男どもが浮かび上がり、赤くなった顔は青に変わる。
村人と程度が同じ。
その事実に打ちのめされ、視界から白威が消え去った。
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