第3話 麦わら帽子と夏の思い出




 

 小学校から徒歩10分。


 川幅が20mの比較的浅い川、二見川が俺の遊び場だった。


 橋下を通り抜け、少し歩いたところに俺よりも高く伸びた草むらが見える。それをかき分けると、その奥に河川敷から死角になっている場所がある。


 そこは生える草を踏み慣らし、苦労して外周の草を編んでテントのように張った俺だけの秘密基地。


 小学校帰りに、ランドセルを背負ったまま俺はそこに来ていた。秘密基地に入るやいなや。俺は思わず目を見開いた。視線の先に、少女がちょこんと三角座りをしていたからだ。


 長い黒髪の少女だった。上品な白いレースのワンピースに、これまた白い紐サンダルを履いていた。胸に麦わら帽子を抱えて、無表情でこちらを見ている。


「お、おまえ、なんでかってにここにいるんだよ!」


「…………」


「むしするな!」


「はぁ、貴方には関係ないでしょう?」


「かんけいある! ここはオレのヒミツキチだぞ!」


「秘密、基地?」


「そうだ、ヒミツキチだ! オレがここをつくったんだ」


 胸を張る。

 それを見て、少女は困ったように眉を下げた。


「そう、ごめんなさい。知らなかったの。ああ、でも私が見つけてしまったから、もう秘密ではなくなってしまったわね」


 少女の言葉に唸る。腕を組んで考える。数秒もせず、俺は答えを出した。


「むー、しょうがないな! おまえ、オレのともだちにしてやる。だから、ひみつにしろ!」


「……友達?」


「なんだ? ともだちもしらないのか?」


「……知っているわ。ただ、今まで必要なかっただけよ」


 少女はポツリと呟いた。その表情があまりにも寂しそうだったから、どうにかしてやりたいと強く思った。


「ばかだなぁ。ともだちはひつようあるかないかじゃないぞ。なりたいから、なるんだ。オレは、おまえとともだちになりたい。おまえはどうだ?」

 


 ーーーなりたいから、なる。



 俺の言葉を噛み締めるように何度か口にして、少女はぐっと唇を噛んだ。ワンピースを握りしめる。それから、数秒置いて意を決したように、真っ直ぐ俺を見詰めた。


「私……なりたいわ。貴方の友達になりたい!」

 

 俺は元気良く頷いてみせた。


「おう! じゃあ、きょうからオレとおまえはともだちだ。オレ、貴弘。日野貴弘、よろしくな!」


「……たか、ひろ。貴弘さん……私は髙野宮撫子、です」


 俺は少女、撫子に向けて手を差しのべる。撫子は、眩しいものを見るように目を細め俺の手を取った。


「なでしこ、はやくあそぼうぜ! ほら、こっちこっち!」


「きゃあ、ま、待って、貴弘さん!」


 撫子は慌てて麦わら帽子を被って、俺に手を引かれるまま走り出した。振り返ると、撫子は無邪気に笑っていた。天使みたいに笑うんだ、と思った。何だか俺も楽しくなって、大きな声で笑った。

 

 俺たちの笑い声は青空に響き、入道雲を越えてどこまでも昇っていった。




 ***




「んあ……ふあぁ、またやけに懐かしい夢を見たな」


 大きい欠伸をして、身体を起こす。

 眠気眼で、枕元に置いている目覚まし時計を見る。時刻は、6時丁度。いつも体内時計は正確だ。


 ゆっくりとした動作で、制服に着替える。

 聖深学院の夏制服は、白いブラウスに赤いネクタイという落ち着いたもので飾り気はまるでない。しかし、男子生徒は美形揃いでそれさえも難なく着こなしてしまうのだから始末に終えない。


 部屋をでる。そのまま洗面所に行き、顔を洗って、歯磨きを済ませてからリビングへ向かう。


「貴弘、おはよう」


「おはよう、父さん」


 リビングに入ると、きっちりスーツを着こなした父さんが、飲んでいたコーヒーを掲げて挨拶をしてきた。相変わらず、無駄に爽やかだ。その間にお袋が手際よく朝食を並べてくれた。


「ご飯できてるわよ。早いとこ食べちゃいなさい。お父さんはもう食べ終わったんだから」


「分かってるよ」


 お袋に促されてテーブルにつくと、朝御飯を食べ始める。目玉焼きにトースト、サラダにコンソメスープ、口の中に詰め込む。


「しっかり食べなさい。今日は撫子ちゃんを迎えに行くんでしょう?」

 

 何で知ってるんだと視線を送ると、お袋はしたり顔で昨日撫子ちゃんに聞いたのよと答えた。撫子ぇ!


「何だそうなのか貴弘」


 興味津々といった様子で、俺に問いかける父さん。俺はそれに答えずに麦茶を飲んで口に含んでる物を流し込むと、鞄を持って席を立つ。


「ご馳走さま、行ってきます!」


 駆け足で部屋を出る。閉めた扉の奥から、青春だなぁと父さんの朗らかな声が聞こえた。




 ***


 

 長い唐塀に沿って暫く自転車を走らせると、大きい四脚門に行き着く。そこには既に、撫子が静かに佇んでいた。


 通り抜けるような風が吹き、艶のある撫子の長髪を拐う。それを手で押さえるたおやか仕草。思わず見惚れた。ひとつの動作が洗練されていて、育ちの良さを感じられる。

 

 控えめにベルを鳴らす。撫子はそれに気づいて、顔を上げた。俺を見つけると、小さく手を振って嬉しそうに微笑んだ。


 俺は撫子の目の前に自転車を止める。


「貴弘さん、おはようございます」


「ああ、おはようさん」


 俺は顔だけ振り向いて、軽く手を上げる。


 聖深学院の女子の夏服は、クラシックな白いワンピースタイプ。空色のリボン、同色の袖と衿のラインがアクセントになり、より清楚で上品な雰囲気を醸し出していた。


「撫子、ほら鞄」


「はい、よろしくお願いします」


 撫子に向けて手を差し出す。撫子は遠慮がちに鞄を俺に預けた。俺はそれをかごに入れ、自分の鞄を荷台に敷く。それから、ポンポンと荷台を叩いて、乗るように促した。


「では、失礼致します」


 撫子は俺に断って荷台に横向きに座る。腰に手を回されたことを確認してから、ペダルをこぎだした。


 夏とは言え、流石に早朝は涼しい。今日はからっとした空気で湿気も少ない。日陰にさえ居れば、暑さを凌げるだろう。


「貴弘さん、また帰りも迎えに来てくださいね」


「分かってる。ただ、せめてもっと人通りの少ないところで合流しないか? 目立ってしょうがない」


「それが目的なので、お断り致します」


「……えげつねぇ」


「誉め言葉として受け取っておきます」


 どこか誇らしげな声。


 呆れながらも笑みが溢れた。何だかんだで俺は撫子に絆されているのだろう。それも案外悪くない。そう思う自分がいた。


 



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