高嶺の花なご令嬢は自ら俺に摘まれにきます

桂太郎

第1話 高嶺の花





 高嶺の花。


 それは遠くから見るだけで、決して手に入らないものの例え。手に入れたいかどうかは別として、俺、日野貴弘にとって、まさに髙野宮撫子がそうだった。


 彼女は戦前から続く髙野宮財閥、日本経済を裏から牛耳っているのではと囁かれている現・髙野宮グループ会長の娘。そして、何を隠そう俺のお隣さんである。


 でも、まぁお隣さんと言ったものの、撫子の家は驚くほど広い敷地を持つ日本屋敷なので、お隣さんは外周分存在する。多くのお隣さんの内の一つ、というのが本当のところだ。


 彼女とはここでは語り尽くせない様々な縁があり、幼い頃から親しく付き合っている。……俺的には、付き合わされていると言いたい。嫌々ながら、幼馴染みと言える関係だ。


 しかし、撫子自身はきっと俺のことを幼馴染みというより、使用人あるいは下僕だと思っているのではないだろうか。うん。絶対思っている。

 

 たぐいまれな美貌、確固たる地位や莫大な資産を持つ撫子。決して手の届かない高みに、彼女は凛然と立っている。 


 それが嫌だとか、妬ましいとか言う訳ではない。むしろ、こいつが頂上に立って、無駄にふんぞり返って偉そうにしているところを俺はずっと見ていたい、とさえ思う。というか、それ以外の撫子なんて想像できない。


「貴弘さん、私の話を聞いているのですか?」


「あー、うん」


「もうっ、私は怒っているのですよ!」


「そうか」


「そうか、ではありません。全く何度言えば理解して頂けるのですかっ!」


 昼休みの教室。


 聴衆の面前で撫子は俺に詰め寄りながら、くどくどと文句を言い連ねている。正直、かなり面倒臭い。俺は、撫子の話を聞き流しながら深いため息を付く。そんな俺を咎めるように、「いけない人ね」と撫子は呟いた。それは、俺だけに使われる撫子の口癖だった。


「貴弘さん、ため息を吐くと幸せが逃げますよ」


「馬鹿言え。ため息くらいで逃げる幸せなんて、本当の幸せなんかじゃないぞ」


「また、屁理屈ばかり言って……」


「屁理屈も理屈だ」


「もう、本当にいけない人ね。話を逸らすために、ひねくれたことばかりおっしゃって。でも、そんなことでは誤魔化されてあげません」

 

 撫子は形の良い眉をひそめ、桃色の瑞々しい唇をへの字に曲げた。ただでさえ鋭利な目を一層吊り上げ、不満を表す。

 

「貴弘さん、今朝また私を置いて行きましたね。学園に登校する際、必ずお迎えに来るようにと何度もお伝えしているはずですが?」


「俺だって何度も言ってるだろ、嫌だってな。お前を自転車の後ろに乗せて、あの坂を登るのはしんどいを通り越して最早拷問だ。撫子んとこ専属の運転手がいるだろ。普通に送ってもらえよ」


「有り得ません。貴弘さんがいらっしゃるのに、私がどうしてその様なことをしなければならないのですか。理解に苦しみます」


「……いや、それはこっちの台詞なんだが?」


 運転手が居るのに、何で俺がそんなことをしなけりゃいけないんだ。それこそ理解に苦しむわ。……って言っても、無駄なんだろうな。げんなりと肩を落とす。前提から間違っていることに気づいて欲しい。


 撫子は俺の顔を見て、苛立ちを隠さず射干玉の長髪を払う。それと同時に、何とも言えない良い香りが鼻腔を擽った。


 立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花。


 撫子の為にあるとでも言うような、その言葉を脳裏に思い浮かべる。中身は我儘お嬢様だが、それ以外は完璧だ。


「ーーー貴弘さん」


 静かに名前を呼ばれる。だが、その後に続く言葉はない。これは無言の主張だ。梃子でも私は動かない、という合図。こうなると、撫子は決して意見を曲げることはない。持久戦にもつれ込む。最終的に折れるのはいつだって俺の方。つまるところ、これ以上の抗弁は全くもって徒労なのである。


「もう、分かった。分かりました。送れば良いんだろ、送れば!」


「最初から素直にそう言えばよろしいのです」


 ぐっと、不満を漏らさないように耐える。耐えきれた俺を誉めてやりたい。いや、誉めろ。誉めてくださいお願いします。

 

「では、放課後お待ちしています。必ず、迎えに来なさい。必ずですよ。……貴弘さん、良いですね?」


 疑問系なのに、断定系だった。というか、最初から有無を言わせるつもりなんてないだろこいつ。俺以外の人間なら、考える前に従ってしまう程のカリスマ性を持つ、それが撫子のすごいところだ。


 生まれながらにして、人の上に立つことが決められた存在。それがこの少女、髙野宮撫子なのだ。


「はいはい」


「返事は一回」


「はーい」


 気の抜けた俺の声に、よろしいと満足げに頷く撫子。机を手でひと撫でして、颯爽と去っていった。全く台風みたいな女だ。勿論、天災なので止めることは出来ない、と言う意味だ。


 取り敢えず、危機は去った。


 後暫くは晴れ間が広がるのみ。そう思うことで自分を慰める。自分で自分を慰めないと、他に誰も慰めてくれないからだ。……自分で言っていて寂しくなってきた。


 鬱々としている俺に、今まで離れた所でやり取りを見守ってたクラスメイトが声をかけてきた。


「日野は良いよね。あの髙野宮さんと幼馴染みで」


「馬鹿言えよ、田中。あいつからしたら、俺は召し使いみたいなもんだぞ」


「良いじゃないか。召し使い。髙野宮さんとても美人だし、僕なら喜んでなるけどな。むしろ御褒美です。……後、僕は中田な」


「そうか。なら、代わっても良いぞ、中山」


「だから、中田だって!」


 俺は再度深いため息を吐いた。




 ***

 



 放課後。


 クラスメイトが次々教室から出る中、俺は依然として机から離れられない。嘘だ。離れたくない。もしくは、放置して帰りたい。


 しかし、どちらを選んでも面倒臭いことになる。いや、迎えに行っても面倒臭いのは変わらない。つまり、どう転んでも面倒臭い。


 重い腰を上げ、鞄を背負って教室から出る。

 とぼとぼと歩きながら、撫子がいる本館へと向かう。


 この聖深学院は、明治に入ってイギリスのパブリックスクールをモデルに創設された歴史あるミッション系の私立高校だ。


 元々は上流階級の子女を育成する女学院であったが、時代に即し、開かれた教育の場を作るため共学となった。しかし、まだ共学になってから日が浅く、男子生徒の数は圧倒的に少ない。


 更には、聖深学院の生徒はその殆どが、国内外問わず様々な要人の子息子女たちである。


 入学当時、挨拶に「ご機嫌よう」という言葉が日常的に使れていることを知り、壮絶なカルチャーショックを受けた。それぐらい浮世離れした場所だ。本来、俺みたいな庶民が入れるような所ではない。


 そうこう考えている間に、本館にたどり着いた。外観は完璧に西洋のお城だ。うん……すごく入りづらい。どうしてこんな作りにした。俺はできるだけ気配を消して、撫子がいるクラスへ足を進めた。

 

 目当ての教室に到着したが、すぐに入らず後ろの扉からそっと中の様子を覗き混む。

 

(撫子は……っと、やっぱり囲まれてやがる。あー、めんどくさいな)


 撫子は直ぐに見つけた。

 何故なら撫子を中心に、クラスメイトたちが輪形陣を組んでいるからだ。人垣とは正にこのこと。


 ここまであいつが人気なのは、世界に知らない者がいないとまで言われるあの髙野宮グループのご令嬢だから、と言うのも勿論あるだろう。

 それに合わせて、容姿端麗、文武両道を地でいくスペックの高さ。聖母のように清らかで、慈愛に満ちた心を持っていると称される完璧な淑女っぷり(それに関して俺は異議を唱えたい)。全てを引っくるめて、この学院で老若男女問わず絶大な人気を誇っているという訳だ。


 このままそっと帰りたい。その欲を鋼の意思で嫌々ながらねじ曲げる。浅く息を吸って覚悟を決め、出来るだけ当たり触りない声を出した。


「……撫子、迎えに来たぞ」


「貴弘さんっ!」


 撫子の嬉々とした声が聞こえた。それから人垣を抜けて、駆け寄ってくる。


「ちゃんと来て下さったのね。嬉しいです」


「お前が強制的に約束させたんだがな。……で、もう帰れそうか?」


「ええ、勿論です。直ぐ準備致します」


 撫子は再び、人垣へ舞い戻る。ざわめきが最高潮に達した。不躾な視線を感じる。居心地が悪い。これは苦行か何かなのか?


 撫子は友人らしき数人の女子生徒に引き留められ、何やら話をしている。これじゃあ晒しもんだ。早く終わらせてくれ。

 

「お待たせいたしました」


 撫子が鞄を持って歩み寄ってきた。俺は頷くと、撫子の手から鞄を奪う。


「よし、行くぞ」


「ふふっ、はい。貴弘さん」


  ***



 聖深学院には4つの寮がある。基本、生徒はそこで生活しているが、特別な許可を取れば俺たちのように自宅から通うこともできる。


「お前も寮に入ったらわざわざ通わなくて済むのに」


「貴弘さんだって、寮に入っていないではありませんか」


「いや、この学院寮の費用めちゃくちゃ高いだろが」


「私に言ってくださいましたら、寮費だって免除致しますのに」


 撫子はそう言って、俺を上目遣いで見詰めた。俺は撫子の頭をぽんぽんと優しく叩いて、苦笑する。


 聖深学院は何を隠そう髙野宮家の先祖が創立した学校だ。今の理事長も撫子のじいちゃんで、その運営は髙野宮グループが行っている。だからこそ、かなりの融通がきくのだ。


「馬鹿、それ職権濫用ってやつだろ。俺はお前にそんなことさせたくない。別に通いでも苦ではないしな」


「貴弘さん……でしたら、私も貴方と一緒に通います」


「あのな……。はぁ、もう好きにしてくれ。ほら、行くぞ」


 自転車に乗って、荷台に撫子を座るよう指示する。危ないから足を開いて跨がれと言っているのに、「そのようなはしたない乗り方などできません!」と怒られた。

 いや、そもそも2人乗り自体がはしたないと思うのだが。そこは良いのか、お嬢様。というか、警察に見つかったらアウトたぞ。そう思ったがめんどくさくなって止めた。


「ほれ、ケツ痛くなるから俺の鞄を荷台に敷いとけ」 


「貴弘さん、言葉遣いがとても下品だわ。でも、ありがとうございます」


 撫子は俺の鞄を下に敷いて横座りした。


「落ちないように、ちゃんと俺の背中に捕まっとけよ」


「ええ。大丈夫です。絶対に離さないわ」


 撫子の細い手が腰に回された。

 同時に、何とも言えない柔らかい感触が背中に伝わった。うむ。これは駄賃だと思っておこう。


「いくぞっ!」


 掛け声と共に、勢いよくペダルを踏んだ。

 




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