4-シャルルの家
「すぅ……すぅ……」
「……チッ」
腕を枕にして眠っている少女は、シャルルが大きな音を立てて椅子に座っても目を覚まさない。ふっくらと柔らかそうな頬を、幸せそうに緩めている。
一体何時までここで帰宅を待っていたのか、舌打ちをしてもテーブルや椅子をトントン、カタカタと鳴らしても、一向に起きる気配がなかった。
頬杖をついて足を組んだ体勢で、しばらくイライラしながらも眠りを妨げずに黙り込んでいたシャルルは、たっぷり5分は経ってからようやく身を乗り出す。
「おい、起きろ。ここはお前の家じゃねぇぞ、マリー」
「うみゅう……くすぐったいわ、くすぐったい……」
心なしか優しげな声と同時に行われるのは、無防備に晒されている頬をつついての接触攻撃だ。
大声に鼓膜を揺らされ、ツンツンと頬を圧迫される彼女は、段々と意識を現実に引き戻していく。
しかし、野外で寝ていたシャルルとは違って室内だからか、少女――マリーは思いの外すぐには起きない。
何度頬をつついても起きなかったので、ついにはシャルルも椅子から立ち上がって反対側へ行き、両肩を掴んで体全体を揺さぶって起こし始める。
「はわ……揺れている、揺れているわ……
逃げてシャルル……」
「揺らしてんだよ、いつまで寝ぼけてんだアホ」
「ふみゅう……あら?」
シャルルが体を揺らしたことで、彼女は地鳴りでも起こったと勘違いしたのか警告を発し始める。
だが、もちろんその揺れはただ体が揺らされているからで、危険はない。
重ねて声をかけると、ようやく意識がはっきりしてきたのか寝ぼけ眼をこすって体を起こした。
「あなたいつの間に帰っていたの、シャル?
今日は随分と遅かったのね、私とーっても心配したわ」
「もう今日じゃねぇよ。仕事があったのは昨日だ」
起きてすぐに心配を口にする彼女だったが、シャルルは容赦なくばっさりと切り捨てる。
帰ってきたのは今なので、今日の帰りが遅かったというのも間違ってはいない。しかし、おそらくマリーが心配していたのは、処刑の仕事についてだ。
仕事がある度に合鍵を使って帰りを待たれており、それがわかっているからこそ、シャルルはあけすけに事実を伝えていた。ぞんざいな態度ではあるが、殺しに手間取ったり危ない目にあった訳ではないぞ……と。
きっとそれは、マリーの心配は杞憂だったと知らせることで、さっさと帰らせようとしてのことだろう。
しかし、その言葉を聞いた彼女は、それとはまた違った部分に反応を示して目をまんまるにしていた。
「そ、そんな……まさか朝帰りだなんてっ。
あなた、いつの間にそんな悪い子になっちゃったの?」
「おい、なんだその言い方は? お前は俺のおかんか?
ガキじゃねぇんだから、それくらいあんだろうが」
「けれど、16歳というのは大人ではないと思うの」
「だとしても、お前も同い年だろうが。んで、お前は今どこにいる? 外泊してるやつが言えたことか?」
予想外の反応をされたシャルルだったが、日々生死をかけたやり取りをしているだけあって冷静だ。
かすかに顔をしかめながらも、的確に言い負かして不機嫌そうに立ち上がる。
とはいえ、マリーも合鍵を使ってでも入り込み、テーブルで寝てしまう程に待ち続けたのだから、言い負かされただけでは帰りはしない。
シャルルが立ち上がったのを見ると、今度は行動で自分の意思を示そうとでも言うのか、ほわほわした雰囲気を漂わせながら回り込んで立ち塞がった。
「大丈夫、私は帰ってきてくれただけで嬉しいわ。
ご飯はもう冷めちゃったけど、温めましょうか?
それとも、先にお風呂に入ってスッキリする?
でも、あなたは今帰ってきたのよね……
もうお眠かしら?」
「だーかーらー、俺はガキじゃねぇだろうが。
なんだ、新妻みてぇに色々世話焼こうとしやがって。
自分で勝手にやるから、お前はさっさと帰れ」
気が抜けるようなオーラを醸し出しながら、マリーは優しく声をかけていく。ほわほわとしていながらも、道を遮ってのかなり強気な意思表示だが、当然シャルルは流されない。
再び地味なワンピースに包まれた華奢な両肩を掴むと、無理やり体をズラして道を確保した。一度言い負かしているので、やはり言うことを聞くつもりはないようだ。
だが、それは一晩待ったマリーも同じこと。
彼女は簡単に退かされてしまいながらも、慈愛に満ちた目を向けて自分に勝機がある部分で言葉を続ける。
「そうね〜、帰りたいのは山々なのだけれど、あなた放っておくと何もしないじゃない。昨日だって、私がこの家を掃除しておいてあげたのよ? とっても快適でしょう?」
「そりゃどーも! じゃあ俺は快適な我が家で安眠してぇから、さっさと帰って静かな空間を作ってくれ」
「あら、やっぱりお眠なのね。それなら、起きてすぐ‥」
「寝る!!」
何もしないと言われ、実際に昨晩は掃除までさせてしまっていると聞かされてしまえば、シャルルも弱い。
黒いコートに隠れていない目を若干泳がせると、彼女の言葉を遮って2階の寝室に向かっていく。
それを見送るマリーは、やはり帰るつもりはないようだ。
起きてすぐに世話を焼くつもりなのか、再びテーブルについていた。
~~~~~~~~~~
「クソっ、マリーのやつ、俺の周りにいたやつらはみんな死んでるってわかってんだろ……!? 近付いてくんなよ……!!」
荒々しく寝室の扉を閉めたシャルルは、扉に寄りかかりながらフツフツと湧き上がってくる苛立ちを吐き捨てる。
階段を登る時も音を立てていたが、それでも熟練の処刑人であるため、マリーがついてきていないことは確認済みだ。
声も1階にまではそう簡単に届かないので、取り繕うこともなく心の叫びを絞り出し、表情を歪めていた。
とはいえ、マリーであれば本当に寝たのか確認に来てもおかしくはない。実際に寝る必要はないにしても、騒いでいたらバレることは疑いようもないだろう。
ひとしきり吐き出し終わると、シャルルは大人しくベッドに向かっていく。黒いコートは防水加工が施されているため、血は既に弾けている。
汚いといえばそうなのだが、日常的に血に塗れている処刑人が気にするようなことではない。
特に気にせず、ぼふんとベッドに体をうずめた。
「……」
うつ伏せ状態から転がって仰向けになると、その視線の先にあるのは枕元の棚に立てかけられた写真だった。
そこには、夫婦と思しき男女とその間に2人の子どもが立っている光景が写し出されている。
幸せそうな男女はおそらく、シャルルの両親。間の子ども達は、不貞腐れたような表情をしている髪を伸ばした少年と、無邪気な笑顔を浮かべているまだ小さな少女だ。
沈痛な面持ちで家族写真を見つめているシャルルは、まだ下にいるであろうマリーに気づかれない程度に、再度怒りを燃え上がらせていく。
「それに、あのガキもあのガキだ!! 雷閃っつったか?
いくら強くたって、気ぃ抜きゃ殺られんだろうが……!!
みんなはあっけなく死んだのに、殺されかけても何もしねぇだと? 強ぇのは身を持って知ったさ。けど、だとしても……殺される前に殺さねぇと、死ぬんだぞ!? クソ偽善者が……」
森に新しくできた空き地で出会った少年は、熟練の処刑人であるシャルルを相手にして、生き残るどころか圧倒してみせた。
それだけの実力を見せつけられても、人を殺さない彼の意思は劇薬のように蝕んでいく。
今のシャルルは間違いなく処刑人で、しかも人殺しを愉しむ異常者だ。しかし、それでもなお人の心をすべて捨て去った殺人鬼ではない。
意味がある、価値がある、必要性がある。
意味を求める、価値を求める、必要性を求める。
あまりにも自身とかけ離れた善性を突きつけられたシャルルは、自らの内側に潜む相反するものの存在に苦しみ、人格を溶かすような浮遊感の中、意識の奥底に沈んでいった。
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