1-異境人

「……あぁん? 今、雷落ちたか?」


鮮血を撒き散らしながら、ボールのように飛び跳ねている男の頭を眺めていたシャルルは、窓からかすかな光と確かな音を感じて、転がる頭から目を離す。


この家に来る時に傘を指していなかった通り、雨など降っていなかったはずだ。とはいえ、こんな夜更けに光と音を迸らせるモノもまた、あるはずがない。


もちろん雲一つない快晴ではないので、雷が落ちた可能性もありはするが、唐突に雷というのはどういうことか?

シャルルはギロチンから男の胴体を外すこともせず、弾けるように窓の外を確認しに行く。


普段使いには向かない巨大な木の塊を避け、今も広がっていく血の水たまりをピチャピチャと鳴らしながら速やかに。


カーテンを開けた先に広がっていたのは、この家に乗り込む前と変わらない夜空だった。


「……雷が生まれそうな雲は、やっぱりねぇな。

どれも星空を彩る程度、特別暑くもねぇ……むしろ寒い」


家に侵入してきた時のように、慎重に窓を開ける。

外から入ってくるのは、直前まで殺し合いをしていた屋内よりもむしろ冷たい爽やかな空気だった。


念のため手を伸ばしてみても、雨が当たることはない。

わずかに身を乗り出して外を見回してみても、積乱雲などはおろか、落雷の痕跡のようなもの、さらには光や音の元凶と思しきものもない。


ササッと異変がないか確認したシャルルは、ただの勘違いかなにかだろうと結論付け、すんなり引っ込んで窓を閉めた。


「まぁいい。死体の回収人にゃあ連絡送ったからな。

さっさと引き渡して、雨降る前に帰りゃいい」


不審な光と音を感じたとはいっても、遠くに積乱雲があるのならばすぐに帰れば問題ない。


仮に自然現象ではないとしても、それはどこかの誰かが散歩をしていた懐中電灯の光である可能性や、夜中に起きた誰かが物を落としただけという可能性もあるだろう。


光と音を気にしないことに決めたシャルルは、少し前に連絡を送った通信機に視線を移しながら、速やかにギロチンの前まで戻っていった。


そのギロチンは武器であり、処刑道具であり、シャルルの魂とも呼べるものだ。いつまでも汚れた死体を乗せておくべきものではない。


再び血の水たまりを壁に跳ね飛ばしながら横切ると、病的に白い手を伸ばして男の胴体を持ち上げていく。


「お、綺麗に切れてんな。肉の塊に興味はねぇが、変な切り方して刃が肉に引っかかっても癪だ。

ま、首が飛んだ時点で気にする価値もねぇか」


切断面を覗き込んだシャルルは、スッパリ切れていることにご満悦だ。黒いコートによって口元は隠されていながらも、目元を細めて笑みを浮かべている。


だが、その喜びもほんの一瞬だ。

言葉通り肉の塊には興味がないらしく、傷口だけ確認すると冷めた目に戻って死体を床にポンっと放り投げた。


投げ捨てられた死体は血の水たまりに落下して、ただでさえ悲惨な状態をさらに赤く凄惨に彩られていく。


血が飛び散るが、シャルルはもはや一瞥もすることはない。

ギロチンを持ち上げ、それを固定している下部にあるトゲを引き抜こうとしている。


「ちっ……血でちょっと足が滑るじゃねぇか。無駄に血を撒き散らしやがって、鬱陶しいし汚ぇな」


血の水たまりで足を、ギロチンに少し飛び散った血で手を滑らせながらも、シャルルはギロチンを引っ張り続ける。


今も範囲を広げ続ける水たまりに苦戦させられること数分。それはようやく床から手を離し、シャルルの華奢な腕の中に収まった。


「ん、来たな」


同時に、家の中には新たな物音がし鳴り始める。

何の音なのかと、よく耳を澄ますまでもない。


明らかにドアを開けた音であり、続いて聞こえてくるのも2階に上がるための階段を登る足音だ。


両手で抱えていたギロチンを運び、血のないところに置いたシャルルは、やって来る人物を迎え入れるために体を開いたドアの方に向けた。


「宇宙の果てから我々を覗き見るライオンの触手を逃れるように、私は胎内のレッドカーペットに足を踏み入れる。

機械の脈動は正常。飽くなき探求は心臓を打ち鳴らす」


すると、数秒後に部屋の入り口に現れたのは、馬鹿みたいに大きな体を折り曲げて入って来る白衣の男性だ。

軽く200センチは超えていると思われる彼は、その長身にはあり得ない程に細い。


枯れ木か柳のような見た目で、さらに意味不明な言葉の羅列を口にしていてより一層不気味だった。とはいえ、不気味さで言えば処刑時のシャルルも負けてはいないだろう。


人殺しに一切の躊躇がなく、むしろ楽しんでいるそれは死の象徴と呼ぶに相応しい。そんなシャルルなので、特に臆することもなく彼に話しかける。


「意味わかんねぇこと言ってねぇで、さっさと回収しろや。

俺は雨が降る前にさっさと帰りてぇんだ、柳野郎」

「小屋の家畜は電子の海を踊り出す。動力はミドリムシ?

もしも彼女がアラームのタイマーならば、おそらく冷蔵庫は正常に作動し、川の水を熱く沸騰させるだろう」


威圧的な態度で睨みつけるシャルルだったが、白衣の男には普通の言葉が伝わっているのかすら怪しい。


最初こそその姿を視界に収めていたが、すぐにキョロキョロと部屋を見回しながら意味不明な言葉の羅列を口にする。

同じ人の言葉を話していながらも、選ぶ単語がチグハグだ。


おそらくは、連絡のあった死体を探しているだろう。

しかし、死体は放り投げられたままなのでキッチンだ。


片手でギロチンを支えていたシャルルは、苛立ちを隠しもせずにそれを床に突き立て固定し、彼に向かって歩を進めた。


「だからわかんねぇって。死体はこっちだ。はよ来い」

「ハハハハ、世界はかくも美しい。空に開いた穴は至高なるクリスマスケーキのようだ。神々はきっと、私という生命の終わりを祝福し、口々に憎悪を募らせるだろう」

「死体はこっちだ!! 速く来やがれ!!」


投げかけられた言葉に反応したのか、白衣の男は両手を広げて笑い出す。だが、その口から紡ぎ出される言葉は変わらず正気の人間には意味を為さない音の連なりだ。


呼びかけながらキッチンに向かっていたシャルルは、動かず笑う彼を見て戻ると、その脛を蹴り飛ばして意識を無理やり自分に向けた。


すると男は、唐突にスンッと黙り込んで後に続く。

柳か幽霊のように細い彼なので、当然歩く時も身を屈めていてひたすら不気味だ。


黒いコートの不吉な人物と、幽霊のような白衣の人物。

それらが向かう先にある死体は、先程よりも赤を増やして床に転がっていた。


「ほれ、これだ。回収は任せる。俺はもう帰るぞ」

「新鮮な願いは大地の癒やし。今日のご機嫌はいかがかな? 安心してほしい、服の用意は十分にある。内蔵をかき分けて笑う少女も、きっと偉大なる名詞に心打たれることだろう」

「……さて、次の任務は何日後だったっけか。

とりあえず、明日が暇なのは確かだよなぁ……」

「おや、今日は運命の運動会。神々しい電波はようやく彼女のベッドを食べ始めた。ありがとう、ありがとう。

ありがとうありがとうありがとうありがとうありがとう」

「だぁッ!! 黙って回収しろよ木偶の坊が!!」


どれだけ無視しようとしても、男が紡いでいる常人では理解できない音は耳に届く。ギロチンを回収して部屋を出ようとしていたシャルルは、絶え間なく聞こえてくる音にキレると、最後にそれを思いっきり男に投げつける。


男は軽く2メートル超えていて、室内にいるだけで身を屈める必要があるくらいなので、もちろん避けられない。


だが、柳のように細く頼りないはずの体は、どういう訳か男を砕いたギロチンの直撃を受けても微動だにしなかった。

振動で白衣が揺れるだけで、彼は死体の回収を続けている。


直撃の反動でギロチンは宙を舞い、そのまま持ち主の元へと戻っていく。シャルルはそれを受け止めると、鼻を鳴らしただけでもう何も言わずに去っていった。




~~~~~~~~~~




家を出たシャルルは、自然と空を見上げる。

雲はあるが、分厚い雲はどこにもない。

自分の真上にも、もっと遠くの空にも。

雨が降る心配はしなくてもよさそうだった。


「……?」


少しの間不思議そうにぼんやり見つめると、かろうじて目で捉えられるかどうかといった極細のワイヤーで繋がれたギロチンを担ぎ、歩き出す。


向かう先にあるのは、小さな幌馬車だ。

この國は特に密集した集落以外だと、ポツポツと家が立っている程度の田舎で、道の舗装もなく間には森なども多い。


人力以外の移動手段も必須なのである。家からかなり離れた位置にある馬車の元まで来ると、シャルルは巨大なギロチンを中にしまって御者台に乗り込む。

向かう先は家があった集落の反対側、森がある方面だ。


(そういや、あいつの家のガレージはやけに厳重だったな。外のシャッターはともかく、中まで金属製にするか?

チラッと見ただけでもそう感じるのは相当だし、ありゃうちの協会がいう無駄そのものだよな。

まぁ、家もちゃんとした造りだったし、あんなもんか?)


人殺しの時間は終わり、シャルルの凶暴性も鳴りを潜める。カタカタと静かに揺れる馬車で、のんびりと森の中を進んでいた。


木の葉の隙間から見える空には、相変わらず雷雨を内包していそうな大きな雲はない。普段通りの森だった。

もしも目の前に、怪しい煙さえ昇っていなければ……


「あ? んだありゃ。来る時にはなかったよな?」


右側に広がっている森の奥の方に、夜でもはっきりとわかる煙を発見したシャルルは、眉をひそめて馬車を止める。


止まるとかすかに香ってくるのは焦げ臭い匂い。

炎は見えないので今は燃えていないようだが、明らかに一度燃えており、その火事も直前のことだった。


「……雷の音」


炎で思い起こされるのは、家にいる時に感じた光と音だ。

先程感じた雷らしきものが落ちた場所なのか、それとも別の何かが落ちて来たのか。


ともかく、この先に何かがあるのは間違いなかった。

シャルルは荷台からギロチンを取り出し担ぐと、再び処刑人としての凶暴性をその目に宿して歩き出す。


現在地は、処刑した男の家があった集落よりもシャルルの家が近い辺りで、まったく人気はない。

道から外れたことで、暗さも遥かに増していた。


そんな静寂に包まれた空間を進むこと、十数分。

やがて目の前に広がったのは……


「……は?」


ひときわ大きな樹が上から下へと引き裂かれ、その周囲の木々も尽く倒れている開拓地のような光景だった。

しかも、真っ二つになった大樹の前には、人が3〜4人は束にならないと囲めない程の岩があり、その上には……


「ガキ……!?」


黄色を基調とした和服を着て腰に刀を差している、パッと見10歳くらいの少年が座っていた。


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