第05章『呼ばない理由』

第13話

 一月三十一日、木曜日。

 午前八時四十五分頃、希未はコンビニで購入したコーヒーを手に、ブライダルサロンの事務所に出社した。


「おはようございます」

「おはよう、遠坂。リフレッシュできたでしょ? また頑張ってよ?」

「は、はい……」


 マネージャーの加藤絵里子から励まされるも、希未は少し憂鬱だった。

 久々に二日連続の休日だった。その間、緊急の用件については電話で対応したものの――基本的に顧客からの連絡は別の者が取次ぎ、他部署での物事も進んでいる。案の定、机には書類の山が積まれ、希未はげんなりした。


「そうだ。これ、ついでに花屋に渡しておいてくれない?」


 コーヒーを飲みながらひとまず順に目を通そうとすると、絵里子から書類を渡された。別の者が担当している案件の、花に関する発注書だった。絵里子の押印までが済んでいた。


「あたし、花屋に急ぎの用事ありませんけど……」

「そうなの? いやー、あんた最近、あの新入りと仲良くしてる感じだったからさー」


 確かに、部署内で特に、成海志乃と最もつるんでいる自覚はある。かといって、出社早々に顔を合わせることはない。

 希未は絵里子に半眼を投げかけるも――周りからそのように見られているのだと思いながら、渋々受け取った。


「ありがとう。今日中でいいからねー」


 それなら自分で持っていけばいいのに。内心ため息をつくが、とても口には出来なかった。

 希未が朝から憂鬱なのは、溜まった仕事だけではない。二日振りに志乃と顔を合わせるからであった。

 モツ鍋屋で食事をした夜は結局、志乃を自宅まで送り届けた後、終電間際で帰宅した。そして翌日、携帯電話のメッセージアプリでこちらから連絡をした。無事と感謝を伝える、社交辞令のような内容だった。

 あの夜から、今も――ベッドで冗談交じりで誘ってきた志乃の姿が、頭から離れなかった。おそらく酔っていたであろう志乃に、他意が無いことはわかっている。それでも、とても艷やかだったのだ。

 希未としては逃げるように立ち去った手前、志乃と顔を合わせにくい。悶々とするが、コーヒーを飲んで気持ちを切り替えようとした。今日は朝一番から、大切な予定が入っている。


 希未は書類に一通り目を通し、片付ける算段をつけた。一部のものはすぐに返事をした。顧客からの問い合わせは、それぞれの連絡希望時間に回答する。

 そのようにしていると、午前十時になった。


「ごめんください」


 声が聞こえ、希未は事務所からサロンに出た。

 背の高さと髪の長さが対称的なシルエット――澄川姫奈と天羽晶の婦婦が訪れていた。


「お待ちしていました。どうぞこちらへ」


 希未はふたりをテーブルに案内する。

 今日は契約後初めての打ち合わせを行う。三月三十一日の式に向け、準備の段取りとスケジュールの仮押さえだ。


「お忙しい中、わざわざ足を運んで頂き、申し訳ありません」


 世辞ではなく、希未の本心だった。

 打ち合わせは原則、ふたりの店の定休日である火曜日に行うはずだった。だが、今週は希未が休日であったため、今日になった。


「いや、いいんだ。この時間はまだ少し、余裕あるからな」

「だいたい、お昼頃から混んでくるんですよ」

「へぇ。そうなんですね」


 カフェの混雑する時間帯など想像できなかったので、希未は参考になった。

 とはいえ、申し訳ない気持ちは消えない。式まで火曜日に休まないことを覚悟し、今日もふたりのために、なるべく早く終わらせようと思った。


「さて、式まで二ヶ月となりましたが……おふたりが決めなければいけないことは、ドレスとお花だけです」


 この案件は同性婚ということを除いても、希未としては特殊だった。披露宴を行わず、かつゲストをひとりも呼ばない。これまで扱った中で最もコンパクトであり――二ヶ月という短い時間でも、まだ少し余裕があった。

 実に単純な考え方だった。式まで八週あるため、前撮りを除くと、七回の打ち合わせを毎週火曜日に行うことが可能だ。

 それをふたりはひとまず、ドレスに三回、花に二回それぞれ割り振った。妥当な判断だと希未は思った。

 花は既にブーケがほぼ決まっているので、祭壇上やバージンロードの両脇――教会内の装花だけを決めることになるだろう。もしかすれば、一回で済むかもしれない。

 希未がこれまで担当した顧客は、ウェディングドレスの試着にドレスサロンに平均三回、足を運んでいる。ティアラやベール、手袋等の小物も決めなければいけないので、さらに増える可能性もある。

 何にせよ、ひとまず五回の打合せ日時をそれぞれ仮で押さえた。二回分の予備があるので安心だと、希未は思った。


「なんか呆気ないな」


 日時を書き加えたスケジュール用紙を渡したところ、晶がぽつりと漏らした。

 確かに、式だけだとしても二ヶ月の時間しか無いのならば、より過密なスケジュール進行となる。それがどうして余裕が生まれるまでになったのか、希未としては理由が明白だった。


「招待状が要りませんからね」


 希未よりも先に、姫奈が口にした。

 そう。本来であれば招待状のフォーマットについての打ち合わせが、最低でも一回は必要だった。さらに、他の打ち合わせのついでに――サンプルの確認や、出来上がった招待状の受け取り等も加わる。


「ライスシャワーとかブーケトスとかの余興もです」


 次に希未が、ウェディングプランナーとして付け足した。

 一般的な演出だけでなく、ゲストをもてなす意味で凝った催しを行う場合は、打ち合わせが必要になる。

 式だけを執り行うと聞いていた当初は、提案するつもりだった。しかし、ゲストをひとりも呼ばないことになり、ゲストに関する打ち合わせは全て無くなった。


「なるほど。そういうものか……」


 目を伏せて頷く晶の気持ちが、希未にはわからなかった。手間が省けた喜びとも、後悔の悲しみとも、どちらにも捉えることが出来た。

 晶の隣に座る姫奈は、相変わらず明るい笑みを浮かべていた。

 ふたりの意向を汲むべきだと、希未は割り切ったつもりだった。だが今、誰も呼ばない結婚式が本当に正しいのか、納得できなかった。

 結局は、理由を知らないからだ。

 とはいえ、希未は両新婦ふたりを目の前に、この場でも訊ねることが出来なかった。

 必ずしも、良い理由であるとは限らない。その可能性が捨てきれなかったのだ。


 今回の打ち合わせは一時間ほどで終わった。希未はサロンの入り口で、ふたりを見送った。

 およその段取りが決まり、やる気が込み上げる――はずだが、どこか釈然としなかった。

 俯き気味の晶が、頭から離れなかった。後になるほど、悪いように捉えてしまう。

 思い過ごしであって欲しいという気持ちで希未はテーブルを片付け、事務所に戻った。


 ここからの仕事としては、仮押さえのスケジュールを確定させることだ。ドレスと花それぞれの『時間枠』の管理は、部署内のシステム――五人のウェディングプランナーで共有されている。それに基づいての仮押さえなので、後はドレスサロンとフラワーサロンに確認するだけであった。これまでの経験から、よほどのことが無い限り、そのまま確定となる。

 希未は自席で電話の受話器を取ろうとして、絵里子から渡された発注書が目に入った。成海志乃の存在を思い出した。

 フラワーサロンに電話をすれば、志乃が応える可能性は充分に考えられる。対面だけでなく、電話越しに話すだけでも心の準備が必要だった。

 だから、先にドレスサロンから連絡しようとした、その時――


「あら、のんちゃん」


 すっかり聞き慣れた声に、希未は顔を上げた。

 事務所の入り口で、エプロン姿の志乃が微笑んでいた。


「ど、どうも……。お疲れさまです」


 ぎこちない挨拶をしている自覚が、希未にはあった。突然の登場に、今はこれが精一杯だった。


「お鍋ご馳走になって、さらに家まで送ってくれて……本当にありがとうね。どう感謝すればいいのかしら」

「いえ……。あたしも楽しかったんで、お気になさらず」


 希未としてはただの謙遜ではなく、それ以上触れないでくださいという意味合いが含まれていた。志乃に伝わっているのかは、わからないが。

 ただの世間話のはずが、とても重苦しかった。


「あっ、成海さん。わざわざ足を運んで貰って、すいません」


 事務所内に居た別のウェディングプランナーが、志乃に声をかける。

 どうやら呼び出されて来たのだと、希未は理解した。


「あたし、ドレスサロンに行きますんで! あっ、これ……加藤さんからです!」


 そして慌てて立ち上がると、発注書を志乃に手渡し、事務所を後にした。

 わざわざ出向かなくとも電話で済む話だが、ドレスサロンに用件があるのは嘘では無い。少しの罪悪感を抱えながら、歩いた。


 マンションに送り届けてからのことを、志乃は覚えているのだろうか。

 ひとりになった今、希未はふと思う。いつも通り、おっとりとした様子の志乃だった。ハンドクリームの下りを覚えているならば、顔を見るなりからかっているはずだ。

 他にも人間が居る手前、自重したのか。それとも、酩酊で記憶が一部欠落しているのか。希未には、まるでわからなかった。

 ただ、後者であって欲しいと願った。

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