坊ちゃまの長い長い惚気話 1


『復讐』が果たされた日から遡ること、二ヶ月前――




(――ここもハズレか……)



 ラッグルズ領内、ヒルゼンマイヤー家の屋敷にて。

 ジンは、当主・レビウスの書斎の棚を物色し、人身売買の証拠を探っていた。



 ウエルリリス魔法学院の教員試験に合格し、教師として勤務して一年……

 次年度の新入生の学歴書を調べ、不自然な経歴のある生徒を絞り出し、ようやく見つけたのが、このヒルゼンマイヤー家の次女・ファティカだ。


 学歴書によると、彼女は十三歳になってすぐ、ラッグルズ領内にある孤児院からこのヒルゼンマイヤー家へ養子として引き取られたことになっている。

 記載にある孤児院にも、ファティカという名の子供の在籍歴があるが……それは何者かにより捏造された記録で、実際に彼女がそこにいた事実はない。

 

 つまり……人身売買によりこの家に連れて来られた可能性が高いということ。

 

 ヒルゼンマイヤー家は、子爵の家系だ。ラッグルズ伯爵の副官として小さな街を治めているが、当主のレビウスは現状に満足できず、陞爵しょうしゃくの野望を抱いているらしい。

 だからこそ、優秀な魔法能力を持つ子供を養子にし、国に貢献させることで、家の爵位を上げようと考えているのだろう。

 ファティカが有するのは、攻撃魔法として強力な『氷』の魔法。実技試験でトップクラスの成績を上げて入学試験に合格した点も、この推測を裏付ける根拠となる。

 しかし……


(……肝心の、人身売買の証拠が見つからない)


 ジンは、物色した書類を戻しながら顔を顰める。

 拉致の実行役である組織や、同じく組織を利用している他の貴族とのやり取りが口伝だけでなされているはずがない。

 書面で交わしたものが必ずあるはずなのだが……やはり足が付かぬよう、徹底的に証拠を隠しているのだろうか?



 魔法学院の教員を務めるジンは、新年度前の長期休暇を利用し、この捜索に乗り出していた。

 休暇は約三週間。その間に、組織との繋がりを示す証拠を見つけたいところだが……


(……いや、焦りは禁物だ。今日のところはこれで引き下がろう)


 もどかしさを感じながら、ジンは"影"の中へと身を潜め、レビウスの書斎を出た。





 ――ヒルゼンマイヤー家の敷地内の構造、及び出入りする者の動きについて、ジンは詳細に把握していた。

 この時間は使用人が庭の掃き掃除をしているはずだ。敷地から出るには、使用人に見つからぬよう"影"に潜みながら進む必要がある。

 

 日の高さと庭木の位置を計算し、ジンは潜り込んだ"影"の中を進む。

 ……と、



「――ふんふふーん、らららーるららー」



 ……という鼻歌のようなものが聞こえ、ジンは"影"の中で動きを止めた。

 植え込みの陰から頭だけを覗かせ、声のする方を見ると……そこに、若い使用人メイドがいた。


 柔らかなウェーブを描く亜麻色の長髪。

 白い肌に、血色の良い唇。

 ぱっちりとした瞳はルビーのように赤く、庭に差す西日を映し、キラキラと輝いている。


 そんな可憐な少女が、掃き掃除をしながら、楽しそうに歌っていた。

 見られているとも知らず、箒相手にくるりとダンスまでする彼女に、ジンは思わず目を細める。


(当主が犯罪に手を染めているというのに……実に呑気な働きぶりだ)


 彼がその様を眺めるのは、決して好奇心によるものではない。この屋敷から抜け出すには、一度"影"から出て、彼女のいる場所を通過しなければならないのだ。

 だから、彼女の掃除が終わるのを待っているのだが……ご機嫌な歌は、なかなか終わる気配を見せない。


 そうして、何度も繰り返す歌のフレーズをジンが覚え始めた……その時、



「……ん?」



 ふと、少女がジンのいる方に目を向けた。

 ジンはすぐに"影"の中へ隠れ、様子を伺う。


(まさか、見つかったか? いや、彼女の位置からは見えていないはず……)


 息を殺し、耳を澄ますが、彼女はジンのいる方へと真っ直ぐに向かい……

 やがて、ジンのすぐ真上で、足音を止めた。

 

 緊張に高鳴る、ジンの鼓動。

 こんなところで見つかるわけにはいかない。まだ何も……何もなし得ていないのに。


『復讐』の準備に費やしたこの十年を思い、奥歯をぐっと噛み締めた……その時、



「……あら、こんなところにの花が。花壇に植えてあるお花の種がここまで飛んで来たのかな?」



 そんな声が頭上で聞こえ……ジンは、唖然とする。

 少女の声は楽しげに続き、



「こんな日陰にいたら、元気がなくなっちゃいますよ? 私がこっそり、日の当たる花壇へ移してあげますね」



 なんて、まるで人間相手に話すように言う。

 それから、立ち上がるような音と共に、「えっと、スコップは……」という呟きが聞こえるが、



「――メルフィーナ! いつまで掃き掃除やってんの? ちょっとこっち手伝って!」



 という声が、遠くから響く。

 メルフィーナ――どうやら、この少女の名のようだ。

 それを聞くなり、彼女は「やばっ。はーい! 今行きまーす!」と慌てて返事をする。そして、



「ごめんなさい、ひなげしさん。明日必ず、花壇に移すからね!」



 そう言い残し、慌ただしい足音を鳴らして、去って行った。


(………………)


 気配が完全に消えたことを確認し、ジンは"影"の中から出る。

 やれやれ、想定外に時間を取られてしまった。早く敷地から離脱しなくては。

 

 ジンは、足早にその場を去ろうとする――が。

 その前に一度だけ、自分が隠れていた"影"の位置に目を向ける。


 そこには、あの少女が言っていた通り、だいだい色のひなげしの花が一輪だけ咲いていた。


「…………」


 ジンは、日陰に咲くその花を一瞥し……

 再び"影"に紛れながら、屋敷を後にした。





 * * * *





 ――その後も、ジンの潜入捜査は難航した。

 

 "影"に身を潜めれば屋敷内を自在に移動することができるが、鍵のかかった金庫や引き出しを開ける術までは持ち合わせていない。

 そうした閉ざされた『壁』にぶつかる度、彼はもどかしさを募らせた。


(エミディオならこんな鍵、容易く開けられるだろうに……)


 と、特殊捜査部隊に所属する友人の顔を思い浮かべる。

 

 組織については部隊かれらも捜査を進めているが、いかんせん国内で実権を握る貴族たちに疑いの目を向けることになるため、慎重に動かざるを得ないのが現状だった。

 確たる証拠もないまま俎上そじょうに載せ、「やっぱり無実でした」なんてことになれば大問題だ。責任を問われ、それ以降の捜査を禁じられる恐れもある。

 

 だからこそ、部隊に所属していないジンの方が自由に動けるのだが……潜入捜査における専門的な技術を持ち合わせていないことに、悔しさを覚える場面も多かった。


(今度、あいつからピッキングの方法を教わるか……)


 そんなことを考えながら、その日の捜査を切り上げるべく、屋敷の外へ出ると……


「きゃあっ……」


 という悲鳴と、倒れ込むような音が聞こえ、ジンは動きを止める。


 そこは、屋敷の中庭にある訓練場だ。

 その場所で、当主のレビウスがファティカに魔法と剣術の訓練を施しているのを、ジンは何度も目にしていた。

 魔法学院の入学に向け、今日もまた厳しく痛め付けているのだろうと、ジンはやり切れない思いに目を伏せる。


「今日はここまでだ。明日はもっと厳しくやるからな」


 そう言い残し、レビウスが去って行くのが聞こえる。

 

 金で買った子供に一族の命運を背負わせ、訓練と称し、暴力を振るう……

 このような所業が貴族たちの間で繰り返されていることに、ジンはあらためて強い怒りを覚える。

 

 一刻も早く、終止符を打たなければ。

 今は何もしてやれないが……必ずレビウスの罪を白日の元に晒し、彼女を自由にしてやる。


 ……と、ジンが拳を固く握っていると、



「――ファティカ様! 大丈夫ですか?」



 ぱたぱたという足音と共に、そんな声が響いた。

 

 その声に聞き覚えがあり、ジンは建物の裏に隠れながら、"影"から姿を現す。

 そして、訓練場の方を覗くと……案の定、あの鼻歌を歌っていた使用人――メルフィーナがファティカの元へ駆けていた。

 ファティカは座り込んだまま、彼女を見上げる。


「メルフィーナさん……いつもすみません」

「いいえ、私が勝手にやっていることですから。さぁ、傷口を見せてください」


 そう言って、メルフィーナはファティカの負傷した腕に手をかざす。すると……


 手のひらから淡い光が放たれ、ファティカの傷が、みるみる内に塞がり始めた。


 その光景に、ジンは目を見張る。


(あれは、治癒の魔法……それも、かなりの速度と精度だ。ただの使用人が、何故あれほどの力を……?)


 魔法の能力は、適切な訓練を受けなければ使いこなすことができない。だからこそ、魔法学院のような教育機関が存在する。

 つまり、魔法学院を卒業していない限り、あれほど精巧な力を発揮できるはずがないのだが……


(彼女は一体、何者だ……?)


 ジンが、疑惑の目を向けていると……メルフィーナはファティカを見つめ、


「先ほどのファティカ様の魔法、すごかったですね! 氷柱つららみたいな氷がいくつも生まれて、一斉に放たれて……攻撃魔法なのにとても綺麗で、思わず見惚れてしまいました!」


 そう、興奮気味に言う。

 それに、ファティカは照れたように後ろ頭を掻く。


「でも、うまくいったのはあの一回だけで……毎回発動が遅いと、お父様に叱られてばかりです」

「でもでも、以前より精度が上がっていると思います! 生み出せる氷の数も増えていますし!」

「そうでしょうか……」

「はい! これもすべて、ファティカ様の努力の成果です! ご入学まで残り僅かですが……私はずっと、ファティカ様を応援しています。どうか自信を持って、魔法を学ばれて来てください」


 明るく朗らかに言うメルフィーナ。

 ファティカは一瞬、泣きそうに瞳を潤ませて、


「……はいっ。自信がなくなったら、メルフィーナさんのことを思い出して頑張ります!」


 そう、満面の笑みで答えた。


 やり取りの一部始終を見届けたジンは、少し意外に思う。


(ファティカに親しい使用人がいたとは……それも、かなり心を許しているようだ)


 メルフィーナ――その使用人の存在に興味を抱いたジンは、彼女の経歴書を調べるべく、屋敷の中へと戻った。





 * * * *





 ――そうして、ジンはメルのことを知った。


 十一歳で母を亡くして以来、孤児院で育ち、十五歳でこの屋敷へ働きに来たこと。

 魔法に関する教育や訓練を受けた経歴はないこと。

 明るく真面目な勤務態度で、同僚からの評価も高いこと。



(……確かに、よく気の利く、賢い娘だ)


 ……と、物陰に潜み、メルを観察しながら、ジンは思う。

 同時に、彼の頭には、彼女を利用したあるシナリオが浮かんでいた。

 

 それは――メルに、ファティカから組織の情報を引き出してもらう、というもの。


 メルは賢い。その上、正義感が強く、清く正しい倫理観を持っている。

 ファティカが人身売買の被害者であることを告げれば、彼女はきっと善良な正義感を奮い立たせ、ジンに協力するだろう。

 

 そしてファティカも、親しいメルからの説得であれば応じる可能性が高い。

 口封じをされていたとしても、情に訴えれば吐露する見込みは十分にある。


 実行するのは、ファティカがヒルゼンマイヤー家を離れ、魔法学院の寮に入った後が良いだろう。

 そのためには、メルに近付き、魔法学院へ同行してもらわなければならないが……さて、どうアプローチすべきか。



 屋敷内を捜索しつつ、ジンはメルと接触するシナリオを脳内に描くが――


 その契機は、突如として訪れた。




「――メルフィーナ・フィオーレ! 我が娘・ドリゼラの婚約者を煽惑せんわくした罪により、このヒルゼンマイヤー家から永久に追放する! 荷物をまとめ出て行くがいい!」



 レビウスの長女・ドリゼラの計略により、メルが追放を言い渡されたのだ。


 これは、ジンにとって好都合だった。

 恐らく今、メルの中でヒルゼンマイヤー家への憤りが膨れ上がっているはずだ。『復讐』の協力を仰ぐには、またとないタイミングである。


 しかし、そう考える一方で、


(彼女にとっては、辛い宣告に違いない……三年間真面目に勤めた結果が、この仕打ちではな)


 と、メルの勤勉な働きぶりを目にしていたジンは、彼女への同情も禁じ得なかった。


 だから――



「あはっ。後悔したって遅いわ! さぁ、とっとと出ていきなさい! 邪悪な魔女め!!」



 ドリゼラにそう笑われ、泣きながら屋敷を飛び出すのを見た時は、ジンも胸を痛めた。


 いつも明るい笑顔を絶やさないメルも、このような仕打ちを受けては流石に心が折られただろうと、ジンは後を追うが……


 メルは、屋敷を出たところでピタッと足を止め、泣いていたはずの顔をスッと真顔にし……

 吐き捨てるように、こう言った。




「……ふん。可哀想な人」




 その、悪に屈しない、高潔でしたたかな魂を見たジンは――



「…………っ?!」



 ――ズキュゥンッ! と。

 何かに胸を射抜かれたような、初めての衝撃を受けた。



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