39 遮られた本心
そうして、囮作戦初日は、教会の掃除と飾り付けで終わった。
ドロシーさんが近隣の方々に私が戻ったことを触れ回ったらしいが、今日のところは誰も治癒を求めには来なかった。
もしかすると、近隣住民のドロシーさんに対する信頼は、既にゼロなのだろうか……?
だとすれば、この作戦そのものが破綻してしまう。
(明日の午前中に誰も来なかったら、私自ら宣伝に行こう……ちょっと恥ずかしいけど)
そう決意しながら、私は以前にも自室として利用していた宿泊部屋でパジャマに着替える。
そして、
「……ジンさん、もう大丈夫です」
蝋燭の火に照らされた自分の影に向かって、小さく声をかけた。すると……
壁に伸びた黒い影が
半日ぶりに見る彼の姿に、私はほっと安堵する。ドロシーさんが就寝したことを確認したので、これから彼と状況の共有をするのだ。
が、その前に、
「これ……夕飯の残り物ですが、召し上がってください。ジンさん、お昼から何も食べていないでしょう?」
と、彼のためにとっておいたスープとパンを差し出す。小さな丸テーブルに置いたそれに、彼は近付き、
「わざわざすまない。あのシスターに怪しまれるようなら、明日からは用意しなくていい」
「大丈夫です、怪しまれないよう上手くやるので。ジンさんに空腹で倒れられたら、それが一番困りますからね」
「……そうだな。では、ありがたくいただくとしよう」
そう笑って、彼は手を合わせ、静かに食べ始めた。
狭い部屋の中、私はベッドに腰掛け、彼が食事する様を眺める。いつも通りに振る舞ってはいるが、いつもより食べるペースが早い。食事中でさえ、緊張を切らしていないのだろう。
私は、ジンさんの食べる姿を眺めるのが好きだ。
上品に、優雅に、時に大胆な大口で、ゆっくりと食事を楽しむ彼の姿を見るのが好きだった。
だから……この『復讐』が無事に終わって、早くいつもの食事ができるようになればと、願わずにはいられない。
でも……
(全てが無事に終わった時、私は……まだ彼の側で、一緒にご飯を食べられるのかな?)
彼に、「全てが終わったら伝えたいことがある」と言われた。
それが一体何なのか、私にはわからない。
これは、私の希望でしかないけれど……
これからも秘書として、彼の側で務めるよう命じてもらえたら、それが一番嬉しい。
……ううん。彼に何と言われようと、私からそう願い出よう。
もう、「私なんか」と言うのはやめにしたから。
「……ごちそうさま」
そんなことを考えていたら、ジンさんがあっという間に食べ終わった。彼は私の方を向き、姿勢を正す。
「では、本題に入るが……メル。懺悔室で、何か見たのか?」
やはり、影の中で私の動揺に気付いていたらしい。
もちろん、そうでなくともちゃんと報告するつもりでいた。私は膝に手を置き、静かに頷く。
「はい。ジンさんに連れ出されたあの日、懺悔室に残った『
「それで、どうだった?」
「彼は……ふてぶてしい態度で、私を逃したことを悔しがっていました。やはり、私の本当の能力を見抜いていたようです。私に近付くため……自ら身体に傷を付けて、治癒を受けに来ていたのです」
「そうか……通りで頻繁に訪れていたはずだ。傭兵をやっているとはいえ、ペースが異常だったからな。大丈夫か? そのような記憶を目の当たりにし、怖い思いをしただろう?」
「確かに、見た直後は動揺しましたが……今はもう大丈夫です。ジンさんがいてくれますから」
と、素直な気持ちを伝える。
実際、ジンさんの顔を見た瞬間に肩の力が抜けた。そして今、私を案ずる優しい声を聞き、もっと安心した。だからこれは、決して強がりなどではない。
笑顔を見せる私を、ジンさんは暫しじっと見つめ……大丈夫そうだと判断したのか、「そうか」と納得した。
「他には何か気になる点はあったか? シスターとのやり取りは概ね予定通りに進んだように聞こえたが」
「そうですね……『
「あぁ、それなら問題ない。そうした情報操作も
『あいつら』とは、エミディオさんたち特殊捜査部隊のことだろう。住民に紛れ、それとなく噂を流してくれるのだろうか? さすがは国の諜報機関だ。
などと一人感心していると、ジンさんはスッと立ち上がり、
「他に心配な点はないか?」
「はい、ありません」
「そうか。では、今日は早めに休もう。明日以降は『選定者』が現れる可能性がより高まる。今日の内に気力と体力を回復しておけ」
「はい。ところで、ジンさんはどこで寝るのですか?」
「俺は君の影に戻る。君と違い、じっとしているだけだから体力は消耗していない。気にするな」
それって……私が寝ている間も、眠らずに護ってくれるってこと?
じっとしているとは言え、私に危険が及ばないか常に気を張り詰めているのだ。ジンさんだって疲れているに決まっている。
予想はしていたが、私ばかり護られているようで、今さらながらに申し訳なくなる。
しかし、そうした思考を読まれたのか、彼は私に近付き、
「これは、俺の『復讐』なんだ。君が罪悪感を感じる必要はない。それに……君に疲労で倒れられたら、それが一番困るからな」
……と、先ほどの私の言葉をなぞるように言って、ぽんと頭に手を置いた。
不意打ちな接触にドキッとしていると、彼は穏やかに笑って、
「あのシスターを誘導する自然な会話、見事だった。明日も、どうかよろしく頼む」
そう、優しく言うと……
私の影の中へ、音もなく消えていった。
「…………っ」
私は、褒められたことが嬉しくて、頭を撫でられたことにときめいて、ベッドに倒れバタバタ暴れ回りたい衝動に駆られるが……
影の中にジンさんがいると思うと、そうするわけにもいかなくて。
(このドキドキを抱えたまま、どう眠れと……?!)
穏やかでない内心を隠しながら、とりあえずベッドへ入り込む。
しばらく悶々としていたが、冷たいシーツに触れ、高まった熱が少し冷まされたようで……私の思考も、次第に冷静になった。
(明日……いよいよ、『
でも、きっと大丈夫。
ジンさんもいる。エミディオさんたちもいる。絶対に上手く捕まえられる。
そう、自分に言い聞かせ。
(……おやすみなさい、ジンさん)
影の中にいる彼に胸の内で呟いてから、そっと瞼を閉じた。
* * * *
――翌日。
『聖エレミア祭』の一日目。
その日は、前日の静けさが嘘のように、朝から……
「はーい、みなさん一列に並んでー! 順番に診ていきますからねー!!」
大勢の来訪者が詰めかけ、教会は大賑わいだった。
皆、『
(これが特殊捜査部隊の情報操作力……恐るべし!)
この人数を捌かなければならないのかと戦慄する私を尻目に、ドロシーさんはお布施の徴収に大忙しだ。
教会内に入り切らない程の人数を綺麗に整列させた後、私は懺悔室に篭り、順番に治癒を開始した。
一人、また一人と治癒を終えるが、『
当然、『
だから私は、注意深く来訪者たちを観察する。
老若男女、少しでも違和感を感じたらすぐにメモに残し、ジンさんに報告できるようにするが……そうは言っても素人なので、疑い出すとみんな怪しく見えてしまい、あまり意味がなかった。
――そうして、一日目は何事もなく過ぎ、大勢の人を癒した疲労感だけが残った。
続く二日目は、前日に比べて来訪者が減った。
『
三日目も、四日目も同じ。来訪者はますます減った。
* * * *
そして、五日目。
『聖エレミア祭』の最終日。
この日は大通りでパレードがおこなわれることもあり、みな見物に行ったのか、はたまた近隣の人間を癒し尽くしたのか、教会への来訪者はぐんと減った。
お布施の勘定をし、焦りと苛立ちを露わにするドロシーさんの隣で……私も、大いに焦っていた。
(もしかして……このまま『
エミディオさんたちによる噂の流布は確かな効力を発揮した。組織の人間がこの街を出入りしているのなら、『聖女の再来』は間違いなく耳に入っているはずだ。
となると、既にこの街から完全に撤退しているのか……?
それとも……こちらの動きがバレたとか?
いや、バレているなら逆に襲撃されるはずだ。奴らは組織の存在を知る者を暗殺してきたのだから。
何にせよ、まだ一日ある。
最後まで気を抜かず、来訪者に注意を向けなくては……
……と、思っていたのだが。
(結局、何事もなく夜になってしまった……)
パジャマに着替えながら、私はダラダラと冷や汗を流す。
どうしよう。私の発案でこんなに多くの人が作戦に協力してくれたのに……何の成果もなかったなんて。
もしかしなくても、私、自分の能力を過大評価しすぎていた? 組織にとっては、今さら欲しいとは思えない無価値な
だとしたら恥ずかしすぎる。それ以上に、申し訳なさすぎる。エミディオさんや特殊部隊の方々も、厳戒態勢でこの教会を見張り続けてくれたのに。
何より……ジンさんはこの五日間、ほとんど寝ていないはずだ。食事も夜に一回、残り物を食べるだけ。
そんな苦労をさせたのに、手がかり一つ掴めなかったなんて……あまりにも情けない話である。
(とにかく、ジンさんに謝罪しなきゃ……学院へは長めにお休みを取っているけど、いつ戻るのかも決めないと……)
と、顔を上げ、影の中の彼に声をかけようとした……その時。
部屋の扉がガチャッと開き――ジンさんが入って来た。
てっきり影の中にいると思っていたので、驚きのあまり声を上げそうになるが、ドロシーさんが起きるといけないのでぐっと堪える。
「じ、ジンさん……いつの間に外に?」
「すまない。エミディオと話をしていた」
淡々と答えるジンさんに、私は心を痛める。
きっと何の成果もなかったことを踏まえ、今後について話し合っていたのだろう。
私は目をぎゅっと閉じ、頭を下げる。
「申し訳ありません。私の思いつきでこんな大掛かりな作戦を決行したのに、『選定者』を
そして、彼の顔を見上げ、
「ジンさん……ほとんど寝ていませんよね? 今日は私が起きていますから、ジンさんはこのベッドで休んでください。何かあればすぐに起こすので、ご安心ください」
と、ベッドへの道を開けながらお願いする。すると……
ジンさんは、口元にニヤリと笑みを浮かべ、
「ほう……では、俺が眠るまで添い寝でもしてもらおうか?」
なんて揶揄うように言うので、私は「ふぇっ?!」と声を裏返す。
こんな時にこういう冗談を言うなんて、少し意外だけど……もしかして、私の罪悪感を軽くしようと、わざと意地悪を言っているのだろうか?
だとしたら、ますます申し訳ない。この『復讐』は、彼の人生を賭けた悲願なのに。それが失敗に終わりそうな状況でも、まだ気を遣わせてしまうなんて。
「……いいですよ」
……私は、もう無力感でいっぱいで。
「それで、ジンさんが少しでも癒されるなら……添い寝でもなんでもします」
恥を捨て、そう答えた。
言った後で、すぐに後悔した。ここは彼の思惑に乗り、「何を言ってるんですか!」とツッコむべきだった。
こんな本気のトーンで返したら……また気を遣わせるだけだ。
だから、「なーんてね」と撤回しようと、口を開きかけるが……
「……言ったな?」
その前に、ジンさんがゆっくりと私に近付き、
「同じベッドで寝ることを許すとは……何をされても構わないと言っているようなものだぞ?」
瞳を覗き込みながら、そう囁くので……心臓が、ドキッと跳ね上がる。
……わかってる。
ジンさんはきっと、私を揶揄うために言ってる。
けど……今の私は、自分の無力さと情けなさに押し潰されそうで。
こんなにジンさんのことが好きなのに、何の力にもなれないことがもどかしくて。
「……はい。私、ジンさんになら…………何をされてもいいです」
そんな気持ちが、私の唇を動かし――
「だって、私…………ジンさんのことが…………」
逸る鼓動に押し上げられるように、心にある本心が、ついに溢れてしまって――
――しかし、最後まで言い切る前に。
ジンさんが、私の唇に人差し指を当て、それを制した。
そして、初めて見るような、子供っぽい笑みを浮かべ、
「――ごめん。そこから先は……ちゃんと、
と……
私は、「へっ?」と目を点にする。
ジンさんは、にこっと笑うと、
「説明は後。状況が動きそうなんだ。しばらくこのまま、ここで――」
……と、そこまで言った、その時。
彼の背後で、部屋の扉が、ギィと開いた。
暗がりの中、足音を殺すように入って来たのは――
「……! 『
不敵な笑みを浮かべた、あの男だった。
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