第56話 その執事姿、本当にきゅんきゅんしますか?

「遅い……」


 ウェルシェは自分の教室で恋人が迎えに来るのを待った。


 いつまでも待った。

 ずっと待ち続けた。


 だが、待ち人来たらず。


 ――カッチカッチカッチカッチ……


 人気のない教室に時計の秒針の音だけが異様に響く。時折、遠方から歓声や嬌声が微かに聞こえてくる。それが却って静かな教室をいっそう寂しいものにした。


「ここで待ち合わせって言ってたわよね?」

「さようでございます」


 ウェルシェだけかと思いきや、先程まで全く気配の無かった背後からカミラが答えた。完全に気配を消していたようである。


 今回も多数の入場がある文化祭とあって、カミラの随行が許されていた。もっとも、それを知られたらデートの約束を取り付けられないのでエーリックには秘密だ。


「時間は十時だったわよね?」

「そのように伺っております」

「約束の時間を二時間近くもオーバーしてるんですけどぉ?」


 チラッと教室の壁に常設されている時計を見れば針は間もなく十二時を差し示そうとしていた。だが、待てど暮らせど来る気配が全くない。


「いくらなんでも遅すぎるわ」

「お店が忙しいのではありませんか?」

「あの非常識な執事喫茶が?」


 まさか、とカミラの予想にウェルシェは懐疑的だ。


「じゃあ、すっぽかされましたか?」

「こ、この私がドタキャン!?」


 がーん、とショックを受けるウェルシェ。まさか既にエーリックの心は自分から離れてしまったのか?


「……迎えに行く」

「お待ちください」


 焦りを覚えたウェルシェがガタッと立ち上がったが、それをカミラが止めた。


「令嬢の方から出向かれるのははしたのうございます」

「むぅ、それでも行くの!」


 恋する乙女は恥も外聞も関係ないのだ。いつもは静々と歩くウェルシェが珍しくのっしのっしと進み怒りを滲ませている。そんな主人にカミラは呆れたようにため息を漏らしながら続いた。


 向かう先は準特クラスが模擬店を出している大校舎の特設教室。生徒達が所属する各教室は扇形の段上で、喫茶店などの模擬店には適さない。


 その場所を把握しているウェルシェとカミラは迷うことなく目的地へと辿り着いたのだが……


「何かしらあれ?」

「ずいぶん長い行列ができておりますねぇ」


 模擬店の前に長蛇の列。最後尾には『ただいま一時間待ち』のプラカードを両手で持ったメイド姿の女生徒が立っている。


「こ、こんなに繁盛してるの!?」

「意外でございましたねぇ」


 驚愕しながらもしぶしぶウェルシェは最後尾にへと足を運ぶ。素直に列に並んだウェルシェにカミラは仰天した。


「えっ!? 並ばれるのですか?」

「当たり前でしょ」


 目を剥くカミラに何を言っているんだとウェルシェが首を傾げた。


「ですが、グロラッハ侯爵家の令嬢ともあろうお方が下々の者の後塵を拝すのは……」

「割り込みなんてマナー違反じゃない」

「お嬢様なら並ばずとも一声かければ皆どいてくれると思いますよ?」


 ウェルシェはマルトニア王国内の令嬢ヒエラルキーのトップグループに君臨している。ウェルシェより上の令嬢は同じ1軍の王女とイーリヤくらい。はっきり言って彼女に逆らえる者はほとんどいない。少なくとも、ここで並んでいる有象無象を蹴散らしても文句を言える者はいないだろう。


 だが、ウェルシェはカミラの提案にむっとした。


「そういう権力の使い方は嫌いよ」

「まあ、お嬢様がみだりに権力を濫用されない謹厳なお方とは存じ上げてはおりますが……」


 変なところで律儀なご主人様だとカミラは呆れた。


「今回は殿下を迎えに来ただけですから、割り込みにはならないと思うのですが?」

「でも、何か悪いでしょ?」


 すごく忙しそうだし、とウェルシェは近くの窓からてんてこ舞いの教室内を覗いた。イケメン執事達が右往左往している。


 仕事の邪魔をするのは気が引けるなと、眺めていたウェルシェの目に愛しの婚約者の姿が飛び込んだ。


 執事の衣装で一所懸命に働くエーリック。ウェルシェの恋する乙女フィルター越しにはとてもキラキラして見えた。


 ――キュンッ♡


「これ、意外に良いかも……」


 不覚にもエーリックに給仕される自分を想像してキュンッとしてしまった。


(は、鼻血出そう……)


 いつにないエーリックの新鮮な魅力にウェルシェは思わず醜態を晒すところだった。


(これは来るものがあるわね)


 自分の好みの男性に給仕してもらえるのが、これほど心を鷲掴みにするとは……しかも、色んなタイプの美少年が選り取り見取りときている。なるほど、これは繁盛するわけだ。


(くっ! 何よあの子達、エーリック様に色目を使って!)


 エーリックを目で追って頬を朱に染める令嬢達がちらほら散見される。そんな秋波を送る女性客の存在にウェルシェの嫉妬心がメラメラと燃え上がった。


「――ッ!?」


 その時、エーリックが二人組の若い女の子のテーブルについた。そこまでは許せたのだが、可愛い女の子相手に天使の笑顔で接客し始めウェルシェの嫉妬の炎が大炎上。


「浮気現場!」

「えっ?」


 ビシッと指差し突然叫ぶウェルシェにギョッとしてカミラも中を覗いたが……


「あのぉ、普通に接客しているだけのようですが?」

「あんなに嬉しそうに笑ってるじゃない!」

「どう見ても単なる営業スマイルでしょう?」

「鼻の下伸ばしてデレデレじゃない!」


 ウェルシェ嫉妬フィルターにはエーリックが可愛い女子を相手ににこやかに給仕せったいしているように映るらしい。


「いえ、さすがにアレ相手に殿下も浮気しませんって」

「でも、すっごく可愛い子達じゃない!」

「いや、確かに可愛いですけど……どう見ても十歳前後の女児ですよ?」

「キーッ、エーリック様も若い子の方が良いのね!」


 男の人っていつもそうですね…!とキレ散らかすウェルシェにカミラが胡乱げな目でため息を吐く。あのエロリックがウェルシェの巨乳を捨てて女児に走るなど天地がひっくり返ってもあり得ない。


「幾らなんでも若すぎますって」

「ナニ言ってるの!? 最近の若い子は発育が良いのよ」


 若干十六歳にして老若男女を悩殺する見事なプロポーションを下から上までゆっくり視線を動かしてカミラは思う……その発育の良い若い子代表が何を言うかと。


「ほらほら、馬鹿やってないで順番がきましたよ」


 ウェルシェの口走っている内容が内容だっただけに、カミラにはいつものおふざけにしか見えない。だが、ウェルシェは純粋に嫉妬していた。激おこぷんぷん丸だった。


「エーリック様!」


 かくしてウェルシェは執事喫茶『プリンス』に突撃をかましたのだった。

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