第61話 その女心、分かりませんか?

 エーリックは戸惑っていた。


 惜しくも負けた愛しい婚約者を慰めようと会いにやって来たら、当の本人がいきなり泣き始めてしまったからだ。


(いや、試合に負けたんだし、泣くのは分かるんだよ?)


 なんならエーリックにはチャンスとばかりに、慰める振りしてウェルシェを抱き締めちゃおうかなぁ、なんて下心があった。さらに、もしかしたら胸タッチまであるかも、なんてスケベ心までも秘めていた。


 実際、エーリックは現在進行形でウェルシェを抱き締めている。だけど、彼が思っていた展開となんか違う。


(いきなり謝り出すんだもんなぁ)


 エーリックは試合に負けて落ち込むウェルシェになんて言葉をかけようか……カッコいいセリフを色々考えていた。


 だが、ウェルシェが突然エーリックに謝罪し、今も自分の胸の中で「申し訳ありません、申し訳ありません」と涙を流しながら謝っている。


 今こそ気の利いたセリフでウェルシェのハートを掴む時なのだが……


(どうしよう? どうしよう? どうしたらいいの?)


 想定外の事態にエーリックはパニックでそれどころではない。


(こんな時どんなセリフを言えばいいの……分かんないよ!)


 なんて言葉をかければいいのか分からず、エーリックはただ優しくウェルシェの頭を撫でるしかできなかった。


 エーリックの望んだシチュエーションのはずなのだが、テンパってウェルシェの華奢で柔らかい身体を堪能する余裕が無い。


(それに、昨日の事って何だろう?)


 しかも、謝罪の内容がエーリックには意味不明であった。


(負けちゃった僕にも優しかったし、それに……えへへへ、カッコいいって言ってくれたしね)


 これはウェルシェとエーリックの認識のズレである。


 ウェルシェはエーリックを傷つけたと誤解しているが、エーリックはウェルシェから素敵と言われて舞い上がっていたのだ。


 だから、いくら考えてもウェルシェが謝る理由が分からず、エーリックは最後までぎこちなく頭を撫でるしかできなかった。自分のヘタレさ加減にエーリックは落ち込みそうになる。


 もっとも、この無言の行為がウェルシェからの評価を爆上げしたのだが、エーリックに知る由もなかったが。


 しばし二人は静かに抱き合っていた。


 それはしっとりとした大人の抱擁ではなく、まだ男女の機微に疎い少年少女の不慣れな抱擁で、ぎこちない不慣れな様子が微笑ましい。


「みっともないところをお見せして申し訳ございません」


 しばらくして、涙を流しきって気持ちが落ち着いたのか、エーリックから離れるとウェルシェは頭を下げた。


「負けて泣くのが、みっともないなんて事はないさ」


 エーリックははにかむのは、きっとそれが昨日目の前の女の子に言われた内容と同じだから。


「僕はそれをウェルシェに教えてもらったんだ」

「でも……私、無神経でしたわ」

「そんな顔をしないで」


 顔を曇らせたウェルシェの頬にエーリックは手を添えた。


「やっぱり負けるのは悔しいよ。そう思うのは自然な事だから、泣いたっていいんだ」

「エーリック様……」


 ウェルシェは自分の頬に当てられたエーリックの手に自分の手を重ねた。


「ありがとうございます……お陰で元気がでましたわ」

「いや、ウェルシェの力に少しでもなれたなら嬉しいよ」


 少し明るさを取り戻し微笑むウェルシェは、いつもより柔らかいようにエーリックには見えた。


 なかなか良い雰囲気である。


(これはもう少し行けちゃう? このまま行っちゃう?)


 もっと強く抱きしめて巨乳を堪能しようかな、とエーリックはスケベ心を起こした。


「お取り込み中のところ申し訳ございませんが……」


 だが、レーキが二人を引き剥しにかかった。

 ウェルシェは次の競技が控えているからだ。

 

「お着替えの時間がなくなってしまいます」


 ジョウジもそっとウェルシェに耳打ちした。


「あっ!?」


 一気にウェルシェの顔に血が上る。


 試合を終えたばかりで、自分が汗だくの競技服のままだと今さらながら気がついたのだ。


「わ、私、こんな汗臭い格好で……も、申し訳ございません!」


 なんたる乙女にあるまじき醜態!


 頬に手を当てれば羞恥心に顔がカァッと熱くなっているのが分かり、ウェルシェはますます恥ずかしくなって顔を両手で覆った。


(何で? どうして? 私、私……もう! もう! もう!)


 ウェルシェはもう恥ずかしさに内心でもだえまくりだ。


(こんなみっともない姿ばかりエーリック様に晒して……ああ、もう!!)


 今日のウェルシェはホントに失態の連続だ。

 穴があったら入りたい気持ちが良く分かる。


「だ、大丈夫だよ、良い匂いだったからさ」

「淑女の汗の臭いを嗅がないでくださいまし!!」


 エーリックの無神経な追い討ちフォローがウェルシェにもある乙女心をえぐり、羞恥心にウェルシェは顔を両手で隠したまま頭をブンブン振る。


「でもホント良い匂いなんだよ」


 ボソッと呟いたエーリックエロリックの余計な一言がとどめとなった。


「エーリック様!!!」

「ご、ごめん!」

「もう、エーリック様なんて知りません!」

「あっ、ウェルシェ!?」


 珍しくウェルシェに非難の声をかけられエーリックは慌てふためき謝ったものの、いよいよ居た堪れなくなったウェルシェは顔を隠したまま走って逃げた。


「お、お待ちください!」

「一人になるのは危険です!」


 護衛のレーキとジョウジが慌てて走り去るウェルシェを追った。


 そして、ウェルシェの「もう知りません!」にショックを受け、エーリックは彼女の背中を呆然と見送ったのだった。

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