第6話 猫ちゃんのための環境づくりです!
「とりあえず考えておく」
そう返事をして、その夜は解散した。
翌日、会社で顔を合わせた美坂は「おはようございます」と、いつもと変わらぬ調子で挨拶をしてきた。
(なんだ、いつもの美坂だな)
きっと一夜明けて、昨日自分が口に出したことが一時の気の迷いだったと気づいたのだろう。
ちょっと拍子抜けはしたが、これでまた今日からはいつもと変わらぬ日常に戻るというわけだ。
ホッとしたような少し残念なような、そんな気持ちで昼食を取っていると。
ピロン♪
チャットが届いた。
美坂からだ。
『考えたんですけど、これから私達がしなきゃいけないのは三つですね。「整備、環境づくり、維持費の確保」です』
「ちょっと待って、なんの話?」
『なんのって、猫ちゃんですよ? 言ったじゃないですか昨日。飼いましょうって』
「は? いや、あれ諦めたんじゃ……」
『はい? 諦めませんよ? 飼いますよ、須々木さんの家で』
「え、オレ『考えとく』って言ったよね?」
『言いましたね。それがなにか?』
「なにかってお前……」
美坂はどうやら諦めてなかったらしい。
ったく……なんで女ってのは、こう普段の素振りと内心で考えてることが全然違うんだ。
『まぁ、要するに保留ってことですよね? なら私の提案を聞く余地もあるってことだと思いますが?』
「はぁ……お前ってやつはほんとに……。で、なんだよ、その『しなきゃならない三つ』ってのは」
今、オレがいるのは会社近くのお安い定食屋。
後ろに並んだ行列から向けられる白い目に恐縮しつつ、残りの白飯と味噌汁をガバっとかっ込む。
『はい。まず一つ目は「整備」ですね。昨日、急に猫ちゃんの電源が入ったじゃないですか。あれ、多分どこかに不良があると思うんですよね。それに、昨日帰ってから調べたんですけど、あの猫ちゃん、あの型には登録されてない言葉を喋ってたんですよ』
長い。
なんであんなロボットなんかにそんなに一生懸命になれるんだろう。
猫型なのがそんなにいいのか?
中身はただのロボットなのに。
そう思いながら、定食屋を出る。
「整備っつったって結構古い型だぞ? しかも購入したわけでもないから保証もないだろう」
『そこは自分たちでなんとかしましょう』
「なんとかってお前……」
『で、二つ目の「環境づくり」なんですが』
「無視かよ」
『現時点で、あの部屋は猫ちゃんを飼うには不適合です』
「悪かったな、汚くて」
『はい、なので私、今日も須々木さんの家に行きますね』
「はっ!?」
『あ、大丈夫です、もう道覚えたんで一人で行けます』
「いや、そういうことじゃなくてだな……」
いかんって、一人暮らしの男の家。
しかも、あの治安の悪いボロアパートに女の子を来させるのは。
『須々木さん一人だと掃除しないでしょう?』
「まぁ、多分、しないけど……」
『ってことで、行きますね。どのみち、あの部屋は汚すぎです。同じ外回りをする同僚の身からしても、先輩のQOL(クオリティー・オブ・ライフ)の低さはこちらまで影響してきますからね』
「なぁ~にがクオリティー・オブ・ライフだよ」
まったく……よく回る口だ。
けど、美坂のこういうツラツラと屁理屈を並べられるとこは外回りでも役に立つんだよな。
そりゃ口下手で要領の悪いオレと組まされるわけだ。
『で、最後に「維持費」ですね。これがまったくの未知です』
「というと?」
『例えば電気代ですね。猫ちゃん用の充電器も買わなきゃいけないですし。要するにエサ代ですね。それから定期的な手入れも必要です。最悪部品の交換もしなきゃいけないかも。これは言ってみれば病院代や予防接種代です』
なるほど。
美坂は美坂なりに、現実の猫をベースに飼育方針を立ててるらしい。
「バッテリーと充電器についてはこっちで調べとく」
『わかりました! では、また夕方に伺います! あ、ちょっと遅くなるんで先に帰っててください!』
「え? ああ、残業にならなかったらね」
結局、気がつくとオレは美坂に押し切られた形になっていた。
そして、なんと今日も昨日から続けて二日連続、定時で上がれてしまっていた。
(なんでこんなに仕事が捗ってしまうんだ……。退勤後に予定があるってだけでこんなに変わってくるものなのか……)
なんとなく釈然としないまま帰宅を果たしたオレがまず取り掛かったのは、トイレ掃除。
いくら部屋を掃除してもらうとは言っても、いくらなんでもトイレまで掃除してもらうわけにはいかない。
しかも後輩の女性に、だ。
ゴシゴシと長年放置してきた汚れを擦り落としていく。
(なんかこの三日間、掃除ばっかしてんなオレ……)
逆に言うと、今までの数年間、まともに掃除する余裕すらなかったってことなんだよな……。
そんなことを思いながら、トイレをピカピカに磨き上げていく。
気がついたらあっという間に時間が過ぎていた。
(おぉ……無心だったな、オレ……)
そして、それからすぐ後、美坂が買い物袋をたくさんぶら下げて現れた。
「え、なにそれ? なに買ってきたの?」
「掃除道具と、お鍋と、お鍋の材料です!」
「な、鍋……?」
「はいっ! 今日は鍋ですよ、須々木さん!」
買ってきたものを返品しろと言うわけにもいかず、材料を壊れかけの単身用冷蔵庫に突っ込み、二人でテキパキと部屋を片付けていく。
大きなゴミを端に寄せて床が姿を現したところで、美坂が不穏なことを言い出した。
「お掃除も順調に進みましたね! じゃ、須々木さんはそのまま床をきれいに拭いておいてください! 私は、猫ちゃんのための環境づくりの最終準備に取り掛かります!」
最終準備……?
おいおい、嫌な予感がするぞ……。
「……最終準備って?」
「はい! 隣人さんの懐柔です!」
「は? りんじ……? かいじゅ……? ちょ、お前何言って……」
オレの声も聞き終わらないうちに、美坂は表へと飛び出していった。
動きが早い。
たしか元陸上部なんだったか?
あぁ……後輩のことすらちゃんと覚えてなかったんだな、オレは。
そんなことを考えていると。
ドンドン! ドンドン!
もうすでに美坂が隣のドアをドカドカとノックしてる。
「おい、ちょっと! 美坂!」
隣の住人。
しょっちゅう夜中までキーボードをカタカタさせてるくせに、こっちがちょっとでも物音立てたらすかさず壁ドンしてくるような奴。
そんなとこに女の子が一人で突撃だって……?
そんなの、逆ギレされた隣人になにされるか……!
ザッ!
あぁ、くそ……! オレが美坂を守らないと!
そう思い、慌てて靴のかかとを踏んづけ、表に出る。
「みさ……」
声をかけようとした、瞬間。
キィ──。
隣の扉が、わずかに開いた。
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