第26話 優しい思い出
「お、俺の足が……頼む、助けてくれぇ」
荷馬車を引いていた中年の男性は、ハナとエミリーに助けを求めた。
ゲル状の魔物に飲み込まれた右足の靴とズボンの一部は、完全に溶け、皮膚が真っ赤になっている。
「急がなきゃ」
ハナは、触れた花に願いを込めて叫んだ。
「イトピ、お願い、力を貸して」
「い、いとぴ?」
エミリーが謎の言葉に気を取られてた瞬間、ハナが触れるスイートピーの花がみるみるうちに人の形を成していく。
ヒラヒラとしたスイートピーの花びらのドレスに身を包んだ背の丈100㎝にも満たないその子供は、おしゃぶりを咥えながら不機嫌な顔で現れた。
「なんなんでちゅかっ」
そして怒っていた。
「どうしようエミリー、イトピが怒っている。また失敗かもしれない……」
ハナは、動悸が激しくなり胸を抑えた。
「いいえ、これはきっとハナのネーミングセンスに怒っているのよ」
「僕の付けた名前が?」
「ええ、まだ遅くないわ、レンリちゃんにしましょう」
「レンリちゃんか、うん、いいね、スイートピーは別名で麝香連理草(ジャコウレンリソウ)って言うもんね、さすがだよエミリー」
「言ってる場合じゃないわ、出てきてもらったからには早くなんとかしてもらわないと」
「でも、レンリちゃんはどう見ても僕らより子供だよ?」
ハナは、そう言ってレンリの頭に手をのせ、サラサラのおかっぱ頭を撫でた。
「れんりちゃんは、つよいのでしゅよ」
撫でられているレンリは気持ち良さそうに目を細めた。
「レンリって名前、気に入ってくれたみたいね」
「僕はイトピも捨てがたいと思うんだけど」
「子供が3人……無理だ。もう俺は死ぬのを待つしか……嫌だー誰かーたすけてくれー」
絶望と願望が入り交じり、ジタバタと子供のように駄々をこねる中年の男性。
「どうしよう、なんとかしなきゃ、レンリちゃん、なんか出来ない?」
ハナは錯乱する大人を前に、自分よりも幼い容姿のレンリに無茶ぶりをする程に慌てていた。
「しょうがないでちゅね」
レンリちゃんはそう言うと、ゲル状の魔物にお尻を向けて、力いっぱい力んだ。
「フンっ」
赤ちゃんが排便の際に両手を握り両足を腹部に引きつけて、顔を真っ赤にして力む様に声を上げた瞬間。
フシュルルルル~と、レンリちゃんのお尻から出るはずもない音と共に無数の蔓が飛び出した。
そして、蔓はぐんぐん伸び、ゲル状の魔物に絡みつく。
透明でブヨブヨな魔物の内側には、人の脳のような器官があり、レンリが伸ばした蔓はその部分だけを残し、ぞうきんを絞るように魔物の全身を覆った。
「いまでちゅ、でているとこりょをたたいてくだちゃい」
レンリは魔物の器官を指差して叫んだ。
「わかった」
レンリちゃんの掛け声と共に、ハナは駆け出し、荷馬車に積んであった木剣を握り、蔓に覆われていない器官に向けて渾身の力で振り下ろした。
ギュウギュウに締め上げられ蔓が巻き付いていない部分はパンパンに膨れ上がっていた。そこへハナの一撃、ゲル状の魔物は水風船の様に割れて消滅した。
「やったー、魔物を倒せたよレンリちゃん」
「ぐっじょぶでしゅ」
ハナの喜びに親指を立て、ニヤリ笑うレンリ。
「魔物なんて見たこともなかったのに、倒しちゃうなんて……僕ってもしかして強くなった?」
興奮冷めやらぬハナは、レンリを抱き上げ「レンリちゃんのおかげだよ」と、頬を擦り合わせて喜びを分かち合った。
「案外弱かったですね、私のウインドカッターでも余裕だったと思います」
はしゃぐハナを尻目に、荷馬車の運転手の状態を診るエミリー。
ゲル状の魔物は歯がなかったらしく、皮膚の炎症と圧迫による足の指の骨折がみられた。
「これぐらいなら、私の治癒魔法でもなんとかなりそうですね、治してあげるので近くの街まで送って頂けますか?」
「もちろんだよ、ありがとうねお嬢ちゃん、こんなに小さいのに治癒魔法にウインドカッターも使えるのかい? とんがっている耳をみるとエルフ族かな? 流石は優秀な種族だよ、頼りになるね」
「礼には及びません」
よくしゃべるおじさんだな、と思いながら黙々と傷の処置を続けるエミリー。
「えへへ、すごいでしょ、僕の妹なんだ、エミリーって言うんだよ、僕はハナ、この子はイトピ、じゃなかったレンリちゃん」
「どうもでちゅ」
「ほぉ三人兄妹仲良く旅行かい? 気を付けないと、ああいう魔物が最近多いらしいからね、噂で聞いたんだけど、えらくべっぴんな女の人が魔物を次々と創造しながら世界中を回っているって話だよ、しかも全裸で」
「ええー全裸なの? 変な女の人もいるもんだね、でも大丈夫だよおじちゃん、僕ら強いからね」
「頼りにしてまっせ、お兄ちゃん」
「「あははははは」」
全裸という事に、何か引っかかる気がしたハナと、おしゃべりな男共にイライラするエミリーだった。
治療を終え、散乱した荷物を積み込み、荷馬車は次の街を目指す。
「ところで、エミリーは何でここにいるの?」
「えっ、えっと、ワン兄様に頼まれて……」
急に話を振られ、そういえば追ってきた理由を考えていなかったと、密偵としての未熟さを痛感するエミリー。
レンリは揺り籠の様な荷馬車の揺れと、柔らかいエミリーの膝でぐっすりと眠っていた。
「ふーん、ワン兄さん何も言ってなかったけどな、それに僕はもうアララガの国には戻らないかもしれないよ?」
「ワン兄様は心配性なので、少しの間だけ一緒に居てくれと頼まれました」
「そっか、ありがとねエミリー、ワン兄さんに心配かけないように、すぐ強くなるから、っていうかもう強いけどね」
「礼には及びません」
「……」
こんなに長くエミリーと二人だけで話したのは何時以来だろう、なんで妹はこんなに不愛想になってしまったのだろう、ハナは少し考え込む。
「あー懐かしいね、昔はよく、お母さんと僕とエミリーで、こんな風にお家の馬車を借りて遊びにいったっけ?」
「エミリーったらさぁ、はしゃぎ過ぎちゃって、今のレンリちゃんみたいに疲れ切って僕の膝でよく寝てたんだよ? 覚えてる?」
「……そんな時代もありましたね」
眠るレンリの頭を優しく撫でながら、少し声を落とすエミリー。
「そうだ、次の街に行ったらさ、芥子の花を探そうよ、栽培禁止の花だから見つけるのは難しいかもしれないけど、一緒に探そ」
「ケーシィちゃん……」
ふと、思い浮かぶ友達の名前。
「そう、ケーシィちゃんと一緒にいるエミリーは、昔の元気なエミリーだったよ、あーんな大声上げるエミリーが僕は好きだな」
「ハナ……にい……」
エミリーは、ケーシィの魔法で我を失っていたときのことを思い返す。
もしかしたら、あれが自分の本心なのでは……。
このまま、ハナを兄と呼べば、もっと気が楽になるかもしれない。
もっと昔話に花を添えられるかも……。
だが、エミリーはそれ以上なにも語ろうとしなかった。
「お前は人々の上に立つ特別な存在だ。努々忘れるな」
頭の中に響く、そのファザの言葉がそうさせた。
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