第三話・大切なものはなんですか?

「ぐーぐー」

いつもの部室。

夏に向けての撮影が増え、仕事が忙しくなった小日向風夏は、最初来た時みたく直ぐに寝ていた。

ある意味いつもの光景だ。

様式美だな。

まだ一ヶ月足らずだけど、最近は色々あった。

陰キャだった俺は、ファッション雑誌を見るようになり、ユーチューブやツイでファッション速報見ているし、流行を追い続ける陽キャの大変さが何となく分かる気がした。

絵を描きながらファッションの勉強をする怒涛な日々ではあるが、これはこれで楽しい。

オタクっぽい可愛い洋服以外も描けるようになったことで、ツイでは誉められる機会も増えて、フォロワー同士での流行りものの洋服の情報交換も盛んである。

その半数はふゆちゃんさんだけどな。

あれだけ話していて、正体が気付かれていないと思っているらしい。

あいつ馬鹿だな。

『ふゆのオススメです♪ 風夏ちゃんに似合うと思うので参考にしてください!』

キメェ。

まあセンスはあるので画像を保管しておくけど。

白鷺といえば、この前にメイド服買ったのにツイに上げていないのが気掛かりであった。

購入物としてツイで画像を上げていたけど、せっかくなら自撮りすればいいのに。

いや、陽ぼっちだし恥ずかしがっているのか?

ラインの通知が来る。

『白鷺冬華です。次の予定を組みたいので、お時間がある時に予定を教えて下さい』

丁寧過ぎる。

育ちの良さを文面に出してくるなよ。

こっちの返信も真面目に返さないといけなくなる。

『同人イベントの準備があるから、少し待っていてくれ。落ち着いたら連絡する』

『かしこまりました。楽しみにしながら、お待ちしております』

だから誰だよ、お前。

完全に別人格やんけ。

『白鷺、忘れていた。メイド合同イベントなんだけど、もしよければ参観するか?』

『行きます』

『分かった。もう一人いるけど大丈夫か?』

『ツイの方でしょうか?』

『同じクラスの高橋。カメラマンだから、メイド服着て撮影したいなら写真撮ってくれるってさ。承諾得ておくけど、どうする?』

既読付いてから、返信速度があからさまに低下する。

高橋覚えられていない……?

『お手を煩わせて申し訳ございません。撮影をお願いしたいので、高橋さんにはそのようにお伝えお願いします』

いや、だから誰だよ。


一方その頃。

「ーーシャ!!」

全身全霊でガッツポーズをする白鷺であった。

騒がしかった教室が静まり返る。

麗奈と萌花はただ見ていただけだ。

「え? なに??」

「ゆきが、テニスで相手に点数入った時にやってたやつしょ。テンションフルスロってる」

「ラインしてただけだよね??」



放課後の教室。

まったりとしている。

あの後に高橋に連絡を入れて、白鷺がイベントに来ることを伝えた。

その流れで、白鷺も販売に参加したらどうかという話になった。

白鷺は売り子ができるタイプではなさそうだけど、サークルスペースに女子が居ると居ないとでは売り上げに天と地の差があるのは事実。

ましてや学校の五本指に入る美人だしな。

性格や趣味知っているからアレだが、外面の良さは俺も認めている。

だが、クセが強い。

『この時間が一番無駄じゃね?』

白鷺に、ラインをする。

『学校での評判が家に知れるとよろしくないので、すみませんがお待ちください』

俺達二人は教室でラインしながら、全員居なくなるまで待つのであった。

無駄な時間にも思えたが、いいところのお嬢様なら普通なのかも知れない。

買い食い禁止。恋愛禁止。陰キャ禁止くらいならありそうだな。

『白鷺、ツイやってるから全員帰ったら教えてくれ』

『かしこまりました。お伝えしますね』

ツイを確認して、フォロワーのチェックや返信をしていく。

流れてくる情報は、ファッションのRTばかりで、女の子目線で洋服の良し悪しを考えてばっかりだ。

頭壊れて、男の娘になっちゃう~。

そんなことはないけどさ。

自分の好きな可愛い洋服やメイド服を着れるとなると、女の子っていいよな。

基本的に女子の方が洋服も安いし。

いや、俺みたいな奴が女になっても地味子コースだろうけどさ。

「よし、帰るぞ!」

しばき倒したくなる顔をしていた。

こいつ何で嬉しそうなんだよ。

「は?」

「なんだよ。仕方ないだろうが」

弱々しくいじらしい仕草をし、素で女の子に戻るなよ。

卑怯だろうが。

「今更だが、駅前で集合すれば良くなかったか?」

「それは違うぞ! 一緒に帰るからいいんだろう?」

「噂になるから嫌なんじゃないのか?」

「それはそれ! これはこれだ!」

勢いで押し切ろうとするな。

白鷺の思考回路は複雑怪奇過ぎて、俺には意味分からないけど、自由にさせておいた方がいいのか。

鞄を持ち、下校する。

白鷺の人気は高く、下駄箱に行くまでの間に数回以上声を掛けられていた。

「白鷺先輩、さようならです」

「うむ。また明日な!」

それだけで黄色い声が上がっていた。

オスカルかな?

「部活の後輩か?」

「いや、彼女はバレー部だから別だぞ」

「何で仲いいんだ?」

「怪我した時に保健室まで運んであげたからな! お礼にクッキーも貰った仲だ」

オスカルだな。

相手の女の子、めっちゃお慕いしている顔をしていたけど。

「白鷺は何部なんだ?」

「テニス部だがそれがどうした?」

「エースをねらえ?」

「趣味でやっているだけだから、全国大会には出ていないぞ」

「趣味って、勿体なくないか?」

脳筋みたいなスペックしているんだから、ちゃんとやったらいい成績残せそうだけどな。

「他にも習い事があるからな。部活だけに時間を費やすのは難しいのだ」

「聞いたら後悔しそうだけどさ。聞かないとずっと悩みそうだから聞くわ。……ちなみに何の習い事なんだ」


「バイオリンだ」


宇宙の法則が乱れる!


立ち眩みがした。

イメージから掛け離れたもの過ぎて、ぐわんぐわんしてくる。

あの白鷺がバイオリン?

バイオリンってあれだよな?

美人でお嬢様が引く弦楽器の?

あ、こいつお嬢様や。

「これでも幾つか賞も貰っているんだぞ! 機会があればお見せしよう」

「ああ、楽しみにしておくわ……」

白鷺は子供の頃の経験を嬉しそうに語っているから、バイオリンを習っているのは事実なのだろうが、処理能力がパンクしそうだ。

何でこんな性格しているの??

ラインのままの口調なら、普通に超が付くレベルでお嬢様なのに、残念すぎるだろ……。

「よし、演奏会の予定も入れよう!」

手帳のチェックリストに追加していた。

残念だから可愛いのか?



それからやっとのこと、メイド喫茶シルフィードに入店した。

初めての来店まで結構時間がかかった。

「お帰りなさいませ。御主人様、お嬢様」

メイドさんがにこやかに笑い、席に案内してくれる。

この前もらったカードも渡した。

「えー、コーヒーブラックで」

「私はアッサムでお願い致します」

「かしこまりました。アッサムはミルクでお出し致しましょうか?」

「ええ、ありがとう」

お嬢様スマイル。

白鷺、緊張し過ぎてラインの方の人格が表に出ているぞ。

メイドさんが近くに居て接客しているのが尊すぎて、尊死している。

「おい、メイドさん居なくなったぞ」

「は! 可愛すぎて意識を失ってしまったぞ」

メイドさんが離れるといつもの白鷺に戻る。

またメイドさんが近付くと、緊張してお嬢様モードになる。

「コーヒーとアッサムミルクティーです。本日のクッキーはチョコレートとオレンジです」

「ありがとう。頂きますわ」

一礼して奥に消えていく。

白鷺は手を降ってにこやかにしている。

「ハッ! まただ! メイドで冥土に逝くところだった!」

いつまでこのコント見させられるんだろうか。

お嬢様スイッチ過敏だな。

「お前がお嬢様になってどうする」

「そうだな、少し落ち着くことにしようか」

バンッ!

詩の本をテーブルに出した。

なに持ってきているんだ?

用意周到か?

「どうした? ティータイムには詩を読むものだろ?」

「男の俺には知らん世界だが……」

「私の両親は詩を通じて仲良くなり結婚したくらいなのだぞ? 小さい頃からティータイムといえば詩だぞ!?」

「熱意は分かった。だが、俺んちは住宅ローン残っている家庭なので……」

「一流のメイドさんなら、理解を得られるはずだ。ちょっと待ってろ」

ベルを鳴らして、メイドさんを呼び出す。

呼ばれて直ぐに来るあたり、一流のメイド喫茶だな。

「如何なさいましたか?」

「詩を読んでもらえませんか?」

「???」

やめろやめろやめろ。

メイドさんが混乱している。

お嬢様フェイスで詩の本を渡そうとするなよ。受け取らないとメイドの本職をこなせていない感が出るだろ。

それでもプロ精神でスイッチを切り替え、本を受け取ってみせる。

「どちらをお読み致しますか?」

「いやいや、読むなら白鷺が読めよ。ほら」

「仕方がないですね」

だからその口調やめろって。

パラパラとめくり、2ページくらいの詩を読む。

「読み上げますね」

透き通る声。

丁寧にゆっくりと読み上げる詩は、その時代の情景を感じさせ、相手への想いの強さを伝えてくる。

愛の唄。

純粋な女性が、遠い場所に居る想い人に伝える言葉であった。

パタンと本を閉じる。

「こんな感じですね」

「お嬢様、素晴らしいです」

(*’ω’ノノ゙☆パチパチ

メイドさんも素直に感心していた。

手を叩きながら絶賛している。

「メイド喫茶に初めてきて、普通に詩を最後まで読み上げた精神力はどうかと思うが、お茶を飲みながら詩を聴くのは風情があるな」

聴く分には楽しいけど、やっぱり詩を嗜むような性格ではないので、自分からやりたいとは思わなかった。

「はい」

俺に本を手渡してくる。

白鷺とアイコンタクトをする。

「は?」

「一人一回がルールですよ?」

「白鷺、そういうけどさ。これ、愛の唄しかないやつ……」

「御主人様。レディをエスコートするのも男性の努めです」

メイドさんはニッコリと笑う。

いらんメイド要素入れるな。

面白がっているだけじゃないか。


ガチガチだったがなんとか読み上げた。

人生のどこを間違って愛の詩を唄うことになったのか。

顔真っ赤だ。

「詩なんて読み上げるの無理だろ。恥ずかしいわ」

二人とも顔を隠して苦笑をしていた。

内心、大爆笑していただろ。

「最初はみんなそんなものです」

「御主人様、流石です。お可愛かったです」

お前ら頑なにキャラ壊さないな。

なにこれ、初めてメイド喫茶だけど、全員キャラ付けしながら会話するところなのか?

オムライスも写真撮影もないまま、かなりの時間を過ごしている。

というのか、他の席に笑われているし。

馬鹿やっているのは事実だし、あんまり怒る気もしないが。

「……お嬢様、本をお借り致しますね」

「ええ? どうぞ」

「少し席を外れますね」

メイドさんはそう言い、詩を他の席に投下しにいった。

悪魔か、あいつ。

他のお客さんは、こちらの席の光景を笑いながら野次馬していたせいか、ターゲットにされたようだ。

馬鹿にしていたのが癇に触ったのかも知れない。

メイド喫茶ではあれども、メイドとしての矜持はあるのだろう。

「一人一回がルールですよ?」

ふざけんな。

お前が一番馬鹿にしてんだろ。



色々あったが、本題に入ることにしよう。

白鷺に話したいことがあって同行しているわけだしな。

「いい加減その口調やめろよ。いつもの白鷺の方がやりやすいしさ」

「そうだな!」

やっといつもの白鷺の口調に戻る。

お嬢様モードに疲れたのか、ため息混じりだ。

「白鷺に聞いておきたいことがあってな。普通にイベントに参加するだけでもいいんだが、もしよかったらサークルの手伝いしないか? 売り子って言って、一緒に販売を手伝ってもらえると助かる」

椅子に座っているだけでも、売り子というのはかなり有難い。

人数が少ないとトイレに行ったり、同人誌を買いに行くのも大変なのだ。

いつも高橋が来てくれているけど、どうしても数時間はコスプレを撮りに行ってしまうから、その間は俺一人だ。

一人は寂しいし、話し相手にもなるだけでも有難いのだ。

「私はそういう仕事はやったことがないが大丈夫か?」

「別に難しくないよ。拘束時間は長いけど……」

「御主人様、お嬢様。戻りました」

「いや、今は止めてほしいですね」

メイド降臨。

「およよ、そうですか。メイドではあれど御主人様にとてもいい助言が出来るかと思いましたが、いりませんか」

嘘泣きするな。

隠す気すらない。

「聞かないって選択肢は?」

「ニコッ」

ないらしいな。

「せっかくイベントに参加するのであれば、お嬢様も何か商品を出してみればよろしいかと思いまして」

それは俺も考えていたが、バタバタするくらいなら売り子に専念してもらう方がいいと思っていた。

特に白鷺は腐ってもお嬢様だし、最初はゆっくり馴染ませた方が無難だからだ。

「そうは言っても急遽準備するのは難しいぞ」

「これがあるではないですか」

メイドさんはそう言って、指を二つ立てる。

「ピースサイン?」

白鷺の反応は正しいが、相手はこのメイドであり、普通の問題を出してくるとは思えないだろう。

裏の裏を読まなくてはいけない。

相手は両手を使い、ピースサインをしている。

ということは考え得る答えは一つだ。

「分かった! 正解は、アへ顔ダブピだ!」

「御主人様、給仕しながらそんなことしませんよ。チェキですよ、チェキ」

「ああ、そんなものありましたね」

「メイドイベントといえば、チェキです。お嬢様のチェキを売り出せば、その美貌も相まって即座に完売すると思いますよ」

写真集やチェキは女の子の特権で、男の俺にはまず選択肢に入らなかったから忘れていた。

分からない人に説明すると、チェキとはインスタントカメラの名前であり、写真を撮ると直ぐに現像される優れものだ。

片手サイズの小さな写真が出てくるので、それにサインをしたりして売り出す。

撮影会やメイド喫茶ではよく聞く言葉である。

「あー、チェキかぁ。それもありだな」

白鷺がメイド服を着る機会も増えるし、写真撮影ならば高橋が詳しいから対応できるかもしれない。

「それでイベントはいつですか?」

「え、来るの……?」

「お嬢様のチェキを集めるのもメイドの努めです」

ただ単にチェキ欲しいだけの人だった。

メイド喫茶で働くくらいメイド好きならば当然の行動だった。

「すまん。チェキってなんだ?」

白鷺さんが中々会話に入らないと思ったら、そういうことか。

優しく説明した。


それから数日間。

白鷺のチェキ撮影のために放課後に集まっていた。

場所はカラオケ屋のコスプレスペースだ。

カラオケ部屋を撮影スペースにしているだけなので、ちょっと狭いが三人で撮影するのには問題ないし、学生の財力では撮影場所を貸し切りも出来ないので仕方ない。

高橋が率先して動いてくれたことで、チェキの準備や撮影場所を確保出来た。

フィルム60枚セットを持ってきた時は引いたが、試し撮りしながらチェキを選別していたあたり、高橋からすれば特に多い枚数ではなかったのだろう。

撮影慣れしていない白鷺はぎこちないポーズしていたし。

「お疲れ様。撮影楽しかったよ。少し時間あるから休憩して撤収だね」

高橋は淡々と片付けていた。

「おお!」

白鷺は自分が写っているチェキを見比べながら、満足げにしている。

「結局何枚くらいまで販売用にするんだ?」

写真は専門外すぎてよく分からん。

詳しいことは丸投げしていた。

「50枚くらいはあったと思うけど、白鷺さんも気に入っているから、何枚かは彼女用に取っといた方がいいかもね」

「……高橋、写真のことだとコミュ力高いな。めっちゃ気が利くじゃん」

「好きなことだからね」

イケメン過ぎて完全に敗北した。

カメラを整備しながら語る姿は歴戦の勇者感が凄い。

「今日はありがとう。軽く飯でも食いに行こうぜ。奢るからさ」

「ありがとう。でも、白鷺さん用にサークルポスター作った方がいいから、家に帰って仕事したいかな」

写真が好き過ぎて、学校では友達が少ないけど、悪いやつではない。

人間は、被写体になった時しか興味示していない特殊なやつだけど。

カメラ持っている間は普通に話してくれるし。悪いやつじゃない。うん。

「じゃあ菓子だけでも貰ってくれ」

「何でたべっ子どうぶつ持ってるの?」

「子供はみんな好きだろ? 喜ぶと思って常備していたんだ」

「僕達全員高校生だけど……」



相変わらず慌ただしい毎日だ。

何とかイベントまでの準備を終えて、あとは日曜日まで待つだけになった。

それと平行してファッション情報収集や小日向との仕事もこなしていたため、睡眠時間ギリギリの生活だ。

いや、俺が眠いのは、クソうぜえお嬢様が詩の一文を深夜二時過ぎにラインしてくるせいだな。

部室まで来る体力はあったが、席に着くと眠すぎてやばい。

ご飯を食べると眠くなるってやつか。

机に突っ伏して寝ることにする。

午後の授業までに睡魔が過ぎ去ることを祈ろう。

「ばばんバンバンジー」

眠らせろよ。

小日向が現れた。

相も変わらず元気なやつだ。

最近小日向の影が薄かったが、こいつも仕事が忙しくて話す時間がなかっただけで、平常運転で部室まで来ていた。

ほぼ寝ているけど。

「あれ? 眠いの?」

「仕事が忙しくてな。ぶっ倒れる前に昼寝でもするわ」

「MEGリズム使う? ラベンダーの香りだよ」

今日の小日向は気が利く。

素直に受け取って、ホットアイマスクを付ける。

目元が徐々に温かくなってくる。

どれだけパソコン疲れが溜まっていたのだろうか。

ホットアイマスクの暗闇とラベンダーの香りが睡眠を誘ってくれる。

「小日向。すまん、後で起こしてくれ」

ーーーーーー

ーーーー

ーー

「おやすみなさい」



午後の授業も終えて、帰ろうと思ったが睡魔は急にやってきた。

家で寝たら深夜コースになるので、数十分寝ることにした。

軽い気持ちで仮眠を取っていたら、夕方になっていた。

「ぐーぐー」

誰もいないはずの教室には、小日向風夏がいた。

夕日に照らされ、幸せそうに寝ている。

まるで幼い子供のように、よだれまで垂らしている。

その光景を眺めながら、このまま帰っていいのか悩んでいた。

暗くなっていく教室に、小日向一人を残して帰るのは、常識的にどうなのだろう。

仮にも女の子だしな。

顔見知りだし起こしてもいのかも知れないが、教室で会話したことがない身としてはハードルが高い。

教室での小日向は別人みたいなものだ。

どれだけいっても、陽キャと陰キャの組み合わせである。

「仕方がない。三十分くらい待ってみるか」

俺も寝起きで身体は重いし、ツイのチェックやら何やらしていたら時間が過ぎるのは早い。

小日向のために待っているわけでなく。

流石に女の子一人置いて帰るのはクズ過ぎるからな。

男の子ならみんなそうする。

サークルの準備も終わったし、たまにはまったり時間を使うのも悪くないだろう。

あまった時間でサークルの宣伝しとこう。

自分のサークルポスターと、高橋が作ってくれた白鷺のポスターを載せる。

「顔部分はスタンプで隠しておくか」

身バレする可能性高いしな。

白鷺レベルの美人とか、そうそういないはずだ。

メイド好きな人に悪い人はいないが、不特定多数の人が見る場所なので保険は必要だろう。

そこらへんのネットリテラシーは白鷺に説明してはいる。

風景などの場所が特定できるものは載せてはいけないとかだ。

馬鹿だから分かってないと思うけど。


「ん~」

「おはよう。ティッシュ使うか?」

よだれを拭く。

「ありがと」

使ったティッシュは俺に返すなよ。

普通に汚えよ。

「う~ん、かえる……」

「まだ眠いなら待ってるぞ?」

「あい。だいじょぶ」

幼児退行レベルとか、無理だろ。

よだれがまだ残っているので、代わりに拭いておく。

「ちゃんと拭けよ。読者モデルがだらしないのは駄目だろ」

「うん。化粧直す」

あとは帰るだけなのに、化粧を直す必要があるのか分からないが、眠そうにしているやつを急かすのも可哀想なので待つ。

化粧ポーチから色々な道具を出しているけど、同じものにしか見えなかった。

あんなに道具を使って毎日化粧をやっているとか、女子も大変そうだ。

「終わったよ」

「じゃあ帰るか」

立ち上がり、鞄を持ち上げる。

「疲れてるだろ? 鞄持つけど?」

「えー、そこまで疲れてないよ。明日も仕事休みだし、ゆっくり寝たら完全回復するよ」

ガッツポーズをする小日向だった。

よく分からない行動をするのはいつも通りだ。

でも、何だか分からないが。

「そうか? いつもと違うからさ。気を付けろよ……?」

「心配ご無用。風夏ちゃんはいつも元気です!」

読者モデルという立場もあるが、お前のことを心配してくれるファンもいるのだから、仕事が忙しくても休める時に休めと言いたい。

そう思っても、言うことを聞いてくれるやつではないだろう。

だから心配なのだ。

夏はまだ始まらないのに、夏休みのように陽気なやつだった。


それから小日向は寄りたいところがあると言い、強制的に俺を連れ回す。

学校近くの地元を案内したいと言っていたが、俺の地元も一緒だよ。

ずっと昔に通った路地裏を進み、彼女は懐かしむように笑顔だった。

「ここだよ!」

何の変哲もない住宅街の急配の下り坂だ。

階段じゃないと降りられないような高さであり、手すりが取り付けられている。

「ジョーカーごっこが出来そうだな」

「踊れるの?」

「いや無理」

「あはは、何でそんなこと言ったの」

「率直な感想だよ」

実際に汚い路地裏だったけど、夕日がとても綺麗で、ずっと続く下り道が幻想的だ。

この景色を選んだ趣味は悪いが、小日向が好きといえば納得できた。

彼女は観たことない世界を俺に見せてくれる。

漫画を描いている俺よりも感性が独特で、見えている色の世界はファッションと同じく色彩豊かであった。

……天才なのだろう。

一生を費やしても小日向に勝てる気がしない。

読者モデルとか、美人であるとか関係なく、小日向そのものが輝いて見えていた。

「ねえ、絵を描くのって楽しい?」

不意に小日向は問いかけてくる。

「ん? まあ、ここ最近は楽しいよ。忙しいくらいだしな」

「よかったね」

「ああ、ありがとう?」

それ以上なにも話さなかった。

静かに夕日を眺め、日が落ちるのを待っていた。

小日向の後ろ姿しか見えないけれども、仕事で辛いことでもあったのだろうか。

天真爛漫故に、誰かに愚痴を言う性格じゃないし、損な生き方だな。

まあ、小日向の愚痴話を聞いてやってもいいが、こちらから引き出すのは性に合わないので止めておく。

夕日を眺めて気持ちが満足するまで待つか。

「よし、帰ろっか」

「もういいのか? まだ日は出ているけど」

「申し訳ないからね。付き合ってくれてありがと」

別に何もしてないが。

過大評価されている気がした。

俺は、そんなにいいやつじゃない。

「ねえ、」

ーー

足がふらつく。

「おい! 危ないだろ!」

やっぱり疲れが溜まっていたのだろう。

立ち眩みを起こし、下り坂の階段から転倒しそうになる。

即座に手首を掴み、引き寄せる。

「何で……」

小日向の鞄と俺の鞄は、咄嗟に動いたせいで手から離れ、階段から転がり落ちていった。


バキバキーー!


階段を落ちる度に、パソコンが壊れていく音がしたが、そんなことを気にしている場合ではない。

小日向が無事でいる方が何倍も重要なのだ。

彼女には明日も明後日もずっと仕事がある。一つのかすり傷が致命傷になる世界で、俺と居たから全て失ってしまったなんて。

そんな責任は取れない。

人の人生とモノを天秤にかけるまでもない。

最初からパソコンは見捨てたのだ。自分にそう言い聞かせていた。

小日向と目が合う。

口に出さなくても全てを悟ってしまうとは酷なことだ。

「いや、いいんだ」

「違う……私。ーーごめんなさい。ごめんなさい! 私のせいで夢だったのに……明日も明後日も仕事があったのに……」

「こんな時だけ敬語を使うなよ」

「ごめんなさい。何もしてあげられないのに、もらってばかりなのに……私さえいなければ……」

どれも必要ない言葉だ。

ありがとうだけでいいんだ。

助けたいから助けただけなのに。

日の光は消え、暗くなり夜になっていく。

落ち着かせるために頭を撫でる。

「大丈夫だ。俺ももらってばかりだから。お前はいいやつだから、そんなこと言うな。誰よりも頑張っているのはお前じゃないか」

「ごめんなさい」


そして、長い一日が始まる。

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