第5話
「ちょおっと待った!」
ティノが声をあげて、わたしの話をさえぎった。
わたしたちは同じ目的地をめざし、ふたり並んで森の中を進んでいる。
わたしの目には、どちらを向いても同じ風景にしか見えない木立だったが、村で育ったティノの目には別の風景として映っているらしい。
少年が道案内とひきかえに出してきた要求は、勇者さまの話をはじめから聞かせてほしいということだった。
わたしはうなずいたが、そんなに気乗りがするわけでもなかった。
少年が期待するものとはかなり異なってしまう気がしたからだ。
「剣士さまがそんなふうに言うはずないよ。そこはこうでしょ。おお、早まってはなりません、麗しの姫君たちよ……」
「それこそ、そんなふうに言うはずないじゃないの、あの人が」
案の定の指摘に、わたしはうんざりしながら答えた。
「こんなに最初から止められてたら続きが話せないわ。このあとは、もっともっとちがってくるでしょうから」
「そんなあ」
森の中の道なき道は、いまのところゆるい傾斜を保っていて、わたしでもさして苦労せずに歩いていけるほどだった。
気が急いているということもあるが、ブーツにしっかりとバックルで留めた木の底が、ぬかるみを歩く役に立った。
雪解け水で重くしめった枯れ葉の層は、踏みしめると沈み込んで、すぐに足をとられてしまう。
農夫おすすめの木底は、ティノのブーツにもちゃんと用意されていた。
季節が進みもっと緑が濃くなってくれば、ぬかるみはへるかもしれないが、かわりにほかの存在が歩みを乱しにくるだろう。
厄介な昆虫、気の荒い森のけだもの。生い茂るシダやツタ、イラクサ。
動いているうちに気にならなくなる寒さなど、それらにくらべればたいした障害ではない。
何よりひとりではないという安心感が、わたしの足どりを軽いものにしていた。
「あのね、ティノ。おせっかいかもしれないけれど」
わたしは行く手をさえぎっている倒木をまたぎながら──ドレスではまずできない動作のひとつだ──少年に話しかけた。
「これ以上、聞かないほうがいいんじゃないかしら。がっかりして、うまく歌えなくなってしまったら困るもの」
「……エセル、ほんとにお姫さまなの?」
少し前にも訊いた質問を、少年がまた投げかけてくる。
「ティノ、もっと大きくなったら都に行って、ほんとに吟遊詩人になるつもりなんだ。それで自分が知ってるいろんなことを、みんな歌にするの。いい加減なこと教えてると、エセルこそあとで困るかもよ? いいの?」
わたしはため息をついて足をとめた。
別に信じてもらえなくてもかまわないのだが、疑いながら話を聞くのでは、この子も落ち着かないだろう。
残念ながら身分を示す紋章などは、まったく持ち合わせていなかった。
ただ、唯一納得してくれそうな品が胸元にかくされている。
わたしはチュニックの衿から、その品を引っぱり出すと、指先で鎖をつまんでぶらさげてみせた。
「証拠になるかどうかはわからないけれど……」
それは肌身離さず身につけている首飾りだった。
銀の鎖を通した留め具には、首飾りにしては少し大きすぎる、ひらたい水晶が留まっている。
水晶に似ているだけで、本当は何か別のものであるにちがいないけれど。
「これって……」
食い入るようにみつめながら、ティノが呟いた。
わたしの声も、少年の驚きにあわせるようにかすかにふるえた。
「魔法剣のかけらよ」
「どうして……」
「剣が砕け散ったから。それをわたしが拾ったから」
最後の闘いで砕けてしまった魔法の
その剣の、これは破片。
透きとおったひらたいかけらの中心部分で、虹色の炎が細く小さく揺れている。
目の錯覚ではない。両手に包みこんで暗くしてみると、ゆらめきがたしかな炎であることが見てとれるのだから。
ラキスの捜索で兵たちと川べりまで来た日に、わたしはこれをみつけたのだった。
城で待っていることができず捜索に加わろうとして、けれど水に近づくことは止められて、しかたなく岸辺を歩き回っているときに。
枯れ草にかくれた石と石の間で、それは小さな蛍火のように自分の力でまたたいていた。
かがみこんで拾い上げると、応えるように炎が揺れた。
「きれい……」
ティノがささやいた。そしてわたしも。
「そうね。とても」
わたしたちは、それほど長い時間それに見とれていたわけではない。
道のりは長く、しかもまだ始まったばかりだったからだ。
なだらかに続く
大きく樹皮が割れた古いカエデの大木を、ティノが軽くなでながら通りすぎた。
目印となる木や岩があるらしく、ときおり確認しながら歩いている。
わたしの胸元におさめられた炎のかけらを目にしたことで、少年は満足し、とりあえず疑念を払いのけたらしい。
「続き、聞かせて」
小さな案内人が、わたしに笑顔を向けてきた。
「いいわよ」
わたしもほほえむ。
「どこまで話したかしら。はじめて出会ったところまでね。──なんだ、死ぬところか」
そう言った。
いかにもつまらなそうな口調で。軽蔑の響きさえ感じとれる声で。
「化け物になるくらいなら死んだほうがましだって? まあ、死にたいなら別に止めやしないけどね」
「……誰かは知らぬが、おさがりなさい」
膝元に落ちていた懐剣を拾い直しながら、姉姫が我に返って言葉を投げた。
「名乗りもせずに無礼でしょう。しかも窓から」
「そんなこと言ってる場合じゃないと思うが」
そのとおり、またも扉が激しく揺れた。
揺れはおさまらず、大きなもののぶつかる音が断続的に聞こえてくる。
わたしは室内を振り向き、無礼な若者のほうに再び視線を返しながら叫んだ。
「死にたいわけじゃないわ。生きていたい。でもどうしようもないじゃないの。ほかにどんな手だてがあって?」
「生きたいの?」
問い返してくる若者の瞳の中に、小さな輝きが宿った。
彼は天馬を窓ぎわまで近づけると、いとも気軽な動作で窓辺に飛び移り、わたしの横に降り立ってきた。 それから、窓辺におかれた長椅子の上に、背中にしょっている背嚢を投げおろしながら、やはり気軽な態度のまま言った。
「じゃあ、開けな」
「え?」
荷物のことをさしたのかと思ったが、彼の目は、不気味に軋み続ける扉のほうを向いていた。
「扉を開けなよ。そのほうが手っ取り早い」
まさか……あの扉だけが唯一の支えだというのに。
わたしは信じられない思いで、目の前の若者をみつめた。
風に乱された前髪が落ちかかる下の顔立ちは、意外なくらい繊細なつくりをしていた。
だが、はしばみ色のその瞳に、動揺や恐怖はみじんも見当たらない。
きわめて細身の体つきだったが、敏捷な野生の獣のような力強さを感じさせる。
「早く」
短い言葉で彼がうながした。わたしは心を決めた。
この部屋でただひとり、冷静そのものの人物の指示だ。従うしかない、遅かれ早かれ扉は壊れてしまうのだから。
いくつもの制止の声があがる中、わたしは小走りに扉に近づき、鉄の閂をはずした。
それから取っ手に手をかけようとしたが、その必要がない勢いで扉が開いたため、圧力で思い切り壁に身体を打ちつけた。
直立した化け物が入ってくることを覚悟したが、押し入ってきた魔物の姿勢は四つん這いだった。
盛り上がった大きな背中が、うねるようにぶよぶよと波立つ。もはや人の輪郭はどこにもなく、魔物にふさわしい奇声を発しながら、四つ足で部屋の中央に突進していく。
わたしは凍りついた。真正面に若者が立っていたからだ。
直撃される!
そう思った瞬間に、彼が大きく一歩踏み出した。
と同時に、目もくらむほどの輝きが、彼の腰のあたりからほとばしった。
剣だった。
抜いた勢いのまま横に薙ぎ払うと、白光が爆発的にふくれあがって魔物の全身を包みこみ、わたしたちの視界を覆いつくした。
何が起きたのかをすぐに理解できた者は、誰もいなかっただろう。
長くつらい闇の時間を過ごしたわたしたちの目に、光はあまりにも眩しすぎたのだ。
ひとつの知識がようやく浮かび上がってきたのは、視力が戻り、魔物の姿が跡かたもなく消えているのを確認し、さらにしばらくたってからのことだ。
炎にして光。光にして炎。
剣の先からほとばしり出て、穢れた空間を祓い清めながら燃えさかる、熱をもたない聖なる魔法。
魔法炎という簡単きわまりない呼び名を与えられているのは、それ以外なんとも呼びようがなかったからなのだ。
目の当たりにしてはじめて、それがわかった。
想像をはるかに超えたその光景を、どう表現すればいいだろう。
刀身からあふれ出てきた光の帯。白銀のきらめき。
そして塔の中でそれを放った、ひとりの剣士。
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