第4話

 


 どうもこんにちは。

 休日はもっぱらマリー第二王女の居室に入り浸っているでお馴染み、クライヒハルトである。


 ご主人様のことが大好きで、言うことを何でも聞いて、何処に行くにもついて行きたがる。ふむ。特徴だけを抜き出せば、これはもう《b》犬系彼氏/bと言っても過言ではないのではなかろうか。人懐っこくて甘えん坊なクライヒハルトくんをどうぞよろしく。特技は竜殺しです。


「くぅ~ん♡」


 試しに、近くを通りがかったイザベラさんに俺のプリティフェイスをお見舞いしてみる。可愛い可愛いマゾ犬だワン♡ ご主人さまの躾が欲しいワン♡


「……チッ」


 舌打ちされた。


 アレッ……おかしいな、俺って王国最高の英雄で、王国を代表する騎士団長なんだけど……


「くぅ~ん♡へっへっへ♡」


 偶然咳がでちゃったのかな? と思い、とりあえずもう一度試してみる。床に寝っ転がって、へそ天状態である。存分にお腹をワシャワシャしてくれていいぞい。


「……ペッ」

 

 唾を吐かれました。


 あまりの衝撃に硬直する俺を他所に、イザベラさんはそのままスタスタと部屋を出ていってしまった。


 こんな……こんな扱い……!! 人類最強の英雄で、巨人の群れだって鏖殺できる俺に、こんな屈辱……!


「……最高のメイドさんだ……」


 感涙。

 流石にマリー殿下の御付きを務めているだけのことはある。ほんの気まぐれからこんなに素晴らしいプレイを頂いてしまい、感謝の限りである。


「……何してるの? あなた……」

「くぅ~ん♡」

「いや、それはもういいから」


 そのままゴロゴロ寝転んでいると、奥の机で書類を処理しているマリー殿下に声をかけられた。


 暇なのである。何でも帝国からの使者が来ているとかで、最高戦力である俺がずっと王宮に据え置かれている。普段はもう少し警邏けいらの仕事とかがあるのに、やる事が全くない。


「姫様。もう何回も聞いてる気がするんですが、何か仕事無いですか?」

「もう何回も言ってるけど、無いわよ。大人しく私の警護していなさい」

「王都のダンジョン警備とか……農村のゴブリン退治とか……」

「無いわ。そう言うのは全部兵士や冒険者の仕事。彼らはそれで生計を立てているのだから、彼らの食い扶持を奪うような真似はやめなさい」

「……姫様の書類整理のお手伝いとか……」

「貴方、これ理解できるの? いくら数字に強くても、言い回しがみやびでなければ正式な書類として認めてもらえないわよ」

「……………………………………」


 完全敗北。

 畜生。戦闘力が絡まない場面において、俺はこんなにも無力なのか。国の有事に活躍すると言えば聞こえは良いが、裏返せば平時はただのごく潰しという事である。


 うう……マリー王女……捨てないでくれ、こんな役立たずな俺を……。

 

「くぅん……」

「はいはい、落ち込まないの。前代未聞よ、ゴブリン退治に行きたがる英雄なんて」

「……せめて、後ろで見させてください。ちょっとでも勉強します……」

「いや、これ機密書類……あ、良いのか。貴方、第一騎士団の団長だものね」


 寝そべったまま床をノソノソと這って進み、マリー殿下の背後に立つ。

 書類山積みにされた机に、使い古されたペン。その中央に座るマリー殿下は、いつもの調教とはまた一味違う真剣な表情をしていた。


 マリー殿下の首筋はお美しいな……国宝にした方が良いんじゃないか?


 いかん、雑念が。

 色欲を振り払い、マリー殿下がカリカリと動かすペン先を眺める。迂遠極まりない時候のあいさつや、詩的な言い回し。それらへ時折首をひねりつつ、少しずつ羊皮紙へと文を書き記していく。


「……………………」

「……………………」


 沈黙。

 別に気まずい物ではない。お互いに集中していることが分かっているからだ。

 マリー殿下の持つ書類をジッと眺める。訳の分からない言い回しを切り捨て、数字とその周辺だけを読むと、何となく書かれている内容が分かって来た。


 "兵站"、"薪"、"補償金"……。


「……これ、この間のワイバーン騒ぎの書類ですか?」

「……そうよ。ワイバーンによって街道が堰き止められたことでどれくらいの損失が生じて、軍を動かす為にどれほどの費用がかさんで、人々が生活を取り戻すためにどれだけの金銭が必要となったのか……。その報告書」

「え、でもこれ、姫様の管轄じゃ……」

「ええ。騎士団へ送り込んだ私の文官劇団から、無理を言って回してもらったの。本来なら情報漏洩よ」


 サラッというなあ。別に王族である姫様が騎士団の書類を盗み見た所で、何かしらの法に触れる訳ではないのだが。第一騎士団は王の命によってのみ動く、グラナト王直属のエリート騎士団だ。そこに余人が干渉するというのはあまり褒められた行為ではない。確かに俺の実務を肩代わりする為と言って姫様の部下が何人か出向して来ていたが、それにしたってかなりの綱渡りだったろう。メリットも無いし。


「知っておきたかったのよ」


 ペンを動かしながら、マリー殿下がそう語る。


「こうして纏めてみるとよく分かるわ。被害がね、驚くほど小さいの。亜竜とはいえ、ワイバーンは紛れもない竜種の一つ。それが人の生息域へ下りてきたというのによ」


 過去の事例と比べてみても驚異的だわ、と数字をコツコツと叩いてみせる。白磁のような指。


「何故か分かるでしょう? ……貴方がいたからよ、クライヒハルト。王国最強の英雄が、命令を受けて即座に動いてくれたから。だったらあなたのあるじである私は、その功績を一番よく知っておくべきでしょう」


 それが当然だと言わんばかりに、マリー殿下はそこで言葉を切った。


「………………………………」


 本当に……本当に、俺のご主人様は素晴らしい。世界一可愛い。キュート。銅像を建てたい。


 この話だって、俺がわざわざ書類を覗きこまなければ、おそらく一生知る事は無かったはずだ。それでいいと思っていたのだ、この人は。恩を着せようとも思っていない。自分の中の義務感に従っただけで、ここまでの事をしてくれるのだ。それを当たり前だと思っているのだ。


 愛おしすぎる。俺が姫様を大好きでいる理由の、ほんのわずかでも分かってもらえただろうか。調教の腕前は勿論のことだが、断じてそれだけでは無いのだ。


「……ちょっと、クライヒハルト? 何よ、足元に寝そべらないでちょうだい」

「まあまあ。ちょっとこういう気分なんです」

「もう……今は遊んであげられないわよ」


 そう言いながら、かがんで軽く頭を撫でてくれるマリー殿下。

 いやー……本当、対価が釣り合ってないよな。巨人とか竜とかをチョチョイのジョイするだけで、こんな素晴らしい女王様に虐めてもらえるとは。頑張ってきて良かったわ。


「姫様、何かして欲しい事とかあります? 山でも竜でも何でも斬りますよ」

「はいはい。大人しくしといてちょうだい」


 狩りの得物を見せたがる習性……俺は犬ではなく、猫系男子だったのかもしれんね。


 カリカリと羽ペンを動かす音が響く中、俺はマリー殿下の足元で一眠りするのであった。











 どうも。

 宮廷臣下から蛇蝎のごとく嫌われている、マリー・アストリアである。


「……寝たな、コイツ……」


 足元でスヤスヤと眠る英雄を、呆れた顔で見つめる。


 人の足元で気持ちよさそうに寝やがって。無法が過ぎるだろ。私、曲がりなりにも王族なんだけど。猫か? それとも犬か? 無駄にデカい身体を窮屈そうに押し縮めるマゾ犬からは、英雄の威厳らしきものが一切感じられない。昔飼っていた大型犬を思い出させる顔つきだ。


「まあ良いわ。これで『劇団』関係の書類も処理できるし……」


 机をトントンと叩いて、クライヒハルトに怯えて出て行ったイザベラを呼び戻す。

 私の配下である『劇団』の存在は、クライヒハルトに教えていない。騎士団へ送り込んだ文官も、ただの"部下"だと説明している。理由は単純、ギャル役とか近所のシスター役をやってもらう際、正体がバレているとやりにくくて仕方ないからだ。あくまで"一般人"にバレてしまうという羞恥心が重要だからな。


「マリー殿下、クライヒハルト卿は……」

「寝てる。何かしたら飛び起きてくるから、そっとしといてあげて」


 足元の英雄兼番犬をチョイチョイと指し示す。このだらしのない顔からは想像もつかないが、一応英雄なのだ。例えば此処に何者かが侵入してくるなど、害意を感じればすぐに目覚める。


「そのように命知らずな事、言われずとも……この距離でも、冷や汗が止まらないのですから」

「……イザベラ、本当にクライヒハルトのこと怖がってるよね」

「申し訳ありません。勿論、彼を躾ける際には表に出さないよう心掛けているのですが……」

「分かってる分かってる。いつも本当にありがとうございます……!!」


 頭を下げる。一時間~二時間の調教でパンクする劇団員が多い中、長期遠征に耐え得るイザベラ様にはいつもお世話になっております。劇団に明確なトップは存在しないが、もし据えるとすれば間違いなく彼女だろう。劇団長イザベラ。うむ、響きもいいな。


「……それで、そちらは我々劇団の物ですか?」

「そうそう。経費とか給金の処理は私しか出来ないからね」

 

 王都で一般人として暮らす彼らだが、諸々の経費や給金は全て私が支払っている。今季は他国への出向も多かったため、全員にボーナスを支給する予定だ。


 その全てが一流の諜報員である『劇団』は、当然ながら維持にもかなりの金額が必要となる。以前は私の生活費すら切り詰めて彼らを養っていたが、最近は足元のマゾ犬のお陰で随分と楽になった。


「劇団員も喜ぶでしょう。私の後輩など、王都で冬の新作を買うと張り切っていました」

「そう……歳費増額の申し出、未だに全然通らないけどね。クライヒハルトが功績と引き換えにって具申しても、三回に一回通ればいいなってくらいだし」


 私、宮中に嫌われすぎててウケる。いや、ウケちゃ駄目なんだけども。せめてクライヒハルトが具申した時くらいは100%通せよ。


「そもそも、コミュニケーションが断絶してるのよ。口を開けば『卑しい血』だの『娼婦の娘』だの言ってくる、人型の声まね鳥みたいな奴らなんだから」


「信じられない低能どもです。誰よりも王国を愛し、王国に貢献している姫様に対して無礼を働く、家畜以下の畜生ども。汚らわしい蛆虫め。彼らの眼窩を引きずり出して腹を裂き、眼の前で自らが誇る貴族の血とやらをドブへ捨ててやりたい気分です。クライヒハルト卿にお願いして、家族末代まで惨殺していただきましょう。その為なら私は死んでも良いです」


「……お、思ってた数倍ヘイト感情が高いと、ちょっとビビるな……」


 そ、そこまで嫌いじゃないっすよ? ちょっと面白おかしく悪口を言っただけで……。

 イザベラ、私に対する忠誠心が高すぎておかしくなってるな……。


「不満です。姫様を崇め奉れとまでは無理強いしませんが、せめてその汚らしい口をまち針で縫い付け、姫様が前を通るたびに五体投地で迎えるべきです」

「どんな独裁者だよ」


 伝説に謳われる暴君でもそんな事しないぞ。

 

「まったく……そもそもね。彼らの中には、本気で国を想ってる貴族も少なからずいるのよ」

「……その結果が、姫様への陰口ですか?」

「彼らなりの、精一杯の忠言よ。面と向かって言ったら処刑されると思ってるから、遠回しに遠回しに私へ伝えようとしてるの」


 そう。

 私を嫌う全ての貴族が『平民の娘』という理由だけで嫌っていれば、まだ話はマシだった。


 彼らの中には領地経営で優れた結果を出していたり、軍役で大きな功績をあげたような、な貴族も何人か混じっているのだ。


 不満げな表情を崩さないイザベラに、何度繰り返したかも分からない説明をもう一度繰り返す。


「前提として。王国貴族全員の共通認識として、クライヒハルトは『完璧な英雄』なの。先代の英雄が衰えて以降、帝国に押されっぱなしだった王国を救ってくれた、完全無欠の大英雄。他国の奴らのように無茶な要求をしたりない、国家として理想の英雄」

「……はい。実態を知っている私としては飲み込み辛いですが、納得は出来ます」

「そんなクライヒハルトに、唯一欠点があると言われているのが『女の趣味』なの。高慢で、礼儀知らずで、民の血税を散財する悪女。マリー・アストリアに引っ掛かってしまったのが、あの英雄の唯一不幸な点だって言われているわ」


 社交界での私の評判は、最悪と言っていい。


 まず、平民の娘というスタートから良くなかった。

 次に、僅かな歳費を使って諜報組織を造り上げようとした事も良くなかっただろう。

 それに加えて、嫌味を言う時だけはよく動く口に、面影も覚えていない母譲りらしき冷たい容貌。私が社交界に出て早々に、第二王女は虎視眈々と権力を狙う悪女だというイメージが定着した。 


 何より。


「私の歳費はね、その殆どが貴族たちにとって"使途不明金"なの。仕方ないわよね、『劇団』の総数も活動内容も誤魔化して伝えているし。クライヒハルトの性癖を隠すためとはいえ、向こうからすれば心証は最悪よ」


 ①貴族たちにとって、クライヒハルトは完璧な英雄だ。

 ②そんな彼が、自分の功績を全て悪女と囁かれる王女に捧げている。

 ③そして王女が何に金を使っているのかは不明で、何やら諜報組織を造り上げているらしい。


「……正直言って、この状況で私を危険視しない方がイカれてるわ。逆の立場だったら、私だって同じように考えてもおかしくない」


 問題はまだまだある。私の騎士であるクライヒハルトが、王の命にのみ従う第一騎士団の団長を務めているという権力の二重構造もそうだ。現在は父上が私にクライヒハルトの出動を要請し、私が許可を出すという極めて歪な命令系統になっている。もしこの両者の命令が食い違った場合、果たしてクライヒハルトがどちらに動くのか貴族たちには分からない。英雄を無理に使い倒そうとした歪みが出ているのだ。


 散財している放蕩王女ならば、まだな方。

 最悪の場合、英雄の武力に任せたクーデターが起こりかねない。そう考える貴族たちが出るのも、全く持って不思議ではない。


「陰口を通して、宮中で自分がどう見られているかを鑑みさせたり。迂遠な言い回しで忠告したり。彼らは本気で、国を揺るがしかねない悪女である私を何とかしようとしてるのよ」


 彼らが勝手に脳内で創った虚像だけどね。そう口の中で転がして、足元に寝ころぶクライヒハルトの頭を撫でる。アホな寝面しやがって。お前を英雄にプロデュースするために、私がどれだけ苦労してると思ってるんだ。えいえい。頬をつついてやる。


「……姫様」

「別に構わないわ。誰に何を言われようが、私はこの国を愛している。クライヒハルトにも感謝……感謝か? いや……まあ、感謝してるし。多分。きっと。未だに本気のこいつを見ると震えが止まらなくなるけど……」


 ちょっと普段のアレソレが頭をよぎってモニョモニョしてしまったが、とにかく。

 これでも、以前よりは何倍も状況が好転しているのだ。


「やっぱりクライヒハルト卿に言って殺してもらいましょう。姫様を敬わない屑共は皆殺しです」

「話聞いてた???」


 部下が私の事を好きすぎる件。

 

「だいたい、聞いていれば殆どクライヒハルト卿のせいではないですか。許せません。ご主人様に迷惑をかけるマゾ犬め」

「それ言われても喜ぶだけだからやめときなさい……そもそも、功罪で言えば功の方が圧倒的なんだから」

「分かっていても許せません。このマゾ。変態。女性に虐められて喜ぶ豚野郎。脚フェチ」

「だから、喜ぶだけだって……」


 クライヒハルトの頬をペチペチと叩くイザベラを、苦笑いしながら諫める。クライヒハルトが寝てると強気よね、この娘。

 

「はいはい、良いから良いから。ほら、見なさい? 増えた歳費で、今季のボーナスは前年度より大幅アップよ」

「素晴らしいですね。私の後輩も、早く刀の切れ味を試したいと喜んでいました」

「……"冬の新作"って、刀のことだったの!?前から思ってたけど、貴女の後輩って結構イカしてるわよね……」


 まあ、とにかく。

 クライヒハルトを含めるかどうかは要判断としても、私には良い部下たちがいる。それだけで、何となく救われた気分になるのだった。






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