08:喫茶弌の坊2

「これ……」

「おまえが興味を持った原因も、これか? 三件とも現場に落ちていたらしい」


 鳴沢英佳が投げつけたものと酷似した、黒の人型だった。


「オカルトついでに、もうひとつ教えてやる。二件目の澤辺優那。飛び込んだのが帰宅時間中の駅構内でね。目撃者も多数いたんだが、自殺じゃなくて事故じゃないかという声も当初はあったんだ」

「事故?」

「なにかに追われて飛び込んだように見えたという証言が残ってる」


 言葉の意味を反芻して、行平は黙り込んだ。

 追いかけられていた。追い詰められて、彼女は飛んだというのか。迫りくる電車の前に。だとしたら、それはいったい、なんだ。


「ま、それが実在の人物だったのか、彼女の弱さが見せた幻だったのか、あるいは呪いの産物だったのか、は、ここではわかりようもない。ただ、彼女の名誉のために付け加えると、薬物反応はなかったそうだ」

「そう、ですか」

「防犯カメラには彼女を追う不審者は映っていなかった。両親が、ここ最近、娘が悩んでいたと証言し、彼女の友人の一人であった明島恭子が一月前に自殺していたことから、彼女は精神が不安定になっていたのだろうと判断された。自殺だ」


 友人を失い、精神を病んだ末の発作的な自殺。逡巡を経て、行平は口を開いた。


「この人型のことを、ご両親は」

「鞄の底に入っていたらしいからな。当然、所持品の確認として尋ねている。娘が作ったとは思えないと言っていたそうだが、学校側は明島恭子のときと同じく、いじめはなかったと明言している。澤辺優那の両親も娘がいじめられていたとは思えないと……、おまけに、母親に至っては、娘がいじめに加担していたのではないかと疑っていたようでな」

「明島恭子の、ですか」

「錯乱して、そのようなことを言っていたと傍についていた婦警が証言していた。事実かどうかはわからんが、良識のある大人は、俺がさっき言った仮説を掲げ、どこからか呪いの人型の存在を知った陵の生徒たちは明島恭子の呪いだと言い始めた」


 呪い。その単語に、意識するより前に背筋に冷たいものが走った。

 そんなものがあるわけがない。一蹴したいのにできないのは、鳴沢英佳が投げ捨てた「人型」を視認した折に感じた「なにか」の所為だ。


「おそらく、生徒たちのあいだではいじめに近いものがあったという認識なんだろう。――学校が認めようが認めまいが」


 溜息まじりに結論づけた相沢が、手帳を閉じて珈琲カップを手に取った。


「あ……、でも、相沢さん。呪いの人型が三体ということは、明島さんが自殺をした現場にも落ちていたんですよね?」

「所詮、子どもの推論だ。面白くなるようにいくらでも後付けするだろう。例えば、残りの三人を呪い殺すために、自分の死を持って呪いをかけた、だとかな。実しやかに囁かれている説としては、だ。明島恭子と親しかった誰かが、自分の死を持って彼女が呪力を高めた人型を、彼女の部屋から密かに持ち出し、渡部優那たちの持ち物に忍ばせた、というものらしいぞ」


 そこで、にっと相沢は笑った。


「どうだ。眉唾な話だろう」

「……悪趣味な話ですよ」

「どちらにせよ、わかっていることはひとつだ。陵の生徒たちからすれば、明島恭子は呪われるだけの理由がなく、渡部優那と塩尻まなみともう一人には呪われるだけの理由があった」

「そういえば、さっき、三人を呪い殺すって言ってましたよね。どういうことですか。まだ明島さんのほかには二人しか死んでいないでしょう」


 尋ねながらも、行平は気がついていた。鳴沢英佳。私は悪くないと叫んでいた、勝気な、けれど、怯えを含んだ瞳。

 彼女は、自分が呪われるだけのなにかをした自覚があったのだろうか。


 ――安心したらいい。自戒すれば、きみは救われる。


「彼女らは、いつも四人で行動していたらしい。最後の一人が残ってる。無論、学校側もこれ以上の犠牲を生みたくはないだろう。精神的なケアはここぞとやっているだろうさ」


 皮肉の混じった返答に、事務所を訪れた少女の名前を告げる。


「鳴沢英佳」


 目撃した諍いを鑑みれば、陵の生徒たちの推測は正しいように思えた。「呪い」という非科学な存在はさておくが、グループ内でいじめがあったという事実は、きっと。


「やっぱり、そこか。おまえが関り合いになったのは」

「昨日、俺の事務所にやってきたんですよ。『呪殺屋を探してほしい』ってね」

「ほう、呪殺屋を、か」

「探してなにをしてほしかったのかまでは聞けてないんですか。ちょうど居合わせた呪殺屋が、例によって彼女の神経を逆なでる言い方しか選ばなかったもので、怒って帰ってしまったんですよ」


 そういったわけなので、詳細どころかなにも話は聞いていないのだと断って、行平は続けた。


「そのときに、その写真と似た人型を投げつけられました」

「へぇ」


 相沢の瞳が興味深そうに細められる。


「それで? 呪殺屋はなんと言っていたんだ」

「呪いの人型だと言っていましたが、それ以上の詳しいことはなにも」

「聞けばよかっただろう、聞かなかったのか」


 痛いところを突かれた気分で、行平は苦笑いを浮かべた。


「呪い、ですよ?」

「なにを今更。つまるところ、おまえの都合で聞かなかったわけか」

「……」

「そのくせ、どうにも気になって、のこのこと俺に様子伺いにやってきた、と」


 呆れ切った揶揄に、素直に白旗を上げる。繰り返すが、この先輩に口で勝てた試しはないのだ。


「気になったもので。……なにせ、まだ子どもですからね。大人として相談くらいは乗れるのではないかと陵に行ってみたんです」

「俺に頼る前に自分も努力をしたと主張したいわけか」

「その言い方だと、俺も子どもみたいじゃないですか」

「似たようなもんだろう。それで、成果はあったのか? この時世だ。陵は神経質になっていただろう。そこにおまえみたいな職業不詳の男が出てきて、よく通報されなかったな」


 気を静めるために、温くなった珈琲に行平は口をつけた。どうせ職業不詳の怪しい男である。


「幸いにも学外で会うことができたんですが、声をかけた瞬間に逃げられまして」

「逃げられた?」


 相沢が眉を上げた。


「なにか後ろ暗いことでもあるのか、そいつには」

「さぁ」


 行平は首を傾げた。


「でも、あるのかもしれないですね」

「陵の噂は真実を突いているってことか」


 どこか嫌そうに、相沢が先ほどと同じ台詞を口にする。溜息が店主含め三人きりしかいない静かな店内に響く。


「呪殺屋を探していたということは、彼女にとって、友人の自殺は呪殺で、自分も呪われている自覚があるということなんだろう」

「かも、しれません」

「呪われるだけのなにをしたのかは知らないがな」


 うんざりとした声を聞いた瞬間、「どうせすぐにいなくなる」と吐き捨てた少女の台詞が耳の奥によみがえった。彼女は、明島恭子の友人だったのだろうか。


「どちらにせよ、警察では自殺扱いだ。これ以上を行くなら、聞く相手は俺じゃないな」

「でも、相沢さんも変だと思ってるんじゃないんですか」

「俺が思ったところで、『呪殺』を刑法で裁けるとまだ思ってるのか、おまえは」


 以前。行平がまだ警察官だったころの話だ。同じような問答を相沢としたことがある。自殺教唆が御の字だと呆れ顔で相沢は応じた。「呪いで人を殺したら、殺人事件になるのか」そう尋ねた行平に。

 わかっている。知っている。

 世界は目に見えない事象に平等ではない。


「鳴沢英佳のことは、理由をつけてこっちで様子を見てやってもいい。だが、俺ができるのはそこまでだ。それ以上をしてやる気があるなら、おまえが調べる相手は、鳴沢英佳を呪おうとしている誰かだな」

「……」

「本当に彼女を助けてやりたいなら、それができるのは警察じゃない。その呪いとやらを解いてやることが必須条件だ」

「呪いだなんて、そんな」


 ここまで来て、「呪い」を否定しようとした行平を相沢が鼻で笑った。


「非現実的な、か? おまえはその非現実を調べたいんだろうが。なんだかんだと言い訳を練り上げたところで」


 再び言葉を失ってしまった後輩が憐れになったのか、それとも時間を急いたのか。相沢は行平の眼前に逃げ道を吊るした。


「おまえの身近には呪殺に精通した魔物がいるんだ。うまく使えばいいだろう」


 その彼女も探していたらしいが、的確な選択だったかもしれないな。結果はどうあれ。したり顔で相沢が頷く。


「相沢さん」


 行平は自身の声に恨む調子が混ざったことを自覚した。


「なんで、俺にビルの管理の仕事をくれたんですか」


 まっすぐに見返した行平に、かつての先輩は少しだけ意外そうに唇を吊り上げた。

 珈琲を飲み干して、一言。


「ま、適材適所ってやつだな」

「化け物だらけのビルに?」

「化け物だらけだから、だろ」


 相沢が目元だけで笑う。溜息を呑み込んで、行平はおのれの右手に視線を落とした。


 ――化け物、か。


 ミルクが撹拌された珈琲は、わずかに色を変えている。応じないまま、行平は残りを飲み切った。

 酸味を薄くしたはずの珈琲は、なぜかひどい苦みを伴って、喉を過ぎていった。

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