宮司
褶曲山脈から広がる針葉樹林と落葉広葉樹混生樹林の、自然豊かな広大な森に囲まれたアシルは宝石の箱庭と謳われる小国だ。褶曲山脈を水源とする湖群が森を縫って流れ、幾つもの小さな滝があつまり大瀑布となって海に注いでいる。
対するグラディアテュールはハフリンガー大陸の三分の二を占めるが領土の大部分が岩砂漠だ。山岳地帯の裾野は冷涼な草原が広がり山麓オアシスが湧きだしていて、砂漠の集落はそういった点在するオアシスを繋いでいる。
そんな荒涼としたオルコック砂漠地帯を、数頭の荷馬を率いて青毛と月毛と葦毛の騎馬が駆ける。
実戦装備を纏う竜騎士カインと青毛の黒炎。もう一頭はマナ使いのリョウ。色味の濃い月毛だ。名は金鈴。
そしてダキアの白嶺を駆るのはダキアの剣を背負ったシェリアル。
手綱を握ったまま無口で荒野を突き進む。
半日前のことだった。
行幸の隊列は予定より二日ほど早く再度アシル領内に入った。輿を引く三蹄重種は駐屯地で新しい重種と交代する。キンツェムからの復路は少し無理をさせたので、ここで雪の時期までゆっくり休ませる予定だ。
ダキア、シェリアル、カイン、リョウの四人は行幸の隊と別れ、夜の隧道をアシルの城に向かっていた。
城には火急の要件と伝えてあるから、竜騎士カインもマナ使いのリョウも式典用の白馬ではなく、駐屯地で休ませていた自分の馬に騎乗している。シェリアルはまだ自分の馬を持っていないからダキアの白嶺に二人乗りだ。柄が邪魔になるかも知れないので普段佩いている剣は鞍に下げている。
シェリアル姫はあの一件以降、目に見えて表情が難くなり、口数が少なくなった。時折、眉間にしわを寄せ、虚空をねめつけている事が増えた。この婚礼を台無しにしたサピエンスに憎悪の念を燃やしているようにも、大事なことを忘れてたまま行幸に赴く己に腹を立てているようにも見える。
それとなく侍女のシャオチェから話を引き出そうとしたが
「こんなに悪い意味で思い詰めている姫は初めて見ました」
記憶がない件とは別に、どう接したものか侍女も考えあぐねているようだ。
何を考えているのかわからないのは不安になる。
神託とかそういうのを抜きにして生涯隣にいてほしいのはシェリアル姫だけだ。姫にとってそこまで積み重ねてきた人生を消失させられたのだからサピエンス探しに固執するのは分かる。
しかし今のダキアには少々独善的な意識が芽生えていた。
婚礼の朝から蓮星が再度満ちて半分欠けるまでシェリアル姫と過ごした時間、そしてこれから一緒に過ごす毎日を記憶を失う前日の思い出よりも大切にしたい。酷な願望だけれど同じく等しく姫にもそう思ってほしい。と望んでいる。今のシェリアル姫は、自らの過去と俺と過ごした時間、どちらを大事にしているんだろう。
漠然とそんなことを考えていた時だった。
「!」
隧道の真ん中に誰かが立っていた。黒っぽい装束で姿かたちがはっきりしないが、ここから先は通さない、そんな意志を感じる。
「何者か!」
駒の脚を止めてダキアが呼ばわり、
「アシル城に登城の途にある。道を空けよ」
続いてカインが大音声で退けるよう示す。
灯のマナを相手にかざして、ようやく姿かたちが判別出来た。
そこにいたのはアシル神殿の、姫の記憶が奪われたのはサピエンスの呪いだと下したあの宮司だった。
なぜこんな夜中に宮司が一人で隧道に。疑問より先に、気味が悪い。そう感じた。気のせいか周囲の空気もうすら寒く感じる。
宮司は退ける様子が無い。
「火急の要件である」
再度カインが退くよう示すが宮司は動かない。
「姫には城に戻っていただきます」
宮司が濃紫の頭巾に手をかけた。鼻先、顎、頬にかけての面は白い。更に頭部がさらけ出された瞬間、一行は息をのんだ。両耳が黒い斑のだ。そしてルプス系ならピンと立っているはずのそれは、中程で折れ曲がっていた。何よりその瞳。金色ではなかった。まるで観察者の眼のように黒々としていた。
その異様な姿に恐怖を覚えたのか姫が小さな悲鳴を上げる。こんなに怯えた表情は初めて見た。
「姫?」
「あの人、目覚めた時目の前で笑っていました」
白い花を携えて。
(もう、怖いことはありません、ぼくがいますから安心して、姫)
そう言っていた。
この際なんでその話をあの場でしなかったと言うのは無しだ。今そんな内輪揉めをしてる場合じゃない。後回しでいい。
侍女シャオチェが証言していたじゃないか。朝、寝所に入ったら姫は白い花びらを摘まんだ状態で呆けていた、と。
婚礼の朝、侍女が訪う前に姫の寝所にいたという明白な証拠だ。それだけで充分。嫌疑どころかこの宮司が記憶を消したサピエンスを手引きした共犯の可能性まで出てきた。
「馬上から失礼して二つ三つ詰問させてもらう」
いざとなったら宮司の捕縛も視野に入れてダキアが詰め寄ろうとしたその時。
宮司の懐からまばゆい光輝が放たれ、明るい茶褐色の羽を持つ異形の巨鳥が出現した。
気味の悪いことに、本来鳥の頭から首があるべき個所には腕を生やしたルプスの上半身があった。胸の辺りに人間の、痩せこけくたびれた老人の顔があった。その顔をルプスの腕が後生大事と包み抱きかかえていた。下半身と呼んでいいのかどうか分からないが、それの下半分は猛禽類の巨大な翼と鋭い鉤づめがあった。
「バカな、あれは、エンキ???!!」
「知ってるのかリョウ!」
「話に聞いただけです、あれと目を合わせないでください!」
リョウの言葉が終わるか終わらないかのうちに、宮司から目をそらさず隙を窺っていたダキアが突然昏倒し、落馬した。
その身体を異形の鳥が鷲掴み空高く舞い上がった。
「殿下!!!」
シェリアルの絶叫が森にこだまする。
「ほら、外の世界はこんなに怖いことだらけなのです、帰りましょう姫。城は安全ですから」
白嶺の手綱を掴むと、放心した姫を乗せたままアシル城に向かう宮司。
カインは混乱していた。
殿下がよくわからない何かに連れ去られた。
なんで殿下が標的にされた?
サピエンスは姫に含むところがあって、姫をどうにかするために呪いをかけたんじゃなかったのか?
宮司が姫を連れて行ってしまったのは消極的僥倖かも知れない。この状況ではもはや何があるかわからない。姫を守り切れるか分からない。アシル城に戻ってもらう方が安全だ。とにかく呪いをかけたサピエンス探しは中断だ。駐屯地に向かう隊と合流して殿下を追いかけねば。
「リョウ、お前は駐屯地で待機だ、俺はダキア殿下を探索する」
「いやだ!」
「わがままぬかすんじゃねぇ」
「僕、殿下なんてどうでもいいんだ」
カインは思わず平手打ちを喰らわせていた。そのまま地べたに崩れ落ちるように倒れ伏すリョウ。
「主君をどうでもいいとはどういう了見だ!!」
なんてことを言いやがるんだ。こんな時に。
確かに平素からダキアの御前でも無作法な振る舞いをすることも多々あった。時々度が過ぎてカインが窘めることも、快く思わない下士官がダキアに注進する場面もあったが、ダキアはいつも鷹揚に笑って寛大に許してくれていた。それをどうでもいいとはなんてやつだ。見損なった。
声を荒げて襟元を掴んで揺さぶっていた。
「お前は主よりてめぇ自身が大事か!!可愛いか!!あぁ?!」
襟元を掴んだ手首を掴み返して竜騎士カインの怒声に負けじとマナ使いリョウも大音声で叫ぶ。
「僕は殿下の臣下じゃない!!」
「なっ」
「僕が殿下に仕えているのはあんたが殿下を主君と定めて忠誠を誓っているからだ!この行幸に随行してるのも、マナを使うのも、全部殿下のためじゃない!あんたが殿下に付き従っているから!あんたが殿下のために僕の能力を必要としているから!だから僕はマナを使う!それが理由だ!ただそれだけだ!!あんたが死んだら喩え殿下が生きて帰ってきて「竜騎士亡きあとも我に仕えよ」と忠誠を命じても僕はあんたを追って自害する!!」
カインは二の句が継げなかった。なんてこった。こんな時に変な我を張る奴がいるか莫迦やろう。てめぇの身を案じて残れと言ってるんだろうが。
お互い一歩も引かずにらみ合っていたその時。微かに軽やかな規則正しいリズミカルを刻む足音が聞こえた。かなり早いスピードで近づいてくる。
姿を現したのはダキアの白嶺だった。
「白嶺!」
しかも背中にはシェリアル姫を乗せている。
白嶺に跨ったまま姫が、急いで、とカインとリョウを急かす。
「宮司はどうしたんです」
「適当に距離をかせいで捨て置きました」
カインは内心で舌を巻いた。咄嗟の判断とはいえ、白嶺を信じて星明りだけを頼りに暗い森の中を戻ってくるなんて。ミアキスヒューマンは夜目が効くとはいえ、とんだ胆力と機転だ。
「駐屯地に戻りましょう、そして殿下を探しに向かいます」
馬を走らせながら、改めて竜騎士カインはダキアに仕える側近として「危険だからアシル城、もしくは駐屯地で待機してほしい」と提案したが、姫は「私は殿下の伴侶です。私が参らずしてどうしましょう」と意志を曲げようとしなかった。
「それに」
唇を噛みしめシェリアルが続ける。
「このまま竜騎士にお任せしたら、私が私自身を許せなくなる」
止めるのは無駄だとカインは悟った。危険だと無茶だと押しとどめるのは火に油を注ぐだけの愚行だ。
駐屯地に引き返してラタキア将軍、ジウスドラ参謀に顛末を手短に説明し、アシル城にはシャオチェを向かわせることになった。
「頼むわね、シャオチェ」
「命に代えても、言伝をお伝えしますとも」
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