第40話 設計ミスの逝かれた奴
中に入って最初に目に入ってきたのは、右手で作った握り拳を振り翳して、今にもその拳を振り下ろそうとしている男の姿だった。表情を変えない月見里さんを見るに、この人が富永さんなのだろう。富永さんの右手は赤黒く染まり、握り拳の中からはポタポタと血が流れ出している。
握り拳のターゲットは机の上に座っている。机の上に置かれた木製の椅子に座っている。その椅子に、ロープで腕と足をがっちり拘束されている。死んではいないのだろうが、生きている人間の顔とは思えない物だった。顔中に出来た痣には血が練り込まれている。着用している衣服には、全く傷や汚れがないため、顔を集中的に狙われたのだろう。今ロープを解いたところで、あの男が動き出さない事に命を賭けてもいい。
「何やってるんですか?富永さん。拷問とかしなくてもいいですよ」
月見里さんが声を掛けると、富永さんは振り翳してた腕をそっと下ろす。大した高さじゃない机から飛び降りて、月見里さんに向けて口をパクパクと動かす。
「...拷問?いや、ただの暴力だよ」
「だったら尚更止めてください。こいつらは貴重な情報源なんです。必要以上に痛め付けないでください」
「情報源ならもう外にいただろ。こいつらに必要なのは死だ。痛みとかそんな緩いもんじゃない。それにこんなクソボケ供、どんだけぶっ殺しても誰も怒ったりしないよ。こいつを見てみろよ。こんな死に損ないの、蛆虫みたいな顔した奴が、まだ辛うじて息を吸って吐いてるのを見るだけでもイライラが止まらない」
「それは呼吸ですね」
「ああ、右手震えてきた。生まれてきた時点で生きる価値の無かった未来しかないんだから、生まれてこなければ良かったのに。こいつら全員な。こんな死んで同然、殺されて同然のゴミなんか作らないでくれよな。神様は見る目と、制作技術が全くない。俺が神の上司だったら、秒で解雇してる」
ボソボソと聞き取りにくい声で話すに相応しい内容の言葉が次々と飛んでくる。こんなに荒々しい言葉を吐きながら表情は一切変えない富永さん。それに軽く恐怖を覚える。そして、この恐ろしいスピーチに途中で『それは呼吸ですね』と合いの手を入れた月見里さんはすごい。
「はいはい。分かりましたから。そんなに大きい声を出さないで下さい。俺以外にも二人居るんですから」
大きい声?生まれた疑問に眉を顰めながらも、富永さんに挨拶をする。
「ど、どうも」
僕たちに気付いていなかったのか、慌てたようにお辞儀をする富永さん。その声は先ほどよりも遥かに小さかった。月見里さんの言った通り、さっきのは本当に大きい声だった。
「ちょっとそこで待ってろ」
そう言って、月見里さんは富永さんの方に歩いて行く。
「絶対やばい人だね」
「ね」
ニヤニヤと笑いながら隣に立つ理恵加さんが話しかけてくる。そんな理恵加さんとは対照的に僕の顔は死んでいる。あんなにボロボロになった人間を見てしまった後で、真顔以外の表情を選択する事は出来ない。まだ綺麗な死体を眺めている方がマシだ。
今日はどんなにご飯が進むおかずがあったとしても、お茶碗一杯分くらいしか米を食べる事は出来ないだろう。
この部屋は応接室と言ったところだろうか。中央には机があり、その机を挟むようにソファが置かれている。窓際には、本やペンが乱雑に散らばる机が見える。重厚感の溢れる机に、皮が材料になっているようなソファ。他の部屋と比べると一回り小さいが、部屋を構成する全てが豪華だった。完全に閉められたカーテンから、外の光が薄らと差し込んできている。
その弱くて薄い光に、椅子に拘束された男は照らされる。男の寿命を表しているような光。もう殴っても悲鳴も出なさそうだ。
部屋を見渡していると、月見里さんの声が響いてくる。
「車を飲まれた!?」
「うん。だから殴ってたんだよ」
「殴らずに連れて帰ればいいでしょ!?生かしたまま!」
会ってから一週間も経っていないが、恐らくクールな性格であろう月見里さんが声を荒げている。しかし、内容は意味不明だ。車が飲まれたとか理解不能にも程がある言葉。白亜紀でもジュラ紀でも、その言葉を納得出来るはずない。
「それだと、俺の帰る方法がなくなっちゃうだろ」
耳の良い僕が、辛うじて聞き取れる声量で会話する富永さん。富永さんは声を荒げる月見里さんを軽くあしらいながら、机に上って椅子に縛り付けられている男を机から蹴り落とす。ゴンと高級な音が響き渡る。富永さんが、机から蹴り落とした男に近づく。右手は拳を作ったままで、左手で首根っこを掴んで、窓際へと引きずって行く。
「本当にやるんですか?」
「そりゃあ、やるよ。歩くの嫌いだし」
富永さんは窓際に男を置いてから後退りをして、その男と少し距離を取る。右手の握り拳を顔に近づけて、視線を集中させる。
「富永さん!やめて下さい」
「ごめん」
月見里さんの制止の言葉を無視する富永さん。これから何が起こるのかは全く分からないが、絶対に良くない事が起こる予感がする。富永さんの右手から徐々に力が抜けていくように見える。
「あんたマジでふざけんなよ!お前ら目閉じろ!」
富永さんをじっと見ていると、月見里さんがこちらを振り向く。言われた言葉に咄嗟に反応して、歯を食いしばって、頬に力を入れて顔をシワクチャにして目を閉じる。
暗闇の中、これまでの人生で初めての音を耳にする。初めに一瞬、何かが弾けるような、妙に耳にこべりつくような、ネットリとした音が聞こえた。その後に重く鈍い音が、僕の耳と床を響かせた。
何が起きたのか不安ですぐに目を開く。先程まで男が居たはずの場所に、先程まで居なかった車が居る。鮮やかな赤色の車が、窓と机の間のスペースに窮屈そうに居座っている。その車に富永さんは駆け寄って、右手で優しく撫でている。それを見て月見里さんは、後ろ姿でも分かるくらいに大きなため息をする。子どもの頭をポンポンと優しく叩くように、富永さんが車に触れると車は視界から消える。しゃがんだ富永さんがすぐに立ち上がる。何かを親指と人差し指で大切そうに摘んでいる。赤色の車の模型。その姿は先程の車に酷似している。
「...大丈夫か?」
月見里さんの言葉の意味を伝えるかのように、床や天井、壁に飛び散った血液が視界に入ってくる。この部屋に赤色を連れて来た男は爆ぜた。富永さんのギフトは恐らく物を小さくする効果。何らかの原因で小さくしていた車を飲まれてしまった。その車を男の体内で元のサイズに戻したのだろう。考えただけで気分が少し悪くなる。それが目の前で実際に起こった。
「まあ、なんとか」
俯いて何とか言葉を捻り出す。そんな僕の横で理恵加さんは軽快に話す。
「私も大丈夫ですよ。どっちかと言えば、犯罪者は生きているより死んだ方が良いと思ってる派ですから」
完全に富永さんとお似合いの思考を持つ理恵加さん。
「そうか。富永さんと仲良くやれそうだな。一旦、部屋の外に出るか」
ドアに近い理恵加さんから先に外に出る。後に続いて僕も歩き始める。
「富永さん!出ますよ」
月見里さんに呼びかけられる富永さん。富永さんは小さくした車を白い布で丁寧に拭いていた。それをゆっくりとポケットに入れてから、ドアに向かって歩き出す。廊下に全員が出ると、月見里さんが話し始める。
「じゃあ改めて、この人が富永さん。で、この二人が研修で来てる、津江月と双葉です」
月見里さんがお互いにお互いを紹介する。この距離でも富永さんの声は小さい。ボソボソと話していて、今が挨拶をする流れだと知らない人は何を言っているのか推測することも不可能だろう。声のボソボソさと行動の恐ろしさ。それを目の当たりにしても、不思議と不気味さは感じなかった。服装も髪型も何もおかしい所はない。むしろキッチリと整っている。今日は僕にとって、人は見た目によらないという言葉が完全に証明された日になった。
「さっき会った小林さんと丸山さん、そして富永さんと俺で構成されている班にお前たちには所属してもらう。まあ、所属と言っても今回の研修中に班で動くことはそんなに多くはない」
「え〜、そうなんですか?」
月見里さんの説明を聞いて理恵加さんは少しガッカリしたような声を出す。
「お前たち二人にはそれぞれ担当のクズハキがついて、仕事や訓練をする事になる」
「マンツーマンってやつですか!?」
「そうだな」
一対一で訓練や仕事。つまり二人きりになるってわけだ。あの優しそうな小林さんがいい。きっと丁寧に詳しくたくさんのことを教えてくれるに違いない。富永さんは絶対に嫌だ。訓練中の事故として殺されそうだ。
「去年とは違うんですね〜」
「ああ、今年からの試みだ。津江月には俺、双葉には富永さんが担当としてつく」
富永さんが担当になった理恵加さんを気の毒そうに思うが、さっきの理恵加さんの発言から考えて二人は相性が良さそうだ。実際に今、理恵加さんはニコニコで富永さんに駆け寄って話しかけている。とりあえず、自分の担当が富永さんじゃなかった事に、ホッとして安堵の表情を作る。そんな僕に月見里さんが声を掛ける。
「俺は厳しいけど、簡単にはへばるなよ。改めてよろしくな」
その言葉で僕の安堵は無に帰す。
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