第61話 ヴァシルガへ

 それからはティティが一人で会いに来てくれることはなくなり、常にテレーゼというメイドと複数人の兵士を付き従えているようになった。何があったのかは分からないが、きっとあの晩は俺のことを気にかけてくれ、かなり無理をして人払いをしてくれたのだと思う。


 相変わらずイヌと呼ばれるし、散歩と称して連れ出されては見たくもない残酷な光景を何度も見させられた。


 だが四人だけはきっと生きていて、ティティとは気持ちが通じ合っていて、いつかマリア先生とも再会できる。


 そのことだけを心の支えに、俺はこの日々を必死に耐え続けた。


 そうして小雪の舞う季節になったある日、俺はティティに連れ出されて馬車に乗りこんだ。内装も外装も見たことがないほど豪華で、これがマッツィアーノ公爵令嬢の乗る馬車なのかと圧倒されてしまう。座席だって柔らかく、揺れも驚くほど少ないので、長時間乗ってもきっとお尻が痛くなるということとは無縁だと思う。


 そして何よりも特徴的なのが、この馬車を引いているのが普通の馬ではないということだ。この馬車を引いているのは二頭のバイコーンという馬のモンスターで、普通の馬よりも体が大きく、二本の鋭い角が生えているのが特徴だ。


 そんな馬車の進行方向を向くようにティティが座っており、俺はその正面に座っている。


 今日のティティは鮮やかな赤いシルクのドレスの上に真っ白な毛皮のオーバーコートを羽織り、黒い手袋を合わせるという装いだ。手袋には金糸で複雑な刺繍が施されており、その手首を金の腕輪と大きな赤いルビーが彩っている。また金の髪はしっかりと編み込まれており、耳元にはダイヤモンドが、胸元には大きな赤いルビーがきらりと輝いている。


 ……似合っている。普通の女性では宝石とドレスばかりが目立って下品になってしまいそうな装いだが、ティティにはとてもよく似合っている。


 いや、もちろんティティのことが好きだからそう見えているだけかもしれないが……。


 すると俺の視線に気付いたのか、ティティが小さな声で話しかけてきた。


「どうしたの?」

「あ、その……似合ってるなって思って……」

「そう? ありがと」


 ティティはなんともない風にそう答えると、窓の外に視線を送る。つられて外を見てみるとすでに馬車はすでにコルティナの町を出ていた。


 今は郊外の道をゆっくりと進んでいるのだが、その風景に俺は思わず目を丸くした。


「え? 畑?」


 そう。広大な畑が広がっているのだ。これはコーザ男爵領でも、ベルトーニ子爵領でも、モラッツァーニ伯爵領でも見られなかった光景だ。


 なぜ畑をつくれないのか? それは郊外にこれほど広大な畑を作っても、モンスターの襲撃から守り切れないからだ。畑を作れるのは、モンスターが現れたらすぐに逃げられる、または冒険者や騎士が対処できる範囲に限定されている。


「そうね。マッツィアーノ公爵領を荒らすモンスターはいないもの」

「……」


 それはそうだ。マッツィアーノはモンスターを従えられるのだから、民はモンスターの心配をせずに畑を耕すことができる。


 だが、マッツィアーノ公爵家の奴らとモンスターの果たしてどちらが恐ろしいのだろうか?


 そんなことを考えつつ、俺は車窓から見える景色をじっと眺める。


 と、雪がちらちらと降り始めた。


「冷えるかもしれないわね」

「うん」


 そう言ったきり、俺たちは押し黙るのだった。


◆◇◆


 それから十日ほどかけ、俺たちを乗せた馬車は山の中にある小さな村に到着した。この村はヴァシルガという名前で、見たところ総戸数が十ほどの寒村だ。


 だが、村の一番奥に一件だけこの村の光景には似つかわしくない豪華な洋館がそびえ立っている。


 マッツィアーノ公爵家の別荘だ。


 別荘の前にはすでに雪が積もっているにもかかわらず、メイドたちや兵士たちがずらりと整列していた。


 ティティを出迎える使用人たちなのだろう。


「レイ、首輪を着けて」


 小さくうなずき、俺は再びイヌとなる。


 そしてティティにリードを引かれ、下車した。すると使用人たちが一斉に頭を下げてくる。


「「「「セレスティアお嬢様、お帰りなさいませ」」」」


 ティティはそれに目をくれることなく、雪の上に敷かれた赤いカーペットの上を平然と歩いていく。そして執事服を着た男の前で立ち止まったので、俺はティティの三歩後ろでお座りをした。


「ようこそお戻りくださいました。そちらがお聞きしていたお嬢様のペットですな?」

「ええ。名前はイヌっていうのよ」

「なるほど、それは良い名前をお付けになられましたな。さあ、どうぞこちらへ」


 この男の神経もよく分からないが、俺自身もこうした扱いに慣れてしまい、もう腹が立たなくなっているのだから不思議なものだ。


 それから俺たちは執事に案内され、マッツィアーノ公爵家の別荘の中へと入るのだった。


◆◇◆


 その夜、一階にあるペット用の小さな部屋で毛布に包まって寒さをしのいでいると、なんとティティが一人で訪ねてきた。


「イヌ、起きてるかしら?」


 俺が小さくうなずくとティティは首輪にリードをつけ、手枷を外した。そして俺の耳元でささやく。


「一緒に来て。大事な話があるの」


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 次回更新は通常どおり、2024/01/16 (火) 18:00 を予定しております。

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