第四〇話 天文十二年三月下旬『市江川の戦いその壱』服部友貞side
服部と言うと、徳川家康に仕えた忍の頭領、服部半蔵正成がとみに有名であるが、出自は異なり、血縁もまったくない。
服部友貞の所領は二一世紀の地図で見れば清州から陸続きではあるが、この当時は「市江島」と呼ばれる
輪中とは、川と川の間に挟まれ、水害防止のため堤防でぐるりと周囲を覆った島のことである。
戦略的に言うならば、川と堤防という要害に囲まれた非常に攻めづらい土地と言える。
また農作物の収穫量も高が知れているため、無理して攻めても旨味がない。
それゆえ尾張国内で唯一、信秀に服することなく独立を保っていた。
「仏敵折伏! 南無阿弥陀仏!」
そしてまた彼は、狂信的なまでの浄土真宗(一向宗)の門徒であった。
若い頃、自らの在り方に深く悩み、願証寺の先代、実恵と出会い心を救われた。
以来、その恩に報いるため、彼は浄土真宗の槍であり盾となろうと自らに任じている。
先代はすでに亡くなられたが、問題ない。
その誓いは未だ胸に燃え盛っている。
だからこそ、此度の戦いでは先発隊を買って出たのだ。
「よし、皆、渡り切ったな」
服部友貞はにやりとほくそ笑む。
渡河は行軍の中でも最も難しいものの一つとされるが、市江川は友貞の居城、荷之上城の目と鼻の先を流れている川である。
敵もさすがに初動が間に合わなかったのだろう。
服部友貞率いる先発隊三〇〇は、拍子抜けするぐらいあっさりと対岸にたどり着いていた。
「ふっ、我ら服部党を舐めているからこうなる」
服部党の勢力は決して大きいとは言えない。
織田弾正忠家からしてみれば、吹けば飛ぶようなものだろう。
眼中にもなかったに違いない。
それゆえ大した砦を築くこともなく、警戒を怠った。
だからこうしてまんまと侵入を許す事となる。
「よし、さっさと陣城を築くぞ」
服部友貞は早速手勢に指示を出す。
先発隊の役目は偵察と、そしてこの陣城の構築である。
敵に先んじて制圧した場所に、柵を立て矢盾を並べ、さらに出来るならば柵の前の土を掘り、さらに土塁を築く。
ここまですれば、たとえ三〇〇の少数と言えど敵も容易には攻め難くなる。
そうして後は本隊が渡河してくるまで、この地を死守するのが今回、服部友貞に与えられた任務であった。
「頭目! 敵が来やしたぜ!」
半刻ほどしたところで部下が叫ぶ。
服部友貞が東へと目を向けると、五〇騎ほどだろうか、騎馬の一団がこちらに向かってくるのが見えた。
「ふん、もう遅いわ」
服部友貞は嘲笑も露わに鼻を鳴らす。
騎馬による突撃は確かに脅威ではあるが、すでに馬防柵は立ててある。
こうなればもう敵は馬を降りて徒歩で戦うしかない。
しかもこちらの手勢は三〇〇人。
渡河の最中ならいざしらず、柵まで立てたこの状況では五〇人程度、もはや敵ですらなかった。
「んん?」
服部友貞は訝しげに目を細める。
敵兵たちが馬上で矢を構え出したのだ。
まだ距離にして五〇間(約九一メートル)以上はある。
殺傷能力がある距離ではない。牽制といったところか。
とは言え、当たり所が悪ければ怪我ぐらいはする。
「者ども、矢盾を構……」
ヒュオッ!
指示を出そうとした矢先であった。
服部友貞の髪を、風切音とともに矢がかすめていく。
「ぐあっ!」
「ぎゃあっ!」
続けて手勢たちから悲鳴が上がる。
「なっ! この距離でこんな剛弓を!?」
思わず目を疑う。
どうやら敵には、とんでもない弓の達人がいるらしい。
しかも複数!?
とても信じられないが、目にしたものを否定しても意味はない。
「くっ、者ども、早く矢盾を!」
服部友貞が指示するまでもなく、すでに手勢たちは人の身の丈ほどもある戸板状の盾を地面に立てかけ、その後ろに隠れ始めていた。
人間誰だって自分の命は惜しいのである。
タン! タン! タン!
矢板に次々と矢が刺さっていく。
いかな剛弓も、この距離では厚さ二寸(約六センチ)の板を貫くことは不可能である。
「ふうっ、っと、息つく暇もないな!」
とりあえず防備が整い一息つく服部友貞であったが、あり得ない距離からの攻撃に混乱しバタバタしているうちに、敵はすでに二五間(約四五メートル)ほどにまで迫っていた。
しかも、だ。
「なんだ? 投石か!?」
なにやら黒い球に縄をくくりつけ、ひゅんひゅんと馬上で振り回す敵兵たちがいた。
弓は熟練がいる武器である。
馬上からとなればなおさらだ。
出来ないものがいてもなんらおかしくはないが、その代替えとしても何か妙だった。
投石ならば、その辺にある石を使えばいいだけの話だからだ。
果てしなく嫌な予感がした。
「弓足軽隊! あの怪しげなものを振り回してる連中を射落とせ!」
「はっ、ははっ!」
戸板の裏で、足軽たちが慌てて弓を構え矢をつがえるも間に合わない。
敵兵たちが縄を手放し、黒い球を次々とこちらへと放り込んでくる。
それは矢盾に当たりあっけなく跳ね返され、ころころとその場に転がる。
「ふうっ、なんだ、脅かしおって。大したこと……」
服部友貞が安堵の吐息とともに額の汗を拭ったその時だった。
ドオオオオン!! ドオオオオン!! ドオオオオン!!
雷鳴のごときとてつもない轟音とともに、黒い球が破裂する。
「ぎゃっ!」
「あっつ!」
「いてえっ!」
ところどころから悲鳴が上がる。
破裂すると同時に、火と黒い何かが飛び散ったのだ。
「ぐうっ!」
服部友貞もまた腕に激痛を覚えていた。
見れば腕に火傷とともに硬い鉄片のようなものが刺さっている。
致命傷と呼ぶには程遠いが、それでもなかなかに痛い。
「こ、これはもしやてつはうか!?」
こんな兵器、見た事も聞いたこともなかったが、文献を目にしたことはあった。
この時代、学問は寺で習うのが一般的である。
浄土真宗に帰依した服部友貞もまた、知己の得た僧から様々な知識を学んでいる。
今の兵器は、かつて蒙古襲来(元寇)において、鎌倉武士たちを苦しめたという兵器に、あまりにも酷似していた。
まさかこんな過去の遺物を引っ張り出してくるとは、あまりにも予想外過ぎた。
「うわぁっ!?」
「ひぃっ!?」
「敵は火の妖術を使うのか!?」
初めて見る攻撃に、手勢たちはすっかり慌てふためき、恐慌状態に陥っていた。
これではとても戦えそうにない。
「くぬっ、皆の者、落ち着け! 落ち着けい!」
服部友貞はなんとか立て直そうと声を張り上げるも――
ヒュン! ヒュン! ヒュン!
ドオオオオン!! ドオオオオン!! ドオオオオン!!
立て続けに起こる轟音に、かき消される。
「うおっ!? ひぃっ」
続けて近くに転がってきたてつはうから、服部友貞は慌てて距離を取る。
痛みを身体が覚えていて、反射的な行動であったが、それがよくなかった。
そこは矢板の外であり――
「がっ!?」
額に激しい衝撃と激痛が疾り、首がのけ反る。
視界が一気に紅く染まり、意識が遠のいていく。
一歩、二歩、たたらを踏むように後ろに下がり、
「な、南無阿弥陀仏……」
その言葉を最後に、服部友貞は大の字に倒れ伏した。
史実から早まること二五年。
しぶとく信長にあらがい続けた男にしては、実にあっけない最期であった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます